第29章3節 : 扉の向こう側




 乗る人もないまま待機していたエレベーターは、まるで彼らの会話の邪魔をしないようにと静かに扉を閉めた。同時にフロア内はエレベーター到着前と同じ薄闇に戻る。
「どんな形でシェルクが関わっているかは分からない。ただ……」一つ息をつくと、シャルアはエレベーター横の壁に凭れてこう続けた「今さらだが、私は方法を間違えていたのかも知れない」。そう言うと、目を伏せて顔を俯けてしまったシャルアからは、その心中を読み取ることはできなかった。
 それにしても些か不可解だとヴィンセントは首を傾げる。そもそもシャルアはなぜ「ここ」へ来たのだろうか? もしも話の通り、シェルクが何事かに巻き込まれていると言う懸念があるなら、すぐさま連絡を取ってでも妹の所へ向かう方が早い。にもかかわらず、シャルアはそうしなかった。それどころか、妹から届いたメールに返信すら書かずにいたと言う。3年前、身を挺して妹の命を救ったシャルアらしからぬ行動だと思えた。
 シャルアの真意は別のところにある――現時点でヴィンセントの出した結論だった。彼女の語ったことがすべて嘘だとまでは言わないが、すべてが真実ではないだろう。
 俯いたままだったシャルアに視線を合わせ、その事を尋ねようとヴィンセントが口を開こうとした時、彼女の身に起きる異変に気がついた。
「シャルア?」
 薄闇の中でも、シャルアの頬を伝い落ちる一筋の滴がはっきりと見えた。声をかけても反応のないシャルアの両肩を掴んで顔を上げさせれば、蒼白になった肌の上に大量の汗が浮かんでいた。
「おいシャルア、大丈夫か?」
「心配ない。……いつもの事だ」
 口にする気丈な言葉とは裏腹に、平衡感覚を失った挙げ句、自身を支えきれなくなったシャルアの身体はずるずると壁伝いに落ちていく。
 ヴィンセントは無理に立ち上がらせようとはせずに、壁に背を凭れさせその場に座らせると、シャルアの顔を覗き込んだ。しかしポケットを漁っても出てくるのは弾倉ぐらいで、汗を拭ってやる気の利いた持ち合わせが無い事を、この時ばかりは悔やんだ。
「……気にするな。行くなら先に行け」
「そんな状態で言われても説得力がない」
 その言葉に顔を伏せ、シャルアは抗弁する「どのみち道案内を頼まれたところで役に立てん」。
 頼むつもりもないと言い捨てると、ヴィンセントは立ち上がってエレベーター扉上の表示に目をやった。乗ってきたエレベーターがすぐ傍にあった事は不幸中の幸いだった。しかも、どうやらまだエレベーターはこの階に止まったままの様だ。ヴィンセントは迷わず乗降ボタンに手を伸ばす、ボタンを押せばすぐに扉が開くはずだった。
 しかし扉は閉ざされたまま、いっこうに開く気配を見せなかった。もう一度上の表示を見上げる、確かにこの階を示す数字だけが点灯していた。
「よく故障するエレベーターだな」
 地下7階で勝手に止まったり、こちらの操作を受け付けなかったりと、先程から気まぐれな挙動ばかりのエレベーターを見上げてヴィンセントは呆れたように言った。
「いつもの拒絶反応だ、薬を飲めばじき治まる。いいから行け」
 肝心の薬を置き忘れてきた事は言わずにシャルアが告げた。そんな彼女の姿を見下ろすと、ヴィンセントは大きく溜息をついてから切り出した「もし仮に、私がリーブと同じ立場だったら」。
 膝をついてシャルアの顔を覗き込めば、物言いたげな視線にぶつかる。その顔を見てさらにヴィンセントは先を続けた「シェルクの行方について、やはり君には知らせなかっただろうな」。
 驚いた表情になるシャルアを横目に、ヴィンセントはシャルアの右腕を自分の肩に回すと、それを支えて起き上がらせる。
「これなら歩けるか?」
 シャルアは頷いてから、先ほどの言葉について小さな声で問う「どういう意味だ?」。
「字面通りだ」素っ気なく答えると、ヴィンセントはもう一度ボタンを押した。どうにかして地上に出たかった。本人がなんと言おうが、このまま彼女をここに置いて行くわけにはいかない。
 その意図にようやく気付いたシャルアは、自分を支えてくれているヴィンセントを振り解こうとしたが、今の彼女にそんな力があるはずもなく、あっけなくバランスを崩した身体を後ろから支えられる形で、結局は肩に縋ってしまうのだった。
「大人しくしていろ、少しは懲りたらどうだ?」
「世話してくれと頼んだ覚えはない。いいから手を離せ」
 気丈も度を超すと駄々と変わらないなと、吐きたくなった愚痴を呑み込んでヴィンセントは閉ざされたエレベーターの扉を見つめた。相変わらず頼みを受け入れてくれない気まぐれなエレベーターとの根比べになるのだろうか? 駄々っ子と気まぐれに挟まれている今の立場を思うと、途方に暮れそうになった。
 しかしこの直後、ヴィンセントの心配は杞憂に終わることになった。何の前触れもなく、文字通り道は唐突に開かれたからだ。
