鼓吹士、リーブ=トゥエスティZ |
自分は非力だ――ずっと、そう思っていた。 星を救った英雄だと言われても、実際に救うために戦ったのは自分であって自分ではない。『ジェノバ戦役の英雄』ともてはやされたが、結果は見るも無惨な有様だった。多くの命を失い、本部ビルも破壊し尽くされ陥落した。 昔も今も、戦う仲間達の背中を見つめながら、どこかで後ろめたさの様なものを抱いていた。自らが武器を持ち、戦線に立って人々を守れればと――もっとも、人ひとりまともに殴れない自分が、そんなことを悔いても仕方がないのだと同時に苦笑しながら。それでも思わずにはいられなかった。 ――自分に戦えるだけの力があれば、彼女を守れたのかも知れない。 彼女を、あるいは彼女と交わした約束を。 意識を取り戻した時、気怠さが全身を支配していた。腕を動かすことさえも疲労を伴う、そんな状態だった。しかし、身体機能そのものに関しては先程に比べれば大きく回復していた。それよりも思い出してしまった記憶の方が、全身に重くのしかかっている気がしてならない。 「今さら……こんな個人的なことはどうでもいい……はずなんですが」 笑ってごまかそうと呟いてみたが、身も心も軽くなることはなかった。 シエラ号艇内でやかましく鳴り響く警告音が、辛うじて意識を逸らしてくれた。決して心が落ち着くことはないが、後悔の念に囚われ立ち往生するよりは、騒ぎ立てる警報に耳を貸す方が幾分かマシに思える。 「マシ」どころではない、飛空艇に迫り来る危機を知らせてくれるその音は、そこにまだ望みが在ることを教えてくれているのだから。 「……時間がありませんね」 思い出してしまった記憶と、そこにまとわりつく感情もろとも吐き出すように、大きく深呼吸をしてからリーブは立ち上がった。 (見つめるべきは過去ではない、今です……急ぎましょう) 自分を励ますように心の中で呟くと、ロックされたドアの横に備え付けられていた小型ディスプレイに目を落とす。表示されている情報を見れば、この飛空艇が置かれている状況を察することができた。 “退避勧告”。簡潔明瞭な表示は、飛空艇出力が最低値を下回り、いよいよ航行維持に支障を来すレベルにまで達してしまった事を示していた。飛行高度を示す数値は、見る間に下がっていく。ディスプレイを操作しようと手を伸ばした時、不意に扉が開かれた。 「……き、局長!!」 コントロールルームから出て来たふたりのうちの一人が、直立不動で半ば叫ぶようにして声をあげた。そんな彼らにもリーブはいつもと変わらない穏やかな口調で対するのだった。 「遅くなってすみません。……それで、状況は?」 問われた隊員のうちの一人が、相変わらず姿勢を維持したままで答える。 「はい。飛空艇出力低下により現在、シエラ号のコントロール機能に障害を来しています」 「復帰の見込みは?」 「……残念ながら」 そう語る横で、もう一人のクルーが首を横に振った。その姿を横目に、話は続く。 「緊急脱出用のプログラムを起動し、我々も脱出船へ向かうことになったのですが……」 そこまで言ってクルーはリーブから顔を背けた。横に立つもう一人も伏し目がちに「すみません」とだけ発したきり、黙ってしまう。言いよどむ彼らの姿を見れば、この先に何が続くのかは簡単に予測できた。 代わりに言葉の後を引き継いだリーブは柔らかく微笑んで、回答を示した。 「シド……いえ艦長が、ですね」 クルー達は無言で頷く。リーブもそれ以上は口に出さなかった。これ以上、この件について話していても事態の進展は見込めないと判断し、話題を変える。 「緊急脱出プログラムは?」 「高度、軌道設定ともに完了しています。降下地点は……」 その後に続いた座標を聞けば、ミッドガルのどの地点を指しているのかが手に取るように分かった。――すべての出発点、座標軸の限りなく0に近い点が示すその場所は、かつての神羅ビル付近。各魔晄炉までの距離、陸路の状況を考えて設定されたのだろう。 リーブは分かったと頷いてから。 「……それでは、あなた方はそちらで待機しておいて下さい。必ずシドをお連れしますので」 その言葉にクルーは勢いよく顔を上げると、リーブを見つめた。応えるように黙ってもう一度頷き返す。"万が一"と言う言葉は口にしなかった。 「必ず、お連れします」 自信に満ちているというのとは少し違う、かといって威圧感ではない、けれど不思議な力を秘めている。クルー達はリーブの言葉に首を縦に振るしかなかった。 「脱出の手配、よろしくお願いします」 「分かりました」 そう言って敬礼し、ふたりはリーブの前から走り去っていった。