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私釈三国志 50 赤壁前夜

F「あははぁ……。連載50回だっていうのに、野暮用でまた1週間空いちゃいました。ちょと反省」
Y「ちょっとでいいのか?」
F「いいことにしてくれ。孔明が死ぬまで何年かかるかなぁ」
A「とんでもない発言すんなっ!」
F「まぁ、気を取り直して私釈するぞー」
A「それにしても、ホントにペース配分が適当だな。連載開始から官渡まで30回で、官渡から赤壁までは10回か」
F「理由はあるんだけど……ね。何しろ、連載開始の黄巾の乱が184年で、官渡の戦いは200年、袁家滅亡が207年だぞ? これが三顧の礼と同じ年だ。赤壁の戦いはその翌年」
Y「間隔としては妥当なのか」
F「そういうコト。加えて、官渡までは正史のが、赤壁までは演義のが、エピソードが豊富なんだ。どうしても、重きが移るのは仕方のない話で」
A「むぅ〜ん……」
F「ともあれ。というわけで柴桑(当時の孫権の本拠地)に周瑜は呼び出された。翌日孫権に会うことにしたところ、まずは魯粛がやってきて、孫権がどうの孔明がどうのと事情を説明したところ『じゃぁキミ、孔明を連れてきてくれ』と周瑜云い出す。魯粛はいったん辞して、孔明を呼びに行った」
A「ふんふん」
F「次にやってきたのは、張昭率いる文官一同。周瑜に『降伏するよう仲ボンに云ってくれ!』と懇願してきたので、『あぁ、僕もご主君にはそう申し上げるつもりです』と応じる。張昭ホクホク辞した」
Y「おいおい」
F「続いてやってきたのは、黄蓋や程普率いる武官団(高齢派)。孫パパの時代から戦ってきたこの連中は、かつて孫堅と同格だった曹操に降るのが気に入らない。というわけで『降伏するくらいなら死んだ方がマシじゃ!』と云い出す始末。周瑜は『ンむ、降伏などもってのほかです』と応じる。おじいちゃんズホクホク辞した」
A「……おいおい」
F「そこでやってきたのは瑾兄ちゃん。前回云った通り『孔明の兄としては、何とも口出しいたしかねますねぇ』と嘆息する。ここでようやく周瑜は本心を口にした。『あぁ、僕にも考えがあるから安心してくれ』と」
Y「周瑜ともあろう者が日和見か?」
F「それぞれの意見を見ていた、というところだろうね。瑾兄ちゃんに伝えたのが本心だったと思う。やがて甘寧たちが来たりして、交戦だ降伏だと騒ぎ立てるけど、周瑜は『その通りだ。ご主君にはそう云おう』と全員に伝えている」
A「交渉上手だな」
F「否定しないね。夜になって、魯粛が孔明を伴ってもう一度やってきた。魯粛と3人で酒を酌み交わしながら、周瑜は『曹操の勢いは当たるべからずだね。降伏した方が良さそうだ』と云い出す」
A「魯粛が『ナニを弱気になってますか、アナタは? 提督(周瑜の役職)ならば曹操に対抗できます!』とけしかけるけど、横で孔明が笑い出すんだよな」
F「うむ。ナニをガタガタ騒いでおられますか、降参するおつもりならたったふたりを曹操の元に送るだけで、孫権や周瑜、及びその妻子に到るまでの身柄や財産を保証できましょう、と」
A「それは何かと尋ねたら?」
F「すなわち、世にも名高き江東の二橋こと、大橋・小橋。曹操は、以前張済の妻に手を出したり、曹丕と袁紹の次男の妻をめぐって争ったりしたことで判るように、かなりの女好きでね」
Y「別にかまわんが、袁煕の名を出さないのは何でだ」
F「いや、何となく。この二橋、魚は沈む雁は落ちる、月は光を消し花は恥らうとさえ云われた美人で、曹操は『天下平定の暁には、二橋を囲って晩年を楽しみたいねぇ』とオヤジな発言をしでかしていたという。以前どっかで名を挙げた范蠡(春秋時代屈指の謀略家)は、西施を敵対国の王に贈って骨抜きにしたけど、その策だね」
A「西施……?」
F「貂蝉の首」
A「あぁ、アレか……」
F「西施については、凶悪なエピソードがあるな。胸が痛む持病があったんだけど、その発作が起こるとひそみ(眉間)にしわがよるんだ。その姿が何とも色っぽくて、周りの男どもは前かがみになったとか」
A「そりゃまた、強烈な」
F「それを見た醜女が、自分もひそみにしわを寄せてみた。すると、醜い顔がさらに醜くなり、住民は家の中に逃げ帰って戸口を固め、あるいは女房子供を連れて隣の国まで逃げ出したとか。世に云う『顰に倣う』の故事だな」
A「やっと判った。例のアレでは、ブラックジャックが間違えて、隣の墓からそっちのクビを持ってきたんだな」
F「笑い話だねぇ。曹操の息子曹植は、二橋がほしいという詩まで詠んでいた。悪趣味な孔明は、わざわざそれを暗誦してのける。三国志演義44回にはそれが掲載されているけど……いや、凄くて」

