回想 : 伍番街スラムにて





 ――一刻も早く楽になりたい――それは当初、私の心の多くを占めていた思いだった。

 スカーレットから渡された写真に写っていた少女のことは、住民IDの管理データベースから知ることができた。また彼女の居場所も、ID検知システムを使えば大した労を費やすことなく割り出すことができた。私はそれを元に、示された住所へ向かった。
 現在、彼女が保護されているのはミッドガル伍番街スラムの一角、かつて古代種の居住していた一軒家だった。ネオ・ミッドガル計画と古代種の件について、私はこれまで直接関与する立場に無かった事もあり、ここを訪れたのは今日が初めてだった。
 そこで最初に目を引いたのは、大きな庭に咲くたくさんの花々だった。スラム街にあってこの光景は珍しいと思わず庭先に回ると、久しぶりに踏みしめる土の感触に込み上げてくる不思議な感情があった。到着早々ここへ来た本来の目的をすっかり忘れ、よく手入れの行き届いた庭を見て回りながら、ふと思った。
 プレート上に建設された社宅区画には、庭はあっても土がない。
 私は故郷から両親を呼び寄せていた。住み慣れた土地を離れる事にも、ふたりは「ご近所さんへの挨拶」を心配する以外は特に何も言わず、伍番街の社宅区画に用意した新居へと越して来たのだった。これは後で聞いた話だったが、このとき母は大量の土を持ち込んで来たという。その話を今になってようやく理解した気がする、きっと母はこんな家に住みたかったのだろう。
 母は優しい。けれど、とても正直な人だった。
「…………」
 両親をミッドガルに招いた私に、何も告げなかったふたりの心情とその意味をよく理解している。今すぐ応えることは出来ないものの、私なりに理解はしているつもりだった。いつか両親の思いに応えることが出来たら、それを手土産にして久しぶりに会いに行こうと思っていた。


 庭隅で今にも開きそうな蕾を付けた花が目に留まり、いつしかその場に屈み込んで眺めていた。何の気無しに葉に付いた虫を取りあげると、手のひらに乗せてみた。葉と同じような色味を帯びた虫は私の手のひらの上から這い出ようと必死に移動する。端まで到達するのを見計らって、手を返す。すると今度は手の甲を必死に進み始めた。
 私の手のひらでも、この虫にとっては延々と続く世界に見えるのだろうか。二、三度そんな動作を繰り返しながら、手の上を這い回る虫の姿をぼんやりと目で追っていた。そんなとき、不意に彼女の言葉を思い出す。

 ――「しかもプレート下じゃあ逃げ惑う人々が虫けらみたいに潰されてるのよ? 最高ね」

 私は急に恐ろしくなった。
 急いで立ち上がると庭を離れ、いちど門から外へ出ると道端にしゃがんで手を差し出した。先程の庭とは違い、痩せ衰えた大地の姿が目に飛び込んでくる。
「まだつぼみだし、種を落とすまで待っててくれな」
 言い訳がましく声をかけながら、虫を手放した。こんな痩せた土壌に逃がしてやったところで、この先に待つ餓死という結末だって想像が付くのに。
 いや。
(この虫よりもこの都市が、……いっそ星が死ぬんが先かなあ?)
 いずれにしても、自分の手でトドメを刺したくないだけなのだと言うことにも気付かされる。いいや、もう気付いていたのだ、その現実から必死で目を逸らそうとしていた。スカーレットは既にそれも見抜いていた。だから彼女は言ったのだ「誰かを憎めば楽になる」と。

(七番街の人々を、殺したのは私なのだ)

 「都市型兵器」。ミッドガルのことをそう評した彼女の言葉が頭をもたげる。
 その重苦から逃れたいが為に、私はここへ来たのだと。改めてその現実と向き合う。私に逃げられる場所など、もうどこにも無い事だって分かっている。

