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私釈三国志 15 兗州激闘

A「ところで、前回結局、劉備出なかったんだけど?」
F「……おぉ(ぽんっ)」
A「おおっ、じゃねーよっ! 主役だぞ劉備は! どうなった!?」
F「えーっと、呂布の(正確には陳宮の)おかげで、曹操は兵を退いた。これによって徐州の危機はいったん回避されたので、田楷本人は引き揚げたものの、劉備は現地に残した。公孫瓚にしてみれば、袁紹との戦闘が激化しているのに、わざわざ大軍を徐州に貼りつけておく愚を犯したくなかったんだろうね。ありがたやありがたや……と涙流して、陶謙は朝廷に上奏して、劉備を豫州刺史に任じている」
A「ていのいい盾にしたワケな。要領はいいな、陶謙」
F「まぁ、劉備が具体的に何かしたわけじゃないから、ここでは基本的にほっとくけど」
A「おいっ!?」
F「肝心な方に視線を向けようよ。兗州に帰還した曹操と張邈……実質的には呂布軍は、激しい戦闘を開始した。その前に、劉備と曹豹の軍勢を叩きのめして、追撃を断念させているけど、まぁそれは余談」
A「余談で済ますか……? つーか、劉備のほぼ初登場のイベントが、いきなり負け戦かよ」
F「戦上手だからね、曹操は。ともあれ、最大の激戦区は濮陽となった。ところで、演義におけるイノシシぶりが有名な呂布は、武骨者と思われがちだけど、部下にはそれなりに慕われていて、優秀な武将も備えていた」
A「後に曹操に降る張遼か?」
F「張遼も強いけど、僕としては高順を挙げたい。この男、この時点では呂布の軍中にあっておおよそ首座を占めていたと見ていい武将でね。攻めれば必ず敵陣を落としたことから、"陥陣営"の綽名を取った」
A「おー、かっこええ」
F「というか、濮陽の戦闘で夏侯惇が左眼を亡くしているんだけど、演義ではこれが曹性なる呂布方武将の手によるものとされているけど、正史では曹性のせいだとは書いてないんだね。多分、高順との戦闘で負傷したんだと思うけど」
A「その心は?」
F「後に劉備と高順が戦火を交えたとき、夏侯惇は曹操の命令で劉備の救援に赴いたんだけど、肝心の劉備軍が崩れていたにも関わらず、夏侯惇は攻撃をしかけている。左眼の恨みだったんじゃないかな」
A「今ひとつ弱い根拠だな」
F「まぁ、戦術指揮能力では、少なくとも夏侯惇のそれを上回っていたのは確かだね。かくして左眼を射抜かれた夏侯惇だけど、眼窩から矢を引き抜くと貫かれている目玉まで抜け出てきた。それを見て『父母より受け継いだこの身を捨てられるか!』と目玉を飲み込んだという」
A「根性あるなぁ」
F「そんなことしでかしたせいで、夏侯淵と区別するため"盲夏侯"呼ばわりされる羽目に陥ったんだけどね。本人、この綽名がえらく気に入らないようで、以後鏡を見るたびに叩き割って過ごしたとか」
A「……まぁ、片や"陥陣営"、片や"盲夏侯"では、比べ物にならんからなぁ」
F「双方の副将格同士がそんな有様なだけに、曹軍不利な戦況だったのは判っていただけたかと思う。自慢の青州兵が呂布の騎馬軍団に一蹴されて、士気が上がらなかったのも影響しているね。典韋が殿軍を張ったのはこの時だな」
A「有名なあのシーンだな。兵士ひとりを連れた典韋が、短い戟をたっぷり携えて道に陣取る。追撃してくる呂軍が近づいてくると、兵士叫んだ『十歩!』応えて典韋、手にした戟を投げつけると、先頭を走っていた呂軍の騎兵に直撃しそのまま死亡。兵士が『十歩!』と叫ぶたびに、次々と騎兵は即死していき、ついには恐れをなして呂軍撤退……と」
F「典韋が名を挙げたシーンだな。ただし、曹軍が負けたのは忘れるなよ? 怒りが収まらない曹操のところに、濮陽の豪族から使者が来る。我々が手引きするので城内に攻め入るべし、と」
