回想 : 忌むべき対象との遭遇 |
ご婦人が私に何かを伝えようと口を開きかけた時、部屋の奥の階段から幼い女の子が顔を覗かせた。初対面ではあるが、ここへ来る前にスカーレットから渡された資料の中に、同じ顔を見ていた。 間違いない、彼女がマリン=ウォーレスだ。 「……おばちゃん?」不安げに揺れる声がご婦人に向けられた。その声にはっとした表情で振り返ると、慌てて「ダメよマリンちゃん!」と言って部屋に戻るようにとジェスチャーで促す。先ほどの気丈な応対ぶりから一転して、彼女の動揺が見て取れた。 少し気が引けるが、ここで心理的に優位に立つためにも私は敢えて言葉をかけた。 「やはり、彼女もこちらにいらっしゃいましたか」 「!!」 再び私の方を向き直ったご婦人の表情は険しかった。まるで私から幼子を庇うようにして立ち塞がると、声を潜めて、けれど強い口調で言い放つ。 「わたしゃ別に構わない。けど、あの子は関係ないだろう!?」 「たしかに関係ありません。ですが、それを言ったらあなただって無関係です」 「それじゃあ!」 「……あなた方は既に私の人質です、この状況で正論は通りませんよ」 反論はなかった。 ここで私は完全に優位に立ったと、そう思った。しかし、この状況は文字通り足下から揺らいだのである。 「おばちゃん」 ご婦人の後ろに隠れる様にして、しかし言いつけは守らなかったのか、先ほどの女の子がおずおずと顔を覗かせる。 「このひと……」 いちど私の顔を見上げてから、けれどすぐさま俯いてしまった女の子が何かを言い終えるよりも先に、ご婦人は私の右手を掴むとさらに声を小さくして言った。 「そんな物騒なモノ、子どもに見せるんじゃないよ!」もの凄い形相で睨まれながら、早口に捲し立てられた。半ばご婦人の勢いに圧倒された感はあったが、その言葉には一理あると納得し、あわてて銃を懐にしまう。そう、この子には何の罪もない、関係だってない。それは最初から分かっている。 私に言った直後、彼女はこちらに背を向け幼子から銃が見えないようにと立つ位置を僅かに変えていた。先ほどの応答も含めて、よく機転の利く女性だと感心させられる。 彼女の功労に敬意を表して、この日はいったん引き上げようと考えた。ご婦人の機転もさることながら、こちらの準備不足も明らかだった。 特に覚悟という心の準備が、まだ出来ていない。 「今日は唐突にお邪魔して申し訳ありませんでした。また近いうちに改めてお伺いします」 いったんここを離れることに不安はなかった。なぜなら彼女たちには行く当てがないからだ。仮に逃げたとしてもミッドガル内であれば居場所の特定は容易だし、しばらくはID検知システムで監視しておくのも良いだろう。 ひとつお辞儀をして玄関を出た私は、扉を閉めようと振り返った。その時に、視界の隅に思わぬ光景を見た。 依然としてご婦人の後ろに隠れたままだったが、顔を覗かせていたマリン=ウォーレスが小さく手を振っている。この状況から考えると、どうやら彼女は私に向けて手を振ってくれている様だ。 (……?) まだ幼い彼女のことだ、状況が理解できずに私のことを来客と勘違いしているのだろう。逆にこちらとしては、そのまま来客と思われていた方が都合は良い。 私は静かに扉を閉めて、伍番街スラムの一軒家を後にした。 それからさほど日を置かず、私は再びこの家を訪れる機会を得た。 ゴールドソーサーでの作戦決行が深夜だった事もあって、二度目の訪問は夜も遅い時刻になってしまった。申し訳ないと思いながらも玄関戸を叩くが、しばらく待っても応答はない。部屋の灯りは付いているから、どうやら寝ているところをお邪魔しなくて済みそうだと言うことに、内心で安堵する。 とは言え就寝前に戸締まりするのは当然だし、すでに一度「人質にします」と公言している以上、好きこのんで扉を開けてもらえるとも思えない。 (さて、どうしましょう) ごく一般的な民家の、それも見たところ古いタイプの錠だったから、恐らく私一人でも破錠は可能だろう。