私釈三国志 13 賢者豪傑
F「一度、群雄各位の派閥関係を整理しておくと、こんな具合になる」
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袁紹派:袁紹・曹操・張邈・劉表
袁術派:袁術・孫策:袁紹派と敵対、公孫瓚派とは軍事的につながりがある
公孫瓚派:公孫瓚・陶謙・劉備:袁紹派と敵対、袁術派とは軍事的につながりがある
官軍:李傕(リカク)・郭・張済:劉焉・馬騰らと敵対
独立勢力:劉焉・張魯・馬騰・韓遂・公孫度、黄巾の残党
放浪勢力:呂布・楊奉
Y「長安に朝廷があって、これを抑えているのが李傕(リカク)。中原を袁紹・袁術・公孫瓚が割拠して、その周りを独立勢力が取り囲んでいるような状態か」
A「こーいうのがあると、いくらか判りやすいねぇ」
F「連載で挙がった群雄は、ひと通り挙げたつもりだけど、落ちはあるかな?」
Y「喬瑁は?」
F「えーっと、曹操の前の兗州牧(劉岱)に殺されてたな」
A「張済と楊奉って誰? 今まで挙がってないと思ったけど」
F「亡き董卓の配下。張済は、亡きもうひとりに李傕(リカク)・郭と並んで、董卓軍の四天王として名を挙げていた武将で、長安を離れて洛陽方面への守りを張っている。楊奉は李傕(リカク)と仲違いして出奔した」
Y「その辺が、今回以降で関わってくる群雄な」
F「そーいうコト。ちなみに、さっきはツッコまなかったけど、公孫瓚の勢力は中原にはあまりない。おおむね北方だね。中華十三州のうちもっとも肥沃な部分は、ほぼ袁紹派が抑えていたような状態だ」
A「まぁ、本人も優秀だけど、曹操がいるからなぁ」
F「もちろん、曹操はいつまでも袁紹の下にいるようなタイプじゃない。兗州を拠点に、青州兵を中心に軍勢を整えていた」
A「まぁ、軍事力がなければ群雄足り得ないよな」
F「もちろん軍事力だけでなく、人材も整ってきていた。この頃、配下に続々と有名どころが参集してくる。まずはもちろん腹心中の腹心たる荀ケ。韓馥の招聘を受けたものの、例の騒動で冀州は袁紹の支配下に納まった。ところが、荀ケ本人は袁紹を高く評価せず、どうした流れか曹操の元に馳せ参じる。これに感激した曹操、その手を取って『張良が来た!(我が子房なり)』と叫んだとか」
A「張良って、前に太公望の時に名が挙がった、劉邦の軍師だよな」
Y「アホの劉邦に天下を盗らせた"三傑"の筆頭だ。荀ケ自身『王佐の才』と称されていた名士で、世に名臣と知られていた。この男が曹操の下についたのは、曹操軍団の宣伝にもなったはずだな」
F「だね。荀ケは曹操の覇業に大きく貢献したけど、その中の最たるものが人材の発掘でね。荀ケが声をかけ『文若(荀ケの字)がそこまで云うなら……』と、曹操に仕えた者も少なくなかった。荀ケは郭嘉・荀攸を推挙し、その郭嘉は劉曄を、劉曄は満寵を……と芋ヅル式に、それ以外にも、程c・韓浩などなど、曹軍には智謀の士が集まった」
A「そんなに軍師集めて、ナニやってンだ……?」
F「荀ケは事実上の曹軍副司令官、郭嘉が法曹、荀攸は作戦立案、劉曄は技術顧問、満寵は警察業務、程cは広義における謀略、韓浩は屯田の責任者かな」
A「……さらっと挙げられるお前が怖い」
F「役職的なものだけどね。実際の戦場では、荀攸より郭嘉や程cが参謀役に従事していた場合もあるわけだし。もちろん、荀ケだって軍事的な才覚にも秀でていた」
A「それだけの面子を使いこなした曹操も偉いか」
F「んー……この中でひとり注目するなら、意外に思うかもしれないけど韓浩になるか。この御仁、夏侯惇の推挙で曹操に仕えたんだけど、後に屯田を行うよう進言したことで有名だね」
A「屯田って、地方駐留の兵士に農耕をさせることだったよな」
F「それ、軍屯」
A「……どーいうコト?」
