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漢楚演義 08 漢楚激突

F「前回述べなかったけど、廃丘を包囲した頃、張良が劉邦に合流している」
A「韓の宰相じゃなかったのか?」
F「その韓王の成が、項羽の元に留めおかれたンだ。劉邦と張良の関係は天下に知られていたから、人質みたいな扱いだな。張良は韓で、劉邦と連絡を取りつつも、項羽に成を帰すよう書状を送り続けていたンだけど、項羽はそれを許さず、北方への出陣に際して、ついに殺している」
Y「それほど間違った判断じゃないと思うが」
F「いや、大間違いだ。何しろ、それによって、張良の個人的な恨みを買ったワケだから」
A「……大陸天下を制した始皇帝に向かって、ハンマー投げつける鬼謀の軍師の、か」
F「張良が、始皇帝を殺そうとしたのも、小勢とはいえ自分で兵を集めたのも、項梁を説き伏せて成を韓の王にしたのも、劉邦に従って関中入りしたのも、全ては韓の復興のためだった。それなのに、嗚呼それなのに、項羽は成を殺っちまったのみならず、配下を韓王にしたてあげたワケだから、張良の怒りは納まらない。劉邦の元に走ったのだった」
A「気持ちと理屈は判るな……」
F「ひょっとして荊軻が待っていた友って、張良のことじゃないかとさえ思えるな。また、趙で陳余に破れた張耳も、同じく劉邦の元に駆け込んでいる」
A「おー、続々と人材は集まってきてる」
F「さて。項羽が彭城に楚の都をおいたのは先に見た。ただし、ここに懐王……もとい、義帝はいない。項羽は彭城に入るとすぐに、懐王に遷都を強要したンだね。古来より、王者の在るべきところは大江のほとりとされてきた、義帝は長沙に遷るべし、と」
A「えーっと、黄忠さんの任地だよな? 確か出身は北荊州だったと思うけど」
F「荊州の南部は俗に荊蛮とも云われていて、異民族……まぁ、この頃はまだ漢民族という意識もなかったンだけど、そーいう民族も多く住んでいたンだ。馬良が口説いたシャモーコは武陵の出自だし。ために、そんな僻地には行きたくないと(当然)云うンだけど、すでに宋義は亡く、劉邦も漢中に流されていては、逆らうことはできなかった」
A「……でも、長沙にたどりつくこともできなかった」
F「黥布に命じて、江上で斬ったとされている。実行者は別の将との説もあるが、事態の性質からして、間違いなく黥布だろうな。それと知った劉邦は、3日に渡って哭礼(泣き叫ぶこと)したとされている」
Y「格好の口実を与えたような状態だな」
F「各地の諸王・侯に『義帝を南方に追いやり、挙げ句殺した項羽を許すな! みんなで殺れば怖くない!』との檄文を送って、反項羽連合軍を結成した。降伏していた司馬欣たちや、張良が擁立した韓王の信、国替えで項羽を憎んでいた西魏王の豹がこれに応じ、劉邦の元に馳せ参じている。中には『張耳を殺せば協力するぞ』と発言した者もいるが」
A「そこまで嫌わなくてもよかろうに……」
F「似たような老人を探してきて殺し、その首級を送ったところ、陳余は喜んで、趙を挙げて兵を派遣している。膨れ上がった総兵力は、実に56万」
A「……えーっと、想像もつかない数字じゃね?」
F「紀元前の戦争で、そこまでの兵力が動員されるというのは正直考えにくい……な。統率が取れなくなるのは眼に見えてる。現に、この軍隊はほとんど統制が取れず、彭城に攻め入ったところ放火・略奪・レイプをやりたいほーだいだったというからねぇ」
A「ダメじゃん」
