私釈三国志 28 悪来封神
F「1回イレギュラーを挟んだものの、ちょっとした計算から、時間の針を巻き戻す。時は197年、呂布が死ぬ1年前のことだけど」
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A「そっか……典韋が死んでるのか」
F「以前、当時はあった別ページで考察した通り、僕は典韋を高くは評価していない。典韋の武力が低いとする僕の論は、発表時からしていささか反対が多かったんだけど、それは"反対"であって"反論"ではなかった」
A「その心は?」
F「史料的な証左がなかった。僕は、典韋の武力が高くないと、正史・演義の記述を駆使して証明したのに、もらったメールはほとんど論証がなく、まとめると『お前がどう考えようが、それでも典韋は強いんだ!』というもので」
A「感情論だったわけか」
F「うん。というわけで、もう一度、典韋(字は不詳)という男の武力を考察してみたい。つーても、前回のアレを再録するような状態になると思うけど」
A「いいけどな……。蒼天修正からか?」
F「だろうね。えーっと、現在11作まで販売されている、コーエー社の『三國志』シリーズですが、最近の作品では俗に"蒼天修正"と呼ばれる能力値補正がかかっています。つまり、名作『蒼天航路』で活躍した武将(曹操軍のヒトが多い)は、それ以後の作品で能力値が強化される、というものですが」
A「具体的には?」
F「魏の劉馥。演義にはほとんど出ず、\までのシリーズにはまったく登場していなかったのに、『蒼天航路』においてその仁君ぶりが喧伝されると、]に初登場して満寵をも凌ぐ政治力・魅力をレコードしている」
A「あぁ……いたな、アイツか」
F「ただし、僕はコレを悪いとは思わない。というか思えない。コレを悪く云うなら、T(正確には数字なし)から連綿と続いていた"演義修正"をどうする? 劉備や孔明が正史三国志でどれだけけなされているかを考えると、あの数字には納得がいかない。三国時代最高の武将と名高い関羽にしても、正史の記述は原稿用紙に換算すると、わずか2枚少しだぞ。それをして、何ゆえあれだけのスペックに設定できるのか」
A「だって、演義だと劉備と孔明が主人公なんだから、ある程度のボーナスはやむをえないだろうが」
F「まぁ、ある程度はな。ただしというか、ところがというか、この"演義修正"の恩恵をいちばん受けているのは、僕に云わせれば典韋そのひとなんだ」
Y「シリーズ11作品、武力平均値95(最大98、最低93)、知力平均値32」
A「まぁ、知力はさておいて。武力が、だよな」
F「うん。正史であれ演義であれ読み返すと、どうにもこの男の武力が歴代90を超えているのは、どうにも納得がいかない。70台でいいんじゃないかと思える」
A「……もう一度反発しておこうか。濮陽の戦闘で撤退する曹操軍の、兵卒ひとりをわずかに連れて殿軍に立ち、並み居る呂布軍の騎兵を次々と射落としてのけたぞ」
Y「ちなみに、横山は武器には詳しくなく、短戟とはどんなものか判らなかったようで、コミックでは小柄を投げている。これについては張飛(及び、『水滸伝』の林冲)でも同じことをしていて、最初は蛇矛を持っていなかった」
F「似たようなことを原(哲夫)氏もしでかしているな。『花の慶次 ―雲のかなたに―』で、誰も使ってないのに『(前略)長巻で首を飛ばされて死んだ』と書いている。原作『一夢庵風流記』では金悟洞(問題の長巻使い)がいたのに岩兵衛(金棒所持)に差し替えて、しかも台詞を引用したモンだから、こういうコトになったんだろうけど」
A「話戻すけど、70台の武力でンな真似できるか?」
F「演義後半で登場する王双は、流星鎚で蜀将2名を討ち2名に重傷を負わせたけど、シリーズ歴代の武力は高くても90くらいだぞ」
Y「えーっと、武力平均値89(最大95、最低84。ただし90以上は2作だけ)」
