漢楚演義 11 漢楚決戦
F「というわけで、広武山の周辺は戦地と化した」
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A「ここが楚漢の正念場なんだ?」
F「天王山て奴だな。彭越を一時的に無力化した項羽は、斉に向けた竜且以外のほぼ全軍を投入して、劉邦を今度こそ潰すと息巻いた。対して劉邦は、韓信・彭越・盧綰らの別働隊を擁している関係で、広武山には全兵力を投入できないでいたものの、守りを固めて項羽の鋭鋒がかげるのを待てば、他の部隊が戦況を覆してくれるワケで」
A「卑怯だな、劉邦は!」
Y「項羽は戦略の一本化がなってなかったンだよな。劉邦か彭越のどちらかをまず潰してしまえばよかったのに、どっちつかずにふらふらとしていたから、余計に疲れたわけだから」
F「彭越が常に、絶妙のタイミングで動いていたからね。その意味では、かの老賊の戦略……いや、政略眼か? それは、極めて確かなものだったことになる。というか、項羽の失敗のふたつめは、劉邦に大兵力を叩きつけたことだ。劉邦の弱さは判りきっていたンだから、3万ないし5万の兵だけを率いて自分が向かい、他の兵力を梁に貼りつけておけば、劉邦も彭越も対処できたと思うンだけど」
A「劉邦が大兵力を動員してきたら……勝てるのか」
F「56万でも3万で打ち破っているぞ? 率いているのが劉邦なら、10万までなら項羽率いる5万で対抗できるはずだ。この場合、怖いのは韓信が合流することくらいになる」
Y「やはり、韓信だけは怖いか」
F「竜且で勝てなかったというコトは、鍾離眛でも勝てないことになる。また、大兵力の動員がまずかったのには、他の戦場が手薄になるのに加えて、それだけの食糧が必要になることもネックでな。劉邦には関中の蕭何から食糧や兵力の補充が常時続けられていたのに対し、項羽の補給線は彭越に脅かされていた。奪われた楚の食糧が、そのまま漢に運ばれて利用されていた形跡さえあるし」
Y「智者は敵に食む(智将は敵の食糧を利用する)、だったか」
F「ちなみに孫子には『最善の戦争とは、戦火を交えずに勝敗を決するものである』との名言もある」
A「劉邦が、卑怯じゃなかったと?」
F「孫子は知らなくても、この台詞を知らないというコトは絶対にない名言がある。アキラも知らないわけがない台詞がな。戦争に、卑怯もクソもあるか! というわけで、包囲している大兵力の楚軍が餓えて、包囲されている漢軍は食糧がある、という世にも奇妙な戦場が展開された」
A「……奇妙すぎるな」
F「対陣数ヶ月。彭越のせいで補給がままならない項羽は焦って、ついに壮挙に出た。でっけぇまな板を作ると捕らえていた劉邦の父親をその上に乗せて『降伏しないとこの親父を煮殺すぞ!』と通達する!」
A「何でそんなに嬉しそうなんだよっ!?」
F「その台詞にオレ……もとい、劉邦は、平然と応えた」
――以前、ワシとそなたは義兄弟の契りを交わしたな。つまり、ワシの父はそなたの父でもある。親を煮殺したければ煮殺せばよかろう。そのスープ、ぜひワシにも振舞ってもらいたいな!
