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私釈三国志 12 孫堅横死

F「さて、今回は呉軍の総大将・孫堅氏についてですー」
A「江東の虎・孫堅だな」
F「僕としては、その綽名はいかがなものかと思うけど……ね」
A「ん? その心は?」
F「正直、孫堅はそれほどの群雄ではなかったように思えて……逆に聞こうか。アキラ、孫堅について説明」
A「俺がか? えーっと、荊州は長沙の太守。黄巾討伐で名を上げ、反董卓連合においては先鋒として奮戦した。董卓が長安に遷都したことで瓦解した洛陽で、漢王朝に伝わる玉璽を手に入れ、それを渡すの渡さないので袁紹と対立。袁紹についた劉表に苦杯を舐めたため、その復讐に兵を挙げ、蒯越の罠にはまり死亡。……そんなところか」
F「まぁ、充分だな。付け加えるなら、孫氏は孫子……世に云う『孫子の前に兵書なく、孫子の後に兵書なし』で有名な孫子の兵法書の著者、兵聖・孫武の末裔を自称していたけど、コレは無視していい」
A「劉備も、漢王朝の末裔でございます、って云ってたからな。そういう台詞って、露骨に妖しいモンな」
F「僕に向かって云うかな、その台詞を……?」
A「……あ、いや、そういう意味じゃないが」
F「まぁ、子供の父親が誰かなんて、母親でも判らんからね。僕の母親は、僕の父親は自分の夫だと云い続けている。どれだけ、親が信用できないかを端緒に示す事例だね」
A「だから、自分の親が誰なのか決めるの、やめよ?」
F「話戻すよー。今までに何度か挙げた『涼州の叛乱』を、一度まとめてみる。黄巾の乱は184年だが、その翌年のことだ。後漢時代を通じて羌族との戦闘が盛んだった涼州では、その羌族を涼州や長安周辺に強制移住させ、一種の奴隷として強制労働を科していた。虐げられていた羌族の怒りが、黄色い炎が引火して燃え上がったのがこの一件」
Y「黄巾の乱による混乱に乗じようとしたワケか」
F「そゆこと。羌族は北宮伯玉(人名)らを首魁として蜂起し、これに漢人の韓遂・辺章が乗った。共同して涼州刺史や付近の太守を次々と殺し、十万を超える勢力を編成するに至った。現地では対処しきれないと、朝廷から直接討伐軍が派遣されることになったが、まず皇甫嵩が失敗する」
A「負けたの?」
F「負けたのと、例によって宦官の讒言にあってな。長安で指揮を執っていたが解任され、張温が六個師団を率いて討伐に向かうことになった。参軍として孫堅・陶謙が従軍し、また、以前触れた公孫瓚の烏桓騎兵三千も合流する手はずだったけど、こちらはトラブル、というかそれどころじゃない事態に陥って合流できなかった」
Y「そりゃ、藪を馬で超えようとしたらヘビも騒ぐだろ」
F「その表現好きだな、お前。ところが、この六個師団の足並みがそろわない。他の五つを率いていたのが誰か記述はないが、うちひとつは董卓が担当していた。羌族が主力なんだから、羌族相手に百戦した董卓を動員しない策はない、と考えたのは無理からぬオハナシでな」
A「百戦したのか?」
F「正史の注ではそうあるな。もっとも、勝敗は言及されていないが。董卓が洛陽入城にあたってパフォーマンスをしたのは先に見たが、この時も董卓は自分の価値を高めようと小細工している。召喚されてもすぐには出頭せず、やっと来ても存在な態度で張温に接したンだ」
A「いいのか、その態度」
F「お前たちに乞われて来てやったンだぞ、と態度で示したワケだ。これに怒ったのが孫堅だった。すぐに来なかっただけでも処刑する口実になるのに、そもそも辺章らの叛乱を放置したのはお前の罪だ! といらんことまで押しつけて斬る斬ると息巻いた。出陣前のイライラが募っていて、軍神にいけにえでも捧げたいと考えたのかもしれん」
