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私釈三国志 11 群雄割拠

F「では、引き続いて他の群雄の動静を見ていこうと思う」
A「このところ、ギャグっ気がないんだけど?」
F「仕方ないだろう、主に、演義ではほとんど触れられていないエピソードを拾ってるんだから。純粋に笑えるようなネタは、正史にはあまりないぞ」
A「仕方ないのかね……? で、誰からだ?」
F「まずは順当に曹操だな。長安へと撤退する董卓を、単軍追撃し、徐栄によって粉砕されたことは以前述べた。このダメージを何とか回復しようと、曹操は自領へと撤退して兵を募っていたものの、ある日朝廷から兗州牧の座を与えられる。青州で勢力を伸ばしていた黄巾の残党に前任者が殺されて、誰をもってそれを討伐しようかと人選していたところ、董卓と勇敢に戦い続けた曹操に白羽の矢が立った次第で」
A「敗れたものの猛将の評価を勝ち得たことは、ムダではなかったワケな」
F「そゆこと。というわけで曹操は、黄巾の残党と激戦する。連載始めてこっち、曹操について詳しく語ってはいないんだけど、実は面白いエピソードがあって」
A「曹徳か、呂伯奢か?」
F「渋いので来るね? いや、若かりし日だけど、洛陽の警備主任みたいな地位にあった頃、後の『西園八校尉』のトップ(霊帝が寵愛していた宦官)の叔父が、規則に違反したモンだから棒で殴り殺されたことがあって。持て余した朝廷は、曹操を済南の執政官に飛ばした」
A「事実上の出世じゃねーか? 何で、そんなことして出世できるんだ?」
F「軍隊ではよくあることらしいよ? 才気走って補佐しにくい上官は、褒めそやかして昇進させ、別の部署に回すのって。赤川次郎の大貫警部シリーズでンなこと書いてあった……」
2人『待てやオラっ!』
F「ぅわ、びっくりした!? 何事だ、ふたりして!?」
A「何事、じゃない! お前、推理小説なんか読んでたのか!?」
Y「いや、読むのはかまわんが、間違っても書くなよ。お前みたいな精神がねじくれ曲がった野郎の完全犯罪なんざ、現行犯以外では太刀打ちできんからな」
F「……僕を何だと思ってるんだ、お前ら」
A「ハードカバー版『ダ・ヴィンチ・コード』の下巻127ページ時点で、クリプテックスの暗号が解けたのが、全世界に何人いると思うか! 何とかとバカは紙一重と云うが、お前がどっちか判断できんわ!」
F「ありゃ僕との相性がよすぎただけだと思うけど……つーか、題材と歴史から考えればすぐ出るだろうが。話戻していいか? 曹操は済南で、支配者層が信奉していた邪宗を禁止して、その大半を罷免したのね。この事が、どうしたわけか黄巾の間にも知れ渡っていたようで、青州の黄巾賊は、曹操軍を包囲して手紙を送った」
A「降伏勧告か?」
F「いや。簡単にまとめると『同志よ。君が済南で果たした偉業を、我らは忘れていない。ともに手を取り、漢王朝を倒すべく戦おうではないか!』というもので」
Y「……ギャグは抜きじゃなかったのか?」
F「正史の注にあるエピソードだよ。ともあれ、済北の鮑信が命を捨てて奮闘したことで、ようやく黄巾は降伏。実質的には、曹操個人と雇用契約を結んだような状態を取りつけた、というのが正しいみたいだけど」
A「契約?」
F「うん。主従関係というのよりは、いくらかビジネスライクで。それが原因で、あの最後なんだろうけど……そこまで行くのは先走りすぎだな。ともあれ、曹操はこの100万からの流民を自領・自軍に編成し、世に名高き"青州兵"30万を得た。これをして、史書は『魏武の強、これより始まる』……と、している」
Y「……ん?」
F「さて、続いては袁紹。当時、韓馥という気の弱い男が冀州牧を張っていたんだけど、こいつから、袁紹は謀略をもって冀州を奪っている」
A「州ひとつを、か?」
F「それほど見事な謀略ではないよ。まず、幽州に勢力を伸ばしていた公孫瓚に、冀州をふたりで分割しようと持ちかける。その気になった公孫瓚が兵を進めると、どうしようどうしようと困惑した韓馥に、謀臣の沮授が『この難局は袁紹以外では乗り切れません!』と進言。もちろん、沮授には袁紹の息がかかっている」
A「落ちついて見渡すと、穴だらけの策だな」
F「まぁ、相手が韓馥でなかったら、絶対通用しないだろうね。それでも韓馥は袁紹を冀州に招きいれ、あっさりと牧の座を奪われる。韓馥は泣きながら、当時お大尽と名高かった張邈に泣きつこうとするものの、張邈の屋敷には袁紹の部下が先回りしていた。それを見た韓馥は、もはやこれまでと便所で首を吊ってしまう」
Y「だから、ギャグは抜こうぜ?」
A「つーか、何で袁紹の部下が?」
F「張邈と袁紹には共通の友人がいてね。名を曹操と云うんだけど」
A「納得……。でも、公孫瓚は? 冀州に攻めてきてたんだろ?」
F「正史での動きを見るなら、劉虞への対応で袁紹と袁術の仲がしっくり来なくて、ついには戦闘を始めたんだね。公孫瓚は袁術に援兵を送ったんだけど、これを率いていたのが公孫瓚の弟。袁紹軍と戦って死んだモンだから、公孫瓚は袁紹を恨み、冀州へと攻め入る。というわけで、袁紹と公孫瓚は戦端を開いた」
Y「界橋の戦いだな。北方無敵の白馬陣が、袁軍の弓兵に敗れた」
F「これが192年だな。公孫瓚が兵を引いて停戦したんだけど、劉虞が死んだのはこの翌年だね。ちなみに袁術は、袁紹と、袁紹についた劉表に敗れて、揚州にまで退き下がっている」
A「司隸、涼、幽、荊、益、兗、青、冀、揚……漢代は十三州だっけ?」
F「豫州が二袁戦争の、最大の激戦区だね。徐州は公孫瓚や袁術に与する陶謙が支配し、袁紹ににらみを効かせていた。残りの、北方の并州と南方の交州は、三国時代では半ば無視してかまわない。あまり表舞台にはならないので。ちなみに、ほとんど越族の支配下にあった交州はともかく、并州は袁紹の統治下にあったような状態だね」
A「よし、十三州。主だった群雄は、ほぼ挙がったのかな?」
F「肝心の劉備と孫堅が出てないが、まぁ次回以降だな。あ、そーだ。この時点ではすでに亡き徐栄の推薦で、公孫度というヒトが遼東の太守に任命されている」
A「ふーん」
F「……董卓の死は、良くも悪くも、全ての群雄に影響を与えた。力ある者が国を支配する。その風潮が中国全土に広まり、第二の董卓たらんと、勢力を伸ばすのに心血を注ぐようになる。無論、董卓同様、中途に倒れる者も相次いだ」
A「いきなり締めに入るの、やめよ?」
F「そして、荊州で覇を競うふたりの男。劉表と孫堅、その戦闘は日に日に激しさを増していた」
A「あ……いよいよか」
F「続きは次回の講釈で」

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