前へ
戻る

私釈三国志 29 騎神張繍

A「……何だ、このタイトルは?」
F「司馬遼太郎氏が、著作『坂の上の雲』で面白い分析をしている。騎兵とは、天才的武将だけが運用できる。そしてその天才とは、世界史上4人しか存在しない、と」
A「ふむ?」
F「ナポレオンとモルトケ、フリードリヒ大王、そして偉大なる大ハーン・チンギスそのひとのみ。僕に云わせれば、義経より韓信のが上だから、そこから下はさておくけど」
A「義経も認めているわけか、司馬遼太郎は。で?」
F「うん。三国時代における騎兵運用の練達者って、誰だと思う?」
A「呂布」
F「即答したねー? でも、意見そのものは正しい。モンゴルにも程近い并州の出自たる呂布は、騎兵戦には自信があったようで、曹操の前に引き出されても『アンタが歩兵を率い、オレが騎兵を率いれば、怖いものなど何もない』とまで豪語している。劉備のとりなしで諦めたけど、曹操はこの発言に、かなり食指を動かしたとか。さて、次点は?」
A「次点? そうだな……董卓。アレも辺境で揉まれたクチだから、騎兵戦闘は得意だっただろ。確か、馬上で左右どちらでも弓を引けたってくらいで……」
F「そんなモン、オレにもできるぞ!」
A「対抗意識燃やしてどうする!」
F「ちっ……。ちなみに、馬上での弓については、以前日記で触れたけど、短足胴長が必要条件です。足が長かったり胴が短いと、馬に乗ったときの肩や腕の位置が低くなるので、長い弓を物理的に使えなくなります」
A「なるほど、お前も董卓も足が短いワケだな」
F「……ひとが具合悪いからって強気だな、アキラ。次挙げてみろ」
A「次? そーだなぁ……コーソン辺りか。関羽や張飛でもいいけど、多分張遼よりは白馬将軍のが上だと思う」
F「見立ては妥当なラインだな。では、三国時代序盤の騎兵運用能力は、呂布・董卓・コーソンさんというランク付けということになる。コレはいいね?」
A「おぅ?」
F「僕がなぜ、前回と今回をこのタイミングでやるのか、やっと判ったと思う。すでに3人とも死んでいるのね。そして、この3人に次ぐ騎兵運用の練達者こそが、張繍そのひとに他ならない」
A「は? ……いや、待て。こいつがそんなに強いとは、到底思えないんだが」
F「実はそうでもないんだ。順番に見ていこう。董卓が率い洛陽へ上った西涼兵は、はじめ3000程度だった。これに何進・丁原の兵を吸収し、長安に遷都してからは涼州の本拠地からも軍勢を呼び寄せた。総勢がどれくらいだったかは想像するしかないが、これらは董卓の死後、まず2分される」
A「呂布について落ち延びた少数派と、長安に留まった多数派だな」
F「そう。そのうち少数派は、呂布の死後張遼らに率いられて曹操軍に編入される。対して長安に残った多数派は、李傕(リカク)ら四天王が率いていたものの、馬騰や韓遂と戦ったり仲間割れをしたりでかなり減じた。結局、四天王も実権を失い全滅したけど」
A「じゃぁ、実体としての董卓軍は、残っていないと?」
F「ある。それが張繍軍だ。李傕(リカク)・郭が配下に殺されたのは以前云った通りだけど、その兵がどうにも張済を頼ったようでな。張済は劉表と戦って死んでるけど、それに前後して」
A「つまり、この時代の張繍は、かつて天下を盗った董卓軍の残り炭か」
F「いや、騎兵運用における純粋な後継者とさえ見ていいと思う。この男の才覚がどれほどのものかは、前回見た通りだ。曹操の長子を殺し、その身柄さえ危うくして、護衛隊長をも討っている」
A「……まぁ、確かに。いくら後漢末最高の謀略家が軍師についているとはいえ、それができたのは凄いな」
F「張済時代から賈詡が暗躍していたんだろうね。李・郭の残党をかき集め、張済譲りの戦術指揮能力(董卓からも高く評価された)を誇る張繍に率いさせ、曹操に対抗させた」
A「で、張済の妻に手を出された張繍はキレて、曹操に襲いかかった?」
F「だね。この敗戦の中で唯一名を挙げたのが、曹軍五将軍のひとり、于禁だ」
A「某アニメでは女になっていたアイツ?」
F「時々思うけど、アキラ、年は幾つだ? えーっと、もともとは済北の鮑信の配下だったけど、鮑信の死後曹操の配下になっている。張繍に負けて逃げる中、青州兵が味方の兵から略奪を行ったんだけど、その被害にあった兵たちが、裸で于禁に保護された。怒った于禁は青州兵を攻撃したところ、青州兵は曹操に『于禁が寝返りましたー!』と訴える」
