前へ
戻る

私釈三国志 06 両軍激突

F「具体的にナニとは云わないけど、公式サイトでは公孫瓚や華雄が公開されていますが」
A「あのシルエット、誰だろうな?」
F「ともあれ、公孫瓚は三国志の序盤を彩った群雄の一翼として、あとで顔を出すキャラなんだけど、正直オレのツボなのは嬉しいことですね」
A「太字まで使ってそーゆうたわごとほざくか、この雪男は」
F「あっはは。さて、もう一方の華雄ですが、今回のメインです。前回述べたように、反董卓連合は孫堅を先鋒に、董卓住まう洛陽を目指した。その孫堅が殺る気満々だったことは疑う余地がない」
A「その心は?」
F「第2回から何度となく、さらっと云っている『涼州の叛乱』を、ここで整理してみよう。涼州で叛乱が起こったため、異民族戦のエキスパート・董卓が動員されるものの、結果を出せず、朝廷に援軍を求めた。これを率いたのが司空の張温で、参軍として従軍したのが孫堅だ」
A「……あー、その辺りって、同じ叛乱を云ってたのか」
F「叛乱多発地帯だとでも思ってたのか? で、実際の戦場に行ってみると、董卓が勝手気ままに振舞っていて、軍規が乱れっぱなし。これでは勝てる戦も勝てないと、実戦レベルでの責任者の立場から、孫堅は董卓の処断を進言する。コレは触れていなかったけど、張温は、涼州統治には董卓は欠かせないと見込んでいたので、その進言を退けた」
A「で、時は経て……董卓は朝廷を掌握して張温を殺害、孫堅が反董卓連合の、先頭切って突っ込んできた、と。何だか、意外なところに、ひとの世のつながりってあるモンだな」
F「そーだねぇ。さて、反董卓連合と董卓軍の、最初の戦闘の舞台となったのが水関で、これを守るべく派遣されたのが、豪勇をもって鳴らした華雄だった。もともと董卓は、呂布を前線に送って迎撃するつもりだったものの、華雄本人の『鶏を殺すのに牛刀は使わんでしょう』との進言に従う形で、この男を派遣した」
A「有名なエピソードだわな」
F「演義だけどね。正史では孫堅が華雄を討ち取っているんだけど、演義では華雄さん、随分な活躍を見せている」
A「逆に、華雄が孫堅を退けたんだよな?」
F「うん。孫堅は袁術と仲が悪かったということで、連合軍の補給を担当していた袁術は、前線の孫堅に食料を送らなかった。ために、孫堅は戦線を維持できず、部下を犠牲に退却……まぁ、敗走だね」
A「いや、仲が悪いからって、そんなコトまでしでかすかね……? つーか、袁術って何サマだ? 今のところ、さらっとしか触れてないよな」
F「あぁ、袁紹のいとこ……ということになっている男だ。ただし、袁紹とは違って、若い頃はまじめだったようで、袁紹のような(曹操と絡んで)悪さをしでかしたという話は見られない」
A「なっている、って?」
F「袁紹には、後漢で司空を勤めた袁逢の庶子で、夭折したその兄・袁成の養子になったという説と、袁成の実子だという説があるんだ。問題の袁術は、袁逢の実子」
A「ややこしいな……」
F「うん、この辺は袁紹について詳述するあたり……たぶん官渡のあとで触れる。とりあえず、演義でのイメージになるけど、高慢ちきな無能者、程度に覚えておいて。さて、そんなわけで孫堅は敗走。連合軍は水関で釘付けに」
A「責任とって袁術に攻めさせろ!」
F「演義における華雄は、呂布と並んで、蜀における関張、曹軍における惇淵……というところだからなぁ。紀霊程度で、相手にできたかどうか。現に、連合軍の武将が次々とタイマンを挑んでは破れ、名乗り出る者がいなくなった、という困った事態に発展している。それこそ、曹操が惇淵をつれてきていたのに、だ」
A「……云われてみれば、夏侯惇や夏侯淵なら、どうにでもできるレベルという気がするんだが。現に『蒼天航路』では、夏侯惇が討ち取ってたよな?」
F「確か。でも、どうしたわけか惇も淵も、華雄に恐れをなしてタイマンに名乗りを上げない。これには盟主袁紹も頭を抱えて『我が軍の顔良・文醜のいずれかでも来ていれば、華雄など恐れるに足らんものを!』と激昂している。ところがそこへ、身の丈九尺を誇る偉丈夫が進み出た。それがしに任せてもらえれば、華雄などすぐにでも討ち取って参りましょう、と」
A「ヒゲの大男が、な。いよっ、待ってました!」
F「という反応を袁紹も一度は示すんだけど、その男――関羽が、公孫瓚の軍の下っ端と聞いて難色を示す。雑兵を出したとあっては連合軍の沽券に関わると、体面を重んじた発言だ。ちなみに、この発言そのものは、それほど間違ってはいない。士気というものは大事だからね」