F「儒教の歴史に残すべき名言ではなかろうか」
A「ここまで云われて引き下がる、項羽も項羽だよ……」
Y「うーん……」
A「……ナニを悩んでる?」
F「えーっと、先に云われたけど、項羽は煮るのをやめた。従軍していた項伯が『天下を望むものが家族を顧みるものか。この爺を殺すのは、お前の名を貶めることにはなっても益はないぞ』と進言して、それを容れた格好だな」
Y「うーん……」
A「まぁ、殺す必要はないか」
F「オレなら『降伏するから親父は殺せ!』と叫んでおいて、降伏はしないがな。さて項羽は、それならと叫ぶ」
項羽「天下が乱れているのは、突き詰めればオレとお前のせいだ。天下人民をこれ以上苦しめないためにも、ここはひとつ、タイマンで雌雄を決しようではないか!」
劉邦「……えーっと、知恵の戦いじゃどうだろう。力での戦いは御免蒙りたい」
F「乗ってこなかった劉邦に腹を立てた項羽は、楚軍の勇士を広武山のふもとに送り込んで、タイマンを挑ませた」
A「……項羽にタイマンを挑まれて、乗ってくるのは、呂布か張飛くらいじゃないかと思うが」
F「漢の軍中に、騎射をよくする楼煩……たぶんローファンだと思うンだけど、異民族の弓使いがいた。ローファンは馬をかって弓を引き、楚の勇士を射殺す。3人出てきて3人とも射殺されたモンだから、キレた項羽は自ら乗り出し、ローファンの前に出た。ローファンは、項羽の迫力に弓を引くことができなくなり、陣中に逃げ帰って泣き叫ぶばかり」
A「自分で出るからなぁ、項羽は」
F「はよう前に出ろを騒ぎ立てる項羽に、さすがに劉邦も前に出た。これ以上だんまりだと、士気にも関わるからな。そして、知恵の戦い……つまり、舌先三寸で項羽を翻弄する策に出る。項羽の犯した大罪を10、列挙した」
1 懐王の盟約に背き、劉邦を関中の王にしなかった
2 宋義を殺し自らが上将軍となった
3 趙を救援した後で彭城に戻らず(懐王の命を待たず)勝手に関中に向かった
4 秦の宮殿を焼き始皇帝の陵墓を暴き、財宝を私物化した
5 降伏した子嬰を殺した
6 降伏した秦兵20万を"坑"に処しておきながら、章邯を関中の王にした
7 諸王を追放して将軍を王にした(ために、配下の将軍が叛逆した)
8 懐王を義帝としておきながら彭城から追い出し、楚のみならず韓・梁をも私掠した
9 黥布に義帝を殺させた
10 これら悪行のせいで天下が乱れた
劉邦「これらの悪行ひとつを犯しただけでも、天に背いたに等しいわ! というわけで、ワシは正義の兵をもって賊を討つ! 貴様の相手など、黥布で充分じゃ!」
F「極悪人を討つのには、自分の手を汚すまでもない。刺青者の罪人たる黥布で充分だ……とのこと。本人(広武山にいる)がどう思ったのかは後々見ることにして」
A「……何て云うか、この罪状ってツッコミ入れられるよね?」
F「うん。よく見ると、項羽の立場からは反論できる及び反論したい罪状も挙げられている。まず2だけど、これは自衛のためであると同時に将兵のためである、というのは以前見た通り。項羽の立場から見れば、宋義は必ず殺さねばならなかった。でなきゃ自分が殺されていたのだから」
Y「その意味では、6の前半分も肯定できるな。自衛のために秦兵20万を"坑"した、と云えなくもない」
F「次に、1・6(の後ろ半分)・7・8(の後ろ半分)は、論功行賞の権限が項羽にあるのか懐王(義帝)にあるのかが評価の分かれめだな。項羽が云った通り、実際に戦った項羽や諸侯にこそ権限があるのか、それとも後方にいて血を流しもしなかった懐王に権限があるのか。項羽に論功行賞の権限があるなら、これらは正当化される。……もちろん、劉邦はその権限が懐王にあるとすることで、項羽を意図的におとしめているンだけど」
A「9はどうだ? コレは情状酌量の余地はないと思うが」
Y「いや、放伐論で考えるなら、徳のない王者を討って徳のある者が王になることは、罪と呼べるものではない。降伏したことは見逃せんが、その理論なら5の子嬰殺しや8の前半分・義帝追放も反論できる」
F「3にいたっては論外。そもそも秦を討つのが一般方向だったンだから、趙を救援したからって彭城に戻る必要はないだろう。10は他全てが抗弁できれば除外できる」
A「でも、4番は? 陵墓を暴くのは董卓や曹操もやっていた(曹操は専門官さえ用意していた)から、赤信号の論理(みんなで渡れば怖くない)が通らなくもないンだけど……フォローできないよな」
