私釈三国志 09 連環之計
Y「……今回のタイトル、ちょっと無理がないか?」
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
F「云うな……。自分で『漢字四文字』って規定作ったのを、いまさら変えられんよ」
Y「第2回のタイトルがアレだったからって、衝動的にそんな規定作ったのがアダになったな」
F「残念……。えーっと、アキラがいない関係で、今回も相方は泰永ですー」
Y「よろしくー。で、連環だな」
F「前フリもナシかね、キミは? まぁ、いいけど。えーっと、連環の計とは王允が立案した謀略で、軍事力を背景に暴威を振るう董卓を、その軍事力の首魁たる呂布を使って殺害しようというもので」
Y「演義では、その辺りが詳しく書かれているが……正史には、その辺の記述はない、と」
F「だね。基本的に、この辺は演義でのエピソードになるので。さて、王允はそういう謀略こそ考えたものの、実施に際して問題があった。肝心の貂蝉が美人ではなかったのだね」
Y「待てや。貂蝉と云えば、中国四大美人のひとりだぞ? それをして美人でないとはどういう了見だ?」
F「泰永、泰永。例のアレの貂蝉がどんなのか思い出してみろ」
Y「……いや、アレを数に数えるな」
F「ともあれ、困った王允、華佗センセにどうしたものかと持ちかけたところ、センセはどっかから西施(同じく4大美人のひとり。この時代から約600年前のひと)の首を持ってきて、貂蝉のそれと付け替える」
Y「おい待て、華佗は安道全(地霊星。梁山泊の軍医で、死者をも蘇らせると云われた)か?」
F「というわけで美人にはなったものの、そもそも貂蝉は優しい娘で、この謀略を実施できるか判ったモンではない」
Y「別の女使うか、別の策を講じろ。さすがの俺でも呆れてきたぞ」
F「そこでセンセは、今度は荊軻(以前さらっと触れた、始皇帝暗殺の実行犯。この時代から約400年前のひと)の肝を、どっかから持ってきて貂蝉に移植する」
Y「どこのブラックジャックだ!?」
F「というわけで、稀代の毒婦・貂蝉が完成し、連環の計の準備は整った。なお、首と肝のエピソードは、演義ではなく民間伝承のものです。さて、まずは王允、呂布を自宅に招く」
Y「どういう口実で?」
F「実は、王允は呂布と同じ并州の出身でね。儒教社会では、同郷だけで強いつながりになる。まして王允は、董卓のお声がかりで司徒の座に就いた、外面で見るなら董卓派の重鎮だ。招かれたら断れないだろうし、断らないだろう。……実際に、王允がどうやって呂布をたらしこんだのか、の第一歩もこんなところじゃなかったかと僕は見ている」
Y「確かに、理由としては正史でも通じるか」
F「さて、王允は自宅に呂布を招き入れ、貂蝉と引きあわせる。その美貌にひと目で参った呂布に、王允『将軍のお気に召していただけたなら、我が娘、輿入れさせますが……』と軽く応じる。佳日を見計らってとその場では約束し、呂布はウキウキ帰宅。でも、王允にはそんなつもりはない」
Y「次は董卓をさりげなく自宅に招き、貂蝉を気に入らせ、今度はそのままお持ち帰りさせる、と。それを聞いた呂布が慌ててすっ飛んできたら『董相国が、貂蝉を無理矢理……! よよよよっ……!』と泣き崩れた、だったな」
F「うん。貂蝉の方でもわきまえたもので、董卓邸で、董卓の眼を盗んで『相国に嫁がされましたが、あたし、本当は将軍のことが……!』と呂布に泣きつき、翻弄する。当然、呂布は不満を漏らすようになった。それを聞いた董卓の参謀・李儒が、女ひとりと呂布どちらを取るのかと、貂蝉を呂布に下賜するよう董卓を説得するけど、今度は董卓に『あんな野蛮な男、イヤですぅ……!』と泣きつく」
Y「嫌な女だな」
F「キミの感覚だと、そういう感じか。そんなこんなでフラストレーションがたまった呂布は、董卓への怒りを王允にもらす。ここからは、正史でも同じ展開だけど、王允『では、殺られませい』とそそのかした」
Y「この時の説得が振るってるよな。呂布はもちろん躊躇う。いちおう義父ということになっている相手だ。下手に殺せるものか……と口にした呂布に、王允平然と『将軍の姓は呂ではありませんか。相国との間に父子のつながりはございません』と云い放つ。コレに、呂布は覚悟を決めた、と」
F「うん、そゆこと。というわけで、連環の計は成った。王允は司徒の権限で董卓を宮中に呼び出す。それも、献帝が董卓に帝位を譲るという名目で、だ。実は董卓は、以前袁紹に『劉氏の種は残すに能わず』とまで云っている。劉邦以来の漢王朝を滅ぼし、自分が帝位に就く野心があったのは確かだろう」
Y「叔父にはかって、袁家を味方に引き入れようとした時か?」