『高門でふたつやぐらを並べ、そそり立つ華観もて花園の茂みを楽しみたい。二喬を並べて朝晩楽しみたい』
注 演義では"二橋"が"二喬"になっている。

A「……えーっと、基本的には、コレ前後同じコト云ってるよね?」
F「んむ。正直、コレ子供には見せちゃいけないよなぁ……みたいな。ともあれ、それを聞いた周瑜は怒り狂った。娘ふたりくらいいいではありませんかと応じる孔明を『キミは知らんようだが、大橋とはあろうことか亡き孫策が妻、小橋に到っては僕の妻だ!』と怒鳴りつける。その剣幕に、さすがに謝る孔明だけど、もはや周瑜の怒りは収まらない」
A「狙ってたんだよな、孔明」
F「まぁ、知ってただろうね。……あぁ、アキラ。以前キミが云いかけたことに関してはいずれ触れるから、今は黙っとけ。さて翌日、孫権と、居並ぶ群臣・諸将の前に出た周瑜は、まずは孫権にどうするのか尋ね、それぞれの意見がまとまらないからどうにもならんと言質を得る。そこで周瑜、曹操の過ちを次々と挙げた」
Y「過ち?」
F「河北は平定して間もなく、涼州の動静は定かではない。これがひとつ。南船北馬というが水軍もて呉を攻めようとしている。これでふたつ。これから冬になるから軍馬の飼料がない。これでみっつ。気候の違いから病を発する者も少なからずいる。これがよっつ。これらをもって、曹操との対決を進言した」
Y「いくらか該当するのか微妙な話もあるが……まぁ、妥当なラインか」
F「孫権は応えて『呂布・袁術・袁紹・劉表……曹操に対抗できる者は悉く死に、残るは劉備とただオレのみ。この上は、曹操と両立などできようか!』と、佩いていた剣を抜き、机の角を叩き斬る。『以後、曹操に降ると口にする者は、この机と同じと思え!』と、剣をそのまま周瑜に渡した。逆らうなら斬ってしまえ、という意思表示だね」
A「……で、あまり聞きたくはないけどこの辺り、正史ではどうなってる?」
F「前回触れた通り、そもそも孫権は主戦派と同意見だった。さっき周瑜が挙げた曹操の過ちは、すでに調べてあったと云っていい。ために、孔明のここでの役割は、孫権を決断させるダメ押しだったわけだ。孫権に拝謁した孔明は云った。『うちの大将は、曹操の野望を阻止できなかったら潔く世を捨てる覚悟にある。曹操の下につけるか!』と。孫権はこれに触発されて、決断した……ふりをした、というわけだ」
A「交渉役として、その態度はどうなんだ?」
F「下手に出ることなく孫権のプライドを蹴飛ばすことで、開戦に踏み切らせたわけだから、結果おーらいってところじゃないかな? だからこそ、魯粛は劉備一党を同盟者として認めたワケだから」
Y「ひと言で云おう、さすがは孔明、と」
A「なははっ」
F「ただし、と付け足さなければならないことがひとつある」
A「また、雰囲気に水を差すようなことを云い出すよ、この雪男は……」
F「正確なところは2回後で見るけど、正史における孔明の、赤壁での活動はここで終わっているんだ。基本的に、孔明が周瑜相手に謀略の限りを尽くすのは、演義におけるフィクションでな」
Y「周知の事実ではあるが、蜀のシンパが認めようとしない事実のひとつだな」
A「うるさいやい」
F「まぁ、次回はその辺りをメインにすることになってるけど……とりあえず、いつものお時間かな」
A「おうっ♪」
F「続きは次回の講釈で」

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