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漢楚演義 04 莫敢仰視

F「先んずれば人を制すとの言葉通り、会稽(江南)を制した項梁が、懐王(というか、たぶん宋義)の謀略で制されたのは前回見た。実際、楚の主導権をめぐって懐王・宋義ラインと項家で行われた駆け引きの終焉は……ひーふー、3回先になるかな」
Y「戦争、終わってないか?」
F「ともあれ、今回は、趙に向かった項羽について。……といっても、項羽は劉邦や始皇帝と比べると、日本では人気者だから、それなりに知られているようだけど」
A「まぁ、教科書にも載ってるしな」
F「項羽は幼い頃、項梁から字を教えられてもマトモにとりあわなかった。それならと剣を教えるンだけど、これも投げ出す。お前は何がしたいンだ、と項梁に聞かれて、項羽はさらっと応えている」

『文字なんぞ名前が書ければ充分、剣術も所詮はひとりの敵しか相手にできん。どうせなら、万人を敵とするものを学びたいものだなぁ』

F「叔父を困らせようとそう云ったのかもしれないけど、項家のお家芸こそがその『万人を敵とする』もの、即ち兵法だった。項梁は項羽に兵法を仕込み、さすがにコレは項羽も喜んで学んだものの、やっぱりすぐに投げ出している」
A「飽きっぽいな」
F「この辺についてはいささか無視できないようなエピソードがあるんだが、それは『12 四面楚歌』でやると思う。ともあれ、項梁が楚の地で支持されるようになるにつれて、項羽もまたひとかどの人物とされるようになった」
A「12回シリーズか、コレ」
F「問題の会稽の太守を斬ったのが項羽だというのは前回見た通りだが、項梁軍団……確か2万くらいか、軍勢の中枢を担ったのが、項羽率いる八千からの精兵だったのは想像に難くないな」
A「でも、項梁の死でその軍勢はバラけた?」
F「いや、最高司令官(宋義)を上には置いたが、そこから先には手をつけなかったみたいだな。項梁のもとに馳せ参じた黥布たちが、項羽のもとに引き続きいたわけだから」
A「……扱いが甘くないか?」
F「僕が宋義の立場でも、黥布たちは項羽から離さないよ。その上で、項羽もろとも冷遇する。項羽の下にいる限りお前らはずっとそーいう扱いだぞー、って。そうすれば、無理に引き離さなくても黥布の方から項羽を見捨てる算段だ」
A「ぅわ、えげつない……」
Y「若い頃、ほぼ同じことがあったンだよ。コイツと仲がよかったせいで、三妹がいじめられたンだが」
F「あぁ……懐かしい話だな」
A「で、どうした? 対処は」
F「サルの群れは、一匹殺せば大人しくなるンだよ」
A「をゐ」
Y「ひと口でキレると云っても、キレると見境のなくなる奴がいれば、キレた時ほど頭の働く奴もいる。どっかの勇者は露骨に2番めでな。自分が何されても平然と受け流してたのに、三妹が手を上げられたと聞いたら、全校集会の真っ最中に、首謀者の女子に襲いかかったンだよ。三妹が止めに入ったから、何とか一命は取り留めたが、確か成長止まってるはずだぞ、そのバカ女」
A「をゐをゐ……。ていうか、そいつの親御さん、報復に来なかったの……?」
F「今でも来てる」
Y「アキラは面識ないのか? コイツには妹がいるが」
A「……どうして、日本の法律では絶縁ってできないンだろうね」
F「できるなら、生まれた直後にやったぞ。えーっと、どこまで話が進んだンだ? かくして項梁は死に、楚の全軍は宋義の指揮下に入った。……その辺りでいいよな?」
Y「何か飛んだような気もするが、まぁいいことにしよう」
A「はい……アキラのスイッチが入らないうちに、オハナシ進めてください」
F「楚から趙に向かうためには、当然ながら北上して、黄河を越えなければならない。宋義・項羽率いる軍勢は、ひとまず黄河のほとりに陣を構えた」
A「ところが、宋義は渡河しない?」
F「宋義の主張はこうだ。章邯は強く、一筋縄ではいかない。だが、趙もそう簡単には滅ぼされはすまい。今は静観して秦軍を疲れさせ、疲弊しきったところを我らが叩く。今は秦を趙にぶつけるのが最良なのだ、と」
A「どンだけ楽観してンだか……」
F「続けて『戦場でのやりとりならお前のが上だろうが、策を弄するならオレのが上じゃ』と、項梁殺しを自白しているような発言をしでかし、実に46日間も陣を構えて動かなかった」
A「いや、だからー……」
Y「つーか、趙を放って関中を目指せばよかっただろうに」
F「……ふむ?」
Y「それこそ囲魏救趙とかいうのがあっただろう? 秦本国を衝けば、章邯も趙にかかわっておれん。針路変更したところをガツンとやれば……」
F「――まず、針路変更しない可能性がある。これから触れるが、章邯は追いつめられるとあっさり秦を捨てていることから考えると、いくら本国が危ういからといって章邯が兵を退くとは限らない。次に、他の秦軍と戦闘している背後を衝かれる可能性を否定できないこと。函谷関で足止めされているところに、章邯が追いついてきたら全滅やむなしだぞ。そして、章邯に懐王を狙われたら、立場が逆転する。楚軍がその場を離れなければ、少なくとも章邯は、趙が片付くまで黄河を渡ってこないはずだからな。以上3点から、僕はその説を支持しない」
Y「お前ならどうする……というのは愚問だな。判った、正論だ」
F「ん。で、挙句の果てに宋義はとんでもない布告を出した」

