漢楚演義 07 沐猴而冠
F「そんなこんなで項羽率いる(劉邦除く)諸侯の軍勢は、咸陽へと攻め入り思うままに略奪した。宮殿には火が放たれ、3ヶ月にも渡って燃え続けたという」
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Y「どれだけ巨大な宮殿だ?」
F「えーっと……」
Y(ぼそぼそ)「……しまった、建築オタクの魂の緒に火がついた」
A(ぼそぼそ)「そのまま爆発してくれれば、アキラの精神衛生的には万全なんですけど……」
F「史記の記述によれば、東西が五百歩、南北が五十丈……えーっと、750×117メートルかな? 屋根の上に1万人乗ってもだいじょーぶっ、とのこと。ちなみに高さは、最低でも12メートル(『下可以建五丈旗』)」
A「しっかり記述してるんだ、司馬遷?」
F「うん。唐代の杜牧(李白・杜甫に次ぐ中国詩歌界の権威)が『五歩ごとに高楼、10歩ごとに建物。くるくる伸びては雨粒ぽとり。みんなで高さを競ってる。底の底は見えないのに、高すぎて龍さえ昇れないンじゃないかな? 虹でさえ屋根に隠れるくらいだよぉ。雨風はしのげるけど、空も見たいな』と"阿房宮賦"で詠んでいるくらいの……」
A「……お前、漢詩をバカにしたいのか?」
Y「いつかも思ったが、無理に訳すな」
F「ほーい。気温が低いせいでハイになってるなぁ、オレ。というわけで咸陽は灰になった。韓生というヒトが、項羽に『関中に都をおけば天下に覇を唱えることができましょう』と進言したンだけど、まぁ、そんな廃墟に住みたいと思う奴はいないだろう。項羽との応答はこんな感じ」
項羽「いくら天下を盗っても故郷に帰らないなら、錦の衣をきて夜道を歩いてるみたいなモンだろうよ。誰も判っちゃくれないじゃないか」
韓生「楚人は着飾ってもどうせサルなんですから、気にすることじゃないでしょう」
F「韓生はかまゆでになった」
A「当たり前だ!」
Y「楚と仲が悪かったという秦のヒトなのか?」
F「どうだろ? というか、韓生が何者かよりは、その発言の内容を考えてくれ。始皇帝が拠点とした関中を都にすれば、秦の七光である程度は支持を得られる。そこから善政を敷けば、天下は確かに項羽のものになったはずだ」
A「……ふむ」
Y「関中入りした途端に、住民の支持を集めた劉邦とは、そもそもの器が違うな」
F「劉邦は基本的に、ヒトの話を聞きすぎる。……ために、前回えらいことになった。対して項羽は、あまりヒトの話を聞かないタイプのようでな。天下を盗ったような状態だから、有頂天になって独断専行するのも判らんではないが」
A「でも、范増とか項伯の言葉には耳を傾けるンじゃない?」
Y「うーん……」
A「何でそこでヤスが悩むのー!?」
Y「あぁ……いや。気にするな。というか、項伯にそんな発言権があったのか?」
F「いや、ないだろうな。鴻門の会では非常事態で口を挟んでいたが、表に出るようなタイプじゃないみたいだし。でも、范増の意見はいちおう聞くようでね。きちんと相談して、論功行賞に入ったワケだ」
A「懐王の意見も聞かずに?」
F「いや、秦を滅ぼした時点で使者は送って報告している。ただ、懐王からの返事が非道くて」
――ワシが云った通り、最初に関中に入った奴を王にしろや。コラ。
F「対して項羽が、諸侯を前に云った台詞はこんな具合」
――始皇帝が死に戦乱が起こったとき、各地では列王の子孫を仮の王として、国を興した。だが、戦場で甲冑をまとい武器を手に戦ったのは誰だ? 秦を滅ぼしたのは誰なのだ? そうだ、諸侯とこのオレだ。
みんなで土地を分けて、王になろうじゃないか。懐王には何の功績もないが、まぁ皇帝にでもなってもらおう。
