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漢楚演義 12 四面楚歌

F「和平がなったと思ったら、あっさり劉邦は裏切り、項羽を追撃する。ところが、韓信も彭越も来なかったモンだから、楚軍に返り討ちにあった……というのが前回のオハナシ」
A「独力では項羽には勝てないよね」
F「韓信なら勝てるとは思うが。ようやく項羽との長い戦いに決着がつこうとしていたのに、韓信・彭越が来ないことには項羽に勝てない。どうしたものかと張良に謀ったところ、張良はしれっと『領土をおやんなさい』と応じた」
A「つまり、領土の保証がなければ韓信も彭越も動かない、と?」
F「そゆこと。そこで劉邦は、凄まじい決断を下した。天下をふたりに分け与えよう、北国は全て韓信に、東国は全て彭越にくれてやる。それと聞いたふたりは、兵を率いてホイホイ現れた」
Y「ナニを考えているやら……。前回も火事場泥棒しでかしておいて、またこんな真似をしでかしたら、劉邦から将来的ににらまれてしかるべきだろうに」
F「そゆこと。それはおいおい見ることにして、項羽は戦闘を繰り返しながら、ひとまず防御拠点ということで垓下の城に立てこもり、項羽不在の間楚の統治を任せていた周殷が、援軍を率いてくるのを待っていた。……ところが、そちらにも劉邦の手は回っていた」
A「以前、陳平が挙げた4人のうちの(最後の)ひとりか」
F「うん。大司馬……まぁ、後方主任だな。楚を統治し、現地で盗賊や叛乱を鎮圧していたらしい。蕭何が関中から、漢軍に食糧や兵力を前線に輸送していたけど、周殷もそういう立場にあったのではないかと思われる」
A「でも、彭越のせいでうまくいかなかった?」
F「んー……漢楚の、天下を賭けた抗争は、基本的に関中近くで行われていた。項羽が劉邦の陣容深くに切り込んでいたのが原因なんだけど、補給の効率は補給線の長さと危険性に反比例するンだよ」
Y「漢軍の補給線は短かったのに、楚軍の補給線は長かったワケか?」
F「日本の幕末では、薩摩は京都への通り道にある長州と組むことで、道中の安全性を確保した。つまり、距離があるならその途中に有力な拠点を得ることで、そこを仲介点として安全性の向上と距離の縮小を図れるワケだ。項羽は梁を得ることで、楚から斉(北方諸国)・漢(西域)への仲介点としての役割を期待していたンだけど、それを見抜いた彭越が『梁には天下の財が集まる!』と、心血注いで現地を攻略していたモンだから、うまく行かなかったンだね」
A「老賊の嗅覚もバカにならんな……」
Y「結局は、彭越のせいで補給が途絶えたンだろ?」
F「彭越以外でも梁攻略は難しくなかっただろうから、その意味では彭越とは云いがたいな。むしろ黥布だ。黥布に梁を与えていれば、さすがに黥布も叛乱しなかっただろうし、彭越を打ち破ることもできたはずだ。范増や陳平もそうだけど、項羽は黥布を手離すべきではなかった。竜且や他の武将では、黥布の代わりは勤まらなかったワケだから」
Y「結果論だな。惜しい男を逃したのは判らんでもないが」
F「が、項羽は補給がうまくいかなかったのを、周殷のせいにした。周殷がしっかりしていれば、楚の補給が乱れることはなかったはずだ、と。というわけで、周殷は誘いに乗って、楚を挙げて劉邦に寝返る」
Y「ここにきて、人望のなさが響いてるな」
F「韓信・彭越に次いで、盧綰も兵を率いて現れた。南方を攻略していた黥布も、周殷とともに駆けつける。かつて3万で56万の軍勢を打ち破った項羽だけど、垓下にまで従軍した楚軍はおおよそ10万。対して漢軍は総勢30万を数えたという。率いるのはもちろん"国士無双"の韓信だ」
A「水は?」
F「珍しく、ない。出陣した楚軍と漢・諸侯連合軍は激突したものの、水辺でなかったからか、韓信は項羽の猛攻を支えきれず、退却を命じる。当然項羽は追撃し、韓信の本陣に肉迫するものの、漢軍の左右の部隊が攻撃をしかけたモンだから、楚軍の勢いが弱まる。そこを狙って韓信も逆撃に転じ、ついに楚軍は敗走。垓下城に退却した」
A「普段は項羽が劉邦を包囲するのに、今度は項羽が囲まれたワケか」
F「今度だけは、だな。包囲すること1ヶ月。楚軍はすでに数を減らし、食糧も尽きかけていた。それでも項羽は何とか逆転の方法を模索していたンだけど、夜半過ぎ、漢の陣から歌声が聞こえてくる。――楚の歌声が」

