YUKO MASUMITSU JAZZ DANCE STUDIO

 2010年1月


2010/01/03  謹賀新年 そして「のだめ」

明けましておめでとうございます。
おかげさまで、今年も穏やかなお正月を迎える事ができました。
関東地方は、お天気にも恵まれて、元旦には真っ白な富士山の頭も顔を出していました。
今年もまたよい一年になりますように!

さて、恒例の元旦映画鑑賞会、今年は、「のだめカンタービレ最終楽章ー前編」を観てきましたよ。
面白かったです。
ただし文字通り「前編」なので「後編」を見ないわけにはいかない?作りになってます。

映画となって一番よかったのは、大画面での迫力ある音とヨーロッパの街並みの美しい映像でしたね。
特に私は、トルコ行進曲とチャイコフスキーの「1812年」がこんないい曲だったっけ?!という感じでよかったです。

モーツァルトのピアノソナタ十一番、トルコ行進曲は、ある程度ピアノをやってた人なら多分弾いていたりします。(私も大昔?(汗)やりました)
それが、本当にへぇー!というくらいの演奏で、ズバリ何が違うと言えば、音です。
あーこれってこんなに「音遊び」ができる曲だったんだ!と言う驚きの音色(音の宝石箱状態!!)とノリノリのはじけっぷりで、楽しかったです。
実際にピアノを弾いているのは、中国のランランと言うピアニストで、まさにのだめにぴったりの演奏だと思いました。
そういえば、その大昔、ピアノを真面目にやっていた頃、私がベートーベンのピアノソナタ、確か三番かなんかを発表会で弾いたら、音楽をやっている母親の同級の友達に、
「お嬢さんは、ジャズピアノやったらいいんじゃない?」
と言われた事がありました。
その頃はイヤイヤながらも、クラシックをかなり本気でやっていたので、母親的にも、よく分からないながら本人的にも、
「はぁ?」
と言う感想だったのですが、後年、ジャズピアノじゃなくてジャズダンスをやっちゃったわけで、その方の意見は、あながち間違ってなかったのかもしれません。
もちろん、才能のレベルは全く違うのですが、基本的に私は、踊りにおいても、「のだめ」のように自由な表現者でありたいし、「なりきり魔神」が本質なんだなと思い出した事でした。

映画の中で、千秋が言ってた、
「中世では、神の作った世界の調和を知るための学問が、天文学、幾何学、数論、音楽だったんだ。音楽理論を熟知して、『理性の力によって作品全体に対し入念に音楽が判断できる人』を『ムジクス』と言って、ただ音を歌ったり、演奏したりする人を『カントル』と言った。『カンタービレ』の語源だよ」
で、単行本を読んでいないのですが、この作品の構造(テーマ)が初めて見えた気がしました。

ムジクス(=千秋)とカントル(=のだめ)の融合、或いはカントルが「スーパーカントル」となって「ムジクス」に至る、そんな話なんじゃないの??
(単行本も最終巻を迎えたそうですし、そろそろ読んでみようかな、と思いますが…その場で実際に音楽が聞く事ができる映像と言う媒体を得たのはすごくよかったんじゃないかと思いますーやっぱり普通その場面の音楽を聞きたくなるでしょ。)

さて、お察しでしょうが、音楽も踊りといっしょですよね。
ムジクスもカントルも大切ですが、多分「スーパー」カントルがその到達点、ということで、私もまた新たな気持ちで、この一年をがんばっていきたいと思います。



2010/01/06  カールじいさんの空飛ぶ家

私は、普段は、あまりよく映画を観る方ではないので、映画ファンとはとても言えないのですが、ホントは?結構、映画好きです。
お正月休みのように時間があって、一度観ると何だか勢いづいて、次々見たくなります。
今年は、「のだめ」を観てから、DVDで「マジックアワー」(今更ながら、ですが、私は面白かったです。)「ショウタイム」(軽くてそれなり面白かった)テレビで「ダイハード4」(娯楽作としてかなりよく出来てる)そして、「カールじいさんの空飛ぶ家」を観て来ました。

「妻が死にました、だから私は旅に出ます」というコマーシャル映像を見ただけで、うわぁ可哀想!泣きそう!と恐る恐る?観た「カールじいさん」でしたが、なかなかよかったです!

