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漢楚演義 02 寧有種乎

F「意外に思うかどうかはひと次第だろうけど、始皇帝という一代の英傑の評価は別して低くない」
A「まぁ……有能だったとは思うけど」
F「現代の中国でも始皇帝そのひとを評価する声は根強い。というか、その後を継いだと云っていい項羽や劉邦が、歴史的評価が意外なまでに低いのが原因なんだけど」
A「項羽はともかく劉邦もか?」
Y「劉邦はともかく項羽もか?」
2人『……ん?』
F「はいはい、息がぴったりねーアンタたち。まぁ、両者の評価はおいおい見ていくことにして。始皇帝は征服者として天下を統一し、だが、その天下を保つことができなかった。そのため、ある程度の悪評はあるものの、天下を盗ったことそのものを評価する声は根強いわけだ。ちなみに、鯨統一郎という御仁が著作で『実はいいひとだったのでは』と述べている。興味があるなら『新・世界の七不思議』(創元推理文庫)を読んでみるといい」
Y「当サイトは、作者及び版元とは一切関係がありません。持ってるなら出しとけ」
F「ところが、日本では始皇帝はあまり評価が芳しくない。上述の『新・世界の七不思議』でも『常識』としては悪行の君主とされているし」
A「そりゃ当然だろ? 司馬遷が記した"史記"以外、ほとんどマトモな史料がないんだから。"史記"で悪く書いてあったら、そのまま悪の君主にしあがるさ」
F「評価はさておき、始皇帝は死んだ。それにより、各地で秦への叛乱が起こり始めるわけだが、その前に。始皇帝が地方巡察の最中に死んだのは前回述べたが、それを見た項羽は『どれ、アイツに取って代わってやろう』と云ったし、劉邦は『あんなふうになりてぇなぁ』と云っている」
A「ふたりのひととなりを表す、有名なエピソードだよな」
F「そして『あの野郎、ブっ殺してやる!』と、弟の葬式もあげずに溜め込んだ金で買った巨大ハンマーを投げつけたのが張良だが、始皇帝の乗っていたのではなく後ろの車に当たって事なきを得ている」
A「豪快な軍師サマだぜ……」
F「行動力はあるんだよ、この男。ともあれ、死んだ始皇帝の亡骸から腐臭がするのを防ぐために、塩漬けの魚を車に大量に積み込んで、秦の都に何とかたどりついたんだけど、大臣たちがまずやったのは、坑儒をいさめて北方に追いやられた始皇帝の長男・扶蘇に、始皇帝の名義で死を命じることだった」
A「阿呆を皇帝の位に就けて、自分たちのやりたい放題するために、だな? 扶蘇はそれなりの切れ者だったから、そんな奴が皇帝だとやりにくい、と」
F「そゆこと。始皇帝に仕えていた宦官の趙高が、丞相を抱きこんでそういう命令書を偽作し、扶蘇を自殺に追い込んで、次いで丞相も殺した。擁立された皇帝は、末子の胡亥と云うが、どうしたわけかこのボンは趙高を新任して、趙高が『馬!』と云った鹿を馬だと思い込んだとさえ云われている」
A「どこまでのアホだ?」
Y「鵯越の逆落としを知ってるか? アキラ」
A「何だよ、急に? 義経が一の谷でやったアレだろ? 鹿が降りられる坂なら、馬に乗って降りられないはずがないって云って、実際に騎乗したまま駆け下りた」
F「義経の奇襲病が再発した合戦だな。ちなみに、弁慶さんは馬が大事と、馬を担いで自分で降りたとか」
Y「一説では、それが『馬鹿』の語源とされているが……」
A「1300年違うんですけどねーっ!?」
F「はいはい、仲良くしなさいなアンタたち。まぁ、政権のトップがそんなコト……君主は阿呆で大臣の云いなり、その大臣は利己主義の宦官、では、民衆は溜まったモンではない。おりしも始皇帝の陵墓建設に人員が集められ、誰も帰ってこないということが続いていたモンだから、不平不満はたまりに溜まっていたワケだ」
A「……ていうかヤス、お前そんなに義経が嫌いか?」
