前へ
戻る

漢楚演義 10 漢楚激闘

F「背水の陣で趙軍を打ち破り、趙を平定した韓信は、李左車の進言を容れ、燕に降伏を勧告し、臧茶はこれを受け入れた。北方諸国で残るは斉のみだ」
A「政略的なこともするようになったのか」
F「その後の韓信はすぐに触れるとして、劉邦な。滎陽を脱出した劉邦は、いったん関中に退却するンだけど、もちろん滎陽には帰りたくない。そこで、南の武関から中原に出た。それと知った項羽は滎陽の囲みを緩めて、南方へ向かう」
A「ひと息つけたわけだな」
F「もちろんそのままだと攻め落とされて終わりだろうけど、彭越がそれを許さない。項羽の背後を守る楚軍を打ち破って補給路を翻弄したモンだから、やむなく項羽は彭越を討つべく東方に向かった」
Y「その動きはどうかと思うがなぁ。いつかお前が云ったが、劉邦さえ討てば西方戦線は平定できるンだろ? だったら彭越ごとき放っておくのがベストだろうに」
F「この段階で彭越を放っておいたら、劉邦に負けたかもしれんからなぁ」
A「……彭越って、それくらい危険なのか?」
F「歴史的に云うなら彭越は、劉邦と四つに組んでいる項羽の背後に回って、ドスで背中をグサリと刺して、項羽が振り返ったら逃げる、というのをひたすら繰り返していた。つまり、刺しどころが悪かったら項羽は死んでいた」
A「補給線を叩き壊すのに心血を注いでいた老賊だろ?」
F「……えーっと、彭越、字は仲だから次男坊か。山東の――千年ほど後には、梁山泊と呼ばれる――湖で漁師をしていたが、実際は、その湖を拠点にした湖賊だった。陳勝の蜂起を聞いた若衆から、自分たちも挙兵しようと誘われたものの、時期が悪いと一度は断る。1年後、今度は百人からの若者に乞われて、挙兵するに到った」
A「だいたい陳勝が死んだ辺りか。でも、百人くらいじゃ……」
F「いや、聞け。いざ挙兵に際して彭越は、集合を日の出と定めた。ところが、遅れてくるのが十人以上。中には昼過ぎにようやく来た者もいる。彭越が『年寄りを頭に招いておきながら、その命に従えんとは何事だ。いちばん遅れた奴を斬れ』と癇癪を起こしたので、リーダー格の若者がニヤニヤ笑いながら『はいはいおじいちゃん、これから気をつけますからねー』とあやした。……彭越は、最後に来た男を自ら斬り捨てた」
2人『……!?』
F「このオハナシがナニを意味するのか、判らんお前たちじゃあるまい。孫子の兵法書の著者たる兵聖・孫武が、将の命に従えない者は斬り捨てるという同じことをやっている。彭越は、強固な軍令をもって軍団を統率する才を、持って生まれていたことになる。……はっきり云うが、項羽・劉邦は云うに及ばず、おおよそ韓信をも上回る統率力を、だ」
Y「いや、待て! 確かにある程度の統率力はあったかもしれんが、老賊にそれほどの脅威は……」
F「対秦戦役では劉邦に協力したり諸侯の軍を吸収したりしていて、その軍団は3万近くに膨れ上がっていた。これは漢中王に任じられた劉邦の軍勢とほぼ同規模だ。項羽の論功行賞には漏れたから封地を与えられず、田栄と組んで楚と真っ向勝負に出たのは、以前見た通り。実際に彭越は、項羽との直接対決以外では誰にも負けていない」
A「……えーっと、それほどの用兵家なら、どうして項羽の論功行賞に漏れたのかな」
F「田栄と事前に組んでいたのではないかと思われる。田栄もまた、数多くの武勲を立てていながら、項羽が王にしなかったひとりだ。しかも、その理由は『項梁が章邯との対決を前に援軍を求めたのに、それに応じなかった』からだ。つまり、田栄は項梁の死の一因を担っていたとも云えるが、彭越はそのとばっちりを喰ったような状態で」
A「だから、彭越は項羽との交戦に何の躊躇いも持たなかった……?」
F「経験談を云おう。強大な戦力を向こうに回して、孤軍で戦おうとする者には2種類いる。追いつめられて戦う以外に残された道がない者と、勝つ自信がある者、だ。彭越の戦術スタイルは、項羽以外の武将が来たら叩き潰し、項羽が来たら逃げるというものだった」
Y「中学時代のお前がどっちだったのかは、考えるまでもないからな。……お前と同じ結論だったわけか」
F「生憎と、教職員含めて僕が負ける可能性があったのはひとりだけだったからな。がっこう全部向こうに回しても、そいつが動かない保証があったというコトは、つまり僕が勝つ保証があったワケだ。事実、僕も彭越も、勝った」
A「……待て。彭越はともかくお前は、勝ったと云い切っていいのか?」
F「先に手を出してきたのは上級生であり同級生である。つまり、僕は守備側で、連中は侵略者だ。これはいいな?」
A「……まぁ、いい」
F「となれば、連中の勝利条件は、僕の降伏か死亡か逃走。具体的には、僕が残る腕を切り落として連中に忠誠を誓うか、自殺するか、転校するか。対して僕の勝利条件はこの逆で、降伏せず自殺せず転校せず、最後までがっこうに残ること。がっこうが僕を迫害してきた原因は、上級生に挨拶しなかったのをリンチに来た連中を返り討ちにしたことだが、抗争1年後には、上級生への挨拶の制度はなくなっていたぞ」
A「……絵に描いたような返り討ちか」
F「ちなみに、僕の出た中学校には、皆勤賞はない。無欠席でもがっこうは一切報奨しないンだけど、それは僕の卒業の年からだった。どんなものであったとしても、僕を賞したくなかったからで、その証拠に教務主任は僕の妹に向かって『下の兄みたいにはなるな』と云っている。なお、妹と教務主任には肉体関係があった」
A「……新潟の教育界は、存在していていいのか?」
Y「俺もそれは疑問に思う。この勇者を世に送り出した罪で、日本を滅ぼしてもいいとさえ思っているくらいだ」
F「それをヤるなら、僕の眼の前で僕の親兄妹を殺し尽くしてからにしてくれ。話を戻そう。彭越の活躍によって楚の補給線は壊滅したため、項羽は自ら彭越を討つべく出陣。この隙に劉邦は北上して、成皐城に立てこもった」
Y「滎陽の近くだな」
F「彭越を破った(本人はもちろん逃走)項羽は、劉邦が戻ったと聞くと慌てて引き返し、今度こそ滎陽城を攻め落とした。留守居の将は死に、韓王の信も捕らえられる。そして、成皐城を包囲した」
Y「西から南、東に移ってはまた西……忙しいな?」
F「そういうレベルじゃないンだがな。包囲された劉邦は、またしても脱出。夏侯嬰ひとりを連れて城から逃げた」
A「どこへ? 関中の兵を連れて成皐に来たのに、まだ他に兵がいるのか?」
F「北に」
Y「……あぁ、韓信と合流するのか」
F「いや、さらにタチが悪い。夜営していた韓信の陣に使者と名乗って入り込むと、寝ている韓信から将軍の印を奪って『この軍はワシが掌握したー!』とおもむろに宣言する。寝ていた韓信も張耳も、これにはなすすべがなかった」
Y「刺客だったら笑えない事態になっていたな」
A「いや……ていうか、それ笑えないオハナシなんだけど……」
Y「ナニが」
A「だって、自軍の兵にも、劉邦の顔が知られていなかったってコトだよ……」

