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漢楚演義 09 国士無双

F「というわけで、一部の皆様にはお待たせいたしました! 中国史上最強の名将、韓信の出陣ですー!」
A「誰がそんなに待ちわびたンだ?」
F「オレ。えーっと、豹を討つべく別働隊として派遣されたのは前回見た通りだけど、とりあえず、最初から見ていこう。韓信の出自ははっきりしていない。若い頃は諸国を放浪していたらしい」
A「生まれながらの名族ではなかった、と?」
F「戦術分野には天才はいても秀才はいないぞ? 努力や生まれより、天賦の才が絶対なんだ。ともあれ、史記には韓信の、若かりし日のエピソードがみっつ掲載されている。まず、地方の亭長のところに居候していたンだけど、カミさんとおりあいが悪くて、カミさんはごはんを出さなくなった。それを察した韓信は、亭長のもとから去った」
A「諦めはいいってコトか」
F「出たはいいけどごはんがない韓信が、城下で釣りをしていたところ、その辺りで洗濯をしていたおばあちゃんがごはんをくれた。そんなコトが数十日続く」
A「おいおい……」
F「喜んだ韓信は『いつか恩返しするよ』と云ったものの、おばあちゃんは『若いモンがおなかを空かせているのが気の毒だっただけだよ。誰がお礼なんてほしがるかね』としかりつけたという」
A「恩には報いようとする姿勢が見えるワケか」
F「さてある日、街中で韓信に因縁をつけてきた者がいた。図体はでかいし剣をぶら下げて歩いていたから、気に入らなかったらしい。その剣で自分を刺してみろ、できないなら股をくぐってみろ、と云いだした」
Y「昔、お前が臆病でないなら3階から飛び降りてみろと、コイツに云ったバカがいたンだが」
A「俺には判る。そいつはバカだが臆病ではない。真のバカ野郎だが。……それで?」
Y「そいつの足をつかんで、3階の窓から逆さ吊りにした」
A「やめさせろ!」
Y「あぁ、やめろと云われたコイツはすぐにやめたよ。その場で手を離すと、そのまま窓から飛び降りた」
A「……どうなった?」
Y「やめろと云われたからやめた、飛び降りろと云われたから飛び降りた。逆さ吊りにしたのがまずいなら、そもそも飛び降りさせたことが悪い。つまり、コイツのやったことそのものを責めるのは難しいワケだ。コイツを責めるなら、先に責めるべき奴がいるンだから。がっこうとしては、ただの事故だったと処理するしかなかった」
A「警察沙汰にはできたと思うンだけど……」
Y「なって困るのはどっちだと思ってる?」
F「はいはい、それくらいにしておきなさいアンタたち。韓信は、そいつをじっと見つめてから、黙って股をくぐったとか。町のヒトはみんなで韓信を臆病者と罵った」
A「自重したわけか。つまらん野郎に関わって、いらん騒動を起こしたくない、と」
F「こういう野郎はつけあがるから、背骨のひとつもへし折ってやるのが筋だと思うンだけどなぁ」
A「……折れたのか?」
F「しつこいなぁ。鍾離眛と知りあいだったらしい韓信は、項梁を経て項羽に仕えるに到った。ところが、項羽は韓信を重用しようとしない。そこで韓信は、劉邦のもとに走った。例の、漢中入りに際してだが」
A「3万だかの兵の中にいたわけか」
F「走ったはいいが罪に連座して処刑されることになった。他の13人はバタバタと斬られていったけど、韓信は、自分の番が来たときに『天下がほしいなら、自分を殺してどうするのか』と口にし、処刑を担当していた夏侯嬰が興味を持った。話してみるとなるほど聡明な人物なので、夏侯嬰は蕭何に、蕭何は劉邦に、韓信を推挙するンだけど、肝心の劉邦が韓信の価値を見い出せずに、食糧官につけただけ。ここも自分の居場所ではないと判断した韓信が逃亡して、蕭何に連れ戻されたのは先に見た通りだ」
A「で、大将軍に任命された、と」
F「劉邦は、韓信に天下を盗る策を求めるンだけど、韓信は『陛下と項羽はどちらが上でしょう』と問い返した」

