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私釈三国志 41 江夏攻略

F「ついに連載40回突破。拍手ー」
A「わーわー」
Y「……で、150回だったか?」
F「うーん……そこまでに収めたいとは思ってる」
A「まぁ、ここまで書いたなら、気が済むまで書くのも策だよな」
F「さて、ここしばらくは7年を2回という尋常ならざるペースで進んでいたので、他の群雄置いてきぼりだった」
A「そりゃそうか」
F「まぁ、そんなこと云いながらも実は、孫策と劉表と公孫康と韓遂についてはさらっと触れたんだけど」
A「えーっと……ヤス!」
Y「劉璋と張魯」
A「くらいしか、もう残ってねーよっ!」
F「ツッコミくらい自分でおやんなさい。さて、以前触れた通り、孫策は死に臨んで、息子ではなく弟の孫権に呉を託した。ついでに云っておくと、叔父の呉景は203年に死亡、孫賁が死ぬのは219年だけど、多分もう出ない。兄が評した通り守成にこそ向く孫権は、呉を富ませようと広く賢人を求める。それに応じたひとりが瑾兄ちゃん」
A「諸葛兄だな」
F「弟が有名すぎるせいで影が今ひとつ薄いのが瑾兄ちゃんの不幸だけど、諸葛瑾は相応に有能な男だった。何しろ風聞に曰く『蜀はその龍を得、呉はその虎を得、魏はその狗を得た』と云われたくらいで」
A「……弟と並んで龍虎呼ばわりかよ」
F「まぁ、孔明のが上だったと、評価はされてるんだけど……ね。瑾兄ちゃんは魯粛と並んで、孫権の信任を受けた。文官が充実したと見計らった孫権は、最初の外征を行う。つまり、西の黄祖征伐だ」
A「父を殺した男への、兄が果たせなかった仇討ちだな。でもよ、北はほっといていいのか? 陳登」
F「うーん……現実問題、その頃にはすでに死んでいた可能性があって」
A「え? いつの間に」
F「生没年は正史にない。ただ、ハラに虫が湧いて、スーパードクター華佗の治療を受け、その3年後病死した(享年39)とだけある。華佗が呉を開けていた時期に孫策が死んだことを考えると、200年ごろに華佗の治療を受け、その3年後に死んでいたんじゃないかと」
A「うーん……脇役ってそんな扱いなのか」
F「実は、陳珪老の墓が下邳にあるんだけど、陳登の墓に関する記述ってないんだ。ひょっとすると、陳珪より早く死んだのかもしれない。ともあれ、考えがあったのかもしれないけど、直接戦火を交えた陳登が死んでいたなら、そちらに兵を向ける必要ってなかっただろうからね。かくして、孫権は西へと向かった」
A「初陣だな」
F「結論を云うなら、この戦闘はほとんど負け戦に近いものだった。孫権は兵を進めたものの、黄祖を討ち取ることができず、むしろ淩操を失う始末だ。仕方なく、その地の住民を強制連行してお茶を濁した」
A「あらら……」
F「この頃の劉表軍は、北に劉備一家を置いて曹操への抑えとしていたし、東の黄祖のところには水賊(海ではなく、長江流域に出没していた)上がりの勇将・甘寧がいた。軍事力としては、おおよそピークだったんじゃないかな」
A「つまり、ここからは下り坂か?」
F「その甘寧を、黄祖が軽んじてね。孫軍の猛将・淩操を討ったにも関わらず、その手柄を正当に評価しなかったモンだから、キレた甘寧は孫権の下に走った」
A「……つーか、受け入れたのか? それ」
F「淩操には淩統という息子がいたんだけど、当然本人、甘寧を許すまじといきり立つ。先輩の呂蒙が間に立って流血ザタは免れたんだけど、孫権はこのふたりを並べて使うことはしなかったとか」
A「賢明な判断だな」
F「そんな甘寧は、孫権に面白い進言をしている。黄祖・劉表を下して荊州を奪い、西進して益州も盗り、馬超・韓遂と組んで、曹操に対抗すべし、と。云わば天下二分の計だ」
