私釈三国志 08 魔王董卓
Y「おい、幸市?」
津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
F「……うーん」
Y「幸市? おい、雪男? 三妹呼ぶぞ?」
F「それだけは許してくださいチクショウ!」
Y「聞いてンじゃねーか。今週、アキラ来てないけど……やるみたいだな」
F「あぁ、うん。ごめんねー、ちょっと考えごとしてて」
Y「何を? ……ん? アルバムか」
F「うん。以前、どっかでさらっと云ったけど、僕とアキラは、昔南京大学に短期留学してたから。そのコースで、中国各地を回ったりもしたからねぇ」
Y「みやげもらったからそれは覚えてる。確か、孫権の墓にも詣でてたよな」
F「南京の近郊だったからね。で、南京からひと晩かけて、夜行列車で西安……当時の長安にも行ったんだけど」
Y「どうだった?」
F「山の中だった。正確には、山の中を線路が走っていたような状態だった。こりゃ、移動は容易じゃないぞ〜、とは思ったよ。もともと秦都・咸陽の近郊だったわけだから、中原から見れば露骨に蛮夷の地だからね」
Y「俺も行ってやればよかったんだろうがなぁ」
F「そんなところへ……それも、現代とは違って交通手段も整っていない時代に、1ヶ月もかけて歩いた民衆の嘆きはいかばかりであったかと、アルバムを見返しながらついつい考えてしまいました」
Y「また行こうかな、ってか?」
F「それが本音だな。では、前回の続きから。えーっと、反董卓連合……というか孫堅の猛攻に、董卓は洛陽を放棄。自分の勢力圏に程近い長安へと、献帝や民衆を無理矢理移動させ、その地から天下に号令するようになりました」
Y「発言力はあったかもしれんが、実際の権威はどうだったんだ?」
F「意外なことに、きちんと天下に威を響かせていた形跡がある。この頃、自領に帰った袁紹と公孫瓚の抗争に『和睦すべし』と勅使を派遣して、実際に停戦させているからね」
Y「あぁ……そーいえば」
F「まぁ、長安でもかなり非道を尽くしていたから、民衆の暮らしはよくならなかったんだけど、ね。何しろ『史実3分に虚構が7分』と評された演義でさえ、採用を躊躇ったエピソードがある。司隷校尉(長安周辺の刺史)に命じて、罪人予備軍を検挙させた」
Y「お前の予備軍?」
F「いかにも、オレの予備軍だ。この時検挙されたのは、親に孝を謹まない子、兄に従わぬ弟、主に忠たらぬ臣、だからな。オレがこの時代の長安にいたら、先頭切って検挙されてるぞ。密告も奨励されたから、間違いなく親兄妹が、董卓にオレを売っただろうさ」
Y「そう来たか……。話逸らすが、何でまた、そんな儒者が泣いて喜ぶようなことをしでかした? 董卓は」
F「……はぁーっ。うん。もちろん、無実の罪をきせてコレを殺し、財産を没収するため。もちろん、反董卓連合に内通したことにするのも忘れなかっただろうね。袁紹の叔父が殺されたのは、長安遷都後のことだとする説もあるから」
Y「危険分子の処分は厳格にすべきだが、コレは、そういうことじゃないわけか?」
F「うーん、金目当てなんじゃないかと思うんだけど……な。何しろ、当時流通してた貨幣を廃止して、極めて品質の悪い通貨を発行したくらいだから。悪銭を持って良貨を買い取るという手段は……」
Y「……おい、待て。ひょっとして、儒教こそが董卓の本性かもしれんぞ」
F「全世界の三国志関係者を驚愕させるような台詞を吐くなぁ? ナニを云い出しますか、何を?」
Y「アキラならまだしも、お前が前漢の元帝を知らんとは云わんだろうな」
F「えーっと……宣帝の子か? 確か、宣帝をして『息子は漢を乱す』と云わしめた。儒教にかぶれて財政を悪化させて、政治を混乱させた愚帝だよね」