 ――劉邦はすでに我が楚を得たのであろうか、こんなにまで楚人が多いだなんて(漢皆已得楚乎 是何楚人之多也)

A「張良……いや、性質からして陳平辺りの策か?」
F「原文を引用すると『漢軍及諸侯兵囲之数重 夜聞漢軍四面皆楚歌 項王乃大驚』きて曰く、上記の台詞になる。誰かの策とは記述がないな。……たぶん、長い長い戦いに疲れ果てた兵たちが、自然に歌いだしたンじゃないかと思う。それを利用したンだろう」
Y「そして、項羽はそれを真に受けた?」
F「包囲されている状態で、自分の故郷の歌が四方の敵陣から聞こえてきたら、よほどの男でなかったら諦めるぞ。そんなわけで項羽は、夜、酒を呑んだ。傍らに侍るのは虞なる美人、愛馬の名は騅。自ら詩を吟ず……」

力抜山兮気蓋世 ――この天下はオレのモンだったのに
時不利兮騅不逝 ――不利になったら騅すら云うことを聞いちゃくれねェ
騅不逝兮可奈何 ――騅まで云うこと聞かねーなんて、あーあ、どーしたモンかなぁ
虞兮虞兮奈若何 ――虞よ、お前もどーしたモンかなぁ

A「変な具合に訳すな! 頼むから!」
F「ともあれ項羽は騅にまたがり、八百騎を率いると、漢軍の包囲を突破して南に逃れた。慌てて五千からの騎兵が追撃する。戦いながら逃れると、朝にはすでに百騎あまりにまで減っていた。そこらにいた農民に、楚への道を尋ねると、農民は『左』と応えたンだけど、その道の先は沼沢地で、項羽は騙されたのを知った」
Y「民衆にはすでに見捨てられていたワケか。田栄の最期を思い出すな」
A「コラーっ!?」
F「引き返すと漢軍に出くわして、東城まで逃れた頃には、すでに28騎しか残っていなかった。観念した項羽は、生き残った者たちに告げる……」

 ――オレは兵を挙げ七十余戦。向かうところの全てを叩き潰し、敵はみな降伏し、ついには天下の覇者となった。だが、今ではここまで追いつめられている。これは、天がオレを殺そうとしているのであって、オレが弱かったからではない! もはや命は捨てた! きょうはお前たちのために思う存分戦い、漢軍を三度破ってくれよう!
 天がオレを滅ぼそうとしたのであって、オレに責任があったわけではない!

