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私釈三国志 18 帝位東遷

F「今まで触れてきたのは、主に洛陽以東の出来事だったけど、視点を今度は長安へと向けてみよう」
A「宮廷か? 献帝の身柄は李傕(リカク)たちの手元にあったよな」
F「うん。王允と呂布による董卓暗殺の後、王允を討ち呂布を追い出した李傕(リカク)と郭が、両頭体制で長安を統治していた。このふたりと並んで董卓軍四天王とも称すべき張済は、残るひとりが李傕(リカク)に韓遂への内通を疑われて殺されたので、長安を出て東に駐留していたんだけど……」
A「……そんな体制が長続きするはずねーか」
F「そうだね。仮に張済が長安に残っていたら、両者の対立ではなく三すくみになるから、張済の動き次第でどうにでも調整できたんだけど、李傕(リカク)・郭に次ぐ第三勢力がいなかったモンだから、主導権をめぐって争い始めてしまう。もちろん、政治はそっちのけだ」
A「まぁ、もともと政治の用向きが勤まる連中じゃなかったからな」
F「献帝の身柄を李傕(リカク)が抑えて、郭の軍勢と長安城内で戦闘まで始める始末だ。一説では、郭の妻が、夫が李傕(リカク)のところで浮気していると疑い、李傕(リカク)と手を切るようそそのかしたと云われているけど、原因はこの際さておいていい。問題は、両者とも内輪もめに終始して、政治を省みなかったことだ。ために、裴松之は当時の長安を『周末期と同じ』とさえ称している」
A「周って?」
F「俗に云う、春秋戦国時代だ。最期は蛮族の国と見下されていた秦によって滅ぼされている」
A「……つまり、董卓の残党も蛮族だった、と云ってるわけか」
F「そうなる。ただし、当時の長安には掃き溜めに鶴がいた状態で、そんな残党の中でひとり、朝廷のために粉骨砕身していた賢臣がいた。肝心の裴松之が憎んでやまない、賈詡そのひとだ」
A「朝臣なのか?」
F「尚書の座にあったな。実際は、長官になったらどうだと李傕(リカク)に勧められたんだけど、『いえ、自分の身を守るためにやったことですから』と辞退している。ただし、実権はほぼ握っていたと見ていい。ほとんど崩壊したに等しい宮廷を、必死に取り仕切っていたのがこのひとだ」
A「でも、頭は切れても軍事力はない。戦闘そのものを止めることはできなかった、と」
F「残念ながら、ね。それでも命だけは助けようと、李傕(リカク)を云い包めて長安の北に献帝を逃がし、張済を呼んで両者の仲裁に当てている」
A「張済が動けば、何とか戦闘は収まるわけか」
F「事態の解決には軍事力が必要だったのだよ。このままでは漢が滅ぶと危惧した賈詡は、献帝をひとまず洛陽に逃がそうとした」
Y「微妙なところだな。焼け野原の洛陽に逃がすのとそのまま焼けるかもしれん長安に残るのと、どっちが安全か」
F「献帝の妃の父に当たる董承が、これに賛成したんだね。このまま長安にいるよりはマシだ、と。ために、献帝は長安を脱した。李傕(リカク)の部下だったもののこれを討とうとして失敗し野に下った楊奉が、兵を率いて駆けつけ護衛となり、追撃してきた郭を退けるものの、予想外の事態が発生する」
A「何があった?」
F「いや、張済が来たんだ」
A「……つまり、李傕(リカク)と郭の仲が仲裁された、と?」
F「うん。あまつさえ張済の軍勢まで加わっては、楊奉では防げないのも無理はないだろう。何とか洛陽までたどりついたものの、李傕(リカク)勢が追撃を中止してくれなかったら、果たしてどうなっていたか」
A「何でそこで兵を退くかな?」
F「賈詡が手を打ったんだと思うけど。何とかひと息ついた一同だけど、洛陽は焼け野原で日々の食にも欠く状態。困り果てた董承だけど、そこへ颯爽と現れたのが、我らが曹操で」
