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私釈三国志 36 孫策無念

F「三国志で好きな武将を、3人挙げよ」
A「3人? 劉備と孔明と関羽」
F「……蜀シンパには聞くまでもなかったのかな。僕なら、瑾兄ちゃんと黄忠と魯粛辺りか。僕らの評価はさておくけど、孫策は日本ではそれなりに人気があるんだね」
A「らしいよな。孫策主役にした三国志パロディものって多いから」
F「アレとかアレとかは、オレ買ってないけどな(読んではいる)。ともあれ、江東の小覇王(覇王:項羽)と称された孫策について、正史三国志は父・孫堅と併せて『ふたりとも、もう少し慎重にことを運べなかったものですかねぇ? だから中途で倒れるんですよ』と評している」
A「慎重さに欠けた、と?」
F「うーん。孫策はコーソンさんをひと回り……いや、み回りくらい大きくしたような男でね。兵を率いては戦上手で知られた孫堅を上回り、賢人の意見はへりくだってよく聞き、広く人材を世に求め、おまけに外見もよかったとか」
A「……男の敵だな」
F「しみじみ云うなって。しばらくぶりに出てきたので、ここまでの動きを見てみよう。皇帝を自称した袁術に絶縁状叩きつけて、丹楊で一戦交えたのは先に見た通り」
A「で、袁術死後、その一行が頼った劉勲も破って、大橋を妻に娶ったんだよな」
F「そうだね。この勢いに乗って、孫策は西進。荊州東岸の守りを張っている、父の仇・黄祖を討とうとした」
A「あぁ、まだ生きてたんだ? 黄祖」
F「実は、もうしばらく生き残る。荊州に攻め込んで黄祖の軍勢と戦火を交えていると、江東で、亡き厳白虎の残党が挙兵して、後方を荒らしたのね。これには孫策、兵を退かざるを得なかった」
A「……また、蒯越の策か?」
F「いや、陳登。孫策の勢力が伸びすぎては、徐州が危ういと思ったんだろうね。そうと知った孫策は、むしろ徐州へと攻め入って、陳登を殺すと息巻いた」
A「そういえば前に、陳登が孫策を破ったとか、聞き捨てならない発言してなかったか?」
F「うん、それがこの時だ。城門を閉ざして守りを固める一方で、城を囲んだ孫策軍の後方に兵を回して奇襲をしかける。混乱した孫策軍は遁走して、陳登は万余の首を挙げたとか」
A「万は白髪千丈としても、打ち破ったのは事実なのか……」
F「それだけじゃないぞ。孫策が再び攻め寄せたときは、曹操からの援軍が来たと錯覚させて孫策軍を混乱させ、そこに奇襲して、また万余の兵を討っている」
A「二度も!?」
F「陳登、かなりの戦術家なんだよ。ただし、孫策が負けたというのは、陳登以外にはあまりいない。曹操・袁紹・呂布と積極的には戦闘しなかったから、という考え方もできるけど、戦術指揮能力に長けていたのは確かだ」
A「……劉備は?」
F「この時点では出ると負けで有名な劉備に、ナニを求めるのかね? ともあれ、孫策の人物を物語るエピソードがある。自分で打ち破った揚州刺史・劉繇が、落ち延びた先で心労から死んだんだけど、彼を手厚く葬り息子を家臣に取り立てたんだ。以前見た通り、自分を逆賊と罵った王朗でさえ殺してはいない」
Y「ちなみに、王朗は曹操のところに逃げ込んでたな」
F「加えて袁術一行。袁術の死後、その領土と資産の大部分が劉勲に流れたから、劉勲とは戦わざるを得なかった。でも、かつての主筋にあたる袁術の妻子に関しては、これを保護しているんだ」
Y「ちなみに、劉勲は曹操のところに逃げ込んでたな」
A「しつこいよっ!」
F「まぁ、いいけど。つまり孫策は、自分が破った相手にも情を持って接しているんだ。勝者の余裕と云ってしまえばそれまでだけど、孫策の性格がよく判る。正史でも『彼に会った者は、誰でも誠心誠意、命を賭けて働きたいと思った』とさえ評されている」
A「男の敵というよりは……男の中の男か?」
F「そうかもな。長じていれば、極めて面白いことになった気もするんだけど、残念ながら孫策は若死にしている。孫策・曹操ともに、互いを有力な同盟者足りうると見ていたんだけど、許貢が曹操に『アイツは危険です』と進言したのは以前見た通り。その許貢の進言を、孫策は聞きつけてこれを殺した」
