私釈三国志 33 文醜戦死
F「さて、引き続いて文醜戦」
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
A「こちらも、字はない?」
F「ないな。まぁ、なくてもおかしくはないんだけど」
A「いや、おかしいだろ? 通称なんだから」
F「まぁ、そうなんだけど……ね。いちおう説明しておくと、字というのは、当時の中国……というか漢字文化圏で用いられていた、呼び名のひとつ。目上の者でもなかったら、その相手を名で呼ぶのは無礼とされていたので、名乗りや通称として用いられたのが、字というわけだ。孔明がその例で、劉備なら玄徳、曹操なら孟徳という具合か」
A「名にゆかりのあるのをつけるんだよな?」
F「いや? 関連がある場合はあるけど、基本的にはないぞ。操(意のままに動かす)と孟徳(仁徳があれば無敵……孟子より)に、どんな関連がある? ちなみに、張飛の字は正確には(つーか、正史では)益徳だから」
A「孔明は?」
F「名は亮(明るい)、字は孔明(とにかく明るい)か? コレは孔明兄弟だけと見るべきだろ。孔明の兄たる瑾兄ちゃん、字は子瑜も、いずれも『華々しい』って意味だし」
A「……名前負けしてるな、諸葛瑾」
F「隣に周瑜(字は公瑾)がいたのが、瑾兄ちゃんの不幸だよな……。だいたい、法則性もあるぞ? 長男なら伯、次男なら仲、以下叔・季・幼……と続ける。大家族の場合、これが使われる場合が多いな。馬氏の五常とか司馬の八達とかは、この法則にそれぞれ"常"と"達"をつけた字なんだけど」
A「へー……じゃぁ、董卓は次男坊か? 字は仲穎だが」
F「兄がいたらしいね。また、法則そっちのけで、自分でつける場合もある。趙雲の子龍、甘寧の興覇なんて、どう見ても後付けだろうが」
A「聞いてカッコいいと思うのは、全部後付けか?」
F「可能性が高い。というか、思いつく限りの、字のない武将挙げてみろ」
A「えーっと? 典韋、顔良、文醜、周倉、張任、厳顔、孟獲……あと、どうだろ」
F「出自が妖しい典韋と架空の人物たる周倉以外は、全員、辺境地域の連中だろ」
A「……あれ?」
F「さっき云った通り、字は漢字文化圏の風習だから、それから外れていた連中は持っていなかった形跡がある。趙雲は幽州、甘寧は益州の出身だ。それを考えると、顔文も漢族ではなかったように思える」
A「烏桓系か?」
F「かもな。コレも名前じゃなくて実は綽名で『顔良し』『文(いれずみ)醜し』だったんじゃないかって話もあるし」
A「はぁー……」
F「ぅわ、字についてでかなり字数喰った……。えーっと、演義では顔良・文醜は義兄弟とされているけど、そうでなくても顔良を奪われた文醜の悲しみたるや凄まじかっただろう。文醜は黄河を渡り、曹操領へと侵攻した」
A「後ろから、責任取らされた形の劉備が、こそこそついていっている?」
F「さほど間違ってないぞ。攻撃力に優れた文醜隊を前に、歴戦の劉備隊を後ろに配置するのは。当初は、白馬津経由で官渡を目指していた袁紹軍だけど、顔良を失って作戦変更した。まず曹操軍の機動部隊を潰してしまおうと、白馬津から西へと兵を差し向ける」
A「曹操軍は?」
F「実数はさておくが、袁紹軍より寡兵だったからねぇ。とりあえず正面からの激突は避けたかった。兵力としては優位の袁紹軍、曹操軍を追い回しているうちに、やや困った事態が発生する。騎兵中心だった文醜隊が、劉備隊より前に前にと突っ走ってしまったんだね」
A「あらら……まぁ、騎兵中心なら早くもなるか」
F「分断して各個撃破するのは、戦術の常道だぞ」
A「破壊力に優れた文醜隊を、劉備が来る前に撃破するのか?」
F「それをやってのけたのが荀攸の策だ。曹操本隊に従軍していた荀攸は、まず物資の輸送隊を前に、軍勢を後ろに配置した。通常なら逆に……というか、袁紹軍なら逆にしている配置だけど」
A「確かに……これじゃ、攻撃されたら対応できんだろ?」
F「もちろん。文醜隊の攻撃を受けて、輸送隊の兵士たちは逃げ惑う。後には輜重車が残された」