F「屯田にはふた通りあってね。軍屯についてはそれでいい。後に孔明もやる、前線にいる兵士を農耕に従事させ、農業収入を得ることだけど、それとは別に民屯というのがあって」
A「民に屯田をさせるのか? でも、それ普通だろ?」
F「アキラ、この時代が普通だった?」
A「……あ」
F「そういうこと。漢王朝の腐敗と黄巾の乱、そして相次ぐ戦乱で、民衆は喰えない生活を続けていたんだね。喰えなくなった民は、土地を捨て大都市に向かう。これは日本のホームレスも同じだから、詳しい説明はいらないだろう。韓浩は、そういった流民に眼をつけた。曹軍統治下の都市にも、もちろん民衆が捨てた土地がある。流民にある程度の農耕用具(家畜含む)を与えて、空いている土地を開墾させたのが、民屯だね」
A「へー……それは知らなかった」
F「まぁ、日本とは国土の規模が違うからねぇ。韓浩の進言は、農業生産力の向上のみならず、人口と雇用の拡大を生み出し、かなり長期的なものではあるけど、曹操軍団に大きく貢献した」
A「意外な奴もいたモンだな。でもよ、そいつ確か韓玄の弟で、後で黄忠に殺されなかったか?」
F「演義では、だね。というか、韓玄の弟というのがそもそも眉唾モンだからなぁ。正史では病死ということになってることからも、多分別人じゃないかと」
A「まぁ、文官はこれくらいにしておいて、武官行こうぜ、そろそろ」
F「はいはい。えーっと、基本的には曹軍の武官は親族で固めている。夏侯惇・夏侯淵を筆頭とする夏侯一族、曹仁・曹洪・曹純らの曹一族が主だった面子だね。曹操は、祖父が宦官だった関係で、武官としての譜代の家臣を持たなかった。ために、一族一門を登用せざるを得なかったんだろうけど」
A「典韋や許褚は?」
F「まだ典韋にこだわるかな? あいつについては別ページで説明した通り、それほどの豪傑とは思えないんだけど、まぁいちおう。夏侯惇が、誰もひとりでは持ち上げられなかった牙門の旗を持ち上げている男を見かけ、それを曹操に推挙した。これが典韋で、曹操は『おう、なんという剛力!(古の悪来の如し)』と絶賛したとか」
Y「悪来って、封神演義で『こんな下郎はふたり一組で充分では?』と封神された小物だったよな」
F「うん、申公豹(単身では最強の存在)の代わりにね。それなりの評価と見ていいんじゃないかな?」
A「……お前らの頭の中って、どれだけの文量が詰まってるんだ?」
F「どういう表現だよ、それは? で、その典韋と互角に渡りあった猛者が許褚で、曹操は『やぁ、オレの樊噲だ!』と喜んだとか」
A「コレは原文そのままか。樊噲って?」
F「劉邦に仕えたボディガード。歴戦の勇者で、有名な鴻門の会で項羽と対峙したヒト。というわけで、このふたりは基本的にはボディガードみたいな立場だね。それ以外の武将としては、黄巾以来の生え抜き楽進・李典や、鮑信から受け継いだ于禁がいたけど、やはり一族衆がメインだろうね」
Y「他の武官は、基本的には他勢力からの投降・引き抜きだからなぁ」
F「そういうコト。ともあれ、曹操軍の勢力は日増しに伸びてきていた。袁紹にしても、やや歯がゆいものの頼れる盟友として認めていい状態になっている。そこで曹操は、徐州にいた父・曹嵩ら一族を自領に招いた」
A「ところが……」
F「そう、陶謙の部下が曹嵩たちを殺し、財貨を奪ってしまったのね。それに怒り狂った曹操は、夏侯惇・荀ケ・程cに韓浩らを兗州の留守居に残し、復讐を掲げて徐州へと攻め入る。死体で河がせき止められたほどの虐殺が展開され、徐州陥落は時間の問題と思われたものの……」
A「ん?」
F「曹軍の前に立ちはだかった、ひとりの……もとい、その弟ふたりを含めて、3人の男がいた。名を、劉備と云った」
A「ついに主役参上〜! わーわー!」
F「続きは次回の講釈で」