F「劉邦は劉邦で、彭城……いちおう、項羽の本拠地だったワケだから、そこを陥として上機嫌になってしまい、諸侯を集めて連日大宴会を催していた。すでに天下を盗ったように思い込んだンだね」
A「アホだな。……で、項羽は?」
F「斉で苦戦していた」
A「意外ですねっ!?」
F「えーっと、項羽率いる軍勢が攻め入った斉で、田栄はやっとこ抵抗していたンだけど、やはりと云うか当然と云うか負けて、敗走したところで民衆に殺されている。民に殺されたというコトは、民衆の支持を得られず、見放されていたワケだ。それなら民衆に罪はないのに、項羽は怒り狂って、降伏した兵はいつもの"坑"に処して、女子供年寄りは奴隷に売り払った。……云うまでもないだろうが、降伏したら殺されるなら、抵抗しないバカはいない」
Y「経験者は語る」
A「……前回やらなかったと思ったら、今回はあるンか? 雪男さんの坑儒コーナーが」
F「どんなコーナーだ? いや、まぁ……若い頃の実体験はあるかな。オレ、中学校時代に上級生と全面抗争してたンだけど、連中に屈服したら、殺されなくても残る腕くらいは亡くしてたかもしれんのだよ。でも、実際にはこの通り、片腕だけだが残ってるだろ」
Y「戦えば確実に勝つ保証がある、降伏すれば殺される。それなら戦わないバカがどこにいる……と、当時コイツは、三妹にだけ漏らしている。実際に勝ったのが、コイツのコイツたる所以だな」
A「ナニがあったのか、聞きたいような聞きたくないような、聞くわけにはいかないような……」
F「まぁ、昔話はこれくらいにしておいて。というわけで、斉の民衆は項羽に対抗した。旗頭になったのは田栄の弟の田横と、息子の田広。数万からの軍勢に膨れ上がった斉軍は、項羽と互角の戦闘を繰り広げた。いつぞや触れた通り、この地は精兵の産地だ。そのせいで、楚軍の主力は斉から離れられず、劉邦率いる諸侯軍は進軍できたワケだけど」
A「でも、本拠地を攻め落とされたら、さすがに放ってはおけんだろう?」
F「そゆこと。配下に斉での戦闘を委ねると、三万の精鋭だけを引き連れて、魯を経由して彭城へと駆け戻った。夜の明けきらない早朝、56万からの軍勢に、項羽を先頭に斬りこんで行く」
A「マトモな状況なら、戦闘にならんだろうな」
F「その台詞が通用するのは、条件が五分の状況だけだぞ。将兵挙げての略奪行脚におぼれ、数を頼りにだらけきった軍勢なら、いくら多くても項羽率いる精鋭に勝てるはずがない。寡兵もて多勢を破るは中国兵法の基本だしな」
Y「現にコイツは、親兄妹含む地元住民までまとめて敵に回したのに、たったふたりで勝っている」
F「だから、その話は……まぁいいが。昼過ぎには諸侯軍は全面敗走し、三十万近くが殺され、川は死体でせき止められたという。折からの突風に助けられ、劉邦はわずかな兵のみを引き連れて逃走した」
A「項羽の大勝利だ♪」
F「敗走の最中、張耳が生きていると知った陳余は、掌を返して劉邦を攻める側に回った。司馬欣ともうひとりも項羽に再び寝返ろうとしたけど、さすがに許されずに殺されている。……要するに、この時点での劉邦の人望なんて、そんなモンだったワケだな」
A「義帝の仇討ちって大義名分を忘れて、酒色におぼれたからだよ」
F「もうひとつ、項羽を甘く見ていたのが挙げられるがな。さて、逃げた劉邦はナニを血迷ったのか沛に向かって、家族を連れてこようとした。でも、項羽の追撃にあい、沛にたどりついた頃には、すでに家族は散り散りになっていた。諦めて逃走を再開すると、偶然にも息子と娘に出くわす」
A「……来たな」
