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私釈三国志 58 周瑜公瑾

A「……呂布や孫策ででさえやらなかったコレを、周瑜でやるかな」
F「連載1回で、僕はこう云っている」

F「三国志とは、漢のロマンである! 劉備と孔明、曹操と関羽、孫策と周瑜の物語! 乱世に生を享けた群雄たちが繰り広げる権謀術数のドラマ! そこには人類史の縮図が断固として存在するのだ!」

F「本来なら、呉を率い三国時代の一翼を担うべきは孫策だった。あるいは父親……孫堅だったかもしれんが、少なくとも孫権がその座に就くべきではなかった。この両者が早死にしたから、やむなく孫権にお鉢が回ってきたんだけど」
A「だから、孫権がそんなに嫌いなのか?」
F「はっきり云う、嫌いだ」
A「……それは知らなかったが、何でまた」
F「……孫権が即位した辺りで触れる」
Y「ずいぶん引くな?」
F「何と云うか……我ながら、笑えないものが見えてな。今回でやるつもりだったが、連載構成の都合で先延ばしにする。とりあえず、状況の確認だ。劉備は以前、益州を獲ったら荊州を呉に返すと書面さえ交わしていた。自らの策を破られた周瑜は、劉備(というか、孔明)にひとあわ吹かせてやろうと、策を講じる」
A「益州を討つと称して兵を荊州に進め、そのまま劉備を討ち取る……だな」
F「無論、それは孔明に見抜かれて、あっさり反撃に遭う。さらに孔明から『およしなさいって……。今アンタが呉を離れたら、曹操が喜んで攻めてきますよ? 宿ナシになるのがアンタか我々か、試してみますか?』という書状まで届いた。これには周瑜の古傷――曹仁との戦闘で負ったものが開いて、ついに周瑜は倒れた」
A「吐血だな!?」
F「……だから、ナニを喜ぶ? えーっと、孫権に遺書を書き、諸将に孫権を支えるよう云い含めて、周瑜は死んだ。享年、わずかにして36。最期の言葉は、あまりにも凄絶なものだった」

『あぁ……天よ! この周瑜を地上に生ましめながら、何故孔明まで生み給うたのか!?』

Y「……とことん情けねェな、美周郎」
A「いや、ほら、演義だから〜」
F「アキラが云うかな、その台詞? えーっと、正史では、益州を攻めたいから手を貸せ、と劉備に云ったのは孫権だった。そんなことしたら曹操が攻めてきますよ、と劉備は反対するけど、孫権は聞かずに兵を動かしかける。そこで劉備が『お前がその気なら、オレは隠遁して山にこもるぞ!』と、お得意の『その気はない爆弾発言をして相手を翻弄し、自分に都合のいい方向へ誘導する弁舌』を披露すると、やむなく孫権は兵を退くんだけど」
A「……だから、そんなに劉備が嫌いか?」
F「実は、裴松之は否定しているものの、正史に興味深い記述がある。劉備による孫権評だけど」

『孫権は、目上の者は敬うが、下の者は大事にしない。アレの配下は大変だろうな……まぁ、二度と会わんがな』

A「……ふむ?」
F「孫権が部下を大事にしないのは有名だけど、その一番の被害者が、実は周瑜だった。たとえば、曹操は降ってきた関羽に偏将軍の地位を与えているけど、赤壁で勝利し南郡まで奪った周瑜に、孫権が与えたのがこの将軍位だ」
Y「そもそも孫権が、それほどの地位にはないぞ? 与えたくても与えられなかった、というのが実情では」
F「与えたくなかった、というのが実情だろうな。孫権は、父の死後爵位を継いだ周瑜の息子を、難癖つけて殺そうとし、瑾兄ちゃんら群臣の上奏でようやく処刑は思いとどまったものの、息子はそのあとで『病死』しているんだから」
Y「殺したようにしか見えないな」
A「待て待て。何で孫権が、わざわざ周瑜を殺さなきゃならん?」
F「理由を求めるとしたら、歴史を10年さかのぼらねばならないな。つまり、孫策が死んだ当時まで」
Y「その心は?」
F「孫策の死が何者かによる謀略だったとすると、有力な容疑者がひとりいる……と、当時云ったよな。その容疑者こそが、余人ならぬ仲ボンそのひとだ」
Y「……ぅわ」
A「だから待て! 孫権が孫策殺して……何になると聞いてみれば、呉の王になったな」
F「いや、そんな小さい問題じゃないんだ。というか、覚えてないか? 曹操は孫権(孫策の弟)を朝廷に召して、可愛がっていた……と云ってあるだろうが」
2人『……あ?』
F「その事実が頭に入っていると、孫策が死んだタイミングから察するに、容疑者として真っ先に挙がるのが孫権だというのが判ってもらえると思う。孫策が本当に許昌に兵を向けるとしたら、江東の軍勢が総力挙げて攻め入ってきた場合、陳登や劉馥で本当に防ぎきれたかどうか。曹操にしてみれば一大事だ。そこで……」
Y「……孫権に、許貢を通じて孫策暗殺を持ちかけた、と?」
A「状況証拠だけじゃねーかっ! 孫権がそんなことするか! そもそも、孫策が孫権ごときに負けるか!」
F「はっきり云う。証拠については、さっきも云った孫権即位まで待て」
A「ん?」
F「正史三国志研究の世界的権威がいるんだが、その著作を読み返していたところ、笑えないものが見えたんだ。明記こそしていないが、たぶん僕と同じ、孫策を殺したのが孫権だという結論が。残念ながら故人なので確認はできんが、孫策殺しの根拠は提示する。それまで、待て」
A「…………………………むぅ」
Y「まぁ……よかろう。だがな、孫策が死んだのは200年、赤壁はその8年後だぞ。そこまで心変わりするか?」
F「以前云ったけど、曹操の標的は劉備だった。孫権は、降伏していればそれで国体を保てたはずだ。ところが、孔明や周瑜、誰より魯粛といった過激派が孫権をけしかけ、開戦に踏み切らせたんだ。乗せられて、曹操への対決姿勢を強めていったみたいな状態だが、孫権がナニを考えてそんな結論に到ったのかは、ちょっと後で述べる」
Y「じゃぁ曹操は? 孫権を攻めるつもりはなかったのか?」
F「なかった、と見ていい。実は、史料がある」

