前へ
戻る

漢楚演義 05 法三章耳

F「劉邦を好きだという奴はめったにいない」
A「……まぁ、な」
Y「人物としては最悪に近く、業績としては晩節を汚し、そのくせ功績としては評価せざるを得ないからなぁ」
F「歴史的に見ても人格的に見ても、いささか評価が難しいンだね。無能だけどリーダーとしての人望だけはある、というのは宋江や三蔵法師にも共通してるンだけど、ふたりとも少なくとも善良な人物ではある」
A「でも、劉邦はそうではない?」
F「劉邦の悪事についてはおいおい見ていくけど、とりあえず、人物像について。まず、劉邦というのは本名なのか判ったモンじゃない、というのを特筆しておかねばならない」
A「だったな。史記にはしっかりとは書いてないンだっけ?」
F「うむ。徐州の豊という農村に住んでいた劉さんちの末っ子で、父は劉太公(劉おじい)、母は媼(おばはん)、長兄は劉伯(劉さんちの長男)……とある。要するに、そもそもマトモな名前なんて持っていないくらいの極貧農家の末っ子なんだね。ちなみに字は季」
Y「末っ子だな」
F「知ってるひとは多いと思うけど、項羽も、正しくは字が羽で名は籍なんだ。ために、名で云うなら項籍と劉邦、字で云うなら項羽と劉季が正しいンだけど、慣例にのっとって項羽と劉邦で通すので、そこンとこよろしく」
Y「今さらだけどな」
F「で、劉さんちは農家なんだけど、劉邦は農作業の手伝いなんてしないで、いい年になるまで酒を呑んでは遊び歩くという生活を続けていた。沛(都市名)の官吏だった蕭何が見かねて、亭長の職に就けたものの、真面目に仕事をしないで、やっぱり酒場に入り浸っている状態だった」
A「使い物にならんな」
F「でも、不思議な人望はある男で、劉邦がノンダクレていると客がひっきりなしにやってきて、酒屋そのものは儲かったモンだから、店の方でも劉邦を重宝していたンだね。呂公という名士も劉邦を気に入って、蕭何がいさめるのを聞かずに娘を娶らせたくらいだ。……役場での評価は悪かったけど」
A「ところで、亭長って?」
F「保安官みたいなモンかな? 警察官とは違って、地方自治体がその権限で採用できる、警察権所持者。いちおうお仕事で咸陽まで出張したこともあって、始皇帝を見て例の台詞をのたまったのはその時だね」
A「羨ましいなぁ、くらいの捉え方でいいンだよな?」
F「まぁ、当時の劉邦には天下への野望なんてあろうはずがなかったからねぇ。でも、囚人を秦に向かって引率していたンだけど、道中でほとんど逃げてしまった……帰ってこれないならと脱走したンだけど、困った劉邦は、残りの囚人を解放して『お前らはどこへでも行け、オレも逃げる』と、職務放棄してしまった」
Y「ダメだろ」
F「いや、運はいいンだよ。もし、そのまま秦に向かっていたら、たどりついても処刑されていただろうし、殺されなかったとしても数年後には章邯の指揮下で陳勝の楚軍と戦うハメになっていたワケだから」
A「あぁ、その辺の時代なんだ」
F「うん。で、沛の太守も秦に叛乱しようと考えて、蕭何に相談を持ちかけた。蕭何は『云っちゃアレですが、アナタじゃ民衆はついてきませんよ。人望篤い劉邦を呼んで、旗頭にすえましょう』と応え、山中の劉邦を呼ばせる」
A「やめとけ、と思うけどな」
F「というか、太守の気持ちになってくれ。せっかくヤる気になったのに、ンなコトを云われちゃ腹も立つだろ」
Y「まぁな」
F「というわけで、蕭何は沛から逃げて劉邦と合流し、太守は門をしっかり閉じた。僕が太守なら閉じこもるンじゃなくて、兵を挙げ劉邦一党を討ち取るンだけど、そこまでやる覚悟はなかったらしい。沛の城下まで来た劉邦は、中の民衆を『オレに任せろ! オレを信じろ! 結果は必ずついてくる!』と煽動して、太守を殺させる」
Y「どこのブートキャンプだ」
F「この時点で蕭何たちの推挙によって沛公と呼ばれるようになるンだけど、それはスルーして。沛を中心に周辺を攻略して回るンだけど、占領地で真っ先に叛旗を翻したのは、あろうことか豊だった。雍歯という男に任せておいたンだけど、陳勝の部下に乗せられて、そっちに鞍替えしてしまう。怒って劉邦は豊を攻めるンだけど、この雍歯、ムダに戦術指揮能力があるのか、戦って攻略することができなかった」
A「……それだけ、豊での劉邦の評価は悪かったというコトか?」
F「この事件は、あとでふたつ、大きなイベントに影響してくるンだけど、まぁそれは先の話。他所へ兵力を集めに行って、章邯と戦って敗走したりしたンだけど、項梁に兵を借り、やっとのことで豊を攻め落とした(雍歯は逃亡)」
A「大軍でも借りたのか?」
F「いや、借りたのは五千くらい。ただし、その道中、留(都市名)で軍師を拾っていたンだ。名を張良というが」
A「ずいぶんな拾いモンですね!?」