F「しようか? 儒教的価値観では、敵は死のうが灰になろうが敵であり、存在そのものが許されない。ゆえに、墓を暴いて屍を鞭打つのは、儒教では非道でも何でもない。その理屈なら、宮殿を焼いて陵墓を暴いたのも正当化できる」
A「項羽に儒教をもとめるかな……」
Y「だが、略奪はどうだ? 仮にその財宝を将兵に分配したなら、何とか説得力も出せるが、項羽の吝嗇ぶりは韓信や陳平が云っている通りだぞ」
A「いや、その前に儒教ツッコめよ」
F「まぁ、僕らはそんなこんなと反論できるけど、項羽はそんなモン思い浮かばない。キレた項羽は隠し持っていた弩で劉邦を射抜くンだけど、さすがにブっ倒れたら士気に関わる。そこで劉邦は、胸に当たったのを必死にこらえて『足の指を射抜かれたー!』と負け惜しみをほざいて引き揚げた」
Y「現代人なら、タンスの角に足をぶつけた痛みがどれほどのものか想像がつくンだが」
F「胸を石弓の矢で打たれたら、そんな痛みじゃ済まないと思うぞ? いったん成皐に退いて傷を癒した劉邦は、広武山に戻ってきたンだけど、そこへ韓信の使者がやってきた。斉を統治するために、仮の王になりたいという」
劉邦「ナニ云ってやがりますか、あの野郎はーっ!?」
使者「ぅわ、びっくりした!?」
劉邦「ワシは韓信が助けてくれるのを今か今かと待っているのに、アイツは自立して王になりたいだと!? こんなに苦しんでるのが野郎には判らんのか!」
張良「足の指」
陳平「踏めばいいのかい?」
(左右から、劉邦の足を踏む)
劉邦「ぬおおおおっ!? 項羽に射られた足が、足がっ!?」
張良「(ぼそぼそ)韓信が項羽に寝返ったらどうしますか」
劉邦「ええい、やかましい! 帰って韓信に伝えろ!」
使者「はひっ!?」
劉邦「仮の王なんてケチくさいことは云わん! 正式な斉王となってしまえ!」
F「そんなわけで、韓信は斉王に任じられた」
Y「こういうのを日本語では火事場泥棒と云うンだ。覚えとけ」
A「知ってるよ」
F「そんな斉王のところに、項羽から使者が来た。楚と連合して、漢・斉・楚で天下を三分しようじゃないか、とのお誘いだったけど、韓信は『項羽は私を冷遇したのに、漢王は私を大将軍とし、私の献策を用いてくれている。漢王が私を信頼してくれているのだから、これにそむくことはできない』と突っぱねている」
A「野心はないのか? この男」
F「いや、ある。その辺は後で見るとして、視線を広武山に戻そう。楚軍が疲れ果てているのを見て取った劉邦は、使者を送って項羽に和平を打診した。停戦するから父を返せとでも申し出たのだろうけど、項羽はそれを断る」
A「当然だな」
F「でも次の使者が持ってきた『天下を東西に二分し、和平しましょう』との申し出には、項羽も同意する。約は交わされ、劉邦の父母や妻が劉邦に返された。兵士たちはみな万歳を叫び、この和平を喜んだという」
A「長かった戦いが、ようやく終わった……と?」
F「いや、そうは行かない。張良と陳平は口々に、撤退する楚軍を追撃し、項羽の息の根を止めるべしと進言した。兵は疲れ果て食糧が尽きかかっている今こそ、項羽を討つ絶好の機会だと」
Y「云うコトがさすがだな、テロ軍師は」
F「戦闘態勢を解除して、ようやく故郷に帰れると浮かれていた項羽率いる楚軍は、突然の追撃に慌てたものの、どうしたわけか漢軍の勢いが鈍い。それもそのはずで、劉邦は韓信・彭越にも楚軍を攻撃するよう命じていたのに、ふたりとも来なかったのね。そのせいで項羽の逆撃を受け、漢軍は大打撃をこうむった」
A「韓信、どーしたの?」
F「さすがに、魏・代・趙・燕・斉を平定した状況で、漢の下についているのがいいものかと悩み始めたの。蒯通は『漢と楚の命運は陛下が握っておられます』とか『これほどの功績を立て領土を得ておきながらひとに仕えていては、終わりをまっとうできません』とかけしかけて、漢・楚と斉による三国鼎立を進言していた。章邯の前例を知っていただけに、韓信でもさすがに考え込んだとされている」
A「ぅわ……」
F「彭越も彭越で『漢・楚が互いに潰しあえば、天下はいずれ韓信かワシのものになる……!』とばかりに、梁の地を得るのに執心だった。ために、劉邦の出兵要請には応じなかったンだね。というわけで、まだまだ戦乱の時代は終わらない……かと、思われた。劉邦の思わぬ決断が、次なる転機を生み出すことになるンだけど」
A「あ、そんな分量なのか」
Y「どうぞ」
F「続きは次回の講釈で」