A「態度は露骨によくないな」
Y「両方な」
F「のちに董卓が洛陽で暴虐を奮いだしたと聞くと、孫堅は『だからあの時あ奴を斬っておればよかったのだ!』と叫んだくらいだ。結果論で云えばその通りだったが、この場では張温が孫堅をさがらせて収めた。とにもかくにも討伐軍は出陣し、叛乱軍と交戦。勢いを削いで西へと追いやっている」
A「……まぁ、主将はともかく孫堅と董卓が従軍してるなら、そう簡単に負けはしないな」
F「そゆこと。さらに追撃した董卓は韓遂らの軍を撃破し、どんどん西へと進んでいく。董卓にばかり手柄を立てさせておけん、と3万の軍を周慎に与えて追撃させた。この時、孫堅は叛乱軍の補給線を断つよう進言したけど、周慎はそれを聞かずに城を包囲し、かえって自分たちの補給線を断たれて、あっさり大敗を喫している」
A「素直に孫堅に任せろよ!」
F「一方董卓は董卓で、数万からの羌族に包囲されていた。次第に食糧が減ってきたから、川に魚を取りに行くふりをして川をせき止め、水が浅くなったところから脱出。羌族が追って来る前に堰を切り、道を水浸しにして、川も深さを取り戻していたので、軍を損なうことなく撤退できた、とある」
A「各地で苦戦を強いられていたのか」
F「ところが、ここでアクシデントが発生する。韓遂が辺章・北宮伯玉らを殺して、権力を自分に集中させたンだ。そして、手元の十数万の兵を動員し、民衆を苦しめていたと評判の悪い涼州刺史(よく判らないが、史料上二人いたことになる)を攻め殺した。韓遂が馬騰と義兄弟となったのはこの頃になる」
A「えーっと……? 韓遂って、何がしたかったンだ?」
F「実は、世直しだ。かつて朝廷に出仕していたときに、何進に『宦官を誅殺されませい!』と進言したが、聞き入れられなかった。朝廷政治がすでに腐敗していると絶望した韓遂は、故郷の涼州に帰って、反政府活動を起こしている。地方の平和のためには朝廷などあてにならないと、自分で独立王国に近い勢力を作ることにしたようでな」
A「コイツって……」
F「それだけに、まずは官軍は放置して、足場固めに専念しはじめる。涼州の奥地で別の叛乱勢力を率いていた王国(これも人名)と共同して、涼州を完全に制圧してから、馬騰・王国らを率いて再び関中に撃って出た。のちに北伐の激戦が起こることで知られる陳倉で皇甫嵩と交戦したが、今度は破れている」
Y「それでも頑張るな、皇甫嵩も」
F「ここで韓遂が韓遂らしいことをしでかす。王国を殺して官軍に降伏したンだ。実際のところ、張温の六個師団で軍をまっとうしていたのは董卓軍のみ、他は敗走を続けていたから、この申し出は渡りに舟だった。あっさりと降伏を受け入れ、韓遂や馬騰の地位を認め、将軍位まで与えてしまう」
A「叛乱さえしなかったらどうでもいいって考えがありありと見えるな」
F「だから韓遂が絶望したンだろうな。ちなみに、張温も金で官職を買ったクチだ。また、各地で敗戦続きだったからだろう、『敵とは戦闘が起こらなかったのだから、軍功も恩賞もナシでいい!』と朝廷は決定している」
A「……もう滅ぼしていいよ、後漢王朝」
F「事実上滅んでるからねー。さて、そんなこんなで涼州の叛乱が何とか鎮圧できたンだけど、孫堅はその場にいなかった。長沙で区星(これまた人名)が将軍を自称して兵を集めたので、孫堅はそちらの叛乱を鎮圧するよう命じられて、張温のもとを離れていたのね。これは187年のことだけど、涼州が治まったのは189年なんだ」
A「長引いたのね!?」
F「足かけ4年だからねェ。まぁ、長沙の叛乱は一ヶ月足らずで鎮圧できたけど、付近の零陵・桂陽郡でも叛乱が起こったモンだから、孫堅はそちらも鎮圧している。実際には独断専行なんだけど、南方が不安だった朝廷は、孫堅に爵位を与えて現地を任せることにしている」
