ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノindexへ
  Il Futuro di Vernaccia di San Gimignano(ヴェルナッチャを担う若手の台頭)

レティツイア・チェザーニ                    ナディア・ベッティ                  シモーネ・サンティーニ


    ニュー・ジェネレーション、 ワイン街道、そして未来へ、サン・ジミニャーノ・ロッソ  

 昨年春先のこと。サン・ジミニャーノ名称委員会を母体に、"ワイン街道、ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ委員会"が発足する。主な活動内容は、ワインだけに始まらぬ、地域全体の特産品のプレゼンテーションなどによる広報活動。  

 それにしても、春先から秋口のシーズンに掛けて、年間250万人の観光客を世界各地から寄せ集めるほど有名な観光地にありながらも、それだけの必要性があるのでしょうか? その疑問には、会長である28歳の若き女性、ワイナリー・チェザーニの蔵係も勤めている働き者、レティツイア・チェザーニ女史が答えてくれました。  

 「例えば、"キャンティ"を旅する人達にとって、まず第一の目的は"キャンティ・クラッシコ"を味わうことだと思うの。確かに、街並みも美しいし、絢爛豪華なお城たちも魅力的だけれど、やはり"キャンティ・クラッシコ"の艶やかさには敵わない。私達のところではどうかしら?残念だけれども、観光目的のほとんどは、13の塔が奏でる街並みであるのが事実。実際ここに来て初めてヴェルナッチャを飲む、又はその存在に気が付くと言った有様。」  

 確かに彼女の言う通り、ワイン天国トスカーナにおいては全てが逆。モンテプルチャーノ、モンタルチーノなどの小都市にはワインがあるからこそ人々が集まるものなのです。  

 「"白ワイン"自体のインパクトが弱いのかもしれないけど、やはり最大の理由は、有名すぎる美しき街並み。実際に、"ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ"のラベルに、"塔たち"を描かない生産者は全体の5%以下。有名な街のイメージに頼りすぎていた我々生産者のせいでもあるのかもしれないけど結果的に、街のイメージ無しでは売れないというのも、問題。まず第一に、そんな低いレベルのワインでは本質的にないということ。そして街の中心部にある観光ショップのワイン側に、悲しいことだけれど、良い地域の生産物を売ろうとする意識が少ない・・・・。」  

 そんな辛い現状の中、レティッツイア女史が提唱しているのは、小規模ながらに、田舎生活とその産物を実際に体験、又は季節を肌で感じることにより始まる企画。ワインのテイスティング会や、特産品サフランや搾りたてのオリーヴ・オイルを使った料理会、説明会などのアット・ホームな催しの数々。  今、テリトリーを代表する一流ワイナリー、チェザーニのカンティーナを仕切りながらも、地域のために自らの時間を惜しまずに活動的な彼女について、サン・ジミニャーノ名称委員会の会長、ヴァスコ・チェッティはこう語ってくれました。  

 「間違いなく、今この地域を引っ張っている若手代表は彼女であろう。その情熱ぶりには、我々年配でも時々学ぶくらいである。」  ですが、ヴァスコ氏曰く、他にあと3人、語らずにはいられない情熱的な若者がいると言う。  

 そのうちふたりは、サンタ・ルチア地区の小さなワイナリー"ラ・ラストラ(La Lastra)"を経営する"ナディア・ベッティ(Nadia Betti)""女史と"レナート・スパヌ(Renato Spanu)"氏。 トレンティーノ・アルト・アディジェ州はサン・ミケーレ醸造学学校に学んだ二人、そして現在同校の専任エロノゴでもあるエンリコ・パテルノステル氏の幼友達がここサン・ジミニャーノに咲かせたハイ・クオリティなワイナリーで、1994年の創立と近隣で最も若いながらに、多大な注目、そして類を見ぬ評価を受けている理由のひとつは、地質学者であるナディア女史の執拗なまでの化学分析と、そのワインを成す土地への敬意であろうか。  

 1980年頃、醸造学学校を卒業したばかりのナディア女史とレナート氏は、何ともない理由からこのサン・ジミニャーノを旅先に選ぶ。偉大なる白ワインを生み出すトレンティーノに育ち学んだふたりに映った当時のヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノとは、"壮大な伝統に彩られながらも、本質のまるで発揮されていない軽薄なワイン"。そう、数年の後にイタリア中に広がるワイン・ルネッサンスがまだその兆ししかみせていなかった当時のサン・ジミニャーノにおいて、確固とした技術と知識によるワイン生産を手掛けていたワイナリーは"テルッツイ&ピュトゥー"を筆頭に僅かに2,3件ほどでしかなかった。  

