前へ
戻る

私釈三国志 14 駆虎呑狼

F「さて、前回の続きから。曹操が父の仇と徐州へと攻め入ったものの、その前に劉備率いる小勢が立ちはだかってきた……という展開だけど、何ゆえ劉備がここにいたのか」
A「徐州の急を聞いて馳せ参じたんだよな。……つーか、今回タイトルのところまで行くのか?」
F「いや、それは後の話。当時青州は公孫瓚の勢力圏だったんだけど、その刺史・田楷のところに、陶謙から援軍要請が届いたのね。田楷は劉備とともに徐州へと駆けつけ、曹軍と対峙した」
A「公孫瓚の配下武将みたいな状態だったもんな」
F「というか、配下武将そのものだね。公孫瓚と通じていた袁術を援護するために、公孫瓚の指揮の下、袁紹と戦端を交えていたはずだよ。で、その流れで、袁紹派勢力の成長株・曹操に徐州を抑えられてはかなわんと、田楷たちは同胞たる陶謙の救援に馳せ参じた」
A「抑えるって……曹操、徐州を皆殺しにしようとしたんじゃなかったか?」
F「うーん、そこが微妙なラインで。正史には『残戮すること多し(いっぱい殺した)』とはあるけど、皆殺しにしたとは書いてないんだね。というか、実利的に考えるなら皆殺しなんてするはずないし、そもそもできるはずもない。裴松之は曹操の虐殺があったと思っているようだけど……」
A「歯切れが悪いというか、思い込みでフォローするのよそうぜ? 曹操は逆上した、それでいいだろ」
F「……正直に、僕以外では云えないことを口にしよう。この一件、あるいは曹操の謀略だったのかもしれない」
A「……は?」
F「父親を殺されれば、そこに攻め入っても不思議ではないだろう? この前年、曹操は兗州に攻め入ってきた陶謙と戦火を交えている。直前まで息子と戦争していた相手の領土を、のこのこ通る阿呆がどこにいる。だが、自慢の息子から『陶謙には話を通してあるから、安心して来てくれヨ☆』と連絡があったなら話は別だ」
A「ちょっ……待て! 親を死なせたと!? 領土欲で!?」
F「楽観的な手紙で父を呼び出し、そのコースを陶謙に密告する。陶謙の立場としては、曹操の父親を素通しさせるわけにはいかないし、素通しさせないだろう。というわけで父は殺され、曹操は徐州を攻略する大義名分を得た。……まるでこの意見を裏打ちするように、正史では、曹嵩殺害に関する陶謙の関与を言及していない」
A「そんな、そんなバカな話があるか! いくら曹操でも、たかが州ひとつのために親を殺せるか! ありえん!」
F「たかが……ね。徐州と云えば、項羽(正確にはその叔父・項梁)が建てた懐王が都を置いた州で、前漢王朝を事実上叩き潰した呉楚七国の乱の発端の地でもある。当然、それなりの人口・生産力もあるだろう。事実、魏国成立後は、生産地域として曹操に貢献している」
A「待て、待て待て待て……ない! あってたまるか! 親だぞ!?」
F「思い込みでフォローするのよそう……な?」
A「怖いよ……! お兄ちゃんが怖い……!」
F「……そうだな。オレも、自分が怖い。何しろ、オレが曹操なら、徐州をどうしただろうと考えて、出た答だ。我ながら、どうしてここまで親を恨めるのかと吐き気さえ感じる」
Y「ふたりとも、いい加減にしろ」
F「……おう。さて、話を……どこまで戻せばいいんだ? えーっと、結論を云えばこの徐州殺戮は、誰ひとり予想だにしていなかった事態で収束する。曹操の本拠地たる兗州で、張邈が呂布と結んで挙兵し、曹操領を侵しはじめたんだね。荀ケからの急報に、曹操はしぶしぶ兵を返した」
Y「アキラがスイッチ入ってるから俺が相手するけど、何で張邈が?」
F「その前に呂布だな。長安を脱出した呂布は、袁術には最初から受け入れられず、袁紹に受け入れられるも仲違いして出奔。ところが張邈と意気投合して、それを理由に袁紹と張邈の仲がしっくり行かなくなってしまう」