実は3Dで映画を見たのは初めてで、近視のメガネの上に!3Dメガネをかけて、(メガネonメガネ)始めは“違和感満載”だったのですが、あっと言うまに慣れました。
この映画での3Dは、空の旅の臨場感、奥行きを出すための、多分、比較的柔らかい感じの効果なのもあって、疲れる事もありませんでした。
映画は最初に、たっぷりと回想部分があって、カールじいさんが妻のエリーと出会った子供時代からが、無声のまま描かれれます。
二人の何気ない幸せのヒトコマを見るたびに、
「だってエリーはカールを残して先に死んじゃうんでしょーオーン!!」
とボロボロ、涙があふれます…
あー人生って切ない!と思いっきりの感情移入です。
活発で冒険好きな少女が、シャイで夢みがちな少年カールと出会い、やがて妻となり、二人で仲良く暮らし、穏やかに年老いてエリーが亡くなってしまう。(涙)
一人残された、偏屈で、杖をついて補聴器をつけた年寄りが、カールじいさんです。
そして、ここからなんと、カールじいさんの「大冒険活劇物語」が始まるのです。

カールじいさんは、実は諜報部員か?というくらいの活躍でアクションをこなし、アクシデントでいっしょに冒険をする事になった少年、ラッセルが、また、なかなか使える子供なのです。
この二人に、話す犬、色彩感抜群、美女ならぬ美鳥の大鳥ケビンが加わっての冒険は、爽快感がありました。

エリーとの約束、思い出を追いかける旅が、新たな冒険、新たな絆を産んで、前を向いて歩き出したカールじいさんのこれからを心から祈りたい気持ちです。

きっと天国でエリーも見守っているから、笑顔で生きて欲しい。

老いていく事や、人と別れる事の切なさを、踏まえつつ、(思い出の詰まった家も思い出の品々も自ら捨てざるおえなくなっても)なお、明るく生きていく強さを応援するような、暖かい映画でした。
実は、私の後ろの、端の方の席に、人と離れて、老婦人が一人で座っていたのです。
最初は、老婦人が一人でこの映画を見てるのって何か可哀想な感じがすると勝手な思い込みかあったのですが、後でそんな自分をちょっと反省しました。
人との別れがあってもなお人生は続いていく訳で、悲しみで固まって終わるわけにはいかないのです。
彼女が何を想い、この映画を見たのかはわかりませんが、可哀想なんて傲慢でした。
そういえばうちの母親も、観たい映画は一人でどんどん出かけていきます。

年をとっても凛として立って、置かれた状況で、出来る限り明るく、人とつながり、前を向いて生きる強さを、これから先、一歩ずつでもつかみながら生きていかなければ、と武者震いのような想いがしました。
子供も楽しめる夢のある明るい冒険物語でありながら、実は深い大人向きでもある作品だと思います。



2010/01/11  習うより…

今日は成人の日。
二十歳の頃、私が何をしていたかと言えば、大学を中退し、引きこもりを経て、踊りを始め、英会話の学校や翻訳家養成の学校に通っていましたっけ。(遠い昔…)

さて、先日、電車に乗っていた時の出来事。
たまたま座れて、ホッと一息ついたら、何となく食べ物の匂いが…
匂いの方向を探すと、乗り込んできたのは、片手にサンドイッチらしい包みを持ってムシャムシャ頬張っている金髪の外国人女性。
駅は、天下の?T大のおわします駒場T大前。
うーむ、見るからにエリート外国人留学生?
連れは、ちょっぴりさえない感じの(でも多分T大の)院生という感じの男性。
人目を全く気にせずあっと言うまにサンドイッチの残りを口に押し込むと、
「今食べないと時間ないから」
と見事な日本語。
さすがのエリート。(勝手に決めている)
「で、最近どうよ?研究の方は、ボチボチ進んでる?」と女性。

やっぱりだ!研究者だ、カッコイイ!
それにしても、「ボチボチ」なんて使いこなすとは、スゴい。
なお聞き耳の私。(実はすぐ目の前でかなり大声なので、聞かない方が無理という感じです)

「はぁ、まぁ…」と若干、歯切れの悪い返答は、連れのオタク的な男性。
あら、しかもどうも女性の方が、立場が上なんだな。
「そのテーマでどんどん研究会とかやった方がいいよ」
「研究会…」
「そう、顔つなぎ。(これもまた微妙な単語を使いこなす!)どんどん、顔出して人脈を拡げて、このテーマなら誰、これなら誰が詳しい、と連携取れるようにしないと。横のつながりって大事よ。院室にも顔出してる?私も毎日はいないけど、来週だったら火曜日あたりはいるし、イタリアントマトには誰かしらいるから」
とここで電車は終点に。

