舞台裏2.CONTEMPLATION




 珍しく3人そろった、夕食の席で。シオンは無言で困り果てている。
 手狭な食卓の上にはにぎやかに、椀や小鉢が並んでいる。質素ながら小ぎれいに磨かれた食器と茶碗。どこか懐かしいバター茶の香り。ほかほかと湯気を立てる肉入りのテントゥク。小麦の生地をちぎって作った団子に加え、豆と野菜まで入れられていて、これは故郷の基準から言ってもかなり豪勢な部類に入るのではないかとシオンは思う。品数はそれほど多くはないけれども、丁寧に作られたことがひと目で判る、料理の数々。
 そしてそのすぐ横では、妙に緊迫した空気を漂わせた何かが、至近距離からまじまじとシオンを見ている。
 横を向かなくても如実にわかる。明らかな期待に満ちた無言のまなざしが、骨付き肉を前にした狩猟犬のように、尋常たりえぬ熱意をもって、じいっとシオンを見つめている。輝き出さんばかりの瞳のきらめき。高まる鼓動に、上気した頬。見えない尻尾をピンピンと振りながら、「よし」の言葉を今か今かと待ちかまえている。あまりにもまっすぐで、あまりにも素直な陽性気質。無邪気、とはこういうことを言うのだろうか。……そう、本人に悪気が無いということだけは、痛いほど良くわかるのだが。
 目線はしっかりと前方に固定したまま、それでも視野の端っこではしっかりと子供の高揚をとらえつつ、シオンはすっかり閉口している。何かひとつ食物を口に運ぶたびに、体の右半分には大いなる迫力で、無言のプレッシャーがひしひしとかかる。『美味しいですか、シオン様!』 質問文など聞かなくてもわかろうというものだ。いったい、平常心とかポーカーフェイスとか気配を殺すとかいった基本所作は、この子供の頭には無いのだろうか。
 内心で大いに戸惑い困り果てながら、同時にあまりにも得体が知れなくて、シオンは思わず横目でしみじみと、この未知の孫弟子を観察してしまう。まるで、やんちゃな仔犬のようだ。待機中の緊迫感に息を殺しつつも、大きく見開いた眼をキラキラさせて、口元には隠しようもない笑みの形が広がっていて、頬にはえくぼまでできていて。身を乗り出してただひたすらに、シオンの反応を待っている。期待が砕かれてしまうかもしれない可能性のことなんか、まったく考えつきもしていない顔で。
 ……こんな生き物は初めて見た。
 つらつらと頭の隅で思いながら――同時に外面ではいかにも重大な考え事をしているような素振りをしながら、シオンは最後のひと口を綺麗に食する。貴鬼の両目がクワッと開く。まな尻まで裂けんばかりに、一層大きく開眼した双眸から注がれるその熱い眼差しを、シオンは椀の動きに紛らせて華麗に受け流す。……さすがに少々、可哀想なような気もするが。しかし反応は、してやらない。というか、こんなの、いったいどう反応すればいいと言うんだ。そもそも、子供は苦手なのだ。
 押し隠された困惑のすぐ傍らで。シオンにしっかり気付かれているということに、それどころかさり気なくかわされてさえいるということに、貴鬼はまったく気付いていない。反応が無いのは自分のアピールが足りないからに違いないとばかりに、大きな両眼を皿のようにして、ほとんどにじり寄るほどの勢いで、じいっとシオンの顔を凝視している。中空で止まっていた匙の中から肉の塊がぼてりと落ちたのにも、全然気付いていないらしい。……せめてもう少し普通にしていてくれれば、言葉を掛ける気にもなり得ただろうものを。シオンは胸のうちで天を仰ぐ。ここまで来ると、何だかもう、むしろあきれる。
 恐ろしいほどの人懐っこさ。思っていることが表情に出すぎなのである。ストレートすぎるほどの感情表現。他者の善意を疑わぬ力。それは幸せなことだと、思う。……あの頃の彼には、無かった。
 斜め前の席ではムウが、あきれ果てたように貴鬼を見ている。行儀が悪いと注意する気力もほとほと尽きたという顔で、アリエスの黄金聖闘士は黙ったまま手も口も使わずに、本日十数度目かの警告を発した。卓上の濡れ布巾がふわりと浮き上がり、無造作に貴鬼の顔にべたりと張り付く。空気の漏れたカエルのような奇天烈な声を出した貴鬼は、慌てて顔から布巾を剥ぎ取って、そこら辺に零してしまっていたスープの汁を拭き取り始めた。
 心なしか安堵したような気持ちでシオンは、重ねた食器を片手で器用に持ち上げながら、素早く席を立ちかける。と、無意識にそちらに遣った視線が、思いがけずムウの視線とかち合った。しばしの、沈黙。何となく物言いたげな彼の瞳が、気のせいかどこか楽しげに揺れている。やがてとうとう、こらえきれないというように、目線だけでくすりと笑われた。
 ……そんなに困りきった顔をしていたのだろうか、自分は。
 いささか心外な気分になりながら、しかし同時にその人の珍しい種類の笑みに少しだけ鼓動が跳ね上がるような思いにもなりながら、シオンは口の端だけでほんのわずかに苦笑を返す。子供には知られぬほどにさりげなく見交わしあった、まなざしの間だけで、こっそりと。
 貴鬼はやっぱり気付いていないようだった。



《END》

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「いつか夢見た花の色」の舞台裏その2です。貴鬼ちゃん!そんなに露骨に眼を皿のようにしていたアナタの気配にシオン様が気付いてなかったはずがないでしょ!という話。ああ、ホントに、何て素直な良い子なんでしょう。貴鬼ちゃん。ていうか可哀想に。貴鬼ちゃん。シオン様、いくらどうすればいいのかわからんかったからってシカトはひどすぎです。笑

以下、同様に、貴鬼ちゃん視点じゃない視点で本編を見るとこうなります話をいくつか。

(1)「一時期の強烈な忙しさも随分マシになったということなのだろうか。最近のシオンは、こうやって自宅でくつろぐことも稀ではない」
→嘘です。忙しいです。ものすごく頑張って無理してます。

(2)「シオン様は何を謝っているのだろう」
→お気づきかもしれませんが、その後しばらく長期留守にすることをムウ様に謝っています。
→何故ならばムウ様が寂しい思いをするからです
→実際相当寂しかったようです

その他
・シオンとムウの会話が不自然なほど極端に少なかったのは、貴鬼が眼を皿のようにして自分たちを観測している事に気付いていたからです
・本当は貴鬼が寝ている間にはそれなりにしゃべっている模様です
・貴鬼経由で他の人々に会話の内容が広まる(かもしれない)のがとても嫌なのだそうです
・つまり結構恥ずかしいこともしゃべっているようです

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Written by T'ika /〜2006.4.27