F「かくて残ったわずかな兵を率い、三度に渡って漢軍の包囲を破り、漢軍の将を殺し、漢軍を散々に打ち破った。28騎のうち、死んだのはわずか2騎だけだったという。烏江まで逃げに逃げた項羽一行を、亭長が迎えた。この周辺で船を持っているのは自分ひとり、漢軍が来ても誰も江を渡ることはできない、早く江東に逃れてください、と」
A「数十万の人口があるから、再起をはかるのには充分……って進言したンだよな。でも、項羽はこれ以上生き恥をさらすのを拒否した。もともと江東で八千人の若者と挙兵したのに、その若者が誰ひとり帰れないンだから、自分ひとりだけ帰って、どんな顔をして彼らの家族に会えばいいのか。家族が何も云わなくても、項羽が恥を耐えられない……と」
Y「劉邦なら喜んで渡っただろうな」
A「だから劉邦は嫌われるンだよ!」
F「いや、直前に農民に騙されたワケだから、この亭長をも疑ったと見ることもできる。太平記で新田義貞の息子が、船に乗せられて川に出たら、船底に空けておいた穴の栓を抜かれて謀殺されているンだから」
A「そんなオハナシ千年前に知ってるわけねーだろーがよーっ!」
F「ともあれ項羽は、騅を亭長に託して、追ってきた漢軍に徒歩で立ち向かった。生き残った26騎も剣を抜き、それに従う。負傷はしたものの漢兵数百を殺したという。疲れ果てた項羽は顔見知り(つまり、楚から漢に寝返った)の男を見つけた。劉邦は、項羽の首に一万戸の懸賞をかけている。お前にそれをやろう――と、自刎して死んだ」
A「見事なまでの、悲劇の最期だね……」
F「漢軍の兵士たちは項羽の死体に群がった。首で一万戸の領土が得られるのだから、死体の破片でもおこぼれに預かれるかもしれないと、その死体をちぎっては奪いあう。数十人の兵が同士討ちで死んだという」
A「締めろよ! そーいう、余分な話をしてないで!」
F「いや、見逃せない話なんだがなぁ……。どうしたわけか司馬遷は項羽に惚れ込んでいて、史記に始皇帝・劉邦と並んで本紀を立て、項羽を事実上の皇帝として扱っている。確か海音寺潮五郎氏だったと思うが、28騎で斬り込んで2騎を失った"のみ"(原文:亡其両騎"耳")と書いていることから、司馬遷は項羽を好きで好きで仕方なかったンじゃないかと述べている。まぁ、そんな小さいことを見るまでもなく、はっきり書いてあるンだが」

 ――古の舜は瞳がふたつあったというが、項羽もまたそうだった。その子孫だったのか。始皇帝の死後天下は乱れたが、項羽は農民の中から身を起こし、ついには覇王となった。その位を全うすることはできなかったが、近年古来これほどのものは現れなかった。
 まぁ、天に滅ぼされたってのは間違いなんですけど……ね。

F「項羽本紀の締めを意訳したものだけど、どこまで項羽が好きなんだ、と思う記述だな」
A「……司馬遷が嫌いなのは知ってたけど、項羽が嫌いなのか?」
F「大っ嫌いだ。というか、オレが項羽を好きなはずがないだろう」
A「何で云いきるかな、この雪男は……?」
F「……以前(4回)云った無視できないエピソードから、順番に見ていこう。項羽は幼い頃、項梁から字を教わっては投げ出し、剣を教わっては投げ出した。それならと兵法を教えると、喜んで学んだものの、すぐに投げ出している」
A「自分でやりたいって云った『万人を敵とする』ものでも投げ出したンだから、飽きっぽい性格なんだよな?」
F「伊勢新九郎……北条早雲そのひとに、似たようなエピソードがあるンだ。ある日坊さんが孫子の兵法書を持ってきて、早雲に読んで聞かせていたところ、すぐにやめさせた。わざわざ教わらなくても、ワシはそんなモン知っている、とのことなんだけど、はっきり云うが、この反応は正しい」
A「……は?」
Y「おいおい、何だそりゃ?」
F「ご両者、孫子は読んだことあったか? ちなみに、僕は全文を暗証できるが」
A「……いや、直接そのものは読んでない」
Y「同じく。風林火山とか、敵を知り己を知れば云々とかの抜粋くらいは知ってるが……」
F「孫子の兵法書については、二次創作になるが『妙才暗躍』で述べているので、そっちを参照してくれ。その孫子をしっかり読んでいる者は、二分できる。孫子の真価を悟れるか、孫子をつまらないものと誤判するか、にだ。孫子の内容をちゃんとは読まずに、そのネームバリューだけで神格化している者が多すぎるンだけど、内容があまり知られていないのをいいことに、三十六策(俗に『逃げるにしかず』で知られる三十六計)が孫子に含まれているとバカなことを書いている漫画家が講談社で連載をやってる。どっちもタチが悪いな」
Y「何が云いたいンだ?」
F「はっきり云おう。孫子には、究極の戦術とか至高の戦略とかは、書かれていない。書いてあるのは戦争に対する気構えが大半で、敵を確実に叩き潰す戦術なんで書かれていないンだ。だから、前述の漫画家は、自分の作品に劇的な展開を生む小道具として孫子の内容を改竄したンだろうが、それはともかく」
A「じゃぁ、何で『孫子の前に兵書なく、孫子のあとに兵書なし』なんて絶賛されてるンだ?」
F「孫子の前にはひとつあったンだが……原因は、孫子の中にはっきりと書かれている。あえて全文を引用しよう」

