私釈三国志 43 水鏡先生
A「漢語だと『水鏡老師』じゃないか?」
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
F「えーっと、漢語で『老師』は、日本語での『先生』の意味です。ちなみに、相手が何歳でも『老師』で大丈夫。儒教では、年長者であるというだけで尊敬の対象だから、相手を年上と持ち上げることで敬称としているんだね」
Y「漢語講座はどうでもいい」
F「あっはは。さて、司馬徳操。この御仁は、荊州の清流派知識人の間では"水鏡"の綽名で知られていた」
A「綽名云うな。水滸伝じゃないんだから」
F「異名かな? 清流派知識人の中心人物に龐徳公というひとがいるんだけど、このひとが、徳操の賢才ぶりをして"水鏡"と絶賛した。徳操は司馬徽と云うんだけど、そんなわけで以後彼を水鏡先生と呼ぶ」
A「龐徳公って、龐統の叔父だっけ?」
F「だな。ちなみに、"臥龍"・"鳳雛"の名付け親も、龐徳公そのひとだ。ともあれ、牧童の案内で水鏡先生の庵にたどりつくと、琴の音が響いていた。劉備が的廬から降りると、琴の音が止んで水鏡先生が中から出てくる。琴の音が乱れた……おおよそ、戦を生業とする者が来たのであろう、と」
A「判るモンかね?」
F「その辺は創作ってコトで。劉備を庵に招きいれた水鏡先生は、なにやら大事に遭われたようですな、と皮肉たっぷりに微笑む。見透かされた劉備は、だが礼をもって『己の不甲斐なさを恥じるばかりです』と応える」
Y「年長者への礼は基本だからなぁ」
F「うーん……」
2人『だから、なぜここで悩むか』
F「いや、その辺は次回やるけど。水鏡先生は、劉備の今の苦境は、人材不足に原因があると云い放つ。さすがに劉備かちんと来て、ひとナシとは云い過ぎではありませんかと反発した。武においては関羽・張飛・趙雲、文では簡雍・糜竺・孫乾がいる、と」
A「あれ、その顔ぶれ……」
F「以前云ったよな。簡雍・糜竺・孫乾では、曹操には対抗できない、と。水鏡先生は云う。荊州は人材の宝庫。まだ世に現れぬ賢才が野に埋もれている。"臥龍"・"鳳雛"のいずれかでも得られれば、天下を治めることもできよう、と。劉備は、この時点では孔明・龐統のいずれの名も知らないから。水鏡先生にその両者を紹介してほしいと懇願するものの、センセは『はおはお♪』と笑うばかりで応えてくれない」
A「何だ、その笑い方は!?」
F「偉大なる横山氏が描かなかったからって、どーして知らないかな……? 演義では、水鏡先生は『好、好』とよく笑うひとなんだよ? 四声で云うなら『ハオ』で正しい」
A「ぐぬぬぬっ……!」
Y「オープニングで漢語講座やったのは、コレが狙いか」
F「我ながら計算高いことで。はおはお笑う水鏡先生、今夜は泊まっていきなさいと劉備に勧める。なかなか寝つけない劉備だけど、夜半過ぎ、庵を誰かが訪ねてきた。水鏡先生と喋っている声が聞こえてくる……『ダメっスよ、センセー。劉表なんか話にもなンねーっス』と」
A「進路相談に来たヤンキーか!?」
F「似たような来歴だけどな。それを聞いた水鏡先生ははおはお笑いながら『天下には仕えるに足る君主もいる、そこへ行きつくには壁があって、なかなかお目にかかれぬだけだ』と本当のことを云う」
A「……いや、そのまんまですがね」
F「朝、劉備がひょっこり顔を出すと、そのヤンキーはもう姿を消していた。アレが"臥龍"・"鳳雛"のいずれかでしょうかと劉備は尋ねるけど、もちろんセンセは『はおはお♪』とごまかした。やがて趙雲が迎えに来たけど、劉備についてきてほしいと頼まれても、センセは『はおはお♪』と見送るばかりだったという」
A「……何だかなぁ」
F「劉表は、蔡瑁が劉備を殺そうとしたと聞いて、劉備を呼びつけて詫びる。ことを大げさにしたくなかった劉備は引き下がったけど、その帰り道、妙な男を見かけた。街中で声を張り上げ、歌っている」