F「気にせずオハナシ続けるけど、というわけで、叛乱の嚆矢を切ったのが陳勝・呉広だった。人員を秦に向かって引率していたンだけど、途中、洪水に遭って到着期日に間にあいそうもなかった。秦の法律では、遅れたら死罪になる。そこで呉広が『オラ、もう逃げるだ!』と騒いで、秦の官吏が呉広に気を取られた隙に、陳勝がそれを殺した。そして秦への叛乱を、引率していた人員に持ちかけたわけだが」
Y「話としてできすぎてるな」
F「そゆこと。事前に『陳勝が王様!』と書いた紙を飲ませた魚を放流したり、夜な夜な『陳勝が王さまーっ!』と雄叫びを上げたりしていたそうだけど、そんなモンで効果があるとは思えない。遅れたから死刑という秦の法を口実に、集まった者たちが叛乱に踏み切り、その首領が陳勝だった……みたいなオチじゃないかと思うんだけど」
A「浪漫のない奴」
F「無論、主導していたのが陳勝であろうことは否定できない。何しろこの男は野心家で、若い頃からでかいことを云っては『何云ってンだべ、おめぇ?』と呆れられても『燕雀安知鴻鵠之志哉(意訳:へっ、おめぇみてえな木っ端にはオラっちの志は理解できねっぺ!)』と流したくらいで」
Y「どこの田舎モンなんだ?」
F「そして、儒者が聞いたらその場で殺さるような発言を、挙兵に際してのたまっている」

 ――王侯將相寧有種乎(意訳:ヒトは生まれながらにみな平等なのです)

Y「……いきなり牧師にでもなったのか?」
F「云うまでもないとは思うが、儒者はこの意見を絶対に認めない。社会とは階級によって種別され、ヒトは生まれ持った身分制度の中で生きるべし、というのが儒教の教えだからな」
A「その身分制度の最たるものが、家族制度……ってこと?」
F「厳密には最小のものが、だな。規模を考えるなら、家が国より大きいはずはない。ところが、家族絶対主義を国家に押しつけたことで、儒教には無理が出たわけだ。生前の孔子はほとんど評価されず、どっかの国に仕えても長続きしないで、放浪生活を送っていたのは歴史的事実だぞ」
Y「儒教と平等思想は相容れないということか」
F「家族とは、血縁という脆弱な根拠しか持たない上下関係だからね。親と子が平等だったら、家庭は成立しない。ゆえに、真の意味での平等を成立させるためには、家族制度を叩き潰すことから始めないといけないわけだ」
A「えーっと……陳勝さんはどーされたんでしょうか……?」
F「……あぁ、済まん。つい本性が出るところだった。えーっと、儒教において王とは、王たることを天から認められた存在であり、その血は尊いものとして尊重される。その尊さを徳と称するが、徳が薄れるまで王権は絶対のものとして君臨する。ところが、陳勝は王になるのには血縁的な根拠は必要ないと云いだしたンだね」
A「云ってることはまっとうに聞こえるけど?」
F「そうか? 日本でも、頼朝以後の征夷大将軍は、源氏の血縁者であることが求められた。厳密にはその前の義仲からそうだけど、武士の身で就任したのは全員源氏の流れを汲んでいることになっている……アヤシイ奴もいるが」
Y「英雄の子は英雄足るべし。ノーブレス・オブリージュだな」
F「用法がちょと違う気もするが。極端な話、僕が『家族制度を叩き潰すために、全ての子は親に剣を向けろ!』とキノマタ党という政治団体を立ち上げても、約一名を除いて誰も協力しないだろう? 現実的に考えるなら、平等を旗に掲げるのは大博打なんだよ。血縁ではなく野望と能力がひとの上に立つ資質だと主張しても、その血縁に胡坐をかいている連中が乗ってくるはずはない」
Y「お前に三妹以外誰も協力しないだろうことは予想がつくが、陳勝の叛乱はある程度上手くいったんだよな?」
F「うむ、挙兵してすぐに方針転換したのが功を奏したらしい」
A「その心は?」
F「王になった。陳勝は、北方の地で自殺した始皇帝の(不幸な)長男・扶蘇であると自称し、呉広に到っては楚の項燕であると自称した。そして、楚の旧都を攻略して、現地を領土として反秦戦争を起こしたわけだ。中国史上……というか、人類史上初となる、民衆による国家への叛逆がここに幕を開けた」
A「……ぅわ」