A「けどよぉ、関羽だぜ? 黄巾討伐での勇名は知れ渡ってねーのか?」
F「劉備がどういう扱いを受けたか、思い出そうね? それほど高い官職にはつけなかったんだよ。一部には覚えているひともいたかもしれないけど、少数派だね」
A「論功行賞がなってなかったツケが、ここで現れてるわけか」
F「んー……実際は、そうでもない。黄巾討伐の論功行賞は、それほど問題はなかった。問題は、朝廷側の体制で」
A「その心は?」
F「黄巾の乱のちょっと前に、外戚・宦官の対立による宮廷の腐敗を糾そうとして、この両者に反発した、清流派というのがいてね、この面子が全員、宮廷から罷免された。ところが黄巾の乱が起こったことで、外戚と宦官は(もちろん一時的ながら)手を組む。さらに、黄巾に通じられては適わんから、と、清流派の罷免を取り消し、復官さえさせたんだね。となると、どうなる?」
A「……官職に空きがないのか?」
F「そゆこと。ある程度の官職がすでに埋まっていたので、朝廷は、劉備に高位高官を与えたくても(与えたくなかっただろうけど)与えられなかったわけさ。そう考えると、それほどまずいことはしてないんだよ。……論功行賞では」
A「その前にやってたのの、ツケが回ったワケな。納得」
F「では、横道から戻って。ただし、曹操は関羽を覚えていた。まぁ行かせてみようと袁紹をたしなめるけど、もちろん計算そのものはしていただろう。関羽が討たれても雑兵だから(個人的な見解はともかく)痛くはないし、雑兵に華雄が討たれたとあっては董軍の士気はもちろん下がる。それどころか、雑兵にそれほどの男がいるなら……と、董軍は恐れをなすだろう、と」
A「さすがに、計算高いな……」
F「まぁ、関羽が出ることになったので、曹操は熱い酒を用意させ、一杯引っかけていくように勧める。ところが関羽は『いや、戻ってからいただきましょう』と、とっとと出て行き、さっさと華雄を討ち取って戻ってきた。酒はまだ、冷めてもいなかったという」
A「いよっ、アッパレ快男児!」
F「いや、それまだずーっと先だから。……まぁ、この辺は何もかも演義のオハナシ。実際には、先に述べた通り孫堅が、華雄を討ち取ってるんだけど、ね」
A「話を盛り下げるな! 俺が必死で盛り上げてる、この苦労が判らんのか! もういい、次!」
F「はいはーい。続く虎牢関の戦闘では、今度はさすがに董卓でも、呂布を出さないわけにはいかなかった」
A「また、実際は孫堅が〜、とか盛り下げるんじゃないだろうな?」
F「いやいや、ここでツッコミ入れるのは、むしろ地名だ。演義ではあたかも別のもののように書いてるけど、水関と虎牢関は実際同じものでね。演義が書かれた明代では、その辺どうだったのかなぁ」
A「ええい、呂布の武勇をとっとと語れ! 方悦を五合もせずに突き殺し、穆順を一撃で突き落とし、ぶっぴーを十余合討ちあって腕を斬り落とし! 三国時代最強の武将の面目躍如だろーがっ!」
F「はい、長台詞ありがとう。実は昔、もの凄いものを見てね」
A「ん?」
F「この虎牢関の戦いの劇だったんだけど、3バカに囲まれた呂布が、騒ぎ立てる劉備を尻目に、関羽・張飛と丁々発止を繰り広げる。その時、小道具のアクシデントで、呂布の持っていた戟の穂先が吹っ飛んでね」
A「……ぅわ」
F「コレにはさすがの呂布でも、退かずにいられませんでした……とナレーションのフォローは入ったけど、思わず立ち上がって拍手したぜ、オレは。穂先を亡くした棒切れ振り回して、関張退けるような真似は、呂布以外の誰にもできない。これこそまさに、三国時代最強の武将の、面目躍如だと痛感した」
A「ぅわーっ! それが無理だと云えない、呂布の強さがむしろ好きーっ! つーか、俺も呼べよその劇!」
F「もう一回、公演してくれないかなぁ? というわけで、呂布も撤退したことで、董軍は洛陽以東を放棄。虎牢関を捨て、洛陽へと撤退した」
A「あっさり流すな……?」
F「規定分量を超えてるんだ、もう。追い詰められた董卓は、またしても漢王朝を踏みにじる決断を下す。光武帝以来の都である洛陽を捨て、長安へと遷都すると発令したのであった」
A「だから、急に締めに入るなっ!」
F「続きは次回の講釈で」

津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
【真・恋姫†無双】応援中!
進む
戻る