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私釈三国志 46 荊州降伏

F「はい、1週開きましたけど、連載再開ですー」
A「いいけどな」
F「というわけで、ここで、一度『天下三分の計』についてまとめておく」
A「やっとかよ!?」
F「落ちつけ。そもそもコレは、以前名の挙がった蒯通が考えたものなんだ。24回で触れたけど、蒯通は当時劉邦に仕えていた韓信に向かって『劉邦から独立し、項羽とも距離を置いて、第三勢力とおなりなさい』と進言している。益・涼・司隷を治める劉邦に、揚・荊・徐・豫・兗を治める項羽。これに、幽・青・冀・并州を治める韓信が立てば、文字通りの三すくみになる」
Y「となれば、韓信が一番有利だな。劉邦が衰えれば劉邦につき、項羽が苦境なら項羽に助力する。そうやって両者を疲弊させれば、天下は韓信の下に転がりこむ」
F「この進言は、劉邦に惚れていた韓信が容れなかったから実現しなかったんだけど……ね。それから400年して、魯粛や甘寧が孫権をそそのかしている。北方を(ほぼ)統一した曹操には敵しえない。だったら孫権は江東をしっかり統治し、荊州から益州までを平定して、曹操と天下を決すればいい、と。長江を境に、漢土を南北に二分しようという策で、云わば『天下二分の計』だな」
A「むーん」
F「対して孔明は、北方は曹操に、江東は孫権にそれぞれ委ね、劉備自身は荊・益州を攻略して、天下を三分すべしと提案した。これが、世に云う『天下三分の計』だ。魯粛や甘寧の『二分』に、劉備一党を加えることで『三分』にしたような形なんだけど」
A「演義には『孔明様は、世に出でる前から天下三分を考えられていた』って台詞があるけど?」
F「先着順に取り上げるわけじゃないから、どっちが早いか遅いかってのはあまり意味はないぞ。まぁ、孔明がなぜ劉備を選んだのかについては、この際さておくけど」
A「それはそうと、名作『蒼天航路』で凄まじい発言があるよな。天下を分けるこの策で、天下を増やせ、と。天下をひとつと思い込んでいた劉備にとって、コレは画期的なプランだった」
F「まぁ、その通りなんだけど……ね。問題は、自分たちを受け入れた劉表に遠慮して、劉備が荊州を盗るのを躊躇ったことで、曹操に南下の時間を与えてしまったという事実。実行段階で二の足を踏んだんだね」
A「そりゃ、仕方ないだろ。一族一家を受け入れた恩人だぞ」
F「演義では、息子たちが頼りないから、劉備に荊州を託したいと、弱気な発言を劉表にさせているけど、劉表が劉備を警戒していたのは先に見た通りだ。しかも、その劉表が曹操の南下を聞いて死亡している。タイミング的には誰かの……はっきり云えば、荊州を狙っていた孫権辺りの謀略でもおかしくないけど、年齢的にはそれがない」
A「還暦回ってるんだモンな」
F「当時にしてはかなりの高齢だったな。後を継いだのは、次男の劉j(年齢不明)。外戚(母の弟にして妻の伯父)の蔡瑁が、それを補佐しているけど、この連中、あろうことか北方最前線の守りを張る劉備に何の相談もなく、曹操への降伏を決断した」
A「せめてひと言くらいあってもいいだろうに。許せねぇ野郎だな」
F「劉表の荊州奪取に協力したけど、蔡瑁は基本的に『荊州がよければそれでいい』という思想の持ち主だからな。荊州が平和で安定していて、その中で自分が権力を握っていられればそれでいい、みたいな」
A「劉表でなくてもいいワケな」
F「無論、曹操でなくてもいいんだろうけど……。さて、最前線に置き去りになった劉備一家は、荊州降伏の報に驚き慌てて、とりあえず州都・襄陽に詰めかけてみる。閉じられたままの城門に向かって、劉備は呼びかけるけど、蔡瑁はもちろん劉jも、劉備を怖がって顔すら出せない」
A「当たり前だ。劉備軍にたかが荊州軍程度で勝てるわけがあるか」
Y「そうでもないと思うが」
F「ところが――ここで、渡辺精一氏に云わせたところの『羅貫中が読者に期待していること』が発生する。三国志演義で(珍しく、横山三国志でも)、この時何が起こるか覚えてるか?」
Y「演義なら、俺の出番じゃないな。アキラ?」
A「……魏延が暴れだすんだっけ? 劉備一党を襄陽に導きいれようと、城門を開けようとして」
F「ご名答。魏延という男は、後に蜀軍の中核武将として活躍するんだけど、この時点では劉表の軍中にあった。劉表死後も襄陽に留まっていたんだけど、実はこいつがちょっとした役割を担っている」
A「何なんだ?」
F「三国志演義における、魏延の容貌に関する記述をまとめると、以下の通りで」