A「ひと回り低いな……。じゃぁ、許褚とふたりで呂布を向こうに回したのは?」
F「関羽や張飛なら、タイマンでも渡りあえるよな。その2点を考慮すると、どう考えても90台は高すぎることになる。この時点では80台後半くらいというところか」
A「じゃぁ、死に様は!? 窮地に陥った曹操を助けんと、素手で敵兵に向かっていき、獲物を奪っては殺し、ついには弁慶の如く立ち往生してのけたその最期が、立派ではなかったとでも云うか!?」
F「ちょっと、そのシーンについて詳しく見ておくか。荊州の北部に張っていた張繍だけど、曹操の圧迫に耐えかねてついに降伏した。ところが、亡き張済婦人を進駐してきた曹操が見初め、手を出してしまう。怒った張繍は曹操を闇討ちしようと策を立てた」
A「まず護衛の典韋を酔わせ、曹操から引き剥がし、これを闇討ちする。その上で兵を挙げ、曹操を殺そうとした?」
F「そういうコトだ。酔い潰れた典韋、ことの危急に眼を覚まし慌てて飛び出すけど、張繍の部下・胡車児に武器を奪われていて、やむなく素手で張繍軍に飛び込んだ。獲物を奪って当たるを幸いに殺し続け、ついには矢を浴びて立ち往生した……んだけど」
A「壮絶な死に様じゃないか。何が不満だ」
F「この時、曹操の長子たる曹昴が死んでいること。当時の典韋が、曹操個人の護衛だったのかそれとも親衛隊長だったのかかは、今ひとつ判りかねる。ただし、曹操個人の護衛だったとしても、その長子を死なせていいという理屈にはならない。まして親衛隊長だったなら、完全な任務失敗だ」
A「ンな、厳しい評価……」
F「アキラ、以前キミのお姉ちゃんが、スポーツ選手についてこんなことを云っていた」
M「だって、あのひとたちはそれでお金をもらってるんでしょ? だったら、わざわざ見に行ったり拍手したりする神経が、お姉ちゃんには判らないわ」
F「実はまったく同意見だ。プロの野球選手で、4割打つバッターは凄いとか云われるけど、6割打てない奴の何が凄いのかまるで判らん。進学校の進路指導教員が、自分の教え子のうち4割しか大学に行かせられなかったら、間違いなくクビだぞ? 守衛さんが不審者の6割を建物に入れていたら、話にもならんだろう」
A「……いや、反論できないけど、何かが違うって、アキラ思うよ」
Y「俺は学生時代サッカー部でDF張っていたが、当時PK以外の負け試合はしなかったぞ」
A「……何だろうねぇ」
F「というわけで、典韋の武力はそれほど高くないと僕は思う。同じような役割にあった、蜀の趙雲・呉の周泰は、それぞれ『主を守って自分も生き残った』『主を守って自分は重傷』(典韋は『主は守ったが自分は死んだ』)だったことを考えると、趙雲と周泰の武力差を周泰と典韋にも当てはめるのが妥当だと思われる」
Y「趙雲の武力平均値97、周泰88」
F「……どンだけ高いンだ、子竜」
A「と、いうコトは……」
F「79。これくらいあれば、相方が許褚なら呂布とも渡りあえるだろう。以前さらっと挙げた面子……五合もせずに突き殺された方悦、一撃で突き落とされた穆順、十余合討ちあって腕を斬り落とされた武安国よりは、マシな戦闘を展開できるはずだ」
Y「悪ィが、最近のシリーズでは3人の武力平均値は80近いぞ」
A「だったら、典韋にももうひと声ー!」
F「あっはは、それは無理な相談だな。アキラ、以前泰永が云っていたことを覚えてないみたいだねー?」
A「その心は!?」
Y「悪来って、封神演義で『こんな下郎はふたり一組で充分では?』と封神された小物だったよな」
A「……小物……こもの……」
F「かくして、曹操は己の命を引き換えに、長子たる曹昴や甥(も死んだ)、そして典韋を失った。しかし、曹操はこのうちもっとも典韋を惜しみ、故郷の地に手厚く葬ると、以後そこを通るたびに彼を惜しんだという」
Y「それでも惜しんではいたわけか」
F「続きは次回の講釈で」