F「追いつかれても『ワシらは、お子様たちを回収に来たモンですじゃ! 劉邦サマなんかじゃねーですじゃ!』とか何とか云えば、助かったかもしれない。下級兵士まで劉邦の顔が知れ渡っていたのか、ちょっと疑問だし」(8より)

Y「(ぽんっ)あぁ……なるほど、その通りなのか」
A「がくがくぶるぶるがくがくぶるぶる……」
F「聞いてたのか? オレが云いだしたことだから、フォローはしないでおくが。とりあえず張耳を趙王に封じ、韓信をその宰相にして、兵だけ取り上げて追い払った劉邦は、現地で陣を構えた。成皐から他の武将たちも次第に集まってくる。兵力に余裕ができた劉邦は、自らの腹心と頼む盧綰に2万からの兵を与えて、別働隊として楚に攻め込ませた」
Y「やっと出たな」
F「この盧綰、劉邦と同じ年同じ月同じ日に生まれている。占星術で云うアストロツインという奴だな。生年月日でそのひとの運命を占うのが占星術だから、同じ年月日に生まれるというのは大きな意味を持つわけだ」
Y「あまり優秀な武将ではないようで、今まで出てこなかったけどな」
F「何らかの形で劉邦の代理が必要な場合、この男を使っていたンじゃないかと思われる。基本的に家族を信用していなかった劉邦は、たとえば曹操なら曹植を送り込もうとしたこの局面で、この男を使ったワケだから」
Y「……へんな表現だな?」
A「つーか、あのポエットを戦場に送ってどうする?」
F「いずれ『私釈』で触れるネタだ。再起した彭越は得意のゲリラ戦で項羽の後方を脅かし、また、漢軍の別働隊と合流して大きな戦果を挙げた。放っておけず項羽は東に向かい、彭越を破るも本人は取り逃がす。文字通りのいたちごっこが東方で展開されているなか、劉邦は成皐を奪還すると、広武山の食糧庫を確保した」
A「一進一退……かな?」
F「さて、北に眼を転じる。劉邦に兵を奪われて、ほとんど裸一貫で放り出された韓信(張耳は、趙の統治に残った)は、やむなく兵を集めなおして斉に向かった。……えーっと、当時の斉の支配者は誰だ?」
Y「判りにくいというか、まるで判らんからなぁ。最後に見たのは田横と田広だが」
F「あぁ、田広だ。斉王は田広。えーっと、黄河を渡ろうとした韓信に、細作がとんでもない情報をもたらした。功を焦った酈食其が、韓信に無断で田広と面会し、漢に降伏するよう口説いていたのね。そして、あろうことか田広はそれを受け入れて、各地に武装解除を命じていた」
A「何でそんなコトしでかすかな、このおじいちゃんは?」
F「以前酈食其は、劉邦にこんな進言をしている」