彼らの後ろ姿を見つめながら、リーブはふと思い出したように呟いた。 「コントロール機能に障害……?」 脳裏を過ぎったのはついさっきまで、ここにいた相棒の姿だった。 ――『アカン、行ったらアカンのや!』 そう言ってケット・シーはリーブの服の裾を掴んで離さず、エンジンルームへ向かうのを阻んでいた。 そもそもケット・シーはリーブの操作するぬいぐるみだ。中に仕込まれている機械は動作を補助するためのものであり、基本的なコントロールは全てリーブの意志で行う――インスパイア――それが、リーブの持つ能力だった。 あのとき確かにケット・シーは主の意志に反し、その進路を阻んだのだ。今まで、そんなことは一度もなかった。操作をしているのがリーブで、操作されるのがケット・シーという関係性なのだから当然だ。 コントロール機能、つまりリーブの能力に異常が発生した。先程のケット・シーの不可解な行動を説明できるとすれば、これしかないと考えた。存在する事がそもそも異常な能力だとするなら、それを失うことこそが正常化なのかも知れないが、リーブにとってあるべき能力が無くなった事には変わりない。 ところがその考えは、すぐに自身の記憶によって否定された。 それはここで意識を失う直前、最後に聞いたケット・シーの言葉だった。 ――『オモチャのわいに命をくれて、おおきに。』 もう聞こえてくるはずのない声と知りながらも耳を澄ますが、甲高い音で鳴り続けている警報音だけが聞こえてくるだけだった。 声は聞こえて来ない。 それでも何かに気づいたようにして両手を広げ、視線を落とす。 暗い意識の底に封じ込めるようにしてしまっておいた記憶。その封印を解いたあの夢も、もしかしたら……。 「……ケット・シー……。あなたが教えてくれたんですね?」 そう呟いてリーブは両の手のひらをじっと見つめて、頷いた。 開いた拳を握りしめ、顔を上げるとコントロールルームの扉をくぐった。 ――戦うんじゃない。今度こそ、守るのだ。 「シド」 名を呼ぶ声は力強く、しかし呼ばれた方は返答どころか、顔を向けることもしなかった。反応がないことを認めて、彼は一方的に話を続けた。 「聞いていますか? シド。シエラ号は操縦を受け付けません。このままでは、ミッドガルに墜落するのも時間の問題です」 「……うるっせーな! んな事、今さらいちいち言われなくても分かってらぁ!」 声を荒げ、シドは叫ぶようにして答えた。対照的にリーブの声は落ち着きはらっている。冷静を通り越して事務的にすら聞こえる。それが余計にシドの苛立ちを募らせた。 「分かっているなら結構です。……脱出プログラムに従い、我々もここから退避します。急いでください」 言いながら、足早にコントロールルームの階段を上ると、操縦席までやって来た。言葉だけで納得し動くような男ではないと、知っているからだ。 一方のシドも、叫ぶばかりではこの頑固者を退散させることは不可能だと知っている。近づいてくる足音に、ムダとは思ったが言葉を投げつけた。 「俺はこの飛空艇師団の長だ、そんでもって……このシエラ号のパイロットだ」 「ええ」 「だからここを離れるわけには行かねぇ」 「そうですか」 足音と共に言葉が途切れた。操縦桿を手に視線を前方へ向けたままだったシドにも、自分の横にリーブが立ったと分かる。 リーブはまったく反論する様子を見せなかった。頷き、肯定するような返答を寄越す彼に、「分かってんなら」とシドが続けながら顔を上げた時、はじめてその声と向けられた表情に、正面から対することになる。 それは明らかに、シドの油断が生み出した隙だった。 「あなたのくだらない意地の為に、これ以上犠牲を払う訳には行きません」 告げられた言葉は未だかつて聞いたことのない声によって紡がれ、同時にすべての反論が封じ込められてしまうような威圧感を伴っていた。 そんなリーブに向け、シドは口ひとつ動かすことができなかった。 かつて神羅の都市開発部門統括と言えば、穏和で誠実な男として他の部署にまで知れるほど人望のある人物だった。3年前、偶然と必然の作り出す縁によって出会い旅路を共にする中で、実際に接してみた印象も、その噂に違わない男だった。 彼の誠実さは神羅に対してではない、ミッドガルという都市と住民へのものなのだ。壱番魔晄炉破壊を行ったテロリストへの思いが諜報員としての、その後はミッドガルを含む星への思いが彼を動かしていた。 シドの知る限りそれが「リーブ」なのである。だからこそ、今目の前に立つこの男に、言葉を返すことができなかった。 姿は同じでも、まるで別人のような何かを纏っている。