すし屋の作法

すし屋のカウンターにおいて、職人に向かい、好みのすしを注文しながら食べる際、「すし通」

見える。あるいは見せるために必要とされる作法。その内実は緒論あって一定しないのだ
が、そ
うした見えない「作法」に束縛されている人は厳として存在する。

  • 注文するすしダネの順序 
     「ギョク(玉子焼き)に始まり・・・」とする人は多い。これは、玉子焼きがその職人の腕
    前を計るに最もよい指標とされたためである。もっとも、できあいの玉子焼きを買ってい

    店では意味がない。このため、塩締めや酢締めの加減で職人の腕を見ようと、ぎョクで
    はなく「光り物から」とする人もいる。ただ、いずれにせよ、職人の腕がわかりきってる

    合には不要のことである。
     握りずしの発生期を省みれば、屋台食いか持ち帰りであった。屋台のすしは、気取ら
    ない食べ物である上に、二つ三つつまむ軽食であるから、食べる順序など気にされる

    ずもない。後に出てきた高級料理やなみのすし屋では、職人が別室ですしを作り、それ
    を座敷に運ばせるのだから、職人と客とのやり取りはほとんどないし、客も人目を気に

    て食べる必要がない。つまり、順序をあれこれ言うようになるのは屋台方式の商売を

    店に取り入れた(これがカウンター形式の店になる)大正期以降のことだと推察され
    る。
    この時点ですしは当初とは違う供され方をしていたのであるから、どの食べ方が本筋
    であ
    るかは論ずるだけ無駄である。
    自分の好きなおすしから召し上がって、気楽に食事してください。
    栄養のバランスを考えた場合には参考にしてください。

すしを手で食べるか箸で食べるか
 すしを手づかみにするか箸で食べるかも同じことで、前者は屋台の食べ方、後者は料理屋
での食べ方の違いにすぎない。カウンター形式は両者の合体であるから。どちらが正当であ
るとは言えない。
すしは手づかみの方が食べやいが、これもお客様のご自由です。ただ、お客様が寿司を口にしたとき、しゃりがい
かに、ほぐれるかはおいしさに繋がると思います。箸でにぎりを、持つ場合に、崩れないように握り方を加減しま
す。つまり手で食べるか、箸で食べるかで、握る側はにぎりを加減しなければならないことになります。

醤油をつけるのはかシャリかタネか
 つけ醤油をご飯側につけるかすしダネ側につけるかの議論は、さらの滑稽である。本来の
「江戸前風の握りずし」を気取るなら、すしダネはすべて下味がついているはずで、つけ醤油
を置くこと自体が不要だからである(当初もあるにはあったが、それはあくまでも下味の不足
を補うものだった)。
 下処理を省いてタネに塩気ががなくなったからこそ、つけ醤油が不可欠になった。すし飯に
はたいした違いはない。されば、すし飯とすしダネのいずれに醤油をつけるべきかは、もはや
明確であろう。
鮨は日本食料理です。和食の基本である刺身、煮物、焼き物、酢の物等が料理(盛り込み)されているの
です。全ての鮨には違った味があり、本来ならつけ醤油は不要ですが、これもお客様の好みの味加減も
ありますのでつけ醤油もご自由です。

酒を飲みながらすしを食べるか否か
 酒とともにすしを食べるか否か。これも議論が分かれるが幕末期における料理屋形式の高
級すし屋では、当然酒は出したはずである。屋台では置かないこともあったが、それは店の

り盛りによる理由(屋台はひとりでやる場合が多かった)か、さもなくば、客はすでに呑んでい
る酔客が多かったからであろう。
屋台店は5人も並べば満席である。すしを握る、お茶を出す、勘定をして支払いを受ける、という仕事もあ
る。それを一人でこなす忙しさは想像がつく。お茶を注ぐ手間さえ省きたいから、まして酒など供している
暇はなかった。

すしはひと口で食べるものなのか
 「すしはひと口で食べる」という意見に対して、「食べきれない場合は半分に切り・・・」という
見解もある。ひと口でたべるのを粋とするのはどう見ても江戸庶民の気質で、男連中でにぎ
わった屋台に端を発していそうである。後者は、女性向のマナーブックでたまに見かけ、その
裏には懐石料理の作法が見え隠れする。つまり、作法のよりどころがまったく異なっている。
好きなように食べていただければ結構でです。

このように、江戸前風握りずしの「正当なる食べ方」というのは、実は内実が非常に不確定
で、理由づけもたいしたものではない。
 食通で知られる北大路魯山人は「寿司談義は小遣銭が快調にまわるようになり、年も40
の坂を越え、ようやく口も奢ってきてからのこと」しゃしってきてからのこと」(「握りずしの名人」
『独歩』
1952〜53)と述べているが、この言葉からもわかるように、大正から昭和にかけて、当時
出始めたカウンター席ですしをつまむことができた人々は、ある種「特別な人」であった。彼ら
が、わが身の身分や特権階級意識を誇示するために、銘々勝手な方式で食べ方を規制づ
けた結果が「作法」であろう。個々人がそれぞれの思いを述べるからこそ、「作法」には一貫
性がなく、諸説飛び交うことになる。
握りずしやだからといって特に改まった作法が必要なわけではなく、通例のマナーさえ守って
いれば、後は好きに食べてよいはずである。

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