『連絡が途絶えて3年。ワシは1日とて、かつての親密な日々を忘れたことがない。我々の恩情の深さに比べれば、乖離による溝など浅いものだ。それなのにお前と来たら、魯粛に乗せられワシと戦い、劉備と組んで漢王朝に弓を引くモンだから、こんな事態になってしまった。本来の心を取り戻してほしいものだな。
 ワシは確かに徳が薄いが、お前との関係に亀裂が入っているのを思うと、夜も眠れん。小さなこだわりを捨てて旧来の幸福を回復しようと誠意を尽くしてきたつもりだが、どうして判ってくれんのだ?
 赤壁のことでも誤解していないか? 荊州はそもそも我が領土ではなかったが、全てをお前にやりたかったのだ。そもそもどうして荊州を攻め、お前のものを取り上げねばならなかったのだ? 周瑜に敗れたわけではないのだぞ。
 お前が聡明だということをワシは知っている。そんなお前に問題だが、江東と我が領土を比べてみろ。長江に頼ったところで、我が軍を防ぎうると思うか? だが勘違いするな、脅迫ではないぞ。ワシは、ワシの国力を教えているだけだ。張昭を避けて劉備と戦い、朝廷に忠誠を示せば、かつての友好関係は修復できる、と云っているだけだ。そのふたりに従うなら、心ならずも処罰せねばなるまい。まぁどーしてもというなら張昭は許してもいいが、劉備はダメだぞ。
 ところで、交州とかの住民が、我が軍に進駐して来いと云ってきている。そんなことしようとは思わないから、お前がワシに代わって長江の南を治めてくれ。虚心坦懐に鱗甲を洗い、大空に向かい飛翔せよ! 今こそがその時ぞ!』

F「211年に、曹操が孫権に送った書状(の、要約)だ。原文はもっともっとはるかに長いが、そこには、早くに父を亡くした青年への配慮と、情理両面に渡る説得力があふれている」
A「何だ、何だこれ……!? 演義にはこんな文書ないぞ!?」
Y「正史でも見た記憶はない……。出典は?」
F「『文選』巻四二、阮瑀による『曹公のために孫権に与うる書を作る』だ。南北朝時代に編纂された名文集だな」
Y「阮瑀……建安七子のひとりか」
F「当時きっての名文家に代筆させたんだが、曹操が孫権をどう思っていたのかがはっきり判る文書だろう」
A「……空いた口がふさがらない。どーしてこんなモン、見つけられるんだ?」
F「ひとより手が長いだけだよ。さて、赤壁当時に云ったことを確認しよう。僕が上級生に降伏するのと、孫権が曹操に降伏するのとでは、正反対の結果を産む、と以前云った。なぜなら、上級生は僕を徹底的に敵視していたのに対し、曹操は孫権に敵意を抱いていなかったから、だ」
A「お兄ちゃんの実兄、いるんじゃなかったの……?」
2人『だから、だ』
A「がくがくぶるぶるがくがくぶるぶる……」
F「それはともかく、曹操と孫権がこれほどの関係にあるなら、孫策が曹操の腹背を突こうとした場合、孫権に命じてコレを除くようなことをしかねないのは判ってもらえると思う」
Y「実行犯は、許貢の残党。主犯は孫権……計画犯は張昭だな」
F「ひとつ救いがあるとしたら、孫策は孫権を疑っていなかったことだ。もし孫権に何らかの疑いを抱いていたなら、孫権は、たとえ張昭を抱きこんでいても後継足りえなかった。孫策には、息子と頼れる義弟がいたのだから」
A「……家族の情が判らないお兄ちゃんには無理もないけど、孫策は、疑っていたとしても孫権を後継にしたよ」
F「その心は?」
A「末期の床で孫権を責めたら、孫権+張昭と息子+周瑜の争いになる。呉がふたつに割れるんだ……孫策が、血で築き上げた国が。そして、たぶん息子は負ける。……だが、孫権の即位を見逃せば、息子と周瑜は生き延びられる」
F「なるほど……それは僕には思いつけない考え方だな。だが、このタイミングで周瑜が死んだのがどういうことか、判らないお前たちではあるまい?」
Y「何らかの形で、孫策暗殺事件を周瑜がかぎつけた、と?」
F「おそらくは曹操だ。孫権とは何者かについては50年後に触れるが、周瑜とは何者かは、はっきりと判っている」

