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私釈三国志 21 弱肉強食

F「そーいえば、僕の親が住んでいる地方の病院が、場所を変えたとか」
A「何かあったのか?」
F「いや、隣がお寺でその隣が肉屋だったんだ」
A「そりゃ、移らにゃならんわ!」
F「病院が移った途端に、その肉屋潰れたらしいけどね。さて、水滸伝の代名詞とも云うべき食べ物が、ご存知人肉饅頭。峠の酒屋で薬を飲ませて、バラした人肉を具に混ぜ、それを売っていた……というものだけど」
A「俺、水滸伝には詳しくないんだけど、その酒屋結局どうなるんだ?」
F「梁山に登ってるよ。席次は低いけど」
A「……どーかと思うが」
F「歴史的に考察するなら、漢土における食人の習慣は、中世以降まで存在していた。斉の管仲絡みのエピソードをはじめ、史記には子供を煮て喰ったとかの記述が多々あるから、カニバリズムに興味があるなら一度読んでみることをお勧めします」
A「中世以後にはなかったのか?」
F「13世紀くらいには、人肉の摂取は、積極的には史書に記されなくなるな。民間レベルでは近代まで続いていたという説もあるけど、宋代を境に下火になっている」
A「何で?」
F「要因として最大のものは、宋がモンゴルに滅ぼされたことだろうね。モンゴル人は人肉を喰わないから」
A「……漢民族の風習かよ」
F「つーか、儒教だろうな。孔子も人肉を喰っていたから、体格がよくなった(180センチ超)らしいからね」
A「喰ってたのか!?」
F「アレの父親は墓守だったらしいよ。ちなみに、信長が浅井長政他の頭蓋骨を器に酒を呑んだ、というオハナシは真っ赤な嘘だよ。信長は下戸だったから、それで酒を呑んだことはありえない。飲ませたかもしれんけど」
Y「……で、何で長々と人肉食について語ってるんだ?」
F「うん、今回は劉備が、人肉を喰ったエピソードについて」
A「劉備ファンとしては、いささか聞きにくい話なんだけど……」
F「前回、劉備が呂布に負けて小沛を失い、曹操を頼って敗走したところまで述べた。この時、劉備の徳を慕って、往路上の民衆が食糧を用意してくれたんだね。ある日、豫州の劉安に宿を借りたんだけど、猟師の劉安どうしたわけか、そんな日に限って獲物がなかった。帰って妻にどうしたものかと持ちかける」
A「……どうなった?」
F「夕食の席には狼の肉が並びました」
A「ほっ……」
F「妻の姿はありませんでした」
A「……えーっと?」
F「翌朝、裏庭に回った劉備は、妻の死体を発見。あまりのことに感動した劉備は、劉安についてこないかと誘うものの、劉安は老母を理由にこれを拒んでいる」
A「……がくがくぶるぶるがくがくぶるぶる……」
Y「あ、面白い反応」
F「許昌に到着した劉備の処遇について、曹操の家臣団では意見が分かれた。荀ケや程cは、劉備の人望や人格を危険視して、この機に乗じて殺すべしと進言したんだけど、唯一郭嘉が曹操に、頼ってきた相手を殺しては天下に名望を失うことになることや、名高い劉備を殺しては他の英雄からの評判も悪くなると挙げ『劉備ひとり殺して、天下の名声を失うつもりですか?』とまで云っている。そのため、曹操は劉備を受け入れた」
A「……はぁーっ。よし、大丈夫。で、劉備は保護された、と?」
F「うん。一方の呂布だけど、こちらは袁術との戦闘に突入していた。亡き張邈が頼ろうとしただけあって、袁術と呂布との関係はそれほど悪いものではなかったはずだけど、一説では劉備討伐への報酬を袁術が出し渋ったことで関係が悪化したと云われている」
A「まぁ、欲深さに関しては双璧を張れるようなふたりだもんな」
F「劉備加えていいような気がするんだけど、その辺のことはさておくか。この戦闘で暗躍したのが陳珪・陳登親子だな。演義では、攻め入ってきた楊奉を言葉巧みにたぶらかして袁術を裏切らせ、袁術軍を撤退に追い込んでいる」
A「何で生きてるんだよ?」
F「演義だからねぇ。というか陳登は、正史では戦上手で知られているぞ? 孫策をも退けてる」
A「孫策!? おいおい……純粋な戦術指揮能力では、父をも凌ぐ小覇王をか?」
F「さくっち、強いからねぇ。それはともかく、曹操は曹操で、袁術を危険視していた。これは、袁紹の下にいた頃からだったけど、自前の勢力を築けるようになっても、揚州で悪政を繰り広げる袁術を、苦々しい思いで見ていた。そこで、この場では呂布といったん手を組み、袁術の勢力を南へ追放するため兵を挙げている」
A「それを率いたのが……」
F「もちろん、劉備」
A「呂布……つーか陳宮は、それを受け入れたのか?」
F「ほしかったのは援軍だからね。長安を脱した当時、呂布は袁紹の下に逃れて、黄巾の残党討伐をしたことがあるんだけど、そのときは自軍の兵をほとんど使わず、袁家の兵を投入してこれを鎮めている。その辺の損失が、袁紹との決別の原因だったらしいけど」
A「それと同じことを、またしでかそうとしたわけか」
F「劉備にしてみれば、袁術が徐州を獲ったら帰る場所を失うことになる。たとえ呂布の支配下にあるとしても、袁術に渡すよりはマシだと考えて、とりあえずは袁術撃退に尽力したんだね。ために、袁術は本拠地たる寿春へと撤退」
A「ひとまず、かな?」
F「ひとまずだな。多分陳親子と謀議した曹操は、戦後処理を発表。袁術撃退の功により、劉備を豫州牧に任命した」
A「……次のターゲットが」
F「もちろん呂布というわけだ。かくして、劉備は大手を振って、呂布の眼前で兵力の拡充に励むようになる。これには呂布も苦々しく思ったものの、正式な豫州牧をマトモな口実もなしに攻められず、その場では手を出さなかった」
A「曹操のひとり勝ちってところか?」
F「そうなるね。……あ、ところで心温まるエピソードをひとつ。問題の劉安だけど」
A「聞きたくねーなぁ……」
F「いい話だって。劉備から事の次第を聞いた曹操は『それはイイコトをしたなぁ!』と感激して、孫乾を送って100金を与えているのね」
A「いい話……だな」
F「そう云ったじゃないか。警戒するかな」
A「日頃の行いを考えろ、自分でも!」
F「かくして、徐州のごたごたは曹操の仲介により、いったんは収束を見せる。これによってもっとも被害を受けたのが、余人ならぬ袁術であった」
A「ごまかそうと締めに入ったな」
F「北への道をふさがれた袁術は、誰もが驚く行動をとる。寿春を都とし、皇帝に即位するとの宣言を布告した……」
A「序盤のすちゃらかイベントだな」
F「続きは次回の講釈で」

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