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私釈三国志 26 徐州再乱

F「呂布の死は198年、コーソンさんは199年。197年には、曹軍にとってシャレにならないイベントが発生しているんだけど、それについては処理の都合で、次回に回す」
A「何かあったっけ?」
F「次回だってば。年代をけっこーごまかしながら書いてるから、この辺り、分量調整に回せていいな」
A「相変わらず、計算高いと云うか、何と云うか……」
F「あ、云い忘れてた。野に下っていた陳羣だけど、呂布が死んだことで曹操から召しだされ、仕えることになった」
A「いっそう人材が充実したな」
F「そうだね。さて、以前さらっと云ったけど、徐州という地には不思議と戦乱がつきまとう。項羽の叔父・項梁が、秦に滅ぼされた楚の王族を探し出して、反秦の旗頭にしたんだけど、その本拠地を置いたのが徐州だった。また、前漢に事実上終止符を打った呉楚七国の乱の発端の地だ」
A「そして、曹操が怒りに任せて踏みにじり、呂布・袁術・曹操が欲望のまま戦火を交えた地でもある、と」
F「劉備もだ」
A「……ちっ」
F「これも以前云ったけど、袁術が拠点とした寿春は、東は揚州(孫策統治)、西は荊州(劉表統治)、南は山越の民の居住区に面している。北が問題の徐州だったから、袁術としては北に向かうのはやむをえないことで」
A「仕方ないのか?」
F「徐州さえ抜けてしまえば、青州につくからね。この地を治める袁譚は袁紹の長子だ。この袁術北上について、正史では『袁紹に帝位を譲ろうと(三国志)、青州の袁譚に身を寄せようとした(後漢書)』としている」
A「帝位ったって、名ばかりのものだろうに。それも、名すらない」
F「何もないじゃないか。否定はしないけど……ね。実際、袁術がこの時点まで攻め滅ぼされなかったのは、その地勢にこそ原因を求められる。孫策は江東の統一に心血を注いでいて、袁術にかまっている余裕がなかった。劉表は基本的に外征を行わない。山越の民は中原を脅かすような真似をしない。そして、北の呂布は曹操と抗争していた」
A「誰からも攻められなかったのは、誰からも相手にされていなかったのが原因か……」
F「ところが、その呂布が滅び、北は曹操で一極化された。これによって、袁術のささやかな平和は破られることになる。……もっとも、民衆からしてみればもともと平和なんてなかったんだけど」
A「悪政を敷いていたんだよな?」
F「皇帝としての威厳を整えるために、領民から徹底的な略奪を行い『長江と淮水の間には草も生えなくなった』と云われたくらいだ。袁術は、ただ皇帝になりたかった。そして、なった。なまじ権威を得てしまったために、その座にふさわしくなろうと無茶をし、それが民衆のツケに回ったんだね」
A「それで、袁紹を頼ろうとした? かつては中原をふたつに割って、相争った関係だろ?」
F「皇位を受け入れようとは、この時点ではしたんだろうね。コーソンさんを討ち北方を統一して、意気上がっていた時期だから。袁術は一族郎党を率いて北へと向かう」
A「しかし、そこには我らが劉備が、手薬煉引いて待っていた!」
F「車列を成す袁術の一行に劉備は攻め入る。かつて関羽と互角に渡りあった紀霊は、張飛に一合のもと斬って落とされる。これに、財宝と女を目当てに付近の山賊まで襲いかかる始末だ」
A「略奪したもの略奪されちゃ話にもならんな」
F「まぁ……この辺については、正史ではいつも通り、触れられてないんだけど、ね」
A「あ、そーなの?」
F「正史においても、劉備が徐州に派遣され、袁術の行く手に立ちはだかったのは事実だ。ただし、劉備と戦火を交える前に死去している(紀霊の最期についての記述はない)。後漢書では『この袁術様がここまで落ちたか……!』と血を吐いて死んだとされているね」