『周瑜は、文武両道を極めた英雄。いつまでもひとの下にいる漢ではありませんな』(劉備)
『周瑜に破られたなら、逃げることを恥とは思わぬよ』(曹操)

F「世渡り上手で逃げ込んだ相手には確実に受け入れられる特技を持つ劉備が、ひとを見る眼には長けていたことを疑う余地がない。その劉備が、周瑜は危険だと云いきっている。どれほど危険かといえば、直接戦火を交えた曹操をして『アイツになら仕方ないな』と云わしめたほどだ」
Y「……周瑜と孫権の仲を割こうとした流言だ、との記述もあったが、その通りなんだな?」
F「そうだろうと、僕は見ている。無論、赤壁同様に、僕の『私釈』ではあるけど、赤壁のときとは大きく異なり、史料的な傍証が得られているんだ。泰永、正史における周瑜の最期」
Y「……読むのか?」
A「だから、何で躊躇うの?」
Y「直接どう死んだ、という記述はない。魯粛伝には、重病だったという記述があるが……」
A「またそのパターンなの!?」
F「おそらく孫策は、官渡の戦いに専念するために、曹操と孫権(+たぶん張昭)の謀略で殺された。それから、赤壁の戦いを経て10年経ち、周瑜が邪魔になった曹操は、何気なく周瑜にそのことを教えた」
A「……信じたかな?」
F「それは問題じゃないんだ。本気にしようがしまいが、やましいところがある……というか、やましいところしかない孫権は、周瑜を危険視する。そこで、病にかこつけて殺した。……事態のいやらしさからして、魯粛や瑾兄ちゃんは絡んでいないが、ひとり協力していそうな奴がいるな」
Y「あぁ、いるな。誰とは云わんが」
A「そーだねぇ……」
F「敵の敵は味方と云うからな。かくして、劉備・曹操・孫権の悉くを震え上がらせた、三国時代屈指の名将・周公瑾は、魯粛に全てを任せ世を去った。なるほど、三国の群雄たちにとっては朗報であったろうが、歴史にとってはあまりにも大きな損失であった。その周瑜の真たる評価を、三国志演義五十七回から書き下して抜粋する」

 江東の諸将は孔明を斬ると息巻いたが、魯粛にたしなめられ手を出さなかった。用意した品々を霊前に供え、孔明は礼拝し、弔辞を読み上げる……。
『あぁ、公瑾よ! 不幸にも夭折された君よ! 天命とは何と悲しいことか。正義を第一とし覇業を成し、劉表は肝を冷やし孫策は何の憂いも抱かなかった。志は高く文武を極め、業火もて強者を弱者へと追いつめた君よ! まさに英雄たる君が早逝しては、血の涙さえ流れる。忠義の士よ、英霊よ。亮は不才にして劉備を助け曹操と相対したが、それを助けてくれたのが君だった。君がいてくれたからこそ、何も怖くはなかった! あぁ公瑾よ、なぜ死んだ! 君がおらぬこの天下で、いったい誰を友とするのか! 魂魄あらば聞け、我が心を! 君の名は百世に渡って正史に君臨する! まさしく……天が漢王朝に与えし、真の臣下であった』
 孔明は地に臥して大哭し、その涙は泉のようにあふれ出た。悼み嘆くその姿に、江東の諸将も口々に「孔明と周瑜の仲が悪いと云っていたのは誰だ……? この姿を見て、まだそんなことが云えるものか」と云いあった。魯粛さえ「提督はあまりにも狭量だった。どうして、孔明を信じられなかったのか」と涙を禁じえなかった。

F「続きは次回の講釈で」

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