 ――凡此五者将莫不聞 知之者勝不知者不勝(おおよそこれらの事柄を、将たるものが知らないということはないだろうが、これらを理解している者は勝ち、理解していなければ勝てない) "孫子"計篇より

F「孫子の真髄はコレに尽きる。……判るな? 孫子の内容を真に理解している者は、孫子を最高の兵法書だと悟れるンだが、それが理解できない者は、孫子を投げ出して、知略修正値を呉子のものより低く設定したりするンだ」
A「コーエーを非難するのはともかく、項羽はそれが判らなかったから、兵法書も投げ出したと? でも、項羽は一度は天下を盗ってるぞ。それに、早雲だって関東をほぼ平定して……」
F「さっきも云ったし孫子そのものにも書いてあるが、孫子の内容を知らないからって困ることはないンだよ。ただ、理解できているかいないかが問題なんだ。そして、理解できている者と対決したときにこそ、その問題は表面化する。僕が『妙才暗躍』に採用し、孫子の真髄はここにこそあると判断した一節を、引用する」

 ――将聴吾計用之必勝留之 将不聴吾計用之必敗去之(我が進言を容れるならその国は勝つのだから、私は留まる。だが、我が策を容れないならその国は負けるだろうから、留まってなどやらない) "孫子"計篇より