『魏延は身長八尺(約184センチ)、顔は赤黒く眼は星のように輝く。薙刀を振り回していた』

A「……え?」
Y「何だ?」
F「アキラは覚えてたな。関羽が顔良を斬り捨てたとき、劉備が袁紹に『顔が赤黒くて薙刀を振り回す武将は、関羽だけじゃありませんよ!』と抗弁していただろう。ここで現れたんだ。『顔が赤黒くて薙刀を振り回す武将』が」
Y「……ふむ」
F「一時的にとはいえ、袁紹が劉備の云い訳を受け入れたのには、あるいはマジでそーいう武将が世の中にはいるのかもしれない……と思ったのが原因なんだね。羅貫中はそこまで計算して、劉備にあんなことを云わせた、と渡辺氏は著書で分析している。ちなみに『身長は低いが』とのこと」
A「凄いな、羅貫中……」
F「まぁ、そんなエピソードはさておいて。劉表の墓に詣でてから、劉備はやむなく劉gを頼って襄陽を去る。ところが、ここで孔明でも予想だにしなかったアクシデントが発生した。荊州の民衆が大挙として劉備を追いかけ、大行列を成してしまったんだね」
A「いやぁ、さすがは劉備! 凄まじい仁徳だな♪」
Y「劉備が連れ出したんじゃなかったか? 曹操からの追撃の、盾にするために」
A「どーしてそうなる!」
F「仁徳……か」
2人『だから、そこで考え込むな!』
F「思い出してくれるか? 劉備が徐州を追われた時、民衆はどうしたか」
A「……ついては来なかったな」
F「戻ったときは歓喜して迎え入れたみたいだけど、その後袁紹のところに逃れたときも、民衆はそんなことをしなかった。それを考えると……この荊州の民衆移動はどうなんだろうなぁ」
Y「そういえば幸市、お前以前『劉備は徐州統治に失敗した』とか云ってなかったか?」
F「うん、云った。ずっと先の『劉備玄徳』でやろうと思ってたけど、今のうちにそれについて触れておくべきなのかもな。さっき云った通り民衆にも、それほど慕われていなかったようだし、何より陳珪老や陳登、陳羣と云った地元名士層からも見離されているんだ」
A「ぐっ……いや、糜竺や孫乾は?」
F「糜竺は商人あがり、孫乾は劉備自身の登用だぞ。その段階でも劉備の人格は呂布や董卓レベルなのに、その階層にまで見捨てられたら袁術・コーソンさんレベルにまで格下げだ」
A「限りなく低いー!?」
Y「……それを云われると、俺としても少し悩むな。魏延や伊籍は、この逃避行に同行したんだろ?」
F「実はその通り。演義では、魏延が配下に加わるのはまだちょっと先だけど。そんなわけで、僕はちょっと考えてしまう。今回は、本当に劉備の仁徳だったんじゃないかなぁ、と」
A「その結論なら、まぁいいけど……」
F「ま、その辺の事情はさておいて。新野を攻略した曹操軍は、そのまま南下して襄陽に入った。劉jや蔡瑁、蒯越も曹操に膝を屈したけど、蒯越について曹操は『お前が我が幕下に入ったのは、荊州を手に入れたことより喜ばしい!』と述べている(蒯良はすでに死んでいた模様)。また、精強を知られた荊州水軍を押さえたのは大きい」
A「どんどん強くなるよ、曹操……」
F「だが、どうしても劉備を放ってはおけないのが曹操という御仁だ。軽騎兵を動員して、劉備の後を追わせた。世に云う長坂坡の戦いだ」
A「お前らでも曹操をフォローできない、暴挙のひとつだろ。民衆に手をかけるなんて、主君の風上にも置けんな」
F「反論できんよ……」
Y「まぁ、正史には記述が少ないのが唯一の救いだろうな。大虐殺というほどの被害だったのか」
F「民衆に手を出した時点で、陳宮は曹操を見捨てた。歴史的評価ってのは、それで充分だ」
Y「……そうか」
F「かくして、曹操は騎兵を先行させ、自らも軍を率い劉備の後を追った。……徐州殺戮と並ぶ、曹操軍による民衆虐殺がここに始まろうとしていた」
A「倶に天を戴かず……だな」
F「続きは次回の講釈で」

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