A「ひゅーひゅー……って、何であいつが?」
F「実は、もともと曹操は、献帝を手元に招いて権威を得ようと画策していたのね。反対意見が多かったものの、荀ケや程cに賛成されて、董承の誘いに乗って献帝を保護するべく兵を進ませた」
A「何でわざわざ?」
F「いくら衰えたとはいえ、朝廷の影響力は確たるものだったからね。当時李傕(リカク)たちにはむかう者は朝敵の汚名を帯びることになったけど、献帝の身柄を抑えてしまえば、曹操こそが正義という状態になる。厄介もののお荷物なのは確かだけど、手に入れておく価値がある……と、曹操たちは踏んだわけだ」
A「判断としては妥当なのかな」
F「だろうね。1300年後に日本で、同じことを信長がやってる。流浪していた将軍候補の義昭を保護し、上洛して機内を制し、義昭を十五代将軍の座に就け、その権威を利用したんだけど」
A「……あぁ」
F「既成の権威を利用することで、自己の勢力を伸ばすことで、曹操は飛躍的に伸びた。実際、当時の曹操の勢力は、陶謙を降しえず、呂布を討てなかった程度だったわけで、孫策はともかく袁紹・袁術には遠く及ばず、公孫瓚にさえ勝てたかどうか……という評価がある」
A「おいおい、それはさすがに云いすぎだろ? まぁ、事例としては間違ってないんだけど」
F「うーん……実際に、そんなところじゃなかったかと思うけどなぁ。実際には、曹操もデメリット……形式とはいえ自分の頭を下げなければならない相手ができることや、その維持費なんかを口実に、献帝の身柄を保護するのを躊躇ってるんだけど、荀ケに『後で悔やんでも、わたし知りませんよ?』と云われて決心した」
A「そそのかしたのはお前か」
F「献帝を保護するべきか悩んで、保護しないことに決めたのが袁紹だな。沮授も、献帝を保護して朝廷を再建しようと献策してるんだけど、袁紹はこれを拒んでいる。義昭を保護したものの上洛はしなかった朝倉義景みたいな立場だけど、目的は多分違った。まぁ、その辺については……」
A「いつも通り、官渡のあとな? ったく、どうしてそこまで袁紹に御執心かな」
F「あっはは。ともあれ、というわけで献帝の身柄は曹操の手に納まり、朝廷は保護されることになったけど、多分たったひとつ、賈詡が予想していなかった事態が発生する。洛陽が荒廃していることを理由に、自分の本拠地たる許昌に朝廷を移したのね」
A「計算外だったと?」
F「というのも、賈詡は後に張済を経てその甥・張繍を立てて、曹操と敵対してるんだ。曹操が袁紹と官渡の決戦に臨もうとしたのに前後して降伏しているけど、それまでは手を尽くして曹操を苦しめ、一時、その命に肉迫さえしている。機を見るに敏な賈詡がそこまで曹操に敵対した理由が、勤皇精神以外に思いつかない」
A「まぁ、当時の長安で、朝廷のことを賈詡ほど考えていた者は、他にいなかっただろうけど……」
F「献帝を失った李傕(リカク)・郭は、過日の栄華はどこへやらという具合に落ちぶれ、ついには家臣によって討たれ、その生涯を終える。賈詡を擁していた張済こそ、残る精兵を率いて自立したものの、劉表と戦い、やはり流れ矢に当たって戦死した。楊奉に到っては悲惨のひと言で、曹操の専横を許すまじと主張するも、董承や鍾繇に見離され、部下たる徐晃の裏切りもあって、ついには許昌を脱出。袁術のもとに走る始末だ」
A「結局、曹操のひとり勝ちか?」
F「そういうことになるな。群雄一同面白くはなかっただろうが、曹操の手際のよさが際立っていたのは事実。かくして、漢王朝は一時、息を吹き返すこととなった」
A「……曹操の掌の上で」
F「続きは次回の講釈で」

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