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漢楚演義 03 先即制人

F「というわけで、世界史上初となる民衆叛乱の首謀者・陳勝はあっさりその生涯を終えた。歴史的にも導火線程度の役割しかなかったのだろう」
Y「惜しくはないな」
F「秦を討つ旗頭の役割は、順当に項梁……項羽の叔父に回ってきた。これは当然の人事で、そもそも秦と楚の仲の悪さは勇名だった。曰く『たとえ三戸となれども、秦を滅ぼすは楚なり』との証言もある」
A「実際に滅ぼされたワケか。……で、何でそんなに仲が悪かったんだ?」
F「判らん」
Y「……お前らしくもないな? 即答して。呉越のメンマみたいなネタはないのか?」
F「楚が、ナニユエそこまで秦と仲が悪かったのか……というのは、今ひとつ定説がないンだ。というか、僕の見立てだと、項羽を大好きな司馬遷が項羽の悲劇性を際立たせようと流布させた戯言なんじゃないかなぁ、と」
A「そんなに司馬遷が嫌いか」
F「自業自得だと思うぞ? 嫌われてしかるべきことはしでかしてるんだから、あの玉ナシ。えーっと、話を戻すが項梁だ。項羽の末の叔父という御仁だけど」
A「てことは、項燕の末っ子か。伯いうことは、項伯が長男で」
F「そうなるね。若い頃に秦に捕らえられ処罰されそうになったが、司馬欣という官吏に助けられ、その場は脱した。ところが今度は殺人を犯してしまい、楚へ逃亡。身分を隠しながら、地元の顔役の座にのし上がっていく」
A「隠してたの?」
F「秦の側でも楚を嫌ってたからね。まして項燕の子だ。おおっぴらには表に出られんだろうさ。でも、葬式とか工事の監督役を引き受けては、この上なく上手にこなす姿に、地元の皆さんは水面下で支持を表明していったワケだ」
Y「そりゃいいが、項伯はどうしてたんだ? 合流してなかったのか?」
F「あぁ、似たようなことをしてるな。ひとを殺して、張良のもとにかくまってもらっていたらしい」
A「懲りない兄弟……」
F「さて、陳勝の叛乱に乗じる形で、各地で反秦の火の手が上がっていた。そこで、呉の会稽という地の太守も秦に背こうと目論んだ。項梁を呼び出して曰く『先んずれば人を制すが、遅れれば人に制されるという。後手に回らんようにしたい』と。そして、地元で有名な、逃亡中の好漢とふたりで、自分の下についてもらいたいと持ちかけた。項梁は引き受けると云って、件の好漢の居場所は項羽が知っているから直に聞いてやってくださいと、項羽をその場に呼ぶ」
A「で、項羽が暴れだすわけな」
F「そゆこと。太守や逆らう連中を殺し尽くした項羽は、項梁に場を譲る。かくて会稽は項梁の指揮下に入った。まだ健在だった陳勝のもとに馳せ参じようとした項梁は、地元の有力者にあれこれ指示を出したのだけど、あるひとりには何の役割も与えなかった。そのひとが文句を云うと、項梁は平然と『ワシは以前、キミに葬式の準備をしてくれるよう頼んだが、キミはそれをやりとげられンかったじゃないかね。だから、キミに何の役割も与えんのじゃよ』と応じる」
Y「手厳しいが……人物鑑定眼はあるということか」
F「かくて江南の若者八千からを率いて挙兵した項梁だけど、陳勝が自滅に近いかたちで死亡。討秦の御鉢が項梁に回ってきた。ところが旗頭になろうとした項梁を、范増という老人が制する。陳勝の失敗は自分が王となったことにあり、楚・六国の復興を掲げれば天下に大義を示せる、というのがその主張で」