『世の中ってのは薄情なモンさ! 誰もオレを使ってくれねぇ! オレはとっても役に立つんだぜ! Ohベイベ!』
A「だから、どこのヤンキーだ!?」
F「穎川(豫州)の。この男、名を単福は、ダチの仇討ちでケンカしてマッポに捕まったものの、他のダチに手引きされて脱獄し、水鏡センセに諭されて勉強に励むようになったという来歴の持ち主で……」
A「聞いてる分ではただのヤンキーだってば!」
F「心に響く歌を聴いた元ヤンは、単福を邸宅に招いて話を聞いてみる。なかなか見所のある若者だったが、的廬を見た単福が『アレ、凶馬っスよぉ。乗ってたらヤヴァいコトになるっスよぉ。誰か部下さんに乗らせて禍を引き起こしてから、大将が乗るべきっスよぉ』と云いだしたモンだから、劉備キレる」
A「そんな浅はかな真似で、大事な部下を傷つけられるかーっ! と怒ったんだよな」
F「むしろ、殴ったかもしれない。その拳に感動した現役ヤンキーは、本性を現す。今の発言はアンタを試すために云ったこと。アンタこそがオレの仕えるべき君主だ、と」
Y「いちおうフォローしておくと、水鏡の庵に来たのが、コイツなんだよな」
F「というわけで、単福は劉備に軍師として仕えることになった。水鏡先生の弟子というのは伊達ではなく、結局そのまま駐留していた曹仁が、劉備にちょっかい出してきたので、劉備一家は出陣してコレを迎撃。李典を蹴散らし『八門禁鎖』を突破して、曹仁が駐留していた樊城をも奪った」
A「大戦果だな」
F「キレる軍師がいれば、劉備軍でもそれくらいできるという事例だな。曹仁敗戦の報は、許昌に戻っていた曹操のところにも、当然届いた。劉備についた単福なる小賢しい軍師を、誰か知らないか……と群臣を見渡すと、程cが進み出る。単福とは世を忍ぶ仮の姿、その本性は徐庶という智謀の士だ、と」
A「徐庶と比べてどうか、と聞かれた程cは『ワシの10倍というところで』と応えるんだよな」
F「そういうコト。世に知られた"引き抜きメモリアル"曹操の、食指が動かないわけがない。そこで程cは一計を案じる。許昌に徐庶の母を呼び寄せて、徐庶に曹操に仕えるよう手紙を書かせようとする。ところが、呼び出された母親は『元ヤンのアタイでも、物事の善悪はわきまえてらぁ!』と突っぱねて、そんな手紙書きはしない」
A「だからさー……」
F「そんなことで屈する程cではなかった。徐庶の母を歓待して、まるで息子のように甲斐々々しく仕える。自分で云った通り『物事の善悪をわきまえて』いた母は、礼状を程cに送った。程cはその筆跡を真似て、徐庶に曹操の元へ来てくれるよう手紙を書く」
A「えげつないよな、程cって」
F「だから裴松之は、賈詡を程cと同格に扱えと云っていたんだけど……ね。偽手紙とは知らない徐庶は、劉備の元を訪れて、本名を名乗り暇を請う。あるひとが劉備に、徐庶を行かせるべきではないと進言した」
A「そうすれば、徐庶の母は殺され、その仇を討とうと徐庶は死力を尽くすであろう、だったな」
F「劉備サイドにもえげつない奴はいるわけだね。本人の名誉のために、名は伏せておくけど。やむなく徐庶を送り出すことにした劉備は、沿道の木を切っていつまでも徐庶を見送っていたいとぼやきだす。ところが、一度は遠くまで行った徐庶のバイク……じゃない、馬が、突如戻ってくる」
A「この男、責任感はあるからな。後任の軍師を劉備に伝えようと戻ってきたんだろ?」
F「その通り。新野の郊外に住まう大賢者を、劉備に推薦した。その男に比べれば、自分など塵芥のようなものとまで云う。その賢者の名を、劉備は尋ねた」
A「そう、待ちに待っていました、その男こそが!」
『一名をして"臥龍"と称される、諸葛亮――字を、孔明』
Y「まぁ、字だけなら、今までいくらでも出てたがな」
A「そーゆう発言しでかすなっ!」
F「続きは次回の講釈で」