Y「その愚帝が、儒教にかぶれるあまり、貨幣経済を禁止し物々交換の古代システムに戻そうとしていたのは?」
F「……ぅわー!? ちょっと待て!」
Y「この、董卓の悪銭があまりにも非道すぎたせいで、約40年後の227年までマトモな貨幣経済は成立していなかったはずだ。宣帝の野望を実現したに等しい。見落としがちだがこのイベント、歴史的と云わざるを得んぞ」
F「云われてみれば、王允や蔡邕といった董卓に登用されたような連中は、当時名士と云われていた……。それに、宦官に対抗して、宦官におとしめられた清流派知識人の名誉を回復したのも、董卓……」
Y「ちっ……笑えねェ。我ながら、どうしてこんなバカなこと思いついちまったのか」
F「あー……コレ、ちょっと本格的に検証する必要があるかも、です。アキラが相方じゃ、こんなコト絶対気づかなかったよぅ。泰永、偉い! 研究課題増えすぎたけど、まぁ嬉しい悲鳴だな。えーっと、とりあえず話戻しますね。とにかく勢いづいていた董卓は挙句の果てに自ら尚父を名乗ると云い出した。コレが何かと云うと、周の……というか、中国史上で、前漢の張良と並んで軍師の代名詞とされる、姜子牙――俗に云う太公望への尊称で」
Y「云うに事欠いて、凄まじいな……それは」
F「さすがにコレは蔡邕にまで反対されて、実現しなかったんだけど。こんなバカなことされたら叛乱が起こってもおかしくないんだけど、董卓の軍事力に逆らえる者は、少なくとも長安周辺にはいなかった……と、思われていた。実際には、朝廷の重臣が、水面下で反董卓の策謀を進行させていたのね」
Y「司徒の王允だな? 実行犯が、董卓の副官たる呂布で」
F「その前に、荀攸が董卓暗殺を計画するものの、なぜか董卓に発覚して当人は投獄され、計画に参加していた鄭泰は袁術の元に落ち延びるという変事が発生している」
Y「……またそいつか」
F「何でバレたのか、何となく判ったような気もするが、まぁそれはさておいて。云うなら、呂布ははっきり養子と云っていいんだけど……ね。演義では、以前あっさり死んだ丁原の養子みたいな扱いだったけど、そちらとは実際には養子の関係にはなかった。あくまで丁原軍の武将……というか主将だったんだけど、その丁原を殺し、軍勢を率いて降伏してきたことに董卓は感激して、呂布を養子にしたと正史にもある」
Y「あ、正史でもそういう関係だったのか」
F「董卓は、孫堅相手に婚姻政策をはかっていたからね。契りを結ぶことで味方を増やす手段を多用してる……」
Y「……また儒教か」
F「家族って……そんなに、重視すべきシステムかね……?」
Y「俺には何も云えんが。でも、その養子が董卓を裏切った?」
F「正史では『ある日董卓に気に入らないことがあって、呂布に手戟を投げつけた』と『呂布は董卓の侍女と密通していたが、それが露見するのを恐れていた』という記述があった。それを羅貫中が面白おかしく膨らませて、作り出したのが貂蝉だね。王允の養女というふれこみだけど」
Y「演義ではあるけど、有名なエピソードだよな」
F「コレについては詳しく触れておこうかと思う。王允は、董卓の専横を心苦しく思っていたものの、その軍事力には抵抗する策がない。司徒という重職にあっただけに、自分の不甲斐なさに、月を見上げては涙を流してしまう」
Y「でも、王允を司徒に取り立てたの、董卓じゃなかったか?」
F「その辺、演義ではまったく触れられてないんだよなぁ。ともあれ、そこへ養女・貂蝉が姿を見せ『あたしを拾ってくれたお義父さまのためなら、この貂蝉、何でもいたします』と健気なコトを云う。そこで王允は、彼女を使って董卓を除く謀略を考案する。その謀略こそが、歴史に名高き連環の計であった」
Y「だから、このコーナー、正史メインだろ?」
F「続きは次回の講釈で」
Y「聞けって」