A「滅ぼされていた楚の王家を復興させる意味で、羊飼いだった末端の王族を探し出してきて王とまつったンだよな」
F「呼び名は懐王ね。ちなみに、太平記には『そんなに天皇がほしいなら、木か金で書割でも作って置いておけ! 生きた皇族なんぞひとり残らず島流しじゃ!』との名文句があるけど……」
A「そっから先は口にすんなぁーっ!」
Y「次は太平記なのか? てっきり平家物語かとばかり思っていたンだが」
F「やんないやんない。意見そのものを妥当だと判断したわけだね。項梁の限界が早くも見えたワケだが、そりゃともかく。武信君に任じられた項梁は、項羽と別れて秦に当たるようになる。打撃力のある項羽と老練な項梁を分けて使うのは戦略的には問題はないものの、項羽がとんでもないことをしでかした」
A「坑……だな」
F「そう、穴埋めだ。とある城市を攻めたおり、反撃があまりに激しくて被害も小さくなかった。腹を立てた項羽は、攻め落とした城の兵士を全員、生き埋めにしたンだね」
Y「そんな穴がよくあったな?」
F「掘らせたンだよ、埋められる兵士に。自分たちが埋まる穴を自分で掘る心境は、いかがなものかね」
Y「ぅわ……」
F「そんなコトがあったモンだから、懐王は、項羽に劉邦をつけて戦場に出した。これまた人格面ではかなーり不安とはいえ、項羽と劉邦のコンビはなかなかの戦果を挙げる。項羽も、この年長の同僚を気に入って、一説では義兄弟の契りさえ結んだとされている。ひとをたらしこむ才能では劉備や宋江を凌ぐ、劉邦の面目躍如だな」
A「騙されたンだな、このジジイに」
F「というか懐王にだろう……な。別の戦場に向けられた項梁は項梁で、秦軍と戦って連戦連勝。秦の弱さに気をよくして、どんどん猪突していくモンだから、懐王からつけられていた宋義が『勝ったからといって驕るのはいかがなものかと……』といさめるけど、聞く耳持たない」
A「いるんだよなー、空気の読めない奴って」
F「うむ」
A「……何だ?」
F「それどころか、宋義を使者として斉に送り込む始末だ。邪魔者を遠ざけようとしたワケだけど、斉に向かう途中の宋義は、たまたま斉から楚に向かっていた使者に出会った。その使者に『ゆっくり行きなさい。あんまり急ぐと、項梁の敗走に巻き込まれるよ』とこっそり告げる」
Y「……おい、待て? 斉は独立してたのか?」
F「えーっと、陳勝の生前から、各地で王を名乗る者は相次いでいた。戦国の六国はほとんどあったような状態だね」
A「どンだけ人望がないのさ、陳勝は……」
F「ともあれ、宋義の発言は的を得ていた。増強された章邯の軍勢が、夜半過ぎに項梁の陣に攻め入ったンだね。楚軍は総崩れになって、項梁の最期さえ判らないほどの大敗を喫した。夜襲だったとはいえ、主将の首級が見つからないほど、楚軍はボロクソに負けたわけだ」
A「強すぎるぞ、章邯……」
F「――そうかな」
2人『だから、お前は悩むな!』
F「いや、真面目な話だ。このタイミングで項梁が死んだというのは、興味深いと云わざるを得ない」
Y「……宋義が、章邯に内通していたとでも?」
F「前回のおさらいになるが、陳勝が叛乱に際して述べた台詞を確認しておく」