どちらかというと可能か否かと言うことより、泥棒のまねごとをするのに対して躊躇していたのだが、考えてみれば人質を取っている時点で明らかに泥棒よりもタチが悪い。 こうして、自分の行動について妥当な評価を見出して肩を落とした私の耳に、扉の内側から金属音が聞こえた。どうやら中から解錠してくれた様だ。さらにチェーンロックもせずに出てきたのは、この家の主たるご婦人だった。 「……ずいぶん遅かったわねえ」 「すみません、色々と手続に手間取りまして」 「どうぞ」 初めてここを訪れた時と比べると、幾分か警戒心もなくご婦人はそう言ってすんなりと私を通してくれた。彼女のご厚意に甘えながらも、後ろ手にドアのロックを掛ける事だけはしておいた。前回とは違い、今晩は門の外に万が一の事態に備えて見張りが付いている。 本来私の管轄外とはいえ、取り扱う性質だけに今回の作戦の失敗は許されなかった。つまるところ外の見張りは、私が失敗した時のために会社がかけた保険だった。彼らが宅内に踏み込んでくれば荒事は避けられない、そうなれば彼女たちの安全を保障しきれなくなる。誰に偽善者と罵られても構わないが、最悪の事態だけは回避しなければならない。 彼女たちを人質に取った私が果たすべき、それは最低限の責任でもある。 リビングに通されると、飾られたたくさんの生花が出迎えてくれた。室内の花はそれだけではなく、至る所に花形をあしらった内装にも目を引かれる。庭先だけでなく室内の装飾品にまで一貫したコンセプトが感じられる。 「あの子……エアリスが好きでね」 心なしか嬉しそうに、エルミナさんは教えてくれた。 「こちらのお庭も拝見させて頂きました。正直言って驚きましたよ、ミッドガルでこれだけの花が咲くのも珍しいですからね。何より花壇の手入れが行き届いている」闇に沈む庭を背景に、窓に映った自身の姿を見つめながらそう呟くと、今度は少し淋しげな声で答えてくれた。 「あの子が連れて行かれてからは、マリンちゃんが世話してるよ」 「そうですか」 実はこのとき、失礼ながらも私は話半分に窓の外を見つめていた。部屋には照明がある以上、外からは簡単に室内の様子をうかがい知ることができる。それに、当初の予定では庭にも見張りが配置されていたはずだ。この状況ではヘタに動けない。彼女たちには今回……今晩だけ辛抱してもらおう。今夜の作戦が上手く行けば、なにも問題はないはずだ。 いつの間にか声が聞こえなくなったことに気が付いて室内に意識を戻すと、さり気ない動作でエルミナさんは窓際に歩み寄っていた。恐らく彼女は私の視線を追っていたのだろう。カーテンを閉めた窓を背に振り返ると、私を見つめて静かに告げる。 「さて、あんたが今日ここへ来たのには理由があるね?」 それは私の行動から、起きている事態を推測しての言動だと分かった。本当に機転の利く人だと思った。そう言えば初めて会った日、彼女の夫は軍人と言っていたか? だとすれば合点が行く。 「……はい」 壁掛け時計と腕時計を交互に見て、現在の時刻を確認する。作戦決行まではまだ少しばかり猶予があった。 「まあ座ったら?」と椅子を勧められたものの、その申し出は丁重にお断りしておいた。のんびり構えていられるほど余裕はなかったからだ。時間的にと言うよりは、どちらかというと精神的な面の方が大きい。 そんな私を意に介さずに、キッチンからカップを持ってくると私の立つ目の前のテーブルに置いた。立ち上る湯気と共に、上品な香りが漂い始める。 「気の利いた物は出せないわよ」 その言葉に驚いて、置かれたカップを改めて見つめた。これでは本当に来客扱いだ。 「あ、あの」 「心配しなくても、一服盛ろうなんて事はしないわよ」 言われて初めてその発想を思いつくが、よくよく冷静になって考えてみれば、さらりと恐ろしい事を口にしている。もちろん、そこを指摘する余裕も無く。 「いえそうではなくて」否定するだけで精一杯だった。 