A「どんだけ仲が悪いの、この主従はー!?」
F「やっと判っただろう、両者の本心が。まぁ、懐王が劉邦を関中の王にした後で、どう扱おうとしていたのかは興味深いエピソードだが、それはともかく。諸侯は鉅鹿の戦い以来、項羽には逆らえない。また、戦ってきたのは事実なので、王にもなりたい。というわけで、項羽のこの発言に同意した」
A「するだろうなな……」
F「もちろん、問題は劉邦の処遇だ。劉邦を危険視している范増にしてみれば、もう劉邦を殺してしまえというところなんだけど、さすがに論功行賞を前に殺しては諸侯の信を得られない。懐王が『関中の王にしろ!』と発言したことは知られているわけだから」
A「気にする項羽じゃないようにも思えるが」
F「劉邦を中心に諸侯が兵を挙げたら、さすがに項羽でも……まずくないかもなぁ? えーっと、ともあれ范増は知恵を絞った。関中の南に当たる巴・蜀の地は、秦の罪人が流されたところだけど、ここも関中と云えなくはない。劉邦をそこに流して、南鄭を都とするように命じた。国号は漢中から漢とするように、と」
A「南鄭……?」
F「私釈でさらっと触れただろうが。漢中争奪戦で、曹操が陣を構えたことがある」
Y「誰も覚えてねェって」
F「それ以外の面子……まず、今までに出てきたメンバーの処遇は、以下の通り」
懐王:皇帝となり義帝と称する。(もちろん)実権はない。
黥布:九江王として揚州を拝領。
張耳:趙王となり、趙を拝領。もともとの趙王は代(并州)に領地替え。
陳余:南皮周辺を拝領。
成:韓の領土を保全。張良は宰相を拝命。
章邯:雍王として咸陽より西を拝領。
司馬欣:塞王として咸陽より東を拝領。
董翳:翟王として咸陽より北を拝領。(とことん字が出ねェ奴……)
劉邦:漢中王として巴・蜀・漢中(咸陽より南)を拝領。
項羽:西楚の覇王として天下に君臨。梁・楚を直轄地とし、都を彭城(徐州)とした。
F「えーっと、それ以外……他六国の君主なんかも国替えにあってる。魏王の豹は司隷に転封されて、西魏王に赴任。燕王は遼東に転封されそうになったけど、それを承知しなかったので、燕(旧、とつけるべきか)の将軍・臧茶に攻め殺され、臧茶が燕王となる。斉王・田市は青州に流され、斉将の田都と斉王族の田安が、斉を二分して王となった(それぞれ斉王・斉北王)。楚・趙・韓の王は上で見た通り」
A「ンで秦はすでにナシ、と。……しかし、無茶苦茶な人事配置の割には、積極的に逆らったのは燕だけか?」
F「この人事配置を無茶苦茶と云うのは、正直どうかと思うんだけど……ね。影響が大きかったのは、見せしめよろしく燕王が殺されてることだと思う。漢中に流されると聞いた劉邦は項羽を攻めると息巻いて、とりあえずは正しいことを毎回毎回口にしていた樊噲でさえ賛成したのに、蕭何が『死ぬの嫌ですー!』といさめている。これを容れて、攻撃を思いとどまり、劉邦一行はやむなく漢中に向かうンだけど、韓以外の諸侯・諸国から、この仕打ちはあんまりだ……と同情して集まった兵たちが集まり、その数は3万にのぼった」
A「韓は?」
F「張良が連れて帰ったンだよ。自身が宰相に任じられたから、劉邦の元を離れることになった張良は、兵こそ出さなかったものの、去り際に劉邦に進言している。蜀に入るためには渓谷の絶壁に刻まれた桟道を往かねばならない。そこで、関中に戻る意志がないと天下に示すため、通った桟道は焼いておしまいなさい、と」
A「そこまでして、自分に野心はないと思わせたワケか……」
F「コレを本気ととって、逃げ出した者も少なくないけどね。漢中にたどりつくまでにどこへ逃げたのか、かなりの数が逃亡したらしいし、漢中にたどりついてからも次々に逃げ出した。将軍クラスでも数十人逃げたという」