明らかに後から覚えた感じの日本語なのに、「ボチボチ」「顔つなぎ」「顔を出す」などの慣用句までどんどん使いこなし、行動的、積極性を絵に描いたような発言。
一方、モゴモゴと口が重く、研究会にもあまり乗り気な感じが見えない男性。

もちろん、個人の性格の違いなのですが、メガネをかけて、いかにもステレオタイプな日本人男性を見ていたら、多くの日本人が、一般的に(あくまで一般的ですが)英会話を苦手とする理由が、ここにある!なんて思ってしまいました。
(苦手意識故にか、英会話学校にはせっせと通う)
大抵の日本人が、戦後、長い間、実に中学生から六年以上も英語を学びながら、(そんなに学んだらペラペラだっていいはずなのに)読めるけど話すのは、ちょっと…と言う。
それは、日本の英語教育が、文法に偏っていたからではなく、積極的に話さないからなんだな〜
心を開いて、失敗を怖れず、使ってみる、まずは人と話す。
「習うより慣れろ」というわけです。
しかしながら、私自身は、今となっては、英単語も忘れ、たとえ外国人に道を聞かれても、アワアワするばかりですが…(涙))

ちなみに、「習うより…」は踊りにも通じると思います。
やってみる、そして慣れるまであきらめずに続けてみる。
踊り以外でも、人生の大概の事に通じる真理だな。
よし、これをもって私の「新成人に贈る言葉」と致しましょう。



2010/01/17  寝相のおはなし

最近は寒い日が続きますね〜
夏生まれの私としては、寒いのは苦手でして、早く夏(一足跳び過ぎる!?)にならないかと願っている今日この頃です。(予報では今週中頃くらいにはちょっと暖かくなるとか?)

さて、こんなに寒いのに、寝相がよくない私は、気づくと布団をはねのけていて、冷たくなって目覚めたりします。

寝相が悪いのは、子供の専売特許のようですが、子供の場合、逆に寝相が良すぎる方が問題で、脳や神経系の発達に問題があったりするのだそうです。
寝相が悪い、つまりよく動くのは、活発で健康な証拠とも言えるらしいです。
私もこの説によれば、大変(汗)、活発な子供で、ベッドから落ちた事もありました。

大人になると、成長期に比べれば、それほど派手な寝返りはなくなるのは、寝返りを頻繁に打つレム睡眠の時間が短くなったり、姿勢制御の力が働いたりするためだそうです。
しかし、大人になっても、寝返り自体は、実は身体にとって必要で、寝ている間に、骨盤の歪みを調整したり、血行を促進したり、体温を調節したりする働きがあるそうです。
つまり、ある程度(あくまである程度)寝相が悪いのは、活発で健康な大人の証拠?(…と自分にいいように解釈する)
寝相と言えば、研究者による寝相による性格判断というのもいろいろあるようです。
簡単な四つに分けるものを紹介しますね。

●王様型
<<大の字で仰向けになって眠る>>
気持ちが開放的で、自分に自信を持っている人がとる寝姿勢です。
精神的にも安定しています。
●うつぶせ型
<<うつぶせになってベッドを支配するような姿勢で眠る>>
この寝姿勢は、支配心の表れだと言います。
几帳面で正確に物事を処理するのを好む一方、生活を予定通りにコントロールしたがり、予想外の出来事に対応するのが苦手な人です。
●半胎児型
<<足を少し曲げて横向きで眠る>>
最も寝返りをしやすく、内臓を守りやすい寝姿勢です。
バランス感覚を働かせられる人で、直面する出来事にも過剰なストレスを感じることなく対処できます。また、病気のときや不安が募るときにも、この姿勢をとることが多いようです。
●胎児型
<<横向きで体を丸め、枕などを抱きかかえて内臓や顔を隠すようにして眠る>>
このタイプは、自分自身を解放できず守りに入り、特定の人間関係に依存したがりします。また、生活を楽しんだり、困難にもあえてチャレンジしようとする気持ちを持てず、心が閉鎖的になっています。

その時の心理状態や疲れ具合にもよるそうです。
私は、大抵は眠りに入る時には、半胎児型、かな…逆に、無理なのは、うつぶせですね。

さてと、今夜もゴロゴロ寝返りを打って、骨盤を調整し、良い夢を見るとしますか!