A「まぁ、あっさりと」
F「ところが、許貢の家臣が主の仇と孫策を襲い、重傷を負わせたんだね。時、あたかも官渡の戦いの真っ最中で、孫策は北伐の兵を挙げ、許昌を攻略し献帝を江東に連れ去ろうと計画しているところだった……と、されている」
A「……今度は誰の策略だ?」
F「この時点で孫策が死んで得をするのが誰かと聞かれると、正直返事に困るな。曹操は江東方面を陳登と劉馥に任せきっていたけど、事態の性質からして劉馥ではない。陳登なら正面から破るだろうし」
Y「徳川にとっての真田か?」
F「有力な容疑者がひとりいるが、それはさておいて。……ところで、演義では、孫策はこの時点ではまだ死んでいない。100日も養生すれば治りますよと名医・華佗の弟子(本人は旅に出ていた。多分、陳登のところにいる)に云われたので大人しくしていたんだけど、ある日城下に于吉という仙人が現れる」
A「仙人多いよな、演義って」
F「ところがこの仙人を、張昭らの重臣から孫策の母まで崇めているモンだからタチが悪い。人心を惑わす不届き者として、孫策は于吉を捕らえさせる。そして、おもむろに『突然ではあるがコレよりオレ的雨乞タイムに突入する!』と、劉虞に……じゃなかった、于吉に雨を降らせるように命じたのね」
A「アキラ、どっかで聞きましたよ、その台詞ー!」
F「それなのに、困ったことに于吉さん、きちんと雨を降らせてくれました。喜ぶ民衆を前に、孫策は『こんな妖術に惑わされるな!』と于吉を斬り捨てる」
A「……以前、お前が云ってたのはこのことか」
F「以後、孫策は于吉の亡霊に惑わされるようになり、100日の養生かなわず、病の床に倒れてしまった。正史ではすでに倒れていて、瀕死の床から弟・孫権や重臣たちを呼ぶんだけど」
A「何で、こんなに生き急いだのかね? 孫策は」
F「ひとつ理由を挙げるなら、偉大な父への対抗心だ。若くして名を上げながら悲運に倒れた父を、孫策は間近で見ていた。父のようになりたいと、でも父のようには死ぬまいと、急ぎ足で走り続けてきた結果、足元を損ない、こういう最期を迎えることになった」
A「……案外マジメなお返事してくれますね、お兄ちゃんは」
F「僕は孫策を、エディプスコンプレックスの生きた見本じゃないかと思っている。いかにして父を超えるのか。それだけを考えて走り続けた小覇王は、若干26歳でその生涯を終えることとなった。父を下回ること、実に11歳」
A「んー……?」
Y「男の子は誰しも、父を殺し母を独占したいと考える、というフロイト論理だ」
A「いや、コイツには適合されないから、それは判ってるけど……孫策に当てはまるのか? ちょっと違う気が」
F「それについてはいずれ、赤壁の辺りで述べる。ともあれ、孫策は孫権と重臣たちを集めた。後継たるは弟の孫権。呉越の兵を束ね長江の険をもって、形成を見極め動くべし。よろしく弟を守り立ててくれ、と告げる」
A「子供、いなかったんだ?」
F「いたらしいけど、まだ幼かった。この時点では外征していて、間にあわなかった周瑜がいたらどうなったか……。次に孫権本人を呼んで、国内のことは張昭、国外のことは周瑜に任せよと云い聞かせる」
A「さすがに、義兄弟そのひとを信頼しているのが伝わってくるな」
F「僕の遺言書は泰永に任せてあるから安心してくれ。そして、劉備のそれにも匹敵する、有名な遺言を口にする」

『軍勢を率い天下に覇を競うことでは、お前は俺に及ばない。だが、賢才を用い国を富ませることにおいては、お前の方が上だ。しっかりやれよ』

F「この瞬間、呉の行く末は決まった。要するに孫権は、実の兄から『お前では天下を盗れん』と云われたに等しいのだから。孫権、この年19歳。その70年に及ぶ波乱の人生が、この時幕を開けたと云っても過言ではない」
A「……ぅわ」
F「続きは次回の講釈で」

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