Y「まぁ、逃げたくもなるか」
F「ところが、項羽を攻めるな死にたくないと騒いだ、劉邦軍団の重鎮たる蕭何まで逃げたモンだから、さすがの劉邦も慌てふためき落胆した。張良に次いで蕭何まで失っては、劉邦軍団はもう立ち行かなくなる。……それから数日後、ひょっこり蕭何が帰ってきた。先に逃げていた韓信を連れて」
A「韓信を追っかけたンだよな?」
F「うむ。他の将軍なら誰が逃げても追いかけなかった蕭何が、韓信ひとりを追いかけてるとは劉邦でなくても信じられない。ところが、蕭何は平然と胸を張る」
蕭何「他の将軍程度ならいくらでもおりますが、韓信ほどの国士はふたりとおりません。アンタが漢中王で満足ならあの男は不要でしょうが、天下を争うつもりなら、韓信がいなければ」
劉邦「んー、お前がそこまで云うなら、将軍に取り立ててやるか。呼んできてくれ」
蕭何「アンタのそこがいかんのですっ!」
劉邦「ぅわ、びっくりした!?」
蕭何「アンタはいつも傲岸不遜なんです、その態度がよろしくない! 将軍職につけようというのに、子供でも呼びにやる程度の振る舞いとは何事ですか! だから、韓信も逃げたンですよ!」
F「かくて吉日、劉邦は斎戒沐浴して壇上を設け、韓信を大将軍に任命した」
A「……自分の主君を『傲岸不遜』と怒鳴りつけるか、この家臣は」
F「中国史上最強にして世界史上でも有数の名将が、いかに劉邦を口説いたのかは次々回に譲ることにして、劉邦軍は関中へと攻め上った。すでに桟道は焼き払われていたので、支軍を派遣してそれを修復する工事を行いながら、本軍は西回りで秦嶺山脈を踏破し、章邯が治める雍へと攻め入る。陳倉で迎え撃った章邯だけど、敗走を重ねて廃丘に立てこもるも、水責めにあってのちに自害する。秦を支えながら裏切った男の、あっけない最期だった」
A「……確かに、コレはあっけなさすぎるンですけど」
F「塞・翟も攻略され、両王は降伏。勢いに乗る劉邦軍だけど、さすがに東進してはまずいと判断して、武関経由で中原へと打って出ようとした。当然、項羽も傍観してはいられないンだけど、配下を韓王に任じて劉邦の押さえとしておく以外、手を出せないくらいの事態が起こっていたンだね」
A「えーっと……斉だっけ?」
F「そゆこと。斉に田栄という勇将がいたンだけど、この男、武功はあったのに項羽ににらまれていたため、王に封じられなかった。ハラが立った田栄は、田都を殺して斉を制圧し、項羽に逆らう姿勢を見せたのね」
Y「どっちがまずいといえば、どう考えても劉邦だと思うが」
F「いや、劉邦を叩き潰せば西は平定できるけど、北方はそうはいかない状況なんだ。これまた王になれなかった陳余が田栄に兵を借りて張耳を攻め、あろうことか趙を制圧してしまった。代から趙王を呼び戻して、趙の復興を宣言したンだけど、これがどう動くか判断できない。加えて田栄は、山東の湖賊上がりでゲリラ戦の達人・彭越を招くと、将軍の印を与えて梁の地に攻め入らせる。ここは、項羽が自分の直轄地として切り取った土地だ」
A「頭上かと思ったら、足元に火がついていたワケか?」
F「直接楚に接する斉や梁で叛乱が起こっては、関中どころの騒ぎじゃないわけだね。そこで、張良から送られてきた『盟約通り関中さえ得られれば、劉邦はこれ以上東進致しません』という書状を信じて、兵を北に向けるしかなかった。それなのに、叔父の代からの腹心であり、楚軍最強の武将たる黥布が、斉への出兵要請に応じない」
Y「そこかしこで、叛乱の火種がくすぶっていたワケか」
F「ツッコミどころは次回にまとめて流すことにして。かくて、大陸は動乱の時代へと否応ナシに突き進んでいく」
A「進行が早すぎるような気もするンだが……」
F「続きは次回の講釈で」