Y「まぁ、袁紹にしてみれば、自分の下から逃げた呂布を受け入れたんだから、面白いはずもないが」
F「ここでクローズアップされるべき漢がひとり、いる。曹操に仕えていた謀臣、陳宮そのひとだ」
Y「前回、挙げなかったな? そういえば」
F「うん。この、全身智謀の塊のような謀略家をして、荀ケは『謀略の才では、私は彼に及びません』とさえ称している。実際、曹操に兗州を取らせたのは陳宮なんだ。曹操の信頼たるや篤く、親友たる張邈とともに家族を任されたこともあった」
Y「俺が戻らなかったら張邈を頼れ、だったか」
F「うん、そう云って出陣し、無事帰還した曹操と張邈は抱きあって喜んだこともあった。この頃の陳宮は、多分張邈付きになってたんじゃないかと思う。そして、陳宮は曹操を見限っていた」
Y「……何でまた」
F「というか、曹操の徐州殺戮は(当然)評判が悪かったんだね。ために、陳宮は『こりゃダメだな』と曹操を見限った……というような記述が正史にある。陳宮は、自分の才覚を活かし得る君主として張邈を選び、その実行役として呂布を選んだ。このトリニティに兗州は次々と呼応し、わずかに荀ケたちが守る三城だけが残った」
Y「そこまでやばかったのか?」
F「何しろ、夏侯惇が守っていた濮陽でさえ陥落したくらいだ。しかも、この戦闘で夏侯惇が、呂布の軍勢に捕らえられるという事態にまで陥る」
Y「……おいおい」
F「慌てたのは韓浩だけど、呂布の配下が夏侯惇を人質に財貨を要求してくると、ただの子悪党と判断して『将軍のためとはいえ、貴様らを逃してなるか!』と、むしろ攻撃を命じて呂軍を蹴散らし、夏侯惇を回収した。この話を聞いた曹操は、コレはいいと膝を叩いて『人質をとられても遠慮はいらん』との布告を出し、以降人質事件は後を絶ったとか」
Y「ショック療法か」
F「さて、ここでひとつの疑問を提示したい」
Y「アキラ、耳ふさいどけ」
F「今回提示した、徐州殺戮は曹操の謀略だったという説だけど、コレ、誰の進言によるものだと思う?」
Y「俺としてもありえないと思うが、ひょっとして陳宮の策だったと?」
F「陰湿すぎる性質から程cという気もしなくはないけど、多分ね。おそらく陳宮は、そうやって曹操を徐州へと向かわせる一方で、呂布を受け入れ張邈を挙兵させたと見ていい。曹操が本拠地を留守にしている隙に、だ」
Y「駆虎呑狼の計が、見事に当たったわけか」
F「そのようだね。ただし、たったひとつ読みきれなかったことがある。荀ケと程cが必死に守りを固めたために、曹操の帰る家が残っていたということだ。荀ケはともかく、程cの戦術指揮能力を甘く見ていたというところか」
Y「詰めが甘かった、と?」
F「陳宮の才の限界かもしれない。ともあれ、後に曹操が詠んだ詩を、ここに書き下しておく」

『思えばガキの頃から、幸せなんてなかった。お袋もオヤジも何もしてくれねぇで、孤立無援で過ごしたモンさ。そんなオレが安住の地を得たいなんて、思っちゃいねけぇのか? 貧窮と困難に負けねぇよう意地を張るのは、泣いても嘆いても誰も助けてくれねぇって知ってるからだ』(「善哉行」其の三より)

Y「なぁ、自分の人生を曹操の詩と主張するのはいかがなものかと思うぞ」
F「おかしいなぁ……? 自分でも、コレ僕の人生そのものに思えて仕方ないんだけど……? あー、でもいちおう、締めはこんな具合なんだよな」

『天よ、父が死んだあの山を崩してくれ――』(同上。『あの山』は瑯邪地方)

F「続きは次回の講釈で」

津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
【真・恋姫†無双】応援中!
進む
戻る