舞台裏3.CONCEAL 「そういえば食事の時、どうしていつも、黙っているんですか?」 会話の中でふと思いついて、ムウは以前からの疑問を口にした。 「かわいそうに、貴鬼は結構本気であなたの反応を気にしているんですよ。ほんの一言、一度でもいいから、何か言ってやれば良いのに」 そうすればあなたも、あんなに困り果てることもないでしょうに? いささか悪戯めいた表情で、ムウは眼の前の人に笑いかける。屋根裏の子供を起こさぬように、声音はあくまでもささやかであった。 「困り果てる?誰の話だ」 不本意そうに眼差しを上げたシオンが、剣呑な口調で眉根を寄せた。手元の椀から珍しい磚茶の香りがたつ。とりとめもなくあれこれと語り合っているうちに、時刻はいよいよ深更に近かった。 「そもそも聞かれてもいないものを、何故いちいち言ってやらねばならんのだ」 「あれは『聞かれてもいないもの』に入るんですかね……」 「…………」 思わず、食事時の貴鬼の様子が目に浮かぶ。 ――美味しいですかシオン様! 確かに口に出してこそ聞かれてはいないが。七色に発光する油性の極太マーカーで、質問文が顔中に書いてあるようなものだ。 その光景を鮮明に思い出したのか、堪えきれないというようにシオンが咽喉の奥で苦笑した。つられてムウもくすくすと笑う。 それからしばらく、沈黙が落ちて。 「……私には、言ってくれたじゃないですか」 無関心を装いながら、敢えてぶっきらぼうにムウが訊いた。 しかしさり気ない素振りはしていても、挙動がぎこちなくなるのは止められない。面白そうに口元で笑ってシオンが促す。 「何のことだ?」 「昔のことです。まだ修業を始めたばかりの頃の。……私には、美味しいと」 心なしか声の音量が落ちる。淡々と語ったつもりではいたが、顔に血が上るのは自分でも感じた。 「だから?」 少し意地悪くシオンが聞いた。 「だから、つまり……その、それなら貴鬼にはどうして」 眼の下に刷いた朱の色をますます深くして、口ごもりながらも問いかけるムウに、あしらうような素振りでさらりとシオンはうそぶく。 「子供は苦手だ」 答えを受けたムウはかすかに眉を顰める。再び逡巡するように、少しばかりの沈黙が落ちた。ことりと小さな音を立てて、シオンが二人分の磚茶を注ぎ足した。 「……しかし、シオン」 「何だ?」 「……私も、子供だったんですが」 何のことだかよくわからない、というように、悪びれる様子もなくシオンがムウを見た。 「あなたと暮らしていた頃の。あなたが『美味しい』と言ってくれた時の私も、子供でしたけど」 「そうだったかな」 平然と返すシオンに、ムウはおずおずと切り出す。 「……私のことも?苦手だったんですか?」 恐ろしく読み取りがたい表情で、シオンが再びムウを見た。穴のあくほど、まじまじと。三たびの沈黙が茶の間に落ちる。 「阿呆か、おまえは」 何でそうなる。そっちにいく。呆れかえって物も言えないといったようなシオンの口ぶりに、未だによく解っていなさそうなムウが不分明な声で、すみません、と小さく呟いた。 敢えて深々と溜息をついて、手元の椀から一口含み、ややあってシオンは言葉を継いだ。 「まあ、そうだな――おまえがあまりにも控えめだったせいかな」 「……?」 「あの頃のわたしが、らしくもないことを口走った理由だ」 出会ったばかりのムウのことを、シオンは思い出している。孤独に慣れ切って表情に乏しかった幼い子供が、わずかな期待と不安を瞳に映して、あんまり密かにうつむくものだから。拒絶を恐れて問いかけることも出来ぬまま、それでも隠しようのない想いの断片が翡翠の瞳の奥深く、ひっそりと揺れていたものだから。胸が痛くなったのを覚えている。何も言ってやらないのは可哀想すぎた。 彼のことを少しだけ幸せにしたかった。 「……よく、わからないのですが」 相変わらず要領を得ないのであるらしく、未だに不分明な様子でムウが問うた。それ以上の説明を諦め、空になった椀を置いてシオンは立ち上がる。当座の所はこれでも良い。 「つまり、おまえがあまりにもわたしの感想を聞きたくてどうにかなってしまいそうな顔をしていたのでな。何も言ってやらないのは、少々気の毒すぎたということだ」 ……それは貴鬼も同じだと思うのですが。腑に落ちない気持ちでムウは訝しむ。口にしかけた言葉はしかし、更けてゆく夜の静寂に紛れて、結局は声に出される機会を失ったままだった。 そろそろ眠りにつくべき刻限だった。 「もっと素直に振る舞えばいいものを」 後ろ姿のままかすかに笑って、ささやくような声でシオンが言った。 《END》
***** 「いつか夢見た花の色」の舞台裏その3です。うちのムウ様は少しだけ貴鬼にやきもちを焼いている。シオン様はそんなムウ様をからかって遊んでいる。でも何だかんだで結構手ぬるいんじゃないかと思います。 *****(2021.3.11追記) 更新当時は裏仕様だったんですが、やっぱり表仕様に直すことにしました。それに伴ってタイトル含めそれなりに大幅にリライトしましたが、基本的なストーリーラインは変わってません。 |
Written by T'ika /〜2006.5.4(Rewritten by T'ika/2021.3.11)