F「かくて、項羽は韓信に敗れ、早雲の起こした国は五代で滅んでいる」
A「……韓信だけが怖いと云っていたのは、こういうコトか」
F「そゆこと。韓信は項羽に仕えいろいろ進言していたのに、項羽が聞かなかったモンだから、結局韓信は項羽の下を去っている。……さて、項羽が孫子的にはダメな将だったと証明するのはこれくらいにしておいて、本題に入る」
A「本題?」
F「第3回で僕は、太平記の『そんなに天皇がほしいなら、木か金で書割でも作って置いておけ! 生きた皇族なんぞひとり残らず島流しじゃ!』との名文句を引用している」
A「だから、そんなモン口にするなっ!」
F「東南アジアでは木と結婚する風習があってな」
A「ナニを云ってるのかまるでまとまりがないよ、お兄ちゃん!」
F「聞け。儒教では長幼の序というものがあって、次男以下は長男より価値がない。ために、弟が兄より先に結婚するというのは許されざる暴挙なんだ。そこで、儒教は入っているもののそんなに重視されていない東南アジアでは、ある程度の年齢になっても独身の長男は、弟(たち)が結婚できるように、木や石(もちろん、仙木や御神体とされているもの)と形式だけの"結婚"をする風習があるンだ。太平記の著者は児島高徳とされているが、上記名文句は、それを意識していたのかと思う。……そして、これを実践したのが、項羽だ」
Y「どこの馬の骨とも判らん羊飼いを連れてきて、王にしたことか? だが、それは項梁がやったことだろう?」
F「そっちじゃない。范増を亜父と呼んだことだよ」
A「……父がいなかったから、父を作ったのか?」
Y「幸市!? その理屈だと、お前の項羽像は……!」
F「聞け。僕ならそもそも作らない。なぜなら、僕には親は必要ない。今こそ云おう。家がなければ家を作り、家族がなければ家族を作る、それは儒者の理屈だ」
A「……ごめん、誰が儒者だ?」
F「僕じゃなきゃ項羽だろう」
A「あっはっは、暴言もそこまで来ると妄想だぞ? 項羽のどこに儒教が……儒教……儒教!? あれ……?」
Y「……思い当たる節がいくらでもあるンだよ」
F「帝王とは天から命を受け、地上を統治するものであり、徳が薄れた王は追放して、徳のある者が取って代わっていい……というのが放伐論だが、これを提唱したのが儒教において孔子に次ぐと云い切っていい孟子だ。項羽が始皇帝を見て『アイツに取って代わってやろう』と云ったのは、放伐論を意識していたからだ……というのは従来からあった一般論だけど、どうしたわけか、そこから項羽と儒教を結びつける意見はあまりなかった」
A「いや、だって、項羽の行動から儒教を読み取るなんて、できっこないだろ!?」
F「実はさらっと書いておいたが、儒教的価値観では、敵は死のうが灰になろうが敵であり、存在そのものが許されない。ゆえに、墓を暴いて屍を鞭打つのは、儒教では非道でも何でもない。……それなら、"坑"もまた然り」
A「……項羽の行動を、都合のいいように儒教と結びつけているように思えるンだけど?」
F「それは立ち位置の違いだ。僕は項羽やアキラのいる儒教側にはいない。儒教の外にいて、儒教に敵対している……いや、敵対したいと思っている。だから、僕には儒者の行いが儒教に見えているンだ」
A「それならなぜ……えーっとぉ……?」
F「自分でもすぐに判ったようだね。鴻門の会に先立って、范増から『劉邦を殺せ』と云われて殺す決意をしたのに、項伯から『話を聞いてやりなさい』と云われたら従った心変わりには、范増と項伯の立場の違いがある。范増は亜父であり、父ではない。だが、項伯は伯父だ。どちらの意見を重視すべきかは、儒教では明らかだろう?」
Y「その意味では、范増は項山(仮名。項羽の父)の代わりというより、項梁の代わりだな」
F「その場合でも、項伯の意見は范増のものより優先される。さっきも云ったが、儒教では、兄は弟より上にいる。血縁を絶対視するのが儒教だ。……ゆえに、項羽は劉邦の父を殺そうとして、項伯にいさめられると断念した」
A「……では、なぜ項羽は、主君を殺した!? 仮にも亜父と呼んだ范増も追放したぞ!」
F「まず懐王……義帝。これは放伐論だ。それ以上の説明はいるか?」
A「……いらない」
F「范増については難しい。確かに放伐論では、徳のない王は討ってもいいことになっているが、父を追い出すのは儒教ではない。父が間違いを犯したら、何もかも捨てて父だけ背負って逃げろというのが儒教だからな。だが、繰り返すが、儒教において絶対視されるのは血縁だ。范増は亜父であったため、項羽が独り立ちできたなら、所詮は書割、もう用済みだと判断されたのではなかろうか」
A「どうして広武山で劉邦と対陣している真っ最中で、項羽が独り立ち云々と云えるンだよ!?」
F「オレはその応えを確認するため、先日、禁断の悪書を広げてみた。はっきり書いてあったよ」

 ――三十而立(論語より)

F「諸悪の根源たる孔子さんが『三十になったので自立した』と書いているンだ」
Y「項羽が三十になったから、亜父は用済みとされた?」
A「どこからどうツッコんでいいのか判らねーよっ!」
F「そのツッコミ、全てを覆すエピソードを披露しよう。項羽の死によって楚は滅んだ。だが、この時点で漢の天下が定まったわけではない。漢に背く小国がたったひとつ、本当にひとつだけ、項羽に殉じようと漢に抵抗していた」
Y「おい、まさか……?」
F「その小国の名は、魯と云った」
A「……司馬遷を嫌いになるワケだ。どうしてこんなにも、項羽を儒者と思わせる材料を残しておくのか」
F「続きは次回の講釈で」
A「まだ続くのーっ!?」

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