 こんな事をしている姿を見られたら、とんでもない偽善者だと笑われるだろうな。そう思って自嘲めいた笑みを浮かべると、私は再び門をくぐって玄関扉の前に立った。懐に入れた護身用の――スカーレットの指摘どおり、形式に過ぎないのだけれど――拳銃に触れると、あいた方の手を玄関の戸に向けた。
(……ええと)
 これまでに他企業や得意先などへの訪問は数え切れない件数をこなしてきた。仕事外にも上司や部下、友人知人との付き合いで初対面の人と接する事それ自体には慣れていた。それに、交渉ごとにも多少なりの自信はあるつもりだった。
 けれど、さすがに人質を取るために訪問するのは今回が初めてだったから、話をどう切り出せば良いものかと頭を悩ませていたことが、玄関扉の前で立ち往生する最大の理由だった。
 しかし、その戸惑いは思わぬ形で解消されることになる。
「いらっしゃい。……そろそろ、来る頃なんじゃないかと思ってね」
 私が戸を叩くよりも先に内側から玄関戸が開かれた。思わぬ展開に、ノックしようと挙げた手を下ろすことも忘れ視線だけが先に室内へお邪魔する。扉を開いて出迎えてくれたのは、ほうきを片手に持った初老のご婦人だった。髪を束ねて高い位置で結び、大きなエプロンを身に着けさらに腕まくりをした姿を見れば、いかにも元気そうなおばちゃんと言ったところだ。
 どことなく、本当にどことなくだが彼女に母の面影を見た気がする。
「エアリスも連れて行かれちまったしね、私らは用済みなんだろう? これでもエアリスの母、それに元軍人の妻さ。あんた達のやり方ぐらいお見通しだよ」
 呆気にとられたまま、私は発言するタイミングを完全に逸した。婦人は躊躇する様子もなく話を続ける。
「ところで自己紹介はないのかい? どうせあんたは私の事を知ってるんだろう?」
 言われている通り、私は彼女のことも調べてきている。エアリス=ゲインズブールの養母・エルミナ=ゲインズブール。報告によればエルミナ自身は古代種ではないそうだが、なるほど、歯に衣着せぬ物言いなどは彼女に受け継がれている気がした。百戦錬磨のタークスでさえ手を焼く理由も少し分かる気がする。
「あっ、ええと……申し遅れました。私は神羅カンパニー都市開発部門のリーブと申します」
 お辞儀をしながら思わずそう名乗った後で、しまったと軽率な発言を悔いた。わざわざ自分から身分を明かすこともないだろうに。
「へえ、タークスじゃないのかい? 意外だねえ」
「あなた方に危害を加える事が私の目的ではありませんので、その点はご安心下さい」
「ずいぶん物騒なモノを懐に忍ばせてるようだけど? そんなモノ持って言う言葉じゃないわねぇ」
 彼女は私の顔を覗き込むようにして言う。
「お見通しですか」
 すっかり相手のペースに乗せられてしまっている。しかしどうやら先方の言っていることは、あながち嘘でも無さそうだ。彼女の読みは鋭く的確だった。
 一方でこちらとしては余計な手順を省けて有り難い、隠す必要もなくなったので懐からそれを取り出すと、私はこう続けた。
「話が早くて助かります。それでは用件から完結に申し上げます」
 彼女たちはこの先に控える最も重要な“交渉”の切り札になる。用済みどころか、どうしても必要な存在なのだ。こういったタイプとの交渉なら、単刀直入に本件を述べた方が効果的だと経験則で割り出すと、言葉の先を続けた。
「あなた方にはこれから、私の人質になって頂きます」
 ところが私に銃口を向けられていたはずのご婦人は、なぜか笑顔を浮かべていた。その態度が気に掛かったのは確かだったが、今はそれよりも後に控えている交渉を成功させるために、最善を尽くす以外に道はなかった。もしもここで断られた場合は――私が考えをめぐらせるよりも早く、返答の言葉を耳にする。
「……いいさ。あんたの人質、だろう?」
「えっ?」
(エルミナさん、いくらなんでも答えを出すのが早過ぎやしませんか?)自分で押しかけておきながら、そんな風に思う。しかも悪いことに、それがそのまま表情に表れていた様だった。
「自分で言い出しておいて、驚いてるんじゃないよ。『ここが危険だ』って忠告はとっくに受けてるし、神羅が来るのも分かってた。だけどこうして残ってたのさ、私の意思でね。いいさ、私があんたの人質になるよ」
 話が早くて助かるのは事実だが、先を読んで的確に発言する彼女の存在が少々厄介だとも思えた。依然として会話の主導権は彼女に握られているという状況も覆せないでいる。
 今回の交渉も、後に控えた交渉も、こちらが主導権を握り優位に立たなければ成立しない。なぜならそれが、交渉と呼ぶには要求が一方的だと言うことを充分すぎるほど理解しているからだ。
「私の人質になっていただくのは、あなただけではありません」
 意識的にゆっくりと言葉を発しながら、一歩進み出ると私は目の前にいた婦人を真っ直ぐ見つめた。揺れてはいけない、絶対に悟られてはいけない。
(今さら躊躇うな)

「ここに、マリン=ウォーレスさんもいらっしゃいますね? ……彼女にも一緒に、人質になっていただきます」

 婦人の顔から笑みが消え一歩後ずさるのを目にしたとき、私はこの交渉が上手く行くことを確信した。






―ラストダンジョン:回想4<終>―
 
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