2010/01/18  思わず足が止まりました・・・

懐かしいピンク色の公衆電話を見ました。
携帯電話の普及と共に、姿を消しつつある公衆電話。
私などの世代にしてみれば、携帯電話が当たり前になったのなんて、つい最近(大げさか…(汗))という感じがするくらいで、今まで散々お世話になった公衆電話なのに、この前、使ったのはいつだっけ?と記憶がないくらいです。
そういえば、(多分15,6年くらい前かな?)、携帯電話(舞台ではオモチャを使いました)を持って踊る作品を創った時には、まだ私の周りは携帯を持っていなかったのだから、やっぱり最近?です。

公衆電話を利用したことがある290人に、聞いたというアンケートがあります。
普段、公衆電話を使用していますか との質問を行った結果、
よく利用する はわずかに1.0%(3人) たまに利用する 13.8%(40人)を加えても14.8%と2割に満たない数字だったそうです。
また、同じ290人に、 直前に公衆電話を使ったのはいつですか との質問を行った結果、
本日 との回答は0.7%(2人) 2〜3日以内 が1.0%(3人) 〜1週間以内 が3.4%(10人)で 1週間以内の利用は5%程度で 〜1か月 は11.4%(33人)で ここまで合計しても2割に満たない数字。
〜半年以内 は15.2%(44人)で ここまで合計して31.7%とようやく3割を超えたの事。

しかしながら、どんなに日常的な利用が少なくなったとしても、ないと困るのが公衆電話。
携帯を忘れた時や、落とした時、非常時に力を発揮するのは言うまでもなく、お年寄りや、未だに携帯を持ってはいてもあまり使えない人はいると思います。

さてと、懐かしのピンクの公衆電話ですが、ピンク色のものは、実は、「特殊簡易公衆電話」というそうで、一般加入の電話に、料金収納ができる電話機を設置するシステム。
つまり、貯金箱つき普通の電話ってこと?生まれたのは、昭和34年ですって。
ちなみに、公衆電話の赤いのとか、100円でかける黄色いのは平成7年に廃止になっていて、カード対応の緑の電話かグレーのものになっているそうです。

ピンクの電話と言えば、何となく昭和の喫茶店、アパートの廊下ってイメージ。昭和の懐かしの電話が、ちゃんと現役で働いている光景に、ガンバレ!と応援したい気分になりました。



2010/01/28  スカーペッタ

パトリシア・コーンウェルの「検屍官」シリーズ。
シリーズ第一巻の「検屍官」が1992年に発売以来二十年!近く、新刊が発売になるたびに買ってずっと読
んでいます。
しかしながら、このシリーズのファンのほとんどが、多分そんなふうに長い間のお付き合いをしている人だと思い
ます。最近は、年末に一冊新刊が発売になるというペースで、発売になるたびに、どこの本屋さんでも店
頭、目立つ位置に山積みになるので、読んだ事のない方も目にした事くらいはあると思います。

さて、十六作目最新作「スカーペッタ」。
購入したのは、確か昨年末か今年始めでしたが、なにしろ一年ぶりのスカーペッタの世界なので、もったいな
くて?じっくりじっくり他の本の合間に読み、とうとう読み終わってしまいました。(涙?)
きっと初期からのスカーペッタファンは、皆思っているでしょうが、(…と私は勝手に思っていますが)このシリー
ズは最初の方、十作目くらいまでが絶対に面白いのです。
というか、それ以降とでは、登場人物が年をとるにつれて(主人公のスカーペッタだけが途中で設定が若返る
のですが)世界観が違ってくる。
物語がスカーペッタ一人称から三人称になり、作中人物との距離が出来て、愛すべき登場人物達同士の
関係が悪化し出した、十二作目(確か)「黒蠅」あたりからの変化、暗く重苦しく変化していく世界観。
また、次第に不幸になっていくキャラクター達に「どうしちゃったの!」と哀しい想いをしながら、それでも知らん
顔はできずについて来ている感じではないかと思います。
(途中で離れてしまったウチの母親のような方も多くいると思います)
私などのコンピュータ音痴にとっては、コンピュータ用語や最新のハイテク捜査技術はホントはどうでもいい
し、よく分からないからイメージもわかないし、ただただスカーペッタ達に会いたくて、読むのに、前作に至って
は、長年の友人(私が一番親近感のあるキャラクター)、マリーノに対する作者の手酷い仕打ちに、絶句。
「えー!なんとかしてよ〜コーンウェルさん!」と懇願したい気分。
今作になって、多くの読者の悲鳴が通じたのか、やっとチーム復活、ちょっと大人同士の新しい関係を示唆し
てくれて、少しホッとしています。(でもやっぱりマリーノは少しかわいそう(涙)

