第29章4節 : 諦念と覚悟の狭間にある決意




 後方で何かが動く気配に振り返ったヴィンセントの目には、再び閉ざされたエレベーターの扉が映った。扉上に目をやれば、先ほどと変わらずこの階だけが点灯表示されていた。ヴィンセントは立ち上がってもう一度ボタンを押すと、今度は何事もなかったかのようにエレベーターの扉が開いた。こうして薄暗かったフロアは、エレベーター内の照明によって再び淡く照らし出された。
「本当に気まぐれだな」。誰にともなく呟いてからヴィンセントは視線を戻し、今のところは何の変哲もないエレベーターを注意深く見つめていたが、どこにも異状を認めることは出来なかった。
 ところが、しばらくして何かに気付いたらしいヴィンセントは視線を動かさないままでティファに呼びかける。そして、声に応じて顔を上げたティファに告げた「シャルアを連れて、上へ戻れ」。
「ヴィンセント?」
 唐突な提案に、少なからぬ不満と戸惑いの表情を浮かべるティファを一瞥すると、ヴィンセントは再びエレベーターを見つめながら言った。
「そう言っているのは私ではない、この……建物だ」
 時折ヴィンセントが詩的な言い回しを用いる事は知っていたし、何より人をからかうような性格でないことも分かっていた。それでもティファは言われている言葉の意味を計りかねて首を傾げた。どう見たって冗談を言っている様子ではないし、事実ヴィンセントは本気だった。ティファは唖然とした表情でヴィンセントを見上げていたが、彼からそれ以上の返答は得られなかった。
 目の前で黙ったまま佇んでいるヴィンセントの視線の先には、扉の開いたエレベーターがあった。ティファはそれが返答だと悟って、改めてここへ至るまでの道のりを振り返った。
 都合良く医務室の前に放り出された負傷者。
 偶然そこに居合わせた者。
「医務室を出てから私……シャルアさんを追いかけた。そしたら突然、床から湧き出たみたいに目の前を壁が塞いで、それを壊して先へ進もうとしたら、壁が開いてここへ……」
 不自然を通り越して不可思議な現象だった。つい今し方の事なのに、夢のように不確かでともすると曖昧になりがちな記憶。だからこそティファは、この場所にたどり着くまでの間に遭遇した出来事を口に出して、ひとつずつ経緯を確認するように振り返る。なぜ? どうして? 疑問は尽きない。
 いくら考えても疑問への答えは出なかったが、現実としてもたらされた結果は明らかだった。
「そのお陰でシャルアも助かった」
 ヴィンセントの言葉にティファははっと顔を上げる。偶然と呼ぶにはどれも不自然すぎる現象は、一方ですべてに一貫した筋書き――まるで意思のような――に沿って起きている。
「やっぱり、できすぎた作り話」言いかけて首を振ると、ティファはヴィンセントに問いかける「このシナリオの作者はリーブさんね?」。ヴィンセントは無言のままで頷いた。
 搭乗者の操作を受け付けないエレベーター。
 殺意どころか戦意すらない地下7階の交戦。
「どうやら我々を傷つけるつもりは最初から無い様だ」
「じゃあ、どうして……」
「試しているのだろうな」
 そう答えたヴィンセントの口調には――それが怒りなのか、悔いなのかは分からない――何らかの感情によって僅かな揺れがある様に思われた。
「試す? 試すって一体なにを? 何のために? それに、どうして私達が?」シナリオどころか、わざわざ巨大な舞台まで作ったと言うことになる。そうまでして実現しようとするこの筋書きの結末、それは何なのか?
 ティファの問いに対する答えは持っていた。しかし答えるべきなのかと、ヴィンセントは返答に窮して言葉を詰まらせた。その様子から心中を察したティファは、畳み掛けるように先を続ける「あのあと一体なにがあったの? クラウド……クラウドはどうしたの?」。
「クラウドなら心配はない。彼と合流したら二人の後を追うように言っておく。だからシャルアを連れて――」
「ヴィンセント!」言葉を遮るように強い口調でティファが言う。視線が合うと、ヴィンセントから目をそらさずに頷いた「……教えて。あの後あそこで何があったの?」。
 それはここから一歩も退くつもりはないという、彼女の覚悟の表れだった。
 しばらくの沈黙の後、ヴィンセントは重い口を開いた。あの時なぜ“人形”はティファを真っ先に標的としたのか。剣を取ったクラウドとの交戦とその結末。そして、ヴィンセントが最後に聞いた言葉。それらすべてを語った後、ヴィンセントはティファを見つめてこう言った。