A「罠だよな」
F「まぁ、陳宮の罠だな。攻め入った濮陽は炎上し、呂布が攻撃してきて、青州兵が総崩れ。曹操自身も火傷を負い、こっぴどい負け戦を味わうことになった」
A「並の男ならここで終わりだろうが、そこは姦雄たる曹操、きちんと逃れて生き延びた、と」
F「ところが弱り目に祟り目。ここで自然災害が発生する。イナゴの大群が発生し、戦争どころではなくなってしまった。実っていた作物も蓄えていた食糧も、何もかも喰い尽くすその怒涛に、曹操も呂布も困り果てて兵を退く」
A「さすがの荀ケも陳宮も、コレには何の対策も立てられないか……」
F「程cだけは違ったんだけど、まぁそれはさておき。負け戦に天災と弱りきった曹操の元に、旧友から手紙が届く。北方で公孫瓚を破り、意気上がっている袁紹だ」
A「何でまた?」
F「簡単に云うと、家族を鄴によこせば、救援の兵と物資を送ってやるぞ、という書状でね」
A「人質をとって、かつての上下関係を再開しようとしたわけか……。機を見るに敏、と云う言葉が三国一似あわないと思っていたのに、なかなか上手いことやるな、袁紹も」
F「……弱気になっていた曹操は、この誘いを受けようかと考えるものの、程cが曹操を励ました。まだ負けたわけではないのだから、他に頼るのは時期尚早、と。この進言に一念発起した曹操は、袁紹にお断りの使者を出す。ここに、曹操と袁紹の同盟は完全に断たれたと云っていい」
A「独立宣言か」
F「うん。もちろん、それを支える軍師も只者ではない。曹操をけしかけた程cには、わずかばかりの勝算があった。自分の故郷たる東阿の地を攻撃し、食糧を略奪するのみならず、足りないと判断して干肉に人肉を混ぜて帰還した」
A「ぶっ!」
F「食糧を得た曹軍は勢いを盛り返し、呂軍と激戦を再開……」
A「いやいや、待て待て! 人肉給食に対するツッコミは!? まずいだろ水滸伝!」
F「えーっと、何回か先で入れる」
A「今入れろ!」
F「いちおう計算して書いてるんだから、その辺は期待しててくれ。えーっと、再開された戦闘は年を経ても終わらず……というか終われず、翌年ついに決着する。戦線を維持できなくなった呂布と陳宮は、兵をまとめて、劉備の元に落ち延びていった」
A「肝心の張邈は?」
F「兗州の陳留というところに、家族を残していたので、呂布たちのように逃げるわけにはいかなくてね。袁術に救援を頼もうと、自ら揚州へと赴こうとした。ところがその中途で、先を悲観した部下に殺されている」
A「ぅわ……」
F「陳留にいた弟が、張邈の家族を引き連れて陳留から逃れるも、曹軍の猛攻を受けて、立てこもった城は陥落する。諦めた弟は自殺したものの、残った家族は……」
A「……どうなった?」
F「想像は難くないだろう? 曹操と張邈は、かつては互いに家族を任せあったほどの盟友だった。それが裏切って、一度は覇業を諦めかけるほど追い詰められたわけだから、たとえ友の家族といえども許してやるわけにはいかなかった。かくして、三族まとめて皆殺しになる」
A「仕方ない……のかな」
F「キミならどうした?」
A「……殺しはしなかったと思う」
F「かもな。かくて、兗州激闘は集結する。散々曹操を苦しめた呂布が去った本拠地は、長い戦役に荒れ果て、多くの兵と物資を失い、親友まで亡くした。結局、この死闘で喜んだのは陶謙ひとりだけだったろう。劉備を豫州刺史に任じ、曹操が苦戦するのを笑いながら息を引き取ったという。享年62」
A「いや、笑いはしなかったんじゃないですかねー!?」
F「続きは次回の講釈で」

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