スカーペッタシリーズに関しては、もはやミステリーとしての犯人捜しや、そのプロセスは、二の次。
自分の中にある引き出しに眠っているキャラクター達を、一年に一回(本当はもっとしばしばでもいいんだけ
ど)起こして、その間にいつの間にか育っている彼らの成長を見守る身内のような感情の私です。

さて、何でも、スカーペッタ役をアンジェリーナ・ジョリーがやる映画が撮られるらしいとの事ですが、私としては
何となくしっくり来ませんね。
スカーペッタ役に一番ぴったりなのは、美人作家の著者であるパトリシア・コーンウェルさん。
写真でしか知らないけどね〜。

新刊が出るたびに、皆が若く、幸せだった最初からのシリーズを読み返す私。
そして「あー昔はよかったなー」と思う。
自分の産み出したキャラクターを苛める?気がしれない。
年をとるのは哀しい事なのかもしれないけど、それにしてもあんまり!って感じです。
こうなると「サザエさん」のように、年をとらない登場人物が、長続きさせる作品にはいいのかもしれない。
どこまでもついていきますから?本当にお願いですから、皆を不幸にしないで下さいね、コーンウェルさん!



2010/01/31  さよならドビュッシー

今日は、また本のレビューです。
ちなみにレビューって言うと、英語ならreview、フランス語ならrevue、でいわゆる評論とか感想ですが、ダンスなんかのショー、「レヴュー」と同じ単語なのね〜。

さてさて、「さよならドビュッシー」は、「このミステリーがすごい大賞」通称「このミス大賞」を取ったばかりの中山七里さんの作品です。
「このミス大賞」は、宝島社他がやっているミステリー作品のコンテスト。
1位の作品には、1200万円!が与えられるそうです。
この第1回(2002年)の金賞が、浅倉卓弥『四日間の奇蹟』でこれは読んで面白かったですが、その後の受賞作とは、今ひとつ相性が悪く、ちょっと敬遠していました。
(ちなみに第4回(2005年)の大賞は、海堂尊『チーム・バチスタの栄光』でした。彼のその後の売れっぷりはスゴい、でも私とはやはりちょっと相性悪し…)

「さよならドビュッシー」は、いわば音楽ミステリー。
主人公は、ピアニストを目指す高校生。火事で全身にひどい火傷を追って、その後遺症、同級生のイジメにも負けずに、イケメンピアニストの先生のレッスンでリハビリを超え、コンクールに出場と言う、一見、少女マンガのような設定です。
そこに、新たな事件が起こり、どんでん返しがあり…とミステリー要素ももちろんあり、素晴らしい音楽を様々な言葉で描写すると言うおまけがついてくる。
大変読みやすい作品です。
読み出したら、あっと言う間で止まらなく読めてしまう。
文章もやさしいし、読みやすい。(主人公の少女の一人称なので難しい文章は一切ありません)
音楽を描写する部分は、なかなか素敵だし、先生の教え方もユニークで面白かった。
「のだめ」ブームを先駆けとしてか「音楽モノ」は、何故かタイムリー。既にかなり売れているようです。

でも、全体的に私の好み的には、ちょっと軽い。
諦めないで、自分に決して負けたらアカンと言うメッセージ?も、もちろん心を打ちますか、非常に“ベタ”で、松岡修造みたい。(あそこまで行くとちょっと笑わせて貰えるけど。)
恐らく、これが、文章でなく、映像、テレビドラマなら、感動させられて泣いちゃったりするのかもしれないけど、文章でここまでストレートだとやはりちょっと物足りない気がしてしまいました。

面白かったし、嫌いじゃないんだけど、やはり「このミス大賞」とは相性があまりよくないのかもしれません。
肝心のミステリーとしたら、ちょっと組み立てが甘い気がするし、緻密な感じはないのですが、ぱっと読めて楽しいし、エンターテイメントとして、また、音楽の好きな方、よかったら読んでみて下さいな。



ページ先頭へ 前へ 次へ ページ末尾へ