 そんな中、壮絶な美しさにを誇る大地の魅力もあってか、すっかりと住み着くことになった彼らのやるべき仕事はひとつ"伝説に語り継がれるヴェルナッチャの再世"。前述の"テルッツイ&ピュトゥー"他、"シニャーノ""パラジェット""モルモライア"などなど、多くの有力ワイナリーの地学を担当し、90年代に一目瞭然とその実力を上げた地域全体のワイン・シーンにその名を刻むこととなる。  

 ただそれだけでは当然、彼らは満足しきれていませんでした。ワイン生産にかかわるもの全ての夢、つまり彼ら自身、自らの理想的なワイン生産にその精力を注ぎ込むこと、それが何よりの目標となっていきました。90年頃、収穫量の制限や、新しいクローンの植付けなどの行われていた僅か数ヘクタールのワイン・ヤードに手をつけることとなり、その並々ならぬ結果のよさに、4年後その土地を購入。最初のヴィンテージにおいてすぐさま数々のワイン・ガイドにその名を連ねる快挙を果し、2年目ではヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ・リセルヴァ'95"が、当時のトスカーナ白ワイン業界にはそう簡単ではなかった"2ビッキエ―リ"を優々と獲得し、赤ワインにおいても、組合せはともかく、その比率からみると紛れもなく"唯一"とさえ言えよう、サンジョベーゼ(1/3)、カヴェルネット・ソーヴィニョン(1/3)、メルロー(1/3)による"ロヴァイオ'96"が、ワイン・スペクター誌において、あのコル・ドルチアの"オルマイア'95"、フォンテルートリの"シエピ'96"、トゥア・リタの"ジュースト・ディ・ノートリ'97"などのスター・ワインと共に90ポイントを獲得し、すっかり"スーぺル・トスカン"のひとつに数えられるようになるなど、まるでシンデレラ物語の再現のような成功を収めるに至るのである。 ナディア女史はこう語った。  

 「トレント出身の私だけれども、ここサン・ジミニャーノは第2の故郷のようなもの。だからこの地の自然が成し得た恵みに敬意を払う意味からも、あくまでも重点はヴェルナッチャ種にあるわ。皆がシャルドネイだのソーヴィニョンだの大騒ぎするのは間違い。ヴェルナッチャ種がこの地のみにおいてコレだけ多大な結果を残すのには何か意味があるはず。それを引っこ抜いて外来品種に没頭するのは正気の沙汰ではないと思うわ。」  

 彼女自身、フランスの偉大な白ワイン愛好家であるというものの、"あれは彼らの大地の作品"と語り、ヴェルナッチャ種100%の姿勢を崩す意志はまるでないらしい。  外国、とは言わぬまでも、多々の異なる文化に成り立つトレンティーノから舞い降りた彼女にとっての"ヴェルナッチャ種"とはなんであろう。  

 「ミューラー・スルガウ種やトラミネル種のように香り立ちはしないし、ピノ・グリジョみたいにパワフルなボディが押し寄せてくる訳でもない。"ヴェルナッチャ種"が私たちに与えてくれるものは、"食事とのバランス"。棚底に飾り置かれる一流銘柄のワインではなく、食事の席に置かれてはじめて、その真価を発揮する"日常のワイン"。つまり"高貴な味"よりも"ワインの本質を兼ね備えたワイン"。要するに、私が造りたいのは最高の日常ワインなのよ。だから、価格も低く保たれなければいけない。」  

 極狭いワイン・ヤードにも係わらず、広々と間隔を置かれた木々たち、そして通常の発芽前の暫定と異なり、発芽して房の形成が終了したものを選抜しきって残す事により抑えられた収穫内容のクオリティの高さ。ほぼ日課のように行われる執拗なまでの成分分析や、可能な限りに小さなステンレス樽における細やかな管理、そして選び抜かれた高品質のフレンチ・オーク樽の使用・・・手の尽き果てることないテマにより生まれる"世界最高の日常白ワイン"・・・ナディア女史のヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ。  

