私釈三国志 35 官渡激戦
F「前哨戦を勝利で折り返した曹操軍は、文字通りひと息ついたものの、袁紹軍南下の報に動揺めき立った」
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A「心温まるエピソードから、いきなり本筋に入ったか」
F「だね。えーっと、この前に、さすがに顔文を失っている状態なら、袁紹でも聞いてくれるかもしれないと、沮授は持久戦を進言している。曰く『我が方は兵数こそ勝っていますが、勇猛さでは敵に劣ると認めざるを得ません。しかし、食糧・金銭を見るのなら我が方が圧倒的に勝っています。察するに、短期決戦は敵に、持久戦ならば我が方が有利。防御を固めて持ちこたえるのが良策でしょう』と」
A「あれ……?」
F「すとっぷ。発言の前に、獄中から届いた田豊からの進言も見ておこう。曰く『曹操は策を運らせば神の如き男、兵数で勝っていても油断はなりません。黄河の防衛線を維持し、機動兵力を出して曹操領を荒らしまわれば、敵の国庫は疲弊し、天下は3年を待たずに殿の下に転がり込むでしょう。必勝の策を捨て猛進し、もし後悔すべき結果になったとしても、私は知りませんぞ』と」
A「いい? じゃぁ、改めて。どういうことだ? 沮授も田豊も、曹操の経済力を低く評価してるけど」
F「原因については後で見るけど、現実問題、この時点では、曹操領の屯田が上手くいっていなかったようなんだ。始めてはいたものの、まだ軌道に乗っていなかった形跡がある」
A「あ、そーなの?」
F「最初(第2回)で云ったけど、民衆は餓えたときに叛乱を起こす。民をちゃんと喰わせている国家で叛乱……革命が起こったことは歴史上ないし、餓えた民衆をきちんと救済しなかったらその国は滅ぶと見ていい。喰えなくなった民衆は徒党を組んで喰える地方へ流れ、自分たちと同じ民衆を襲う。襲われた(かつ、生き残った)民衆は、同じように食を求めて流浪する……という悪循環だね。これを鎮められる者が、次の天下人なんだけど」
A「でも、曹操の支配地域では、そういう連中はいないんじゃないか?」
F「問題は、100万からの元流浪民……黄巾の残党を受け入れたということでね」
A「青州兵とその家族?」
F「はっきり云おう。僕はここまで青州兵について、ほとんど負け戦に類する記述しかしてこなかったけど、それが青州兵の全てだ。戦えば負け、出陣すれば味方をも略奪し、曹操の庇護をいいことにやりたい放題やっていた連中」
A「おいおい!?」
Y「以前、青州兵についての評価……『魏武の強、これより始まる』について、何か含むものがある云い方をしていたが、それが原因か? なるほど、見返しても高く評価できる要素はないな」
A「正史では、青州兵活躍のエピソードは少ない……と?」
F「歴史上にはね。というか、喰えなくなったから農業を捨てた連中を、また土地に縛りつけて『さぁ、耕せ』とやったところで、そう簡単に応じるはずもないのは判るだろう? まして、ここまで曹操は戦い続けていた。またいつ戦火に焼かれるか……と思うと、果たしてその気になったかどうか」
Y「農民の気持ちは判らんが、まぁ逃げたくもなるだろうし、それをとがめることもできんだろうな」
F「沮授たちの読みは、はっきり正しいと云っていいんだ。でも、袁紹は決戦に乗り出した。進言を退けて、十数万の兵をもって黄河を渡る。黄河沿いに数十里に渡って陣営を連ね、それをゆっくり前進させるという作戦に出た。兵力を活かしたプレッシャー作戦だけど、さすがにそれを防ぐことはできず、白馬津は陥落。他の戦線も維持できず、曹操軍は官渡に布陣する。袁紹軍も陣営を連ねて、この地で決着をつける姿勢を見せた」
A「厳密には、この時官渡の戦いは始まるんだな?」
F「そういうコトだ。ちなみに、両軍の兵数については、一般には袁紹軍70万に対して曹操軍1万足らずとされているけど、実際には双方10万前後だったと見ていい。寡兵もて多勢を破るは中国兵法の奥義だけど、多数の戦力を集めるのは戦略の基本だからね」
A「何だ、つまらん」