F「うん。この時袁紹は『天下の英雄はお前だけではないぞ』と云い返し、剣に手をかけたまま退出したとか。その辺のことは、やっぱり官渡のあとで触れる」
Y「どれだけ袁紹を評価してるんだ、お前は?」
F「だから、その辺のことは先の話で。皇帝になれると思った董卓は、ホクホクしながら、護衛に呂布を連れて宮廷に赴く。というか、記憶力がよほど悪いひとでなかったら、以前ほぼ同じことがあったのを覚えてると思うけど」
Y「あぁ……何進の最期に、酷似してるな」
F「そうだね。そして、董卓に手を下したのが呂布だった(と、されている)のは、記憶しておいてくれるかな。これは後々、重大なポイントになるから。かくして、董卓は宮廷に呼び出され、暗殺された。王允は呂布を使って、董卓の弟や血縁者、李儒や董卓派の官僚などを処刑する。董卓に殺された袁紹の叔父やその他処刑された皆さんの葬儀を行う一方で、董卓の死体は市中を引き回された挙げ句、へそに灯心を置いて火をつけられた。その屍は数日に渡って燃え続けた……と、演義では伝えられている」
Y「……はいいが、当時軍勢はどうしてたんだ? 呂布以外にも武将はいたし、軍勢だってあっただろう」
F「前に云っただろ? 馬騰を警戒して、董卓は長安に遷都したと僕は見ている、と」
Y「あぁ……。馬騰が来たのか?」
F「来たのは馬騰だけど、黒幕はおそらくは韓遂だろう。演義では馬騰の同盟者みたいな扱いだけど、実際は、涼州における叛乱の首魁じみた知恵者だ。多分、王允と密約を交わして、長安に兵を進めて李傕(リカク)や郭たちをおびき出していたんだと思う。その隙に、王允は董卓を殺害、と」
Y「韓遂がどれほどのものか、演義からでは計りかねるが……王允も相当だな」
F「ここまでは、と云うべきなんだろう……ね。董卓を殺したまではよかったけど、その後に王允は失策を繰り返すことになる。まず、後漢屈指の史学者たる蔡邕を、董卓の死を悼んだという理由で処刑。次いで、城外で董卓の死を聞き途方に暮れた李傕(リカク)たちが降伏を申し出てきたのに『貴様らは絶対に許さん!』と突っぱねた」
Y「何でまた?」
F「理由がどうにも、正史にも演義にも記されていないんだね。呂布ももちろん執り成したんだけど、王允は『年初に特赦があったのに、年に何度も恩赦が出せるか』と、あまり説得力のない理由で、どうしても連中を許さんと云い続けた。……まぁ、自分を引き立てた董卓をも切り捨てたんだから、呂布もいずれはそうするつもりだったんじゃないかというのは想像に難くないな」
Y「だな。もっとも、呂布を誰で殺すつもりだったのかは疑問だが」
F「贔屓目は抜きにして云うけど、多分、袁紹」
Y「……なるほど。人選としては問題ないか」
F「ともあれ、困ってしまった李傕 (リカク)たちは、とりあえずもともとの拠点、涼州に帰ろうと考えたものの、陣中にいた賈詡が一同を『いや、いっそ長安を攻めましょう。勝ったなら相国を弔いその志を受け継ぎ、負けたらその時に涼州へと引き上げればいいではありませんか』とそそのかした」
Y「一説では、後漢末最高の謀略家という評価もあるが……面目躍如だな」
F「しかも、攻め入ってきた李傕 (リカク)たちに、あろうことか呂布が負けるという変事が発生する。これは多分、すでに王允と仲違いしていた呂布が、王允を見限ったんではないかと思うんだけど」
Y「そんなとこだよな。呂布は逃げた、蔡邕を殺したせいで味方の士気も高くない?」
F「蔡邕の名声は極めて高かったからね。影響は大きかったよ。かくして、李傕 (リカク)たちは呂布や徐栄(戦死)を破って長安へと攻め入り、王允をはじめ董卓暗殺に加担した面子をことごとく斬り捨てる。この時、意外と云うか何と云うか、献帝はあっさりと李傕 (リカク)を受け入れているのね」
Y「どっちの味方だ、献帝は?」
F「少なくとも董卓の、ではなかったようだけど……ね。実際、王允についても、正史はそれほど高い評価をしていない。董卓を殺したのはともかく、一連の騒動の結果、長安、そして宮廷には、被害と混乱だけが残ったわけだから」
Y「……まぁ、俺が陳寿でも、王允を高くは評価しないな」
F「そして、正史の注釈で、さらに低い……というか、凄まじいまでの評価を下されているのが、問題の賈詡そのひとだ。それほど長いものではないので、あえて書き下し、引用しておく」
『悪の権化・董卓が獄門台にさらされ、世界がようやく平和に向かおうとしていた矢先に、災いの糸口を重ねて結び直し、人民に周末期と同じ過酷な苦役を強いたのは、全てこの男(賈詡)の片言のせいではないか!』
Y「……どこまで賈詡が嫌いなんだ、裴松之は?」
F「ともあれ、董卓は死んだ」
Y「それが、いい方向に働くのか、悪い影響を生み出すのかは、まだ先の話だわな」
F「続きは次回の講釈で」