 ナディア女史はヴェルナッチャ委員会の副会長としても活躍し、弟のクリスチャン氏は彼の経営するシエナのワイナリーの他に、ヴェルナッチャの新しいクローン開発の担当者として従事。技術、結果、情熱、そして意欲、いずれにも欠けることのない、近年最も注目株のワイナリー"ラ・ラストラ"とそれを動かす二人の情熱家たち。  

 そしてもう一人、同じく、サンタルチア地区に構えるワイナリー、"レ・カルチナイエ(Le Calcinaie)"の若きオーナー"シモーネ・サンティーニ氏(Simone Santini)"である。

 すっかり地域を代表するスター・エノロゴに成長した、パオロ・カチョールニャ氏と共に醸造学を学び、一大決意と共に1987年、僅か数ヘクタールの土地を購入したのが始まり。100%地元生まれ地元育ちの彼だが、当時の同級生の話によると、何かを始める時は本当に極めるタイプの"神童"であったそうで、実際に畑を一目みれば、細やかなこだわりに覆い尽くされた執念の結晶を間のあたりにすることが出来る。自らがエノロゴであるのに加えて、師匠アンドレア・マッツオーニ、旧友パオロ・カチョールニャの援助を快くあやかって行うそのワイン生産がもたらすものは、ひたすら"質"にこだわられた芸術作品。デビュー年の1993年のワイン全てが、とあるアメリカの有名買い付け家に気に入られて一本も残らず買い取られたというシンデレラ・ストーリーでも話題になった、新生ワイナリーであり、そのヴェルナッチャの主軸である"ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノ・ヴィンニャ・アイ・サッシ(Vernaccia di San Gimignano Vigna ai Sassi)"が繰り広げる世界はまさしく"非凡"で、太い骨格に守られながらも、優しくエレガントなボディが語りかける"存在感"は実に見事。

 そして、彼が生み出したもう一本の"爆弾"が、近年生まれた新しいDOCワイン"サン・ジミニャーノ・ロッソ(San Gimignano Rosso)"のカテゴリーに入る、スーパー赤ワイン"テオドーロ(Teodoro)"。 この"サン・ジミニャーノ・ロッソ(San Gimignano Rosso)"という新しい規定、その実力の証明されつつある、外来品種のこの地への適合性を更に育て上げ、"偉大な赤ワイン"を生み出そう、という発想のもとに生まれたもので、サンジョベーゼ種が50%以上入っていれば、後は全て生産者のお任せという自由さが売りのDOC。現在、未だに詳細の調整中であり、使用されるボトルが一般の"ボルドー型"ではなく、胴太タイプの"ブルゴーニュ型"になると言われているが、既に多くの有名ワイナリーが参加の意志を表明し、数々の素晴らしいワインを生み出している。

 さて、この"テオドーロ(Teodoro)"。70%のサンジョベーゼ種と25%メルロー種に5%のカヴェルネット・ソーヴィニョンが加えられ、フレンチ・バリックにて12ヶ月の熟成を受ける、いわゆる"スーぺル・トスカン"タイプのもの。ただ、彼のワインに現れている一種の優越感は、収穫時における完璧な葡萄の選抜から生まれている。 「幸い、畑が小さいからね。当然、全てが同じ状態で実るように心掛けているけど、もし均一に熟さなかった時は、同じ畑を何度も収穫する。つまり、一房ごとに準備の整っているものだけを収穫していくってことさ。」 理論上は皆分かっていることとは言え、実際にそれを行うとなると"気違い沙汰"の作業。まさしく、執念の男にしか出来ぬ業であり、新しい時代を更に推し進めていくだろう、若手の代表と言えよう。

 先人たちの成し遂げた"偉大なるイタリア原産古典品種白ワイン、ヴェルナッチャ・ディ・サン・ジミニャーノの復活"に華麗な"花"を添える若者達の活躍。中世の気品に溢れるこの美しき街、サン・ジミニャーノを舞台に彼らが切り開いていくだろう輝かしい未来に浮かび上がるものは、本当の意味での"人類と大地の和解"へと導く階段、そして天国なのであろうか。

 今、再び、サン・ジミニャーノ名称委員会会長、ヴァスコ・チェッティ氏の残してくれました一説の詩が頭に蘇ります。

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Siamo una stripe di costruttori di Chiesa e di Piantatori di Vigne. (我々は"美しき教会の建築者"であるだけでなく"葡萄苗の耕作者"の家系なのさ)"