「信じるも信じないも自由だけどね」そう言って彼女はカップに口を付けた。 ここまで言われてしまうと、飲むしかない。訪問先でせっかく出して貰ったものに少しも口を付けないというのも、そもそもマナー違反だ。 「…………」 手にしたカップから伝わる温もりに、どこか懐かしさを感じた。仕事の合間に飲むものとは違って――こうして味わう暇がないというせいもあるのだろうが――温度ではなく温もりを感じた。 それから口にした紅茶の味が、ひどく美味しいと思った。詳しくはないが、ハーブティーの一種だろうか? 「とても美味しいです」 「そうかい、それは良かった」 感想とお礼を述べてから、カップを置くと改めて現状について問う。問わずにはいられなかった。 「あの、おもてなしは光栄なんですが、私は来客ではありませんし……」 その言葉にご婦人は大きな溜め息を吐くと、「せっかく人質になったってのに、その気が全然しないからねえ」と呆れたように笑った。 「……はあ」 やっぱり演出が足りないのだろうか? などと見当違いなことを考えていた私に、今度こそ呆れ声でこう告げられた。 「『おじさんは悪い人じゃない』ってね、あの子が言うのさ。子どもに見破られるぐらいなんだから、この仕事、あんたに向いてないわね」 その指摘には苦笑するより他になかった。確かに向いてない、と自分でも思うのだから。 ――「誰かを憎めば楽になる」スカーレットはそう言った。 確かにそうかも知れないと、私も最初は思っていた。 「私だってだてに歳は取ってないさ。 なんとなく事情は察していたよ、大体あんたみたいな顔をした人間が、戦場(いくさば)を経験してるとは思えない」 ――けれど。 「事情を話してもらえないのかい? マリンちゃんの安全を約束してくれるなら、私も協力するよ」 ――だとすれば私は一体、誰を憎めばいいだろう? エルミナさんは真っ直ぐに私を見上げてそう申し出てくれた。また、彼女の言葉が駆け引きを前提としているのではなく、真剣に向き合って出された提案なのだとも分かる。 彼女の経緯を考えれば、神羅に敵対的であってもおかしくはない。それでも、こうして彼女は私を招き入れた。ただ機転が利くだけではなくて、親身になって私や事態と向き合おうとする。だから厄介だと思ったのだ。 「申し訳ありませんが……それは、できません」 「そうかい」エルミナさんはそれ以上なにも訊こうとはしなかった。 いっそのこと、ここに至るまでの自分の行い全てを否定してくれた方が楽だったのに、と思う。七番街プレート爆破の事から――それこそ、歩んできた全てをうち明ければ、望み通りの言葉が返ってくるのかも知れない。ふと、そんな考えが頭をよぎった。 しかし全容を語る訳にはいかない。もちろん、古代種の育ての親にあたる立場にあったご婦人には、語らずともある程度の背景は見えていたはずである。だからこそ、自分の口から全てを話すわけには行かなかった。 「でもねえ、無理はしちゃいけないよ。あんた今、かなり無理をしてるだろう?」 その言葉を聞いて、はっとした。そう、彼女を厄介に感じる本当の理由に思い至ったからだ。だとしたら、彼女を憎めるはずはない。 「余計なご心配を……おかけして、すみません」 情けなくも声がうわずったのは、自覚してしまった故の事だった。しかし、お陰で漸く結論も出た。 私は、今になって神羅カンパニーの社員である事を放棄するわけにはいかない。 ――「誰かを憎めば楽になる」悔しいがスカーレット、君の言うことは正しかった。 どうやら私は……。 懐から拳銃を取り出す。それを“人質”に向ける事を躊躇いはしなかった。 「それからエルミナさん。申し訳ありませんが、今は立場をわきまえて頂けますか?」 ――私を憎むことで楽になれそうだ。 ―ラストダンジョン:回想6<終>―
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