 ――羊の従順さを持たないくせに、虎のように獰猛で、狼のように貪欲で、戦う以外何の役にも立たん奴ァ斬る。

A「判った、判りました……。宋義は、項梁を死なせ、項羽まで殺そうとしています……」
Y「確かに、どー見ても項羽を名指ししてるようにしか見えんな。しかし、項羽を殺せば嫌でも楚の軍事力は落ちるだろう。その辺りを、宋義はどう補うつもりだったンだ?」
F「そのためなんだろうね、息子を斉の宰相にしようと目論んだのは。つまり、斉を属国にして、その軍事力を利用しようと考えたわけだ。あの辺りは『山東大漢』と云われる精兵の産地だから」
A「はぁー……。でも、その計画は頓挫した、と?」
F「うむ。かつて僕がそうだったように、項羽はキレた。息子を斉に送る宴会を盛大に催している最中、兵たちは大雨の中で空腹と寒さに震えていたモンだから、項羽はついに……というか、やっと、行動に出た。范増と謀って宋義を殺し『この野郎は斉と組んで謀反を企んだので処刑した!』と、全軍の指揮権を宣言するや、ついに黄河を渡る」
A「いよっ、待ってました!」
F「楚軍を待ちわびていたのは趙の皆さんなんだけど……な。ところで、この時、趙の鉅鹿城で防衛の指揮を執っていたのが張耳という知恵者で、かつて始皇帝が『張耳一千金、陳余五百金!』とその身柄を求めたほどの切れ者だった」
A「始皇帝が認めた知恵者か……。だから、章邯相手にもかなり踏ん張れたわけだな。相方はどーした?」
F「鉅鹿の北に数万の兵を率いて、陣を構えていたンだけど、章邯の秦軍は鉅鹿の南から攻め入っている状態なんだ。王離・蘇角・渉間らに兵を預けて鉅鹿を包囲させる一方、重厚な補給線を築いて陳余に付け入る隙を与えない。斉をはじめ諸侯の軍勢がいちおう来てはいたンだけど、章邯の勢いに震え上がって、陣を築いて見ているだけだった」
A「さすがな戦上手だな」
F「掃き溜めの鶴ってところだろうね。当然、張耳は陳余に助けろと訴えるンだけど、陳余は陳余で動けない。このふたり、かつては刎頚の友として名を馳せていたンだけど、友情ってのはこーいう場面でこそその実体を見せるな」
A「共に死んでもいいという間柄だったのに、張耳を見捨てるンかい」
F「当然、張耳は詰問の使者を送るけど、陳余は『どうあがいても助けられん。悪いが兵は出せん。いずれボクが、キミや王の仇を討つから』と突っぱねる。使者は陳余を責めて、何とかわずかな兵を引き出すと、30万を数える章邯の秦軍に特攻して、結局、全員戦死した」
Y「うぎゃあ」
F「……どういう反応だ? そんなところへノコノコと、黄河を越えて項羽軍(と、云っちゃうが)の先遣隊が到着する。先鋒の黥布は、純粋な破壊力では項羽にも引けを取らない勇将。また、添えられた蒲将軍は……」
2人『……蒲将軍は?』
F「……済まん、記録がない。司馬遷ににらまれたのか、それともそれほどのモノじゃなかったのか、この蒲やらいう将軍についての記述は、史記にさえほとんどないンだ。名さえ書かれていない……蒲元(蜀の鍛冶屋)の先祖に蒲風やらいう男がいるけど、それがそーなんかなぁ?」
A「風? へんな名前だな……」
F「いや、風か楓か颯か、よく判らんのだ。何しろ1800年前のモンだし」
2人『古文書かよ!?』
F「さて、黥布・蒲将軍率いる先遣隊は黄河を渡ると、早速補給路の分断に執りかかった。秦軍と死闘を交えるが、戦況は芳しくない。項羽も自ら黄河を渡り、残る全軍が秦軍と相対するが、そこで項羽は凄まじい策を弄した」
A「破釜沈舟……だな」
F「そゆこと。渡河に使った船を沈め、炊事道具を壊し、夜営のテントさえ焼き捨てて、ただ3日分の食糧だけを携帯させた。退路は捨てた……秦軍を破り章邯を討つか、全滅するかふたつにひとつとの意志を全軍に示し、兵たちを速戦即決へと駆り立てたンだね」
Y「兵を苦しめるという意味では、宋義とたいして変わらんと思うが」
F「自分でも苦しんでいる辺りが宋義とは違うンだよ。秦軍の本隊に向かった楚軍は、激突すること9回、ついにこれを退ける。黥布に補給路を断たれた鉅鹿包囲軍へと襲いかかり、これも散々に打ち破った。王離は捕らえられ、蘇角は戦死、渉間は火の中に身を投げた。兵を必死の状況に追い込む項羽の策は、見事に的中したわけだ」
A「ぶらぼー!」
F「10万近くの秦軍を殺し、趙を救った楚軍……というか項羽の凄まじさは、史記でも詳細に描かれている」