F「陳勝とは別に楚王を自称した男の幕下に入ろうと、小勢を率いて向かう途中で、劉邦の軍に遭遇したンだね。会って話をしているうちに、劉邦の人柄に惚れ込んでしまい、結局幕下に入ってしまった」
Y「たらしこまれたワケか」
F「そゆこと。えーっと、そのあとは、項梁を経て懐王の下につき、項羽と親交を結びつつ、別働隊を率いるに到った……と。よし、やっとオハナシが本筋に入れそうだな。いちおう、劉邦の配下の盧綰・樊噲・夏侯嬰は覚えておいて」
A「それと、張良・蕭何だな」
F「征西軍を任された劉邦だけど、そもそもが寄せ集めに近い軍勢なので、思うような戦果は得られない。そのまま西に進んでも、函谷関は抜けないと(張良が)判断して、南方ルートで関中入りを目指すことにした」
Y「ヒトの云うことを聞くのか、それでも」
F「云われたことには素直に従う男だよ、劉邦は。酈食其という老儒者がいて、この男が訊ねて来たとき、劉邦は女に足を洗わせている最中だった。するとじいさん『年寄りの前でその態度は何じゃ!』と怒鳴りつけ、劉邦はあっさりと様相を整えて、酈食其の話を聞く態度を示したワケだから」
A「いや、このじーさんの態度こそが、そもそも問題だと思うンだが」
F「ごもっともだな。儒者らしく、年長であるだけで自分が偉いとでも思い込んでいる。年上が偉いなら世界はサン・ジェルマン伯が治めていなければならんことになるのが判らんのかね? この老いぼれの虚栄心が、いずれ自分を滅ぼすのは何回か先に見るけど、まぁ自業自得な最期になるぞ」
Y「ところで、何の用だ? 儒者嫌いで『儒者の冠にションベンひっかけるのが楽しみだ』と公言していた劉邦に」
F「陳留という要衝の都市があるから、秦に攻め入るならそこを降伏させなさい、と作戦の提案に。ひとつの都市をそっくり手に入れたことで、劉邦軍は後方の安全とそこの兵士を手に入れることができた。ために、項梁が立てた韓の援護にも行けたくらいで」
A「韓って……確か、張良の?」
F「そゆこと。張良は始皇帝に滅ぼされた韓の大臣の家柄でね。故国を滅ぼされた怒りから、始皇帝にハンマー投げつけるに到ったンだけど、張良は劉邦を通じて、項梁に韓の再興を願い出ていた。韓の王家に連なる成という男を王にして、張良は大臣を張っていたンだけど、もちろん秦はそんなモン放っておかない。張良は劉邦のもとを離れて、成とともに韓を守っていたンだけど、劉邦が来たおかげで秦を撃退することに成功した。ために、成も秦侵攻に張良を貸し出した次第だ。さすがに断れなかったワケだ」
A「思えば連載1回から、一文字のキャラが多いな」
F「字が出にくい奴が多すぎるンだよ……。えーっと、南方経由で関中に入るため、宛という都市を包囲した。そこで劉邦は、先に陳留で行った『降伏すれば身分と生命は保証するから、兵とメシを出せ』という要求を太守に突きつけ、太守がこれを容れたので、実際に助命した。降伏すれば助かるという噂はあっという間に広まり、劉邦の軍勢が進むに連れて、各地は続々と降伏するようになったンだね」
Y「広めたのは、張良か?」
F「そう見ていいだろうね。戦わずに侵攻できるなら、それに越したことはないから。劉邦軍の快進撃に、さすがの胡亥も趙高を責めたンだけど、コレが文字通り命取り。身の危険を察した趙高は、胡亥を殺し、その甥(兄の子)にあたる子嬰を皇帝に据えた。そして劉邦に使者を送り『子嬰を殺すから、関中を二分しよう』と持ちかける」
A「……どこまで節操がないンだ、この宦官は?」
F「どこまでも、だろうな。ただし、さすがに子嬰は切れ者だった。趙高の危険性を把握していて、これを殺害している。悪辣な丞相(になっていた)が死んだことで、秦都・咸陽は一時的に湧きかえったンだけど、すでに劉邦軍は武関(南の要塞)を突破し、咸陽のほど近くまで侵攻していた」
A「時すでに遅し……だな」
F「死に装束に身を包んで劉邦を訊ね、玉璽を手に降伏を申し入れてきた子嬰を、殺すべきだという声も(当然)あったンだけど、そもそも劉邦が征西軍を任されたのは、項羽と違って残虐非道な振る舞いはしないだろう、という期待があったからだ。降伏した者を斬るのは不肖であるとして、その降伏を受け入れている。さすがに幽閉はしたが」
A「まぁ、野放しにはできんわな」
F「軍勢を率いて咸陽に入った劉邦は、秦の宮殿に入るンだけど、そこには財宝と美女という、男の大好物がたっぷりと蓄えられていた。約一名の仕事ジャンキーはそんなモンに眼もくれず、ひたすら律令制度に関する書簡を略奪したものの、それはともかく。もちろん劉邦も大喜びしたンだけど、ついてきていた樊噲が『こんなモンを集めていたから、秦は滅んだンだよ!』と怒鳴りつけて、劉邦を咸陽の外に連れ出そうとする。さすがに不満そうな劉邦だけど、張良も『毒薬(注 史記の原文ママ)は口に苦いモンです』と尻を叩くから、結局劉邦は咸陽を出た。陣営に引き揚げ、改めて秦の長老衆を呼びだし、伝える」