 異変を察知したヴィンセントが、とっさにシャルアを庇いながら横に飛び退き地面に伏せた瞬間、エレベーターの扉が開き彼らの頭上を何かが勢い良く通過した。直前に伏せていなければ、衝突は避けられなかっただろう。
 シャルアをその場に残し、瞬時に起き上がると同時に振り返って、ホルスターから引き抜いた銃口と視線とを向けた。その先には、体勢を崩しながらも着地したティファがいた。銃口が向けられるのとほぼ同時に、ティファは顔を上げる。
「……ヴィンセント!?」
「ティファ、無事で何よりだ」
 とんでもなく活気に溢れたティファとの再会を喜ぶよりも、状況を把握する事に意識が向いていたヴィンセントは、常よりもさらに淡々と言葉を紡いだ。着地した彼女の体勢から察するに、跳び蹴りでもしたのだろう。あの時ほんの一瞬でも気付くのが遅れていれば、危うくこちらが――顔面にティファの跳び蹴りという深刻な――ダメージを食らうところだったのだ。そもそもティファがここから出てくる事自体がおかしい。どう考えてもこの扉の先にはエレベーターしか無く、しかもそのエレベーターにはつい今し方まで自分以外には誰も乗っていなかったし、扉が閉まってからは階を移動した様子も見られなかった。
「もう! ここは一体どうなってるのよ!」
 軽やかな動作で立ち上がったティファは、まるでヴィンセントの代わりとでも言うように不服を露わにしながらも周囲をぐるりと見回した。当面の脅威がないと分かると、床に倒れているシャルアに駆け寄った。
「シャルアさん! 分かりますか?」
 跪いたティファは横たわるシャルアに声をかけながら、彼女の両腕を自分の首に回させると、肩と背中を支えながら抱き起こす。シャルアの身に何が起きているのか、大凡だが察しは付いた。反対側からヴィンセントにも背中を支えて貰うように頼むと、ティファは空いた方の手でポケットをまさぐった。
「持ってきました、これで足りますか?」
 そう言って取り出したのは医務室に散らばっていた薬の数々だった。台の上に置かれてあった物を一通り持ち出したのだが、どれを飲めばどんな薬効があるのかティファには分からなかった。ただ、今のシャルアにはこれが必要なのだと言うことは分かる。
 それを聞いていたヴィンセントが咎めるような視線をシャルアに向けると、ばつが悪そうに顔を背ける。ティファの手にある薬のうち数種類を手に取ると、片手で器用にシートから取り出して、それらを口に放り込んだ。
「これで飲んでください」様子を見て慌てたティファが、自宅から持ってきたらしい小瓶の蓋を開けて差し出した。それは飲料を携帯する際に広く用いられている容器で、特に装飾も施されていない簡単な作りの物だった。
 シャルアはその容器に見覚えがあった。ティファから小瓶を受け取ると、中の水を一口含んで薬を飲み下した。
 手にした容器の中にはまだ半分以上の水が残っていた。まじまじと瓶を見つめてから顔を上げたシャルアは、ティファに視線を向けた。
「……そっか、WROにいるシャルアさんはご存知なんですね」ティファは小さな笑みを浮かべて頷いた。「そうなんです。これ、配給用の水だったんですよ。クラウド、各地への配送作業のお手伝いもしましたし」
 ティファの話は4年前にさかのぼる。
 メテオ災害の直後から、原因不明の不治の病と恐れられ世界各地に蔓延していた星痕症候群。しかしその特効薬は、思いがけない形で発見された。それが、ミッドガル伍番街スラム教会跡地に湧き出た――後に人々から「福音の泉」と呼ばれた――水だった。
 遠方地域からの患者をミッドガルへ搬送するのに飛空艇師団が活躍したことはもちろんだが、飛空艇の入れない僻地や、重篤な症状を一時的に緩和させ長距離の移動に耐えられる体力を確保するための手段として、泉の水の配給が提案された。WROを中心とした各地域のボランティアの協力もあって、短期間のうちに各地の患者へ水を届けることが出来た。空路を担ったシドだけではなく、陸路ではユフィやクラウドなど仲間達の多くもこの配給活動に貢献した。
「……すまないな、ありがとう」
 ティファはにっこりと微笑むとこう言った。
「どういたしまして。でも」それから少し困惑した表情になって言葉の先を続ける。「謝らなきゃいけないのは私の方です。あの時、シャルアさんがあそこにいた理由は、これを飲むためだったんですよね?」
 棚から出された薬はどれも開封されていなかった。つまりシャルアは薬を飲む前に、負傷したティファを見つけて応急処置を施したのだろう。ティファが迷わずシャルアの後を追った理由だった。
 目を閉じたシャルアは何も答えなかった。






―ラストダンジョン:第29章3節<終>―
 
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