F「ふたりを馬車(に乗っていた)に乗せるものの、楚の騎兵がうしろに迫って来ていた。先を急ぐ劉邦は、子供を馬車から蹴落とした。慌てた御者の夏侯嬰(ちなみに、曹操のご先祖サマ)は『いくら逃げるのに邪魔でも、子供を捨てるとは何事ですか!』と、馬車から飛び降りてふたりを拾うものの、劉邦はまたしても蹴落とす。拾っては蹴落としが三度続くと、さすがに劉邦は剣を抜いて『いらんことすんじゃねー!』と叫んだという。なお、史記において劉邦が剣を抜いたのは、このシーンと冒頭の蛇殺しの場面のみ」
A「しかし、まぁ……蹴落とすくらいなら、何で家族を連れに行くのやら」
F「耳をふさいでおくか?」
A「……え?」
F「考えてみよう。確かに劉邦は漢王で、漢軍のトップだが、もともとは沛の百姓だ。儒教がどうの孝行がこうのが、理解できていたのか判ったモンじゃない。となれば……」
A「はい、ふさぎます! 凄まじく嫌な予感がした! ぎゅっ!」
F「よし。この時、追っ手は確かに迫っていた。もちろん狙いは劉邦の首級だが、そもそも家族を連れに行ったのは明白なんだから、その家族も目標には入っている。事実、父や妻は捕らえられているンだから。……では、この時馬車から子供たちを蹴落としたのは、本当に、夏侯嬰が云うように『逃げるのに邪魔で』だったのか」
Y「……つまり、アレか。ガキどもを騎兵隊の前に放り投げることで、意識をそっちに逸らして、自分だけは助かろうというハラだった、と?」
F「追いつかれても『ワシらは、お子様たちを回収に来たモンですじゃ! 劉邦サマなんかじゃねーですじゃ!』とか何とか云えば、助かったかもしれない。下級兵士まで劉邦の顔が知れ渡っていたのか、ちょっと疑問だし」
Y「つーコトは、親も……」
F「儒教にのっとって考えるなら、子供より親の方が、人質としては価値があるだろう? 日本の強盗は子供を人質にするが、中国の強盗は親を人質にする……とどっかで読んだ記憶がある」
Y「……アキラ、もういいぞ。はい、続き」
F「ンむ。滎陽という城に駆け込んだ劉邦のもとに、敗残軍が続々と集まってきたけど、すでに諸侯の大半は離反していた。ちなみに、水責めに屈した章邯が廃丘で自刎したのは、正確にはこの頃らしい。関中を蕭何に任せて自身は滎陽に踏みとどまり、項羽と相対しつつ、策を運らせる。まずは、黥布の離反を誘った」
A「どうして、項梁時代から仕えていた重鎮が、あっさり劉邦についたのかが判らんのだが……」
F「心情的には説明できるぞ。黥布は、鉅鹿で先陣を張り、秦兵20万を皆殺しにし、函谷関を抜き、義帝を殺している。項羽の果たしてきたこれまでのどんな戦場でも、黥布は楚軍の先頭にいた。それはなぜか」
A「耳ふさぎよーいっ!」
F「いや、大丈夫だから、こっちは。黥布は、そもそも項羽ではなく項梁の元に馳せ参じた武将だぞ。項羽をどう見ていたのかは、実際判ったモンじゃないンだ。項羽の側でも、黥布の忠誠心がどれほどのものか試そうとして、いちばん危険な戦場や汚れ役をあてがっていたのかもしれない」
Y「連中に屈服したら、殺されなくても……か」
A「ここでつながったー!?」
F「黥布は、内心項羽にうんざりしていたのかもしれない。項羽の領地の半分を与えられてもおかしくないのに、実際に得たのは故郷の地とその周辺だけだ。それでもようやく項羽の直轄下からは抜け出せて、ひと息つけたと思ったら、今度は斉への出兵要請――もちろん、先陣を切れと命じてきたはず、だ。これに応じるようなら、心が広いというよりは、むしろ頭のネジがダース単位でずれてるとしか云いようがないぞ」
A「……そこへ、劉邦から寝返りの誘いが来た?」