A「まぁ、そうなるな」
F「当然、文醜隊の兵たちは略奪を開始する。分捕り放題という状態で、文醜としても止める場面ではない。むしろ自分でも、ある程度の量は懐に収めたかもしれない。そこへ、攻撃命令が下された」
A「あぁ。油断しきって隊列を成していないところへ、曹操軍が攻めかかったというわけか。一網打尽だな」
F「実は、そうでもない。今こそ実数を上げよう。文醜隊5000ないし6000に対して、曹操軍わずかにして600だったとのこと」
A「ぶっ!?」
F「10倍からの兵力だ。かつてコーソンさんが、烏桓相手にそんな戦闘をやってのけたけど、あれは騎兵運用に長けたコーソンさんだったからこそできた芸当だと見ていい」
A「何で、何でそんな兵力差!? いくらなんでも無謀だよ! つーか、どこに行ったの青州兵!?」
F「正直、正史の記述を見ていると、この時曹操はナニをしでかしたのか今ひとつ……ねぇ。600からの兵を率いていたからには、ある程度戦闘は心していたとは思うけど、それほど警戒していなかったんじゃないかと。多分、白馬津での収奪品を、官渡に持ち込もうとしていたんじゃないかな? で、その動きを袁紹軍に捕捉されて、急襲された」
A「完全な油断というか、袁紹軍の諜報性能が優れていたのか……」
F「慌てて荷物を捨てて逃げようとしたら、文醜隊が思わぬ隙を見せた。後方からは劉備率いる(と、気づいていたかは不明)歩兵隊が迫ってくる。逃げ切れるか判らない逃走を謀るよりは、乾坤一擲……と思いつめたのかもしれない」
A「……それならそれで、曹操らしからぬ暴挙だな」
F「つーか、荀攸の決断がなかったら、曹操は本格的に危うかったように思われる。決死の覚悟で文醜隊へ、斬り込んでいく曹操軍。文醜隊はたちまち斬り散らされて、ついには文醜も乱戦に倒れた」
A「あ、今度は関羽じゃないのか」
F「演義では関羽が斬り殺しているけど、正史ではこんな状態だね。徐晃がこの戦闘で昇進しているから、あるいは徐晃隊だったかもしれんけど、それを見た劉備はこれは危ういと兵を撤退させる。命拾いしたのは、さて誰だったのか」
A「ふぁー……曹操でも、バクチみたいな勝ちを納めることがあるんだな」
F「曹操の生涯勝率は、おおむね8割というところだぞ? 30回くらい戦争をして、6回くらい負けてる。ただし、正史においては『軍に幸勝なし(計算ずくで勝った)』と評されている。今回のは、そうには見えないんだけど……な」
A「8割かぁ。劉備は?」
F「おおむね2割ってところだな」
A「何しやがってますか、このふたりは!?」
F「いや、曹操と劉備だけのアベレージだけじゃないぞ? 劉備は、呂布に負けて曹操に負けて孫権に負けて……まぁ各地で負けまくってる」
A「やかましい!」
F「かくして、官渡前哨戦は、曹操にフルマークでの判定勝ちがつけられた。コーソンさんと戦い続けた勇将たる麹義や、二枚看板の顔良・文醜を緒戦で失い、袁紹軍の士気は嫌でも落ちる」
A「無理もないな……」
F「正直、典韋ばかりを悪く云うのは気が引けてたんだけど、この戦果を見てると顔文は果たして強かったのかって思わずにはおれんぞ。演義では、袁紹が水関で『顔良・文醜のいずれかがいれば華雄など恐るに足らん!』とか云っていたけど、その華雄を討った関羽に、顔良・文醜いずれも討ち取られるからなぁ……」
A「徐晃には勝ててるんだから、かろうじて90に届くかどうかってところか?」
F「そのくらいが妥当かも。袁紹軍、意外と頼りないな」
A「いや、意外だと思ってたのお前くらいだから」
F「だが、河北四州を制し天下をうかがう、袁紹の軍勢はいまだ健在であった。各地より息子たちを呼び寄せ、袁紹は今ひとたび黄河を越える。曹操は黄河沿岸部を放棄し、兵を官渡へと集結させた。決戦の日は、近い」
A「おー……」
F「そんな、決戦を控えた曹操の下から、ひとりの武人が辞そうとしていた。関羽そのひとが、曹操に別れを告げる」
A「おっ?」
F「続きは次回の講釈で」