「いっさい抵抗はしない、今ここで私を殺せ」

 真っ直ぐに向けられる視線と低い声で語られた言葉に、ティファは息を呑む。まるで鋭い刃を喉元に突きつけられたような錯覚さえ覚えた。
「……そう言われたら、どうする?」
「そんな事できない!」
 頭を振って予想通りに即答したティファの反応に同意を示すと、ヴィンセントはさらに低い声で言う「それがリーブの言っている事に他ならない」、つまりこのシナリオの結末だ。
「えっ?」
 呆然とするティファに、俯いたままだったシャルアが呟くような声で言った。
「こうなる前に引き返せと、さっきそう言ったはずだ」なのに何故ここへ来たと、咎めるような言い草に思わずティファは視線を落とす。
「そんな言い方……」
 そこまで口にしたティファは、医務室で聞いたシャルアの話を思い出すと言葉を呑み込んだ。

 ――「だから私がこれからやろうとする事は、単なる破壊ではなくなる」

 あの時シャルアはそうと知った上で、忠告していたのだ。
「局長は」顔を上げたシャルアは、ティファを見上げると小さく微笑んでから先を続けた「あんた達の事をとても大切に思っている。手の込んだ演出は、その裏返しなんじゃないか?」
 たとえどんな理由があるにせよ、誰だって仲間と争うことを望みはしない、まして手に掛けるなどあり得ない、あってはならなかった。
 生き残った者はその事実を“過去”として、この先も背負っていかなければならない。
 6年前、星を救う旅路を共にした仲間達は各々が“過去”を背負うことになった。仲間と分かち合える過去と、そうではない過去。どちらも軽い物ではないし、時として苦痛を伴い生きる枷にさえなる。
「それなら、どうして……」問わずにはいられなかった。たとえシャルアがその答えを知らないのだとしても、言葉に出さずにはいられなかった。
 それらを分かっていても尚、そうしなければならない理由とは何なのか?
 問われてティファから視線を逸らすと、シャルアの横顔に浮かぶ微笑が苦笑に変わった。この些細な変化を目にしたティファの脳裏には、ある1つの仮説が浮かんだ。しかし現時点では何の根拠もない憶測に過ぎず、それを確かめる方法もなかった。
 重苦しい沈黙を破ってティファの問いに答えたのは、シャルアではなくヴィンセントだった。

「相手への絶対的な信頼は、時として非情な決断を下させる」

 そう言ったヴィンセントは、ふと小さく笑ったような気がした。ティファにはその意図が分からなかった。
「決断を下さなければならない理由。つまりリーブは感情よりも理由を優先したと言うことだ」
「私達の気持ちにはお構いなしって事? そんなの……勝手よ」
 この場にいないリーブに対する非難を込めて、言葉を噛み締るようにしてティファは反論する。ヴィンセントの言う「理由」を理解はできなかったし、納得もできそうになかった。それでも、言い終わるまでヴィンセントの顔を見ていられずに目を伏せた。
「……もっともな意見だ」ヴィンセントの口調は思いのほか穏やかだった。それから、もう一度ティファを促した「だからシャルアを連れて、戻るんだ」。
 それでもティファは首を横に振る。ヴィンセントから見れば、その姿がまるで駄々っ子の様に映るだろうとも思ったが、ティファは頑としてその場から動こうとはしなかった。そんなことをしても問題の解決にはならない、どうしようもないと分かっていても、どうにかしたいと思った。
「ティファ」
 自分の名を呼ぶヴィンセントの声音はいつにも増して優しい響きだった。おずおずと顔を上げたティファに、膝をついてヴィンセントは微笑を向ける。
「確かにこちらの感情に配慮のない勝手な話だ。しかし、それはリーブも承知していたはずだ」自分達が考えているのと同じように、リーブも心からそれを望んでなどいない。シャルアの言う「手の込んだ演出」は、言い換えればリーブの葛藤なのではないか? 少なくとも今は、そう信じたいとヴィンセントは思った。
「……ならば、私も信頼を裏切るわけにはいかない」

 ――「彼を救、てやってほしい。それ、ガ……ワタシの、ノ」

 機能を停止する間際、人形がヴィンセントに託そうとした望み。それが相手を信頼しているからこその決断であったのだとすれば、その申し出を引き受けることがリーブからの信頼に応える唯一の方法であり、ひいては「彼を救う」ことに繋がるのかも知れない。
 ここで退くわけにはいかなかった。しかし、ここから先を他の仲間達と共に歩む気にもなれなかった。ヴィンセントはその意思を伝えるために、言葉の先をこう続けた。

「だからこの役は私が引き受けよう」

 他の仲間達の誰よりも、この先多くの死と向き合うことになるのだから――それは決して口に出されることのない、諦念とはまた別の覚悟だった。






―ラストダンジョン:第29章4節<終>―
 
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