Y「厄介払いなのか、功績を評価したのか」
F「両方だろう。孫堅はそのまま現地で軍を募っていたけど、問題の反董卓連合が結成される。この当時の荊州刺史・王叡は武官を軽んじていて、一緒に零陵・桂陽を鎮圧したのに孫堅を軽んじていた。そんな奴が後方にいてはあとあとの災いになる、と判断した孫堅は一計を案じる。南荊州四郡の残る武陵を攻める、とまず喧伝した」
Y「コーエーのSLGではおなじみの地名だな」
F「ところが、孫堅がそっちに向かったと聞いた王叡のところに、兵士たちが詰めかけてくる。『三郡を鎮圧して回ったのに恩賞が少なく衣服も賄えないからもっと出せ!』との陳情に『こっちも金などない! 何なら倉庫を調べてみろ!』と買い言葉。実際に、刺史政庁の門を開き、倉庫を調べさせようとするンだけど、その兵の中に孫堅」
A「何でいるンだよ」
F「王叡もそう聞いたところ『檄文により貴様を討つ!』とのお返事。武陵太守が、兵を出したら震えあがって、檄文を偽装して降伏してきたンだ。口実さえあればいい孫堅はそれを悪用して王叡を攻め、追い詰められた王叡は、金を削ってそれを呑み自害したとある。恩賞が本当に少なかったかはともかく、王叡が貯め込んでいたのは事実っぽいな」
Y「殺っちまったワケか」
F「この頃、朱儁はすでに実権を失いつつあったので、孫堅の勢力にはバックがない。ために、手近なところにいた名門の袁術に泣きついて、孫堅の地位を朝廷に認めさせた。反董卓連合当時、孫堅が袁術とつるんでいたのはそんな理由による」
A「朱儁が、ってのが判らんな。ヘマでもしでかしたのか? あいつ」
F「いや、董卓の専横が始まった、ちょうどその頃なんだ。黄巾討伐で名を挙げた三人は、朱儁は反駁して出奔、盧植は隠遁、皇甫嵩に到っては董卓の下につく始末だったから。中央がそんな具合だったから、地方の群雄が兵を挙げたんだけど、かくして孫堅は袁術の部下として、董卓を討つべく兵を挙げる」
A「でも、袁術は食糧を出し渋った?」
F「正史でもそのイベントはあったんだけど、その時は孫堅が、袁術の元に単身駆け込んで『こちとら、上は天下、下は董卓に殺されたアンタの叔父のために戦ってるのに、その俺を疑ってメシも喰わせんとは何事か!』と怒鳴りつけている。返す言葉もなかったモンだから、袁術は食糧を提供した」
Y「ツッコむの俺が担当か? 袁隗の名を出さないのは何でだ」
F「いや、理由はないが何となく」
A「演義とは、オチが違うわけか。でも、食糧なら荊州から持ってくればよかろうに」
F「実は、袁術は孫堅を、荊州じゃなくて豫州刺史に任じてるんだ」
A「何でそんなとこ……あ」
F「思い出したな。前回さらっと触れたけど、豫州は二袁戦争、最大の激戦区だ。袁術は、そこにもっとも信頼する武将を配置した。判断としては妥当極まりないな」
A「最強の武将は防御に回す、か……なるほど、考えは正しいな」
F「逆に云うと、荊州に根を張った劉表を、孫堅をもってしても排除できなかったということになる。そして、孫堅という押さえを失ったがために、袁術は二袁戦争に敗れ、豫州を失ったわけだ」
A「ふーむ……裏事情ってあるんだな。あ、ところで、玉璽は?」
F「ん?」
A「玉璽。孫堅が洛陽で見つけたって演義ではなってるけど、正史ではその辺どうなんだ?」
F「……ふむ。まぁ、孫堅の人生について語るなら、それは避けられんかな。以前云った通り孫堅は、董卓を追撃するより『むしろ洛陽復興に尽力すべし』と進言して、実際に洛陽の復旧作業に従事した。これについてどう思う」
A「今回、よく俺に話振るな? 普段頼りないだけに、アキラ新鮮♪ えーっと、孫堅が勤皇家だってコトだよな」