F「自覚はしていなかっただろうけど、陳勝の叛乱は、歴史的には極めて大きい。たとえば、周による殷王朝放伐は、あくまで周という国が殷という国を滅ぼしたものだ。封国の叛乱ではあったが、主導者が民衆ではなかったンだ。現場責任者の姜子牙は民間人だった、というのはちょっと苦しいぞ。現に、天下を盗ったのは周の武王だし」
Y「不満を持った民衆が、公然と天下に叛旗を翻した、ということか」
F「その通り。中国四千年とするなら1800年の間、耐えに耐えていた民衆が、ようやく自分たちで叛逆を決行したわけだ。――そして、この叛乱は意外と上手く行く」
A「それだけ、秦の圧制に不満が溜まっていたわけか」
F「そういうこと。近隣の有力者は兵を集めて陳勝の下に馳せ参じ、遠方の者は現地から協力を申し出た。項梁や劉邦も、手勢を率いて傘下に入ったくらいだ」
A「鼻で笑ってただろうな、項梁……」
F「陳勝の扶蘇はともかく、呉広が項燕を名乗ったのには、楚の名族を自称することで、楚からの支持を得ようとしたからでな。楚という土地は秦への反感が強く『たとえ三戸と成り果てても、秦を滅ぼすのは楚なり』とさえ云われていたほどだ。実際、項燕の名を騙らなくても、挙兵さえすればある程度の兵は集まったはずだよ」
A「まぁ、陳勝が楚王を名乗るのを、周囲が反対してたからなぁ。あんまり支持はされてなかったわけか」
Y「秦はどう出た?」
F「はじめは、地方の叛乱と見てほとんど何もしなかった。趙高は陳勝を甘く見て(後世から見れば、正確に評価して)いて、胡亥には『何にも心配いりませんよ』と云っていたし、放っておいても地方官が平定すると判断したンだね。秦が掲げた法家思想は、前回見た通り、官職にある者はそれにみあった責任を果たさねばならないとする。ゆえに、叛乱は成功するはずはない」
A「甘ったれた思想だな」
F「性善説なんだよ。ヒトが法に従っていれば、悪いことは起こらないし、誰も困らない。法家を物凄く簡単に云うとそんな感じになる。この思想の最大の欠点は、確固たる法とそれを遂行する人員、そして法のバックとなる国家権力が確保されていないと失敗すること。……そして、秦は人員を確保することができなかった。陳勝の叛乱軍――楚軍は、各地で秦軍と戦い、勝利を収める」
A「でも、趙高は皇帝に、それを教えない?」
F「そゆこと。胡亥に何も伝えずに、自分の判断で事態を悪い方向へと進展させ続けた。ついに楚軍は函谷関を突破し、関中へと攻め入ってきたくらいだ。そこで、秦軍の切り札が戦場へと投入される」
A「秦最後の名将、章邯だな?」
F「うむ。この男は、始皇帝の陵墓で働かされていた囚人20万に武器を持たせ『敵ひとり殺せば故郷に帰す』と約束して、戦場に追い立てた。人道的観点から見るならこれほどの悪行はないな」
A「……いや、まぁ、その通りなんですがね」
F「だが、効果があったのは確かだ。囚人たちは戦場で羅刹のごとき働きを見せ、楚軍を撃退した。でも章邯は囚人たちを(もちろん)解放せず、次の戦場、次の戦場へと駆り立てていった」
Y「楚の勢いに、陰りが生じたわけか」
F「陰りどころじゃない。そもそもが寄せ集めに近かった楚軍は、たった一度の敗北で、ほとんど分裂状態に陥ったンだ。各地で王を自称(して、陳勝から独立)する者が現れ、呉広は部下に殺される。その部下も死んで、呉広が担当していた方面は秦に奪い返された」
A「ガタガタだな……それほど、章邯が強かったってことでいいのか?」
F「というか、陳勝や呉広の戦術能力がまるでダメだったンだろうな。そもそもが民衆出身だったこのふたりに、大軍を統率する能力はなかった。ために、秦が本腰を入れて、正規の軍隊を投入したことで、あっさりと瓦解した、と」
Y「古代ギリシャの直接民主制都市国家では、政治家には任期があったのに、軍人は事実上任期がなかったのは、その辺が原因なのかね」
F「シロートに軍隊率いさせて、うまく行くはずがないと思うよ。それからあっさり陳勝も死に、戦乱の舞台が整うわけだけど、そろそろ毎度のお時間ですな」
A「だな。では、どーぞ」
F「続きは次回の講釈で」

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