A「ぅわ……青州兵、えげつない」
F「そこへ張繍が迫ってきたモンだから、于禁の配下は『この場は我々に任せて、曹操様のところに行って弁解を!』と云うけど、于禁は『敵が眼の前にいるのに、そんな真似をしておられるか!』と張繍軍と戦闘し、何とかこれを退けた。戦闘終了後、曹操の元へ(堂々と)弁解に現れたものの、曹操は『お前こそ真の名将だ!』と絶賛している」
A「凄いモンだな……」
F「だね。そして、曹操も只者ではない。この場は敗れたものの、敗戦のショックから立ち直り、張繍に攻め入った」
A「でも、また負けなかったか? 確か」
F「うん、負けてる。攻め込んだはいいけど、袁紹が動いたという情報があって、撤退することになったんだね」
A「あぁ、それなら被害はないな」
F「いや、それなりの被害を受けた。この時、さすがに自分たちだけでは危ういと判断した張繍は、劉表に援軍を求めて、劉表はそれに応じて兵を派遣している。出てきてこれでは納まらないと、劉表軍が追撃を提案するし、攻められた張繍も黙っておれんとそれに乗った」
A「血の気は多いな……」
F「賈詡は止めたんだよ。追撃してはなりません、って。でも聞かずに追撃し、攻撃をしかけたものの、待ち構えていた曹操軍に蹴散らされてしまう」
A「賈詡の見立てが正しかったワケな。曹操がタダで退くわけないと見抜いた辺り、さすがとしか……」
F「いや、賈詡の真骨頂はここからだ。反撃されて帰ってきた張繍たちの前に躍り出て『さぁ、もう一度攻め込みなさい! 早く!』と云い出した」
A「何考えてやがる、後漢末最高の謀略家!?」
F「劉表軍は二の足を踏んだものの、張繍は賈詡に絶対の信頼を寄せている。内心はドキドキだったかもしれんが、云われるままにもう一度追撃すると、今度の攻撃は成功し、曹操軍に大きな被害を与えた」
A「あらら……」
F「曹操に、二度に渡って苦渋を飲ませた張繍。この男の強さの秘密は、本人の戦術指揮能力の高さもあるが、董卓によって鍛え上げられた西涼騎兵と、当代最高ランクのブレーンを擁していたことだろう」
A「国力としては、どうだったんだ?」
F「荊州の北方少ししか、領土はなかったな。だけど、政権を執っては漢王朝そのものの延命に成功し、軍略を運らせては曹操をも破る、賈詡がいた。この男は持てる才能を駆使して、孤軍たる張繍を支えようとした。それは、確かな結果をもたらしたと云っていい」
A「はー……」
F「はっきり断言しよう。これ以後も劉備が浮き沈みを繰り返し、李傕(リカク)・郭が失敗し、コーソンさんや呂布が死に、袁術が野垂れ死んだ原因は、おおよそ参謀の不在に帰結する。君主のために全身全霊を捧げる忠誠心と、純粋な智略、この両者を持ち併せた軍師がいるかどうか。それが、勢力の持続を左右したと云っていい」
A「マトモな国力では劉備にも劣る張繍が、その小勢を維持できたのは、全て賈詡のおかげだと?」
F「見ていいだろうね。曹操には荀ケ、孫策には周瑜、袁紹には沮授がいた。でも、袁術やコーソンさんには誰もおらず、呂布の軍師は忠誠心に欠け、簡雍・糜竺・孫乾には曹操と対するだけの智謀はなかった。同じ軍師を擁していながら、李・郭が失敗し張繍が成功したのは、賈詡の信頼を勝ち得たかどうか以外に原因はない」
A「全ては賈詡です、ってか……」
F「賈詡を信じ、賈詡に従い、賈詡を存分に使いこなした張繍。この騎神に対する評価を、余人ならぬ賈詡そのひとの言をもって締めくくっておく」

『最初に追撃をしかけたとき、あなた(張繍)を恐れていた曹操は、自ら殿軍に立っていた。だからあなたでも敗れた。一度追撃を退けひと息ついた曹操は、他の武将に殿軍を任せ自分は逃げた。だから、あなたは負けるはずがない』

F「こういうのを全幅の信頼と云う。李・郭・公孫瓚・呂布・袁術はそれを得られなかった。唯一生き残っている劉備がそれを得るのは、これより、10年の後になる」
A「……身震いしてくるな」
F「続きは次回の講釈で」

津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
【真・恋姫†無双】応援中!
進む
戻る