劉邦「そりゃ、ワシが項羽に敵うはずがないだろう。アレのが上さ」
韓信「でしょうな、私もそう思います」
劉邦「ブっ殺すぞ?」
韓信「ですが、項羽に仕えた私に云わせれば、アレは怒って暴れるだけの匹夫の勇にして、財土を惜しむ婦人の仁。義帝との盟約に背いて陛下を左遷し、諸王を遠ざけ気に入った者を王に取り立てた、不公平な男です。確かに項羽が通るところには草木も生えなくなるでしょうが、天下の民心を得られぬ、もろい強さです」
劉邦「難しいことは判らんが……では、ワシはどうしたらいいのかな」
韓信「項羽の逆をやればいいのです。将兵を信頼して封地を与え、正義を旗頭に戦えば、必ずや天下を盗れましょう。函谷関の向こうに帰りたいという兵の気持ちを利用すれば、東へ向かうことは困難ではありません」
劉邦「だが、中原に向かうには関中を抜かねばならんぞ」
韓信「関中の王が誰かお忘れですか。秦の兵を率いては多くの兵を死なせ、秦に背いて項羽に降り、挙げ句の果てに兵たちを"坑"に処し、自分たちだけで生き残った章邯らではありませんか。秦の人々は章邯らを憎んでいるのに、項羽は強引に彼らを王にしました。対して陛下は武関を抜いて以来、民に危害を加えず、秦の法から解放したではありませんか。これは、項羽が陛下に『関中を与える』と云っているようなものです」
劉邦「悔しいな……どうやらワシは、お前をもっと早く取り上げておくべきだったようだ」

F「かくして、劉邦は攻勢に転じた。ある程度の快進撃を続けたものの、初心――項羽みたいな悪逆はしないように、という韓信の進言――を忘れたばっかりに、彭城で大敗を喫したのは前回見た通りだ」
A「そこからどう挽回するのか、だな」
F「劉邦が『函谷関の東は全部やるから、誰か何とかしてくれ!』と泣き言をほざいたところ、張良が『黥布は楚の猛将ですが、項羽とは不仲。彭越は梁で項羽と戦いました。このふたりと連絡を取るべきでしょう。陛下の配下では唯一韓信だけが、この大局を任せられます。関東をひとにくれてやると仰るなら、この3人に与えれば、楚を破れましょう』と進言したのね。というわけで、黥布を寝返らせたのは前回見た通り。そして、韓信は豹を討つべく出陣する」
A「魏討伐って聞くと、なんか心躍るモノがあるンだが」
F「三国志演義の読みすぎだ。酈食其を追い返した時点で、劉邦が軍を派遣してくるのは覚悟していたようで、豹は黄河の渡河地点に防衛戦を構築していた。そこで韓信は、木の甕を組んで上に板を渡した簡易のいかだで豹の背後に回り、そこから本拠地を攻撃し、豹を捕らえている」
A「相手の隙を突いたワケか」
F「劉邦は漢中から関中に攻め入るとき、桟道を修復してそちらに章邯らの意識を向けさせ、山中の道を抜けているけど、基本的にはそれと同じ策だな。相手が防御を固めているなら、それにぶつからず、防御していない場所を攻める。戦術としてはそれほど奇抜なものではないが、そもそも戦術とは保守的なものだと以前述べてある」
Y「『私釈』の27回な」
F「韓信があっさり魏を平定したのに気をよくした劉邦は、もちろん韓信を褒めるンだけど、悪びれもせずに『3万の兵を貸していただければ、趙・燕・斉も攻略してみせましょう』と豪語する。先の張良の進言もあって、劉邦は韓信に北方の全権を委ねた。ただし、趙の内情に詳しい張耳こそつけてやったものの、与えた兵は2万だった」
A「おっ、いよいよだな」
F「中国史上……というか、世界戦史上に名高き戦術の極、背水の陣のお時間がやってきたワケだ。えーっと、2万からの兵を率いて韓信は、まず代を討って足がかりとした。現地で兵力を補充はしたが、3万には届かなかったらしい。迎える趙の軍勢は20万を数え、かつて始皇帝が求めたほどの切れ者・陳余を、用兵家として高い評価を得ていた李左車が補佐している。その李左車の諜報網に、韓信の動きが入ってきていた。河北に出るには河を渡り、井陘口という間道を抜けなければならない。そこで陳余は、井陘の出口に砦を築いて迎撃することにしたンだけど」

李左車「井陘は狭いですから、陣容は長くなり、物資は後方に残されるでしょう。将軍はここを守っていてください。私が後方に回って背後から攻撃しますから。食糧を奪ってから、挟み撃ちにすれば必勝間違いなしです」
陳余「ナニを云うか。兵書に『10倍なら囲み、倍なら戦う』とある。こちらは圧倒的に優勢なのだから、そんな連中と正面から戦わねば、天下諸侯に卑怯者と嘲られようぞ」
 ――将聴吾計用之必勝留之 将不聴吾計用之必敗去之
細作「だそうです」
韓信「よし、それなら勝ったも同然。全軍に通達。陳余を討ってからメシにするぞ」
張耳「……本気か?」