 ――楚の兵は10倍もの秦軍を撃破し、天をも揺るがす勝利の雄叫びを上げた。諸侯の軍は震え上がって声もない。
 秦軍を破った項羽は諸侯を集めたが、楚の轅門(陣の門)をくぐるに際して、みな膝を折り、誰ひとり項羽を仰ぎ見る者はいなかった(←莫敢仰視、この部分)。諸侯は項羽を上将軍とあおぎ、その指揮下に入った。

F「憐れなのはむしろ陳余と張耳だ。張耳は陳余を(当然)責めて、陳余はついに項羽のもとに走る。陳余は張耳を逆恨みして、以後その復讐のために生きるンだけど、それはまた今度のオハナシ。敗走した章邯は咸陽(秦の都)に司馬欣を送って釈明させようとするけど、趙高は司馬欣を殺して秦軍の敗北を胡亥に知らせまいと目論む。危険を察した司馬欣は、来たときと違う道を走って追っ手を逃れ、章邯のもとに逃げ帰った」
Y「無茶苦茶だな。どいつもこいつも、自分のことしか考えちゃいねぇ」
F「最たる者が陳余だな。章邯に『趙高が権力を握っている状況では、負ければそのまま責任を問われ処刑されるだろうし、勝ってもいずれは疎まれ殺される。天が秦を滅ぼそうとしているのだから、我らと手を組むことは正道に反してはおらん』と、抜けぬけとした書簡を送った」
A「ぅわ、手厳しい……」
F「迷いに迷った、と史記にもある。その間も楚との戦闘は続いていて、2度に渡って被害を受けていた。進退窮まった章邯は、ついに項羽に降伏を申し出た」
Y「……あれ? なぁ、司馬欣って、以前項梁をかばってなかったか?」
F「うん、そのひと。だから、項羽は意外にもあっさり、その降伏を受け入れるンだね。受け入れられた章邯は、戦前とは打って変わって、趙高の非道を項羽に訴えて、自分には非はなかったと云っている」
Y「まぁ、どいつもこいつも抜けぬけと」
F「かくて、諸侯の軍勢・秦兵20万を加え、膨大な軍勢に膨れ上がった項羽軍は、一路関中へとその矛先を向ける。だが、意気上がる項羽にもたらされたその一報は、全軍を驚愕させた」

 ――劉邦、関中に入り秦を滅ぼす。皇帝は降伏。

F「続きは次回の講釈で」

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