A「ぅわ、壮絶……。でも、魯粛も同じような進言をしてなかったか?」
F「そうだね。漢王朝の再興は難しいと、荊・益州を奪って曹操に対抗しよう、と発言したのが孫権に気に入られた原因だから。天下三分の計を孔明が唱えたけど、そういう考え……河北を制した曹操に対抗するため、それ以外の勢力をまとめる、というのは、当時ちょっと目端が利いた者なら思いついたんだろうね」
A「孔明を悪くゆーな! で、どーしたの孫権」
F「その言やよし、というところかな。軍勢を整えると、再度黄祖討つべしと意気込んだ。張昭が『なりませんっ!』と叱りつけた関係で、今度は自ら出陣するようなことはしなかったものの、代わりに周瑜を総大将としたとある」
A「率いるのは、甘寧に?」
F「淩統に呂蒙。先鋒の名誉に預かったのは、呂蒙そのひとだ。この男、孫策時代から奮戦していた勇者で、孫策の死後も孫権配下として奮戦している」
A「当然だろ?」
F「そうでもないよ? 孫策の死によって、いくらか武将が呉を去ったと史書にある。いち時期魯粛でさえ、呉を去って魏に仕えようとしたくらいで」
A「……何だかなぁ」
F「そんな呂蒙を先陣に、呉軍は江夏へと侵攻。黄祖は水軍を駆り出して防ごうとするけど、呂蒙の勢いは凄まじく、水軍は撃破された」
A「やるな……」
F「そこで黄祖は、川岸に大舟を並べて水路を封鎖すると、船上から矢の雨を降らせて守りとした。孫権軍は今度は守りを抜けず、今度は接近できない」
A「なかなか果敢な防御をみせるな?」
F「まぁ、孫策が江東を制したころから、実に10年近く江夏を守っていたわけだから。演義ではやられ役……つーかトリックスターに近い役割を割り振られているけど、実際にはそれなりの戦術能力を有していたと見ていいよ」
A「江南にも名将はいたんだな」
F「陳登の援護があったとはいえ、孫策とも戦っていたわけだからね。強くないはずがないだろう」
A「でも、孫権軍も黙ってはいないだろ?」
F「うむ。淩統率いる決死隊が繰り出され、大舟を碇泊させていた碇を叩き斬った。大船はそのまま長江を流されていき、障害物がなくなった孫権軍は総がかりで江夏城へと攻め入る。黄祖の奮闘むなしく、ついに城は陥落した」
A「孫策でも成しえなかった父の仇を、ついに討ったわけだな」
F「その前にもうひと悶着だな。正史では、城から逃亡した黄祖を討ったのは、一介の騎士・馮則としている。正史にさえ名を残すほど、黄祖という男の首には価値があったのかと思う瞬間で」
A「まぁ、孫堅の仇を……何年だ?」
F「16年かな?」
A「それじゃ怨みにも思うだろ」
F「そういうものかなぁ。ちなみに演義では、甘寧が冷遇された怨みを晴らすためにコレを討ったことになっている。また、甘寧は、黄祖の下にいたころの同僚や上官を受け入れ、自分の部下として孫権に仕えさせた。先に見た戦略眼といい、なかなか要領のいい男だな」
A「さすがに、事実上の呉軍最強の武将か」
F「まぁ、寝返り組は自分の居場所を作ろうと、君主に気に入られるために、躍起になるものだからね。万が一黄祖の捕虜にでもなったら、間違いなく処刑される。その類に漏れなかったと云ってしまえばそこまでだけど」
A「……ロマンのない奴」
F「かくして、孫堅を討ち孫策を退け、江夏に君臨し続けた黄祖は討ち取られる。性格が狭量であったと伝えられる彼の最期は、自らが冷遇した甘寧の手引きによるものであった。演義・正史では討ち取った男こそ別人ではあったものの、その場所は、かつて自らが殺した奇人・禰衡の墓に程近い、長江のほとりであったという」
A「って、ここで出るのかあの変態は!?」
F「続きは次回の講釈で」

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