F「お前ね……。えーっと、官渡で対陣した両軍は、苛烈な陣地戦を展開する。沮授はそれでも袁紹を勝たせようと献策。まずは高い土塁や櫓を作って、その上から矢を射かける。曹操軍の前衛は盾を連ねて防ぐのが精一杯で、ほとんど身動きが取れない状態になった」
A「高いところからじゃ防ぎようがないか……」
F「対して劉曄は発石車を製造。これは大型のカタパルトで、大石を飛ばす兵器だね。櫓を次々と叩き壊したので、袁紹軍はこれを『霹靂車』と呼んで恐れたという(霹靂は雷の意)」
A「……見事に防いだな」
F「劉曄という男は、劉姓で判るように皇族なんだけど、どうしたわけかこういう発明に通じていたようでね。歴史家の加来耕三氏は、演義における孔明夫妻を別にすれば、この時代における最高の技術者だ、みたいな云い方をどっかでしていた……と思った」
A「……そんなにかい」
F「うろ覚えだけどねぇ。霹靂車で士気をくじかれた袁紹軍だけど、もちろん諦めるはずがない。沮授、今度は『上がダメなら下で行ってみましょう』と進言する」
A「下? 地下からなんてどうやって攻撃するんだ?」
F「コーソンさんを破った策だよ」
A「……あ、地下道?」
F「うん。鉱夫を呼び寄せた沮授は、地下道を作って曹操軍の陣内に兵を送り込もうとする。確かに、硬い城にこもっている者ほど、その城の防御を過信しがちだけど、相手はコーソンさんではなかった」
A「曹操だからな。どう防いだんだ?」
F「沮授がごそごそやり始めたと、劉曄が察知したんだね。地下道を掘っていると察した劉曄は、陣の内側に堀を掘らせた。これなら、地下道が通じても、陣内に兵を送ることはできなくなる」
A「空堀なら穴が通じたと判るし、水が入っていたら流れ込むワケか」
F「まぁ、内堀を掘っておくのは、築城術としては基本だからね。これによって地下道作戦も封じられ、袁紹軍としても攻撃の契機をつかめなくなってしまった。やむなく作戦を切り替え、兵による直接攻撃に切り替える」
A「作戦くらい立てようぜ?」
F「意外に思うかもしれないけど、この時点での袁紹が取り得る、最良の策だぞ。攻撃を続けて曹操軍を翻弄し、次第に疲弊させていく。さっき云ったけど、経済力・生産力では袁紹の方が上回っていたわけだから、疲れさせ陣容が崩れるのを待つ持久戦に持っていけば、曹操には抵抗する術はなかった」
A「……えーっと?」
F「要するに、沮授が進言したのは、戦うことなく相手との国力で勝ちを納める、受動的な持久戦なんだ。対して袁紹が選んだのは、戦いながら相手を弱まらせて勝とうとする、能動的持久戦。方針としては違わないけど、手段が異なっていたんだね。どちらがいいのかについては微妙なラインで」
A「積極的と消極的の違いか……。じゃぁ、曹操は?」
F「この作戦に出られてからは、曹操軍は苦戦していた。以後、曹操の側で有効な策を講じた形跡が、しばらく先までないからね。困り果てた曹操は、許昌で留守番している荀ケに書状を送る」
『食糧がなくなりかけています。こうなったら許昌に退却したいです。荀ケ、ボクはもう疲れたよ……』
A「まだ変なのが抜けてないのか、お前は!?」
F「まぁ、冗談はさておいて。曹操は本気で撤退したいと荀ケに相談しているんだね。おおよそ、沮授や田豊の評価は正しかったと云っていい。曹操軍には、短期決戦ならまだしも、持久戦を戦い抜く地力はなかった」
A「さしもの曹操でも、弱気の虫が出たのか。かつて孤軍でも董卓を追撃した、あの頃の曹操はどこへ行った?」
F「嬉しそうだな? この撤退については、袁紹を本拠地近くまでおびき出して叩こうとした策、という考えもあるけど、この時点での曹操にはそんな余裕はなかっただろうね」
A「正史の記述って、演義とはけっこう違うんだな」
F「そんな曹操を励まそうと荀ケは長い手紙を書くけど、そこへ合肥の劉馥から早馬の使者が到着する」
A「何かあったの?」
F「ある意味たいしたことだな。孫策が死亡したとの報告だった」
A「……あ、そっか! そういえばそんなイベントあったな!」
F「続きは次回の講釈で」