 ――王侯將相寧有種乎(王だ侯だ将軍だ大臣だなんて云っても、同じ人間だ。ヒトに種別なんぞあるかい)

Y「一見、まっとうな平等思想の発言だな。本人さえ楚王を名乗った辺り、実践しようとは思わんかったようだが」
F「繰り返すが、コレは叛逆者の台詞だ」
A「つまり?」
F「つまり、当時の風潮としては、王侯將相には種があるという思想が主流だったことになる。ヒトは生まれながらにみな平等ではない、という思想だ。懐王が項梁に含むところがあっても、おかしいことではあるまい」
A「いや、でも、項梁のおかげで王位につけたンでしょ、懐王? その恩人を謀殺するか?」
F「逆。懐王にしてみれば、項梁に『どうしてもっと早くオレを王にしなかった!』とか『秦を滅ぼして天下を平定せんか、ボケ!』と文句を云わなきゃならないンだ。なぜなら、懐王は王だから、だ」
Y「……天に選ばれたから王は王であり、選ばれなかったから民は民である。ゆえに、王は民より上にある」
F「子供が事業を興して成功したら、それに協力しなかった(むしろ足を引っ張った)としても、親はそのおこぼれにあずかれる、と普通は考えるだろう」
A「まぁ……普通だな」
F「ところが、儒者は違う。儒教では、子供の儲けは全て親のものであり、親のためのものであるとされている。子供が金を稼いだら、親は、子供におこぼれを与えてやってもいいだろう、というのが儒教の教えだ」
A「……えーっと、懐王は、項梁に王位につけてもらったのを感謝しておらず、むしろ足りないと考え、楚の実権を握るべく項梁を除こうとした……と?」
F「発想はしにくいが理解はしやすい思想だろう」
Y「確かに判りやすいが……どーして思いつける、そんなモン」
F「オレの親兄妹が、まったくその通りの言動をしているから、だ。はっきり云うが、オレの兄は蔵書リストと書庫の鍵が手に入ったらオレを殺すぞ」
Y「判った、もういい。話戻してくれ。あの変態の話はしなくていい」
F「うむ……ふーぅっ。タイミングがよすぎる……というか、どう見ても宋義が主犯だろう、項梁の戦死は」
A「……いや、まぁ、誰が怪しいって宋義以外には考えられませんがね」
F「宋義は懐王の指示を受けて、項梁を殺そう――正確には、秦に殺させよう――とした。そこで章邯に楚軍の進軍経路や軍備を横流しして、夜襲を決行させたンだろう。その証拠に章邯は、項羽の軍勢を無視して、北上している」
Y「項梁の命と引き替えに、楚の命脈を保ったわけか?」
F「叩けばそのまま歴史は変わっていたはずだ。項羽と劉邦をまとめて殺せたわけだからな。項羽が戦上手でも、項梁の死を聞いて動揺し、劉邦その他の将軍が兵をまとめて退いているンだから、その時はまともには戦えなかった」
A「いや、でも……章邯や宋義の動きと実際の戦果で、項梁が謀殺されたって決めつけていいの?」
F「粘るな? 懐王がそういう考えだったという証拠は、実際まだある。全軍を宋義(帰ってきた)の指揮下に置いた懐王は、項羽を魯公に任じているンだぞ」
Y「……孔子の出身地だな」
F「皮肉たっぷりのこの人事がナニを意味するのか、判らんお前じゃあるまい。儒教にのっとって、天に選ばれた王に従え、という意思表示だな」
A「何でこの雪男に都合のいい史料ばかり遺してくれるかな司馬遷はっ!?」
F「チ×ポ以外儒教に凝り固まってりゃ、そんなモン書くハメになるさ。つーかお前ら、もっと単純に考えてみろ。項梁が秦を滅ぼしたら、懐王はどうなる?」
Y「始末されるだろうな」
F「そういうことだ。楚は一枚岩ではなかった。楚の上層部は、露骨に対立していたのがはっきり見えてくるのだよ。というわけで、宋義が上将軍、項羽は次席、末席には范増がつけられ、劉邦他の諸将も宋義の指揮下に入った。そして、次にどこを攻めるのかが問題になる」
Y「おいおい、秦以外のどこを攻めるンだよ」
F「というか、救援だな。北上した章邯が趙に攻め入ったモンだから、趙が楚に泣きついて来たンだよ。もともと楚(懐王・宋義)のせいで趙に向かったわけだから、コレを救援しなきゃいけないのは自明。また、西に向かって秦に攻め入るにしても、章邯の軍勢に背後を衝かれたら一大事だ」
A「項羽は西に行きたいって言上するんだよな」
F「うむ、義兄弟の劉邦を連れて関中(秦)に向かいたいと申し出た。ところが、懐王はもちろん群臣もそれには反対する。項羽は残酷で、城を落としてはひとり残らず穴埋めにする。項羽の行くところは草も生えないともっぱらの評判だ。そんな野郎を秦に向かわせたら、えらいことになりかねない……と危惧したわけだ」
Y「先にしでかした暴挙が影響してるンだなぁ」
F「そこで、秦には劉邦が差し向けられることになった。適度に人望があって人格が寛大な劉邦なら、秦の民衆も受け入れるだろう、と。一方で、項羽は宋義・范増とともに趙へと向かうことになった」
A「正確には、指揮権は宋義にあったけどな」
F「項羽にしてみても、叔父を殺した章邯は倒さねば気が済まない。また、誰が秦に向かっても、自分の戦力なしで秦に勝てるはずがない……と思っていたンだろうね。その人事に項羽が納得したのに、懐王は気をよくして宣言した」

 ――いち早く関中を平定した者を、関中の王としよう。

Y「……あまりに巧妙だと云わざるを得んな。項羽が章邯を破って関中を平定しても、その上に宋義がいれば宋義が関中の王になる。まして、劉邦を先発させているわけだから」
A「報われないね、項羽は……」
F「使うべきではないものを使ったのが、項梁の失敗だったンだろうな。かくして、両雄はそれぞれの立場でそれぞれの戦場へと差し向けられた」
A「ん、毎度のお時間だな」
F「続きは次回の講釈で」

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