A「死に様のインパクトで云うなら、董卓の『部下の裏切り』や呂布の『負けて処刑』も、袁術の『野垂れ死に』には一歩劣るよな……。劉備や曹操がマトモな死に方でよかったぜ」
F「それ、挙げていいのかって素直に思うけど……まぁ、死に様で袁術陛下を上回るっつーか下回るのは、演義の呂蒙か王朗くらいだろうからねぇ。周瑜もポイントは高い……もとい、低いけど」
A「ともあれ、袁術は死んだ?」
F「だね。主を失った一行は劉勲に身を寄せようとしたけど、孫策に敗れてその半ばは捕らえられ、劉勲自身を含む生き残りは劉曄の手引きで曹操の元に逃れている。孫策・周瑜が橋公の娘を娶ったのはこの頃だね」
A「正室じゃないんだよな?」
F「妻としか記述はないな」
A「もったいないと云うか、何と云うか……」
F「実は大橋・小橋については、聞き捨てならないエピソードがあるんだけど……それについては、赤壁の頃かな」
A「新しいシリーズか!?」
F「いや、そんなことは。えーっと、オハナシ戻すよ? ここで劉備は許昌に帰還していればよかったんだろうけど、残念ながらそうはならなかった。徐州に立てこもり、兵を集めだしたんだね。前回述べた通り、下にもつかない扱いを受けていた劉備が、どうして曹操を裏切ったのか」
A「ここで、董承が出てくるワケな?」
F「うん、国舅(献帝の側室の父)にして、第3回でさらっと挙げた『霊帝の母親』の甥にあたる、朝廷の重鎮たる董承だ。長安からの脱出行で一緒だった楊奉とは袂をわかったものの、曹操の専横を苦々しく思っていた」
A「無理もないか。で、劉備や馬騰を巻き込んで?」
F「いや、劉備が巻き込まれたという形跡はないな。結果論なら、劉備がそういう目論見に賛同していたように見えなくもないけど。劉備が何を考え、曹操に背いたのかは今ひとつ判らん」
A「逆に、董承ではないという論証は?」
F「……それもないが。まぁ、結果で見よう。劉備は袁術の死後も徐州に留まり、自立する気配を見せた。劉備を徐州に向かわせたと聞いた郭嘉は『虎に翼をつけて野に離したようなものです』と云ったけど、その予見が的中したんだね」
A「さすがは郭嘉というところか。で、陳登と組んで徐州に兵を集め始めた」
F「その一方で、北の袁紹と同盟を結ぶべく孫乾を派遣している。かつては直接戦火を交えた相手だったけど、袁紹にしても曹操との決戦に備えて、少しでも戦力はほしい。そのため『何かあったら頼ってきなさい』とお返事している」
A「どこのお大尽だ?」
F「冀州の。さて、ここで当時の状況を確認してみよう。河北4州(幽・青・并・冀州)は袁紹の統治下。荊州は劉表が根を張っている。局外の交・益・涼州はさておいて、曹操の統治は兗・豫州と司隷の一部にしか及んでいなかった。そして、徐州には劉備、揚州には孫策」
A「……えーっと? ひょっとして、袁紹・劉表・劉備に包囲されてないか? 曹操」
F「うん、そういうこと。以前見た『改革派』で、ほぼ囲まれている状態になっている。となると曹操の採るべき策は見えてくるよね? 比較的友好、かつ新進気鋭の孫策との同盟だけど」
A「あぁ……以前、朝廷に孫策の弟を召していたんだよな」
F「可愛がっていたらしいね。ところが、ここで許貢という男が現れる。江東に勢力を伸ばしている孫策をして『アイツは危険です。都に呼ばないでおくと危険ですよ』と上奏したのね」
A「正論だろうな。何しろ小覇王とまで呼ばれた男だ」
F「唯一の味方と頼んだ孫策でさえ、当てにできないと追い詰められた曹操。四方を政敵に包囲され、身中にも敵性勢力を抱えている。果たして、曹操の運命やいかに」
A「さぁ、官渡の戦いは間近だぞ!」
F「続きは次回の講釈で」

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