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「おい!」
「んー?」
「あ……」
 翠と連れ立って歩いていた朱里は、かけられた声に視線を向ける。庭の卓から春蘭と秋蘭が、こちらを見ていた。
「あぁ、夏侯惇……に、夏侯淵。何か用か?」
「貴様に用はない。そこの軍師にだ」
「ご挨拶だなぁ……」
 春蘭がにらみを利かせ、翠は受け流す。姉の横で、まずいな、とこっそり秋蘭は思った。朱里を待っていたのは事実だが、翠を連れているとは思わなかった。
 その翠が、秋蘭を見て、太い眉毛を心持ち歪めたものの、朱里の頭を軽く叩いて。
「ンじゃぁ、あたし行ってるからな。襲われるなよー」
「あはは、判りましたー」
「誰が襲うか!」
 立ち去ろうとする翠に、朱里は笑い春蘭は怒ったものの、秋蘭は腕を組み、その背に声をかける。
「馬超殿」
 名で呼ばれて、翠は足を止めた。
「その発言は、わたしへの当てこすりか?」
「……悪いけど、あたしまだあんたと口利くつもりねーんだ」
 錦馬超は、だが振り向かない。
「でも、そーいうつもりじゃなかったから。気を悪くしたンなら、そこは謝っとく」
「……そうか」
 軽く手を振って、翠はそのまま回廊を歩いていった。秋蘭は複雑な視線で、その背中を見送る。
 ……ことは数年前までさかのぼる。宦官だった父の死から曹魏の王となった華琳を、ある日、翠の父・馬騰が訪ねてきた。弔問外交という名目だったが、当時の華琳は、現在よりさらに幼い容貌。さすがに、勇猛をもって知られた馬騰とまみえるのに躊躇いを覚えた。そのため、春蘭を玉座に座らせ、華琳自身は傍らに侍る、という工作を行った。
 この工作そのものは上手く行き、面会は問題なく済んだのだが、その後がまずかった。不安になった華琳は、馬騰のところに秋蘭を送って『曹魏の王』の評価を尋ねさせた。
『ふむ……武には長けるようだな。将来、うちの娘と張りあえるくらいにはなるだろう。正直、国を治めるに足る人物かは、不安だがな』
 不安、と云いながらも馬騰は秋蘭に微笑んで。
『だが、傍らにいたあの小さな娘。あの娘はいいな……只者ではないぞ。あの娘が補佐役として成長したなら、曹魏も安泰だろうて』
 後日、華琳本人が非礼を詫びて事なきを得たが、以後華琳は覇王として頑なな態度を見せるようになった……。(※2)
 それから数年して、華琳の命により秋蘭は謀略を講じ、馬騰を殺し、馬一族を離散に追い込んでいる。涼州を制圧したのも秋蘭だった。ために、翠が華琳よりも秋蘭を怨んでいたとしても、おかしくはない。
 華琳にせよ秋蘭にせよ、先日云ったように怨んではいないようだが……本人が云った通り“まだ”複雑な心境、というところか。
「えーと……それで、何か御用ですか?」
「ん? あぁ、そうだった。手紙について聞いているか?」
 いちおう事情を判っている同士、口を挟むのを躊躇っていたふたりが、会話を再開した。右眼と亡い左眼で、春蘭は朱里を見下ろす。云われた朱里はきょとんと春蘭を見上げて。
「お手紙……ですか?」
 ふたりは「やっぱり……」と溜め息を交わした。
「どうか、なさったんですか?」
「いや、先日な……」
(ぽわんぽわんぽわんぽわん)

「北郷! 入るぞ!」
「ぅわ、びっくりした!? ……夏侯惇さん、ひとの部屋にいきなり入らないでくれませんか?」
「なぜ敬語か。ついでに聞くが、卓の下にナニを隠した」
「イエ、ナンデモアリマセンヨ?」
(廊下から)「ゆえー? どこ行ったのよー?」
「……だいたい判った。程々にしておくべきだと思うぞ」
「いや、キミらに云われたくないというか、何と云うか……。で、何か用?」
「あぁ、そうだった。実は、手紙を書きたいのだが」
「手紙?」
「うむ。捕虜になってしばらく経つから、洛陽や許昌に近況報告をな」
「あぁ、いいよ」
「……そう云うとは思ったが、検閲は行わないのか?」
「ひとの手紙見るほど、野暮じゃないって。好きに出していいよ……っ!?」
(乱入)「くぉら、ち○こ男! ボクに隠れて月と何してるのよ!?」
「だから、いきなり入って来ないでー! 俺、いちおうここの主!」
「うっさい! ち○この遣いが月に手を出すな!」
「詠ちゃん、ご主人様に非道いことしないで……」
「……邪魔したな」
「助けて行ってー!?」

(ぽわんぽわんぽわんぽわん)
「……という次第だ」
「そういえば、ご主人様が詠さんにボコボコにされてましたっけ……」
 何となく、3人で溜め息を交わしてしまった。
「……それで、お手紙ですか」
「あぁ。洛陽の張郊に出したいのだが……中身、改めてもらわねばならんよな?」
「そうですね……」
 朱里本人の意見としては、一刀同様、捕虜とはいえひとの手紙を見るような真似はしたくない。しかし、いちおうは勝者として、捕虜への監督責任というものがある。
 秋蘭は膝を折ると、目線を朱里にあわせた。
「諸葛殿、貴公にこれを預けよう。検閲するなり添削するなり、好きにしてくれ」
「はぁ……では、お預かりしますね」
 朱里は手紙を手に、回廊をとことこ歩いていった。その小さな姿を見送って、春蘭は妹に右眼を向ける。
「で、何を企んでいる?」
「企むとはひと聞きの悪い。わたしはただ、華琳さまのためを思ってだな」
「……ふん」
 華琳の名を出すと、春蘭は面白くなさそうに口をつぐんだ。……秋蘭に云われた通り、一刀から手紙を出す許可を得て、手紙を書いて、朱里が通りかかるのを待つ。それだけで、どうして華琳さまのためになるというのか。
 秋蘭は、口元にうっすらと笑みを浮かべる。
「足りない頭をそう使うな、姉者。上手く行けば、北郷殿は華琳さまに、州のひとつもくれるかもしれん」
「足りない、云うな!」
 むきになって怒る姉を聞き流して、秋蘭は筆や墨の後片付けを始めた。

※2 実史では、馬騰ではなく異民族の使者を相手にしたエピソードです。他の武将(夏侯惇との記述もない)を代理に立てたところ、その使者に『あの小さい方こそが油断ならん』と見抜かれた……と、ほぼこの通りの展開になります。
 たったひとつ、使者は帰り道で殺されていますが。

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