F「韓信は、全軍を3つに分けた。まず、河を渡ってそこに陣を設ける守備隊(兵1万)。明記はないが、おそらくは、章邯をも防ぎきった張耳が指揮をとったと思われる。次に、間道を通って趙の砦に向かう軽騎兵(兵2千)。これには、全員に1本ずつ、漢軍の赤旗を持たせている。そして、韓信率いる本隊(残り)だ」
Y「毎度おなじみ『三国志X事典』で、興味深い記述があったな。陳余は韓信を狙うから、守備隊は攻撃されないだろうと安心する。軽騎兵は敵と戦闘しない。本隊は、後方に陣地があるし大将がいるンだから、何となく安心できる。要するに、兵たちは安心して戦えた、と」
F「兵はな。将軍クラスでは韓信の『勝ってからごはん』発言を、本気にした奴はいなかったとあるから、余裕があったのかは疑わしいぞ。さて、そんなわけで韓信率いる本隊が、趙の砦に迫ってきた。敵は兵法を知らん……と嘲って、砦を趙王(来ていた)に任せ、陳余は出陣する」
A「……まぁ、数を云うなら戦闘にならんだろうね」
F「確かに圧倒的な不利で、韓信は退却を命じた。この機を逃すなとばかりに、趙軍20万がそっくり出撃し、韓信を追いかける。守備隊が築いていた陣地に駆け込んだ韓信は、合流して趙軍を迎え撃った。背後は川で、これ以上逃げる場所はない。逃げられないならと開き直った韓信軍は、全軍が必死の覚悟で戦うのに対し、趙軍は狭い井陘の地形に動きを制限されてしまう。ひと呑みにしようとしたネズミが、窮鼠となって噛みついて来る――しかも、この窮鼠は韓信の指揮で統制のとれた動きをする――ので、陳余でもさすがに持て余し、いったん兵を退こうとした」
A「だが、砦まで引き返してきた趙軍が見たのは、翻る漢の赤い旗だった!」
F「間道を抜けた別働隊は、すっかり軽くなった砦を奪い、持ってきた旗を立てまくっていたンだね。コレに趙軍は驚愕して、大軍が砦を奪ったと思い込み、パニックに陥る。機を逃す韓信ではなかった。趙軍を散々に打ち破る」
Y「戦史に名高き背水の陣、だな」
F「兵法の常道で云うなら、川を背にするのは邪道に等しい――逃げる場所がなくなるワケだから。なぜそんな陣を敷いたのですかと訊ねる将軍たちに、韓信は(ごはんを喰いながら)応えている」

 ――兵法には『死地に追い込んではじめて兵は必死になる』ともあるだろうが。私は新参者なのに大将軍の地位にあり、あまり周りからは認められていない。だから、生きる余地を亡くすことで、兵に云うことを聞かせたわけさ。

F「このとき、はじめて将軍たちは、韓信に心服したという」
A「味方の裏をかいたわけか……」
F「ひとをだますには裏の裏の裏の裏をかくのがいいんだがなぁ。味方もだまされるくらいなら確実だ」
A「……それ、表じゃないか?」
F「陳余は捕らえられ、張耳の命で斬り捨てられた。趙王もとらわれの身になった。李左車はいったんは逃げ延びたものの、韓信必死の捜索に捕らえられる。ところが、どうしたわけか韓信は、この男を軍師に雇いいれ、そばに置いて重用した。実際、韓信は戦術・戦略には強いが、政治的なことにはあまり通じていない。大規模な政略眼を有し、将としても有用な李左車を配下に加えたのは、韓信の北伐においては極めて大きなことだったンだね」
Y「とりあえずツッコんどくが、お前が陳余ならどうした?」
F「んー……兵書に書いてある通り、包囲戦術に出る。つーか、陳余は自分で『10倍なら囲み』云々と口走っていながら実行しなかったから負けたンだぞ。20万の兵があるなら、10万を砦に残して、さらに半分に分けて攻撃する。李左車は3万で韓信の背後に回ると進言したが、僕が陳余なら5万を与えた」
A「韓信の全軍が3万に満たないなら、5万あれば有利に戦えるモンな」
F「まぁ、これでも勝てるかは疑わしいが。趙がそう動いたとしても、僕で思いつく対抗策を、韓信が気づかないとは思えない。……勝率は高く見て5割かな」
Y「……悪ィ。俺、その策にどう対抗すればいいのか想像もつかん」
A「えーっと……あと2万あればどうにかできると思うンだけど、その兵力じゃ、5万ずつの兵に前後から挟撃されてなお勝てる策って、思いつかないよ?」
F「だから、韓信は事前に『勝った』と宣言したンだね。たぶん、李左車の進言が採用されていても、勝てるだけの策は擁していたはずだよ」
A「……少なくとも、陳余では思いつかない策か」
F「かくて、趙軍20万を打ち破り、趙をも平定した韓信は、稀代の名将としての名声を得る。そして、この戦いで見せた『背水の陣』は、韓信の死後2千年以上を経て、なお戦史上に君臨しているのだった」
A「まさしく国士無双……か」
F「続きは次回の講釈で」

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