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「……そうか」
 話を聞き終えた一刀は、寂しそうに溜め息をついた。
 一刀の私室。寝る直前だったそこに押しかけたのは、秋蘭と紫苑、そして朱里。秋蘭が「お任せを」と告げると、華琳は春蘭を相手に閨に着いたため、ついては来なかった。
「袁紹たちが、そう簡単に死ぬとは思っていなかったけど……やっぱり、生きてたんだな」
「まだ、生きているだろうな。そう簡単に、くたばる連中ではない」
「そうだな……」
 一刀は、涙眼になっている朱里の頭をなでて。
「気にしなくていいんだよ、朱里。袁紹たちが今更なにをしようとしても、俺たちには関係ないんだから」
「……はい」
 やはり、と云うべきだろう。一刀は朱里を許した。そういう男ではあるのだが……頭をなでているその手が、少しだけ震えたのを、朱里はきちんと気づいてしまう。ご主人様は、伯珪さんを……?
「それは、本心ですの? ご主人様」
 朱里の動揺を他所に、ややきつい口調で、紫苑が口を挟んだ。その物云いに、一刀は眉をひそめて紫苑を仰ぐ。
「紫苑……何か、袁紹に怨みでもあるのか? ちょっときついけど」
「あります。それも、著しい怨みが」
 云い切る未亡人。これは、秋蘭でも予想していなかった発言だった。3人分の視線を受けて、紫苑は大きすぎる胸を揺らし……もとい、反らした。
「お忘れですか、ご主人様? この黄漢升は、袁紹に人質を取られ、心ならずもご主人様に弓引いたのですよ」
「あぁ……」
「しかもその人質は、わたくしがおなかを痛めて産んだ娘です。これで怨みを抱かぬ母が、いったいどこにいます?」
 公人としての黄忠はともかく、母としての紫苑は袁紹を怨んでいた。考え方によっては、そのせいで紫苑も北郷軍に加わるに到ったのだが、そういう問題ではない。
「今からでも遅くはございませんわ、ご主人様。袁紹の追討をお命じください。このまま袁紹たちを野放しにしておけば、またわたくしのような母親が出るやもしれません!」
 強い口調で紫苑は云い放った。普段の大人びた(オトナだが)態度で暴走しがちな北郷軍を制する年長者の姿はそこにはない。だが、一刀は紫苑を制する。
「紫苑……朱里が」
 ここで紫苑が強硬論を唱えれば、唱えるほどに朱里を追い詰める。袁紹を放っておきたくないのは一刀の本心だが……それを理由に、朱里を失うわけにはいかない。娘とさして変わらぬ年代のこどもが泣いては、公人としてはともかく母としては、強く主張はできなかった。
「では北郷殿、わたしに一ヶ月の時間と自由をいただきたい」
 まっすぐに一刀を見つめ、秋蘭が口を開いた。
「夏侯淵……?」
「この夏侯淵妙才の名に賭けて、袁紹一党を捕らえてご覧に入れる。一ヶ月の間自由をいただければ、必ず」
 言葉は短いが、それだけに覚悟が伝わってきていた。
 そもそも秋蘭は、朱里を助けに誰か(愛紗と踏んでいたのだが)が乱入してくることまで計算していた。華琳をも利用して朱里をおびき出し、その上で、一刀に袁紹追討令を出させる。閨でとはいえ弱みを見せたことで、一刀は自分を高く評価していると、秋蘭は自覚している。自分がやると申し出れば、ある程度の条件は出すかもしれないが、拒みはしないはず。唯一、紫苑の思わぬ逆上ぶりだけが計算外ではあったが、大勢に影響しないどころかむしろ追い風。
 公孫賛に対する一刀の執着心、それを晴らせるのは袁紹の首ないし身柄のみ。秋蘭が袁紹を捕らえれば、褒賞は思いのままだろう。華琳のために州ひとつ……いや、国ひとつを用意させるのも、不可能ではあるまい。
「1ヶ月……ですか」
 紫苑は、厳しい表情のまま一刀に眼をやった。値切るにはいささか切りのよすぎる数字だ。また、曹魏にそのひとありと称され、西方諸州を制した夏侯淵ならば、それくらいやってのけるかもしれないという期待感もある。
「……朱里を責めるわけじゃないけど」
 一刀は、やや浮ついた声で。
「袁紹たちの行方は……探しておいた方がいいのかもしれないな」
 秋蘭の心残りは、たったひとつ。……未だ袁紹の元を離れていないであろう、斗詩のこと。袁紹を討てば、斗詩は死ぬ。華琳のためとはいえ、自分は斗詩を犠牲にできるのか。
「……では?」
 答えを促した秋蘭の声に、一刀は、朱里の頭から手を上げずに、視線を秋蘭に戻す。
「あー、もぉ! 夜中にうるっさいわね!」
 ……音高く戸が開け放たれ、めがねのメイドが肩を怒らせ、乱入してきた。
「詠……?」
 さん、ちゃん、と朱里と紫苑が付け足したものの、秋蘭以外の3人は、メイドさんを呆然と見詰める。唯一秋蘭が、視線を細くして詠を見返した。
「侍女が乱入してくる場面ではないぞ……今、極めて大事な話をしている」
「ったく……。何年も前の古傷を、改めて抉りなおす相談が大事な話? 程度の低いこと云ってンじゃないわよ。こんな時間に、わざわざガン首そろえて何やってンだか」
 聞いていない様子で、ずかずかと大股で近づいてきた詠は、一刀の胸倉を締め上げた。
「結局、あんたはあの時、公孫賛に援軍を出せなかったのを悔やみ続けてるんでしょーが。反省するのは悪いことじゃないけど、後悔するのは悪いことなんだからね。そんな考えで、国が保てると思ってるの?」
「……詠。そうは云うけど」
「えぇ、その通りですよ。ボクはメイドだから、国の方策に口出そうとは思わない。でも、ひとつ云っておくわ」
 一刀の胸元を離し、詠は、めがねの奥のキツい視線を、一刀に向ける。
「翠は、曹操を許したわよ」
 この発言に、秋蘭は息を呑んだ。紫苑は厳しい表情を崩さず、朱里は顔を上げることができず、そして一刀は呆然と詠を見つめている。云うだけ云った詠は、来たとき同様大股で、言葉を失った一同を捨てて部屋から出て行く。
「……詠」
 一刀の声に、詠は足を止め、だが振り向かなかった。
「……ありがとな、詠」
「……ふん」
 詠は、部屋を出た。
 ややあって、一刀は顔を上げた。憑き物が落ちたような……そんな表情になっている。
「袁紹は、もう放っておこう。行方を捜す必要はない……もっとも、また挑んできたら、今度こそ叩き潰すけど」
「御意、です……」
 泣き止んだ朱里が、小さな声で応じる。紫苑は不満そうだったが、表情から険が落ちていた。
 秋蘭は、残念そうに肩を落としたものの、表情には出さずに。
「……では、わたしは失礼しようか」
「あぁ……悪いね、夏侯淵」
「そうだな。華琳さまのご機嫌を、どうやって取ったものか」
 半ば本気で、秋蘭はぼやいた。

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