オットー・カリウス |
Otto Carius (1922〜 ) |
武装SSのヴィットマンと並び有名な、国防軍の戦車エース。母親手縫いの“幸運の略帽”がトレードマーク。 1940年、召集により陸軍に入隊。当初は歩兵として訓練を受けますが、戦車兵へ志願し、第21戦車連隊に配属されます。対ソ戦開戦時、38(t)戦車で装填手を務め、軍曹昇進後に戦車長教育を受けます。曹長昇進後、戦車長となり、42年10月1日に少尉に昇進します。 43年1月、重戦車ティーガーの訓練を受けるべく、戦車補充大隊へ移動。訓練後、第502重戦車大隊第二中隊へ配属、レニングラード戦区へ送られます。攻勢においては圧倒的な火力と装甲を有するティーガーの特性を生かして先陣を切る重戦車大隊は、防御戦においては突破してくる敵部隊を迎撃する『火消し』としての役割を与えられ、主に中・小隊で対応する為、小隊長が重要な判断を下す局面が多々有り、この判断こそ、カリウスの勇名を知らしめ、後にソ連軍をして、カリウスを引き渡せば捕虜を解放すると、宣伝放送で言わしめる事になります。 |
43年11月4日、わずか1輌でT−34戦車10輌を撃破し、一級鉄十字章を拝受。12月16日には敵戦車を撃破するだけでなく、戦車砲で爆撃機まで撃墜すると云う珍事まで起こします。 カリウス率いる小隊は、44年2月、SS第11義勇装甲擲弾兵師団『ノルトラント』と共にナルヴァでの過酷な防衛戦を、僚車のケルシャー軍曹(撃破スコア100輌)と共に戦い、3月17日〜22日間に28輌の敵戦車を撃破。5月から9月の間に騎士鉄十字章、金色戦車戦闘章、柏葉騎士鉄十字章(中尉に進級)、金色負傷章を拝受します。 45年2月、駆逐重戦車ヤークトティーガーを装備する、第512重戦車駆逐大隊へ配属されますが、4月16日、大隊はイゼルローンにて米軍に降伏し、彼の戦いは終わりを告げます。撃破スコアは戦車150輌。 戦後、薬剤師となり、56年に薬局『ティーガーアポテケ』を開業。自伝『ティーガー戦車隊(独語版60年。邦訳版95年)』を出版し、今日に至ります。 |
補足
ナルヴァでの過酷な防衛戦=『ティーガー戦車隊』に感銘を受けた宮崎駿氏が描いた『泥まみれの虎』は、この2月24日〜3月22日の経過を描いた作品です。 |