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ミヒャエル・ヴィットマン
Michael Wittmann
(1914〜1944)


 世界的に最も有名な戦車エース。1934年、国防軍に入隊し、第19歩兵連隊に配属。2年の兵役を務めた後、1937年にSSに入隊。SS自動車化連隊『親衛旗“アドルフ・ヒトラー(LAH)”』に配属され、開戦前にSS軍曹に任官。装甲車の車長としてポーランド、フランス戦に参加。1941年、突撃砲部隊に転属し、3号突撃砲の車長としてソ連戦車6両を撃破。7月に2級、9月には1級鉄十字章を拝受します。
 SS士官学校を卒業後、連隊から旅団を経て、師団へと昇格した『LAH』装甲擲弾兵師団・戦車連隊第13中隊に配属され、重戦車“ティーガー”の戦車長としてクルスク会戦に参加し、戦車30輌、火砲28門を撃破。その後もスコアを伸ばし続け、1944年には柏葉騎士鉄十字章拝受と同時にSS中尉に昇進します。
 
 SS第101重戦車大隊第二中隊長となったヴィットマンは、“砂漠のネズミ”の異名を持つ英軍第7機甲師団を、ノルマンディー地区のヴィレル・ボカージュでティーガー4輌と4号戦車1輌で迎え撃ち、大損害を与えます。ヴィットマンも乗車を失いますが、乗員と共に無事脱出。この功績でSS大尉に昇進、総統官邸で剣付き柏葉騎士鉄十字章を拝受します。
 1944年8月8日、第12SS装甲師団『ヒトラー・ユーゲント』の援護の為、サントーへ向かう途中、英軍戦車部隊と遭遇。3輌を撃破したものの、集中砲火を浴びて、ヴィットマンは搭乗員とその運命を共にしました。生涯の撃破スコアは戦車138輌、火砲132門。
 ヴィットマン達の遺体は撃破地点付近に埋葬されましたが、1983年、道路工事中に発見され、正式の軍隊葬の後、ラ・カンプの軍人墓地に埋葬されました。





ヴィットマンSS大尉が最後に搭乗したティーガー