酈食其「項羽から諸侯を引き剥がすために、戦国時代の六国の子孫を探し出し、王に立てましょう」
劉邦「おう、それは名案! よし、さっそく玉璽を作ろう」
張良「お待ちなさい、陛下! そんなことしたら、天下は陛下の手には入りませんよ!」
酈食其「ナニを云うか、この若僧は!?」
張良「そんなコトをしたら私でさえ、陛下の下を離れて韓に戻るでしょう。陛下は誰と天下を盗るおつもりです?」
劉邦「……ごめん、今のナシ」

F「戦国七雄のうち楚を除く六国の王を立てるのは、味方を分散することになり、六国が全て漢に都合のいい動きをするとも限らない。張良はそう読んだのね。劉邦の決定で処置ナシにはなったけど、酈食其の面目は丸潰れ」
Y「策としては悪くはないと思うがな。項梁だって、楚の王族を立てただろう?」
A「ヤス、ヤス? その項梁がどうなって、立てた王がどうなったのか、忘れたの?」
Y「……済まん、俺が間違ってた」
F「おじいちゃん同士、酈食其と范増は、同じボケをかましたンだね。というわけで汚名挽回のために酈食其は、舌先三寸で斉を降伏させるという大手柄を挙げたンだけど」
A「名誉挽回、もしくは汚名回復」
F「いや、コレでいいンだ。この頃韓信の幕下に入った蒯通が『陛下自らわざわざおいでになって、大将軍に斉を討てと命じられたのですから、陛下の詔がなければ進軍をやめるわけにはいかんでしょう』とけしかけた。韓信率いる軍勢は黄河を渡り、武装解除していた城市を攻略。これに怒った田広は、酈食其を『韓信をやめさせろ!』と脅迫するンだけど『お前のために動かす舌はないわ!』と突っぱねて、結局酈食其は釜茹でになった」
A「……石川や、浜の真砂は尽きるとも、世にバカ者の種は尽きまじ」
F「あなかしこあなかしこ。困ってばかりもいられず田広は、ついに禁断のカードを切った。項羽に援軍を求めたところ、やってきたのは"プチ項羽"こと竜且。かつて黥布をも破った剛の者で、楚軍の竜虎と鍾離眛と並び称されていた」
A「兵力は?」
F「20万と豪語。つまり、援軍要請をいいことに、一気に斉を平定し、北方諸国を奪回しようと企んだワケだ。意気上がる竜且の軍勢と、韓信は川を挟んで対峙した。水深は浅く、馬でも渡れないことはないくらい。まず韓信軍が川を渡り、竜且軍と激突。数に優る竜且軍が次第に押し返し、韓信軍は川を渡って撤退する」
Y「……で、これが罠か」
F「うむ。1万からの別働隊が上流を堰き止めていて、そのせいで水深が浅かったのね。それとは知らない竜且は『韓信を捕らえ、オレの股をくぐらせてやるぞ!』と、先頭に立って追いかけるンだけど、竜且の軍勢が川を渡りきらないうちに、別働隊が堰を切る。押し寄せた濁流に兵は流され、命からがら対岸にたどりついた兵は、引き返してきた韓信の兵に次々と殺されていく。竜且もさすがに一端の将で、懸命に抵抗するンだけど、ついに力尽き、討たれた」
A「韓信は神か、魔王か?」
F「伝説だろうな。竜且には、韓信が臆病者という思い込みがあり、そのせいでひとつの重要な案件を意識していなかった。韓信は、水を使う。章邯を水責めにし、豹を木甕で捕らえ、陳余を背水の陣で打ち破った韓信を相手に、水辺で戦おうとしたのが失敗だな。……というわけで、斉は韓信の支配下に落ちた(斉王は逃亡)」
A「楚の猛将をも打ち破り、北方を平定したことになるな。……凄まじい大功だぞ」
F「韓信のオハナシは次回も続くので、今回はこれくらいにしておいて。えーっと、そうと知らない項羽は、西方戦線に舞い戻った。広武山の大食糧庫を奪われて、お怒りモードの項羽だけど、怒ってばかりではいられない。広武山を囲むンだけど、もちろん彭越が復活して、楚軍の背後でゲリラ戦を展開する」
Y「腹が減っては戦にならず……だな」
F「ここに、実に奇妙な戦況が発生する。広武山を包囲している項羽の楚軍の方が食糧不足で餓えていて、包囲されている劉邦の漢軍は食糧がたっぷりある、というワケの判らない事態だ。本来、篭城戦は援軍が期待できるときにするものなんだけど、韓信・彭越・盧綰らの別働隊は、各地で激戦を展開している」
A「嫌でも長期戦にもつれ込むな、これは」
Y「いや、食料がないなら短期決戦に出たいところだろう」
F「続きは次回の講釈で」

津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
【真・恋姫†無双】応援中!
進む
戻る