F「さすがに躊躇ったものの、ついに黥布は項羽との決別を決意。六で兵を挙げたものの、攻め寄せた楚の竜且に破れて、劉邦のもとに駆け込んでいる」
A「よく考えたら、これまた敗残兵じゃないか……」
F「とりあえず、反撃じみたことは始めるンだよ。黥布以外にも、豹(滎陽までは来たものの、逃げた)を説得するため酈食其を派遣したものの失敗。改めて韓信を送り、豹を捕らえ、現地を制圧した。張耳もつけて大規模な別働隊を編成し、北方諸国の制圧に向かわせたンだけど、その活躍ぶりは次回『9 国士無双』で詳細に触れるので」
Y「書きたくて仕方ないって形相だな」
F「さて、黥布が合流した滎陽だけど、食料が不足してきた。そこで劉邦は、項羽に『ここから西を領土としてくれれば、二度と逆らいません!』と申し出るンだけど、范増がもちろん反対する。この機に乗じて劉邦の息の根を止めてしまえ! とおじいちゃんが息巻くモンだから、劉邦はついに陳平を実戦投入した」
Y「……ん? そいつ、楚の武将じゃなかったのか? 確か鴻門の会ではそっち側だったと思うが」
F「項羽の逆鱗に触れて、劉邦のところに逃げ込んでいたンだよ。陳平は云う」

 ――項王は礼儀正しいのですが、ひとを信じることができず、自分か妻の一族しか信じません。功績を立てた者でもいざ褒賞するとなると財土を惜しむので、人心を得ることはできません。陛下は傲慢で無礼ですが財を惜しむことはされませんので、足して二で割ればちょうどいいのですが。
 項王の下には范増・鍾離眛・竜且・周殷といった武将はおりますが、それら以外はみな小物。彼らさえ除いてしまえば勝てるでしょう。間諜を用いて百金をバラまき、項羽との関係を裂いてしまえば、項羽が彼らを殺してくれます。
 ですから、お金をください! たくさん!

F「金子四万斤を用意された陳平は、それをバラまいて『范増や鍾離眛たちは、王になるため劉邦と通じている』という噂を流す。これを真に受けた項羽は、様子を探ろうと劉邦の陣に使者を送ってみるけど、盛大な料理を並べておいてから使者に会い『なんだ、范増殿の使者じゃないのか』と粗末な料理に代えさせる、という工作も行う。項羽は次第に范増を疎んじるようになり、それと気づいた范増は『天下は大方定まりました、あとは君王が自分でやってくだされ。老骨は骸骨を乞いましょう』と、項羽のもとを辞した。彭城にたどりつく前に死んだという」
A「えげつねェな、おい……」
F「でも、食糧不足は如何ともしがたい。そこで、紀信が策を弄した。滎陽城は楚軍に包囲されていたンだけど、まず夜半すぎに子女二千人を武装させて東門から出した。出撃かと思ったら女が出てきたモンだから、楚軍は喜んで群がる」
A「……男って奴は」
F「そこへ紀信が、天子の車に乗って『メシがないから降伏じゃー!』と叫んで出てきた。それを聞いた楚の将兵は喜んで、万歳を叫ぶ。……そこを狙って劉邦は、西門から逃げ出した」
Y「おいおい、紀信は?」
F「項羽の前に引き出された紀信は、当然殺された。司馬遼太郎はこのエピソードがよほど気に入ったのか、著作『項羽と劉邦』で、紀信をツンデレ武将に仕上げて、その壮絶な最期を描いている」
Y「……あぁ、なるほど。紀信が項羽の前まで行けたってことは、劉邦の顔は、楚軍には知られていなかったのか」
F「えくせれんと♪ いいところに注目したな。かくして、劉邦は虎口を脱した」
A「夏侯嬰の運転する馬車で……だな」
F「続きは次回の講釈で」

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