F「そう思うよな? 実は、そこに陥穽がある」
A「落とし穴?」
F「さっきさらっと云った通り、孫堅は董卓との戦闘について、上は天下のために戦っていると云った。その思想は、たとえそれが悪であっても、漢王朝のためになら董卓にも膝を屈した、皇甫嵩にも通じる。後漢書を著した范曄は、この皇甫嵩の振る舞いを、いささか手厳しく評価しているけど」
A「まぁ、歴史家から見れば褒められたモンじゃないか」
F「では聞こう。孫堅が玉璽を手に入れたなら、なぜそれを自分で持っていなければならない?」
A「……へ?」
F「孫堅が勤皇家だったなら、玉璽を隠匿はしない。客観的に云うなら盟主たる袁紹に預けるか、少なくとも劉虞か劉表かには渡すべきだ。いや、自分で持っているにしても、そのことを公表しておく義務はある。黙って持ち帰ろうとするのは、勤皇家のやることではない。違うか?」
A「いや……まぁ、確かに」
F「後に曹操の息子は、献帝の禅譲をもって帝位に就いた。劉備は、漢王朝の正統的継承者と豪語して帝位に就いた。ところが、孫権このひとには、そのいずれもない。権力と権威、そのいずれもなしに帝位に就いたモンだから、呉のシンパには『孫堅が玉璽を手に入れたから、孫権が皇帝になってもいいんだ』と唱える向きがあるかもしれないが、その考え方そのものが、孫堅の人格を貶めているに等しい!」
A「あー、うん、そうなるね……。お兄ちゃん、何か怖いんですけど……?」
F「ん? いや、この辺のことは、正史三国志の注に書かれてることだよ。僕の意見じゃない。というわけで、孫堅が玉璽を手に入れたという話は、完全にフィクションか、でなきゃ孫堅を貶める発言ということになるね」
A「正論ではあるのかな……」
F「というわけで、僕はその辺について一顧だにしようと思わない。孫子末裔説くらい、無視していいと思っている」
A「……いいけどよ」
F「さて、そんなことがなかった洛陽からの帰り途で、孫堅は(先に述べた通り『袁紹についた』)劉表に包囲され、多数の兵を失っている。袁術は、袁紹閥削減のためと荊州での勢力拡張のために、孫堅に劉表の攻撃を命じると、復讐とばかりに孫堅はそれに乗った。息子・孫策を伴い、荊州を攻め、劉表配下の黄祖を捕らえている」
A「序盤は優勢だったんだよな?」
F「うん。でも蒯良が策を立てた。袁紹から援兵が送られてくると情報を流し、孫堅がそれを警戒に出たところを狙って落石を浴びせ、これを殺害せしめている。正史では射殺……流れ矢に当たって死んだ、みたいな記述だね」
A「死に様があっけないというか、情けないんだよな……孫パパって」
F「動揺はしたものの、孫策は劉表と交渉して、黄祖の身柄と引き換えに孫堅の屍を引き取っている。武将の命と引き換えにできるような死体の状態だったことを考えると、やっぱり射殺のが正しいんだろうな」
A「よく、交換に応じたな? 劉表も」
F「蒯越が『なりませんっ!』と怒ったんだけど、劉表にしてみれば孫堅を討てたんだから、もうどうにでもなるという考えだったんだろうね。事実、揚州に引き上げた孫軍は、他の袁術の部隊に再編されたわけだから」
A「まぁ、そうもなるか」
F「孫堅……反董卓連合の先鋒を張り名を馳せたこの勇者は、董卓亡き後、やはり先陣を競うように生き急ぎ、そして散った。息子たちが江東に名を馳せるのは、父の死より数年後のことになる。だが息子たちは、父の復讐は果たしても、その志を果たそうとはしなかった。孫策・孫権の兄弟が、漢王朝への忠を抱くことは、ついぞなかった……」
A「……締めか」
F「続きは次回の講釈で」

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