 ――お前さんたちゃァ、今まで秦の圧制に苦しめられてきたンだよな。秦の法じゃ、お上を批判すりゃ一族郎党皆殺し、立ち話をしているだけで曝し首だ。
 ところが、懐王さんは"関中に真っ先に入った奴が関中の王だ"と約束してくれた。つまり、オレが関中の王になれることになる。オレは秦とは違う。お前さんたちに、ひとつ約束しよう。
 法はみっつでいい(法三章耳)。ひとを殺したら死刑、ひとを傷つけたりひとのモノを盗んだらそれ相応の罰を与える。この三章のみで、秦の法は全て廃止しよう。

F「喜んだ民衆は、劉邦の陣を訊ねて食糧を献上しようとするけど、劉邦は『いやぁ、我が軍にはまだ食糧がある。お前さんたちにゃァ迷惑をかけたくないさ』とそれも断っている。……嫌でも劉邦の声望は高まっていった」
A「油断ならんだろうな、おい」
F「まぁな。黙っていられない立場なのが、河北の項羽だ。せっかく、命賭けで秦軍の主力を撃破し、章邯を降伏させたというのに、劉邦にいいところを持っていかれたワケだから。項羽でなくても怒るだろうけど、当然項羽だから怒り狂い、全軍を関中へと向けさせる。……ここで、悲劇の一大イベントが発生するわけだが」
A「ごくっ……」
F「始皇帝の時代には、秦の兵たちが諸国の民衆(兵隊含む)を弾圧していた。ために、項羽の軍中では、降伏した秦兵がその復讐の矢面に立たされていたンだね。しかも、攻め入る先は秦兵の家族がいる関中だ。函谷関に程近い山中に陣を構えたころだった――秦兵の間に、不穏な空気が立ち込め始める」
Y「叛乱か」
F「関中に攻め入るのはいい、秦は憎い。だが、失敗したときはどうなる? 項羽の軍は引き揚げるだろうが、当然、秦兵は置き去りにされ、家族もろとも皆殺しだ。それなら、数に優る今のうちに……と考えるのは無理もなかろう」
A「……で、それを項羽が聞きつけた」
F「そゆこと。項羽にしてみても、関中に入ってから背かれたンではたまったモンではない。そこで項羽は、黥布・蒲将軍を呼んで、命を下した。秦兵を攻撃すべし。関中に連れて行く秦人は、章邯・司馬欣ともうひとりだけでいい、と」
Y「いつも通りだが、董翳の名を挙げないのは何でだ」
F「字が出るか判らんからなぁ。というわけで、夜、その攻撃は敢行された。秦兵が寝静まった頃に、黥布は陣鼓を打ち鳴らし、夜襲をしかける。まさか攻撃されるとは思っていなかった秦兵は、慌てふためき我先に逃げ出すけど、それを逃がすほど黥布は甘くない。巧妙な攻撃で、秦兵は崖下へと次々と落とされて、死んでいく」
A「……ぅわ」
F「あらかた殺すか落とした後で、さらに大石を落として、完全に埋め尽くしてしまった。その数、おおよそ20万」
Y「フォローの言葉はないな」
F「さすがにこれ以上、このイベントに関しては触れたくないが、ひとつだけ述べておく。黥布はともかく蒲将軍は、これ以後史記に一切の記述がない。あるいはこの一件で、項羽に愛想を尽かして逃げたのかもしれない」
A「……そういう漢もいたンだね、楚軍にも」
F「続きは次回の講釈で」

津島屋幸運堂は【真・恋姫†無双】を応援しています。
【真・恋姫†無双】応援中!
進む
戻る