触れることのできない、あるいは触れてはならない何かが、両者を隔てている様な気がした。 場に張り詰めた緊張を解いたのは、リーブだった。 「それに、シド。二度もミッドガルに墜落されたら、さすがの私だって怒りますよ?」 そう続けたリーブの声はいつもの柔らかなものに戻っていた。が、それでもシドは恐る恐るリーブの顔を見直した。 「二度、って……お前まさか……!」 心当たった出来事に問い返してみれば、リーブは剣呑な笑みを浮かべる。 「ば、バカ野郎。あれはオレ様の操縦じゃねーってんだ」 悔し紛れに反論してみたが、リーブに「冗談ですよ」と一笑されただけだった。 それから間を開けずに、彼はこう続けた。 「私はこのまま、この飛空艇をミッドガルに墜落させるつもりはありません。……そして、あなた方の誰も、死なせるつもりもありません」 柔らかな口調に乗せて穏やかに語られた言葉に絆され、危うく頷きそうになるのをすんでの所で止めてから、話を遮るために名を呼んだ。 「おいリーブ」 シドは呆れたようにリーブを見やった。「はい?」と問い返す相手に向けて、わざとらしくため息を吐いてから。 「お前、自分の言ってることが矛盾してんの分かってるか?」 「いいえ。矛盾なんてしてませんよ」 否定したリーブは相変わらず柔らかく笑んだままではあるが、裏付けられた自信の上にある言葉なのだと、目がそう言っている。 「飛空艇も墜落させずに、あなた方とミッドガル魔晄炉の破壊を達成させる。その方法があるのです」 言い終えてから一歩進み出る。シドにはリーブが何を言っているのか分からずに、ぼんやりと彼の姿を見つめていた。 「……シド。操縦桿を貸してもらえますか?」 「まさか、お前が操縦するってのか?!」 「いいえ。……残念ながら私に操縦技術はありません。ですから正確に言えばこの飛空艇自身に動いてもらうんです」 リーブの言わんとしている事の意味が、シドにはさっぱり分からない。 「ちょっと待て。自動航行システムだって動かねぇんだぜ?」 シドの懸念を、やはりリーブは一笑した。 「そうでしょうね」 「じゃあ……」 リーブは左手を差し出し、もう一度その言葉を口にした。 「操縦桿を、貸してください」 「…………」 柔らかい物腰で、どこにも威圧感などないはずなのに、その言葉に逆らう事ができない。そんな不思議な感覚をこのとき確かにシドは感じていた。言われるまま操縦桿の前から退くと、やはり普段のリーブの柔らかな表情が向けられる。 「……ありがとうございます」 「何する気だ?」 「…………」 リーブは黙って、シドに背を向け両手で操縦桿を握りしめた。 思いの外それは不安定だと感じた。操縦のことはよく分からないが、シドがこの場所を離れられない理由は、実際に操縦桿を握れば納得がいく。少しでも力と気を抜けば、たちまち操縦桿に押し返されてしまうのだ。短時間ならまだしも、長時間こうしているのは自分にはつらいだろうと思う。 操縦桿を譲り渡したシドは、後ろの壁に背を凭せかけて成り行きを見守ることにした。どうせほんの少しの辛抱だと、そう思っていた。 シドが煙草に手を伸ばして、ここがコントロールルームだと思い直してそれをしまった。そんなことを3回ほど繰り返した頃になってようやく、手に操縦桿がなじんできた。 背後で手持ち無沙汰にしているであろうシドに向けて、リーブは静かに問うのだった。 「ところでシド。……今回の一件をあなたはどう思いますか?」 「ディープグラウンドか?」 唐突に話を逸らされたような気がしたが、シドは思っていた言葉を口にした。その返答に頷き返すリーブの視線は操縦桿に注がれたままだった。表情は見えない、感情も見せない。それでも語り続けるリーブの声だけがシドの耳に届けられる。 「科学部門の宝条、治安維持部門のハイデッカー、兵器開発部門のスカーレット。そしてプレジデントの関与していたディープグラウンド。 見つめているのは同じ"闇"でも、地底の事など宇宙開発に携わるあなた方は何も知らなかったでしょうね」 「……どういう意味だ?」 含みを持たせる言い方が、シドは気に食わなかった。言い咎めるのならもっと分かりやすくしろと、そんな風に思う。操縦桿も煙草も取り上げられていたこともあって、声には苛立ちが混じっていた。 返された言葉にその意図をくみ取ったリーブは顔だけを向けて、気まずそうに頭を下げた。 「すみません。別にそれを非難しているわけではないんです」 それだけ言うと再び視線を操縦桿へと移す。言葉はさらに続いた。 「都市開発部門はその建造段階で闇を知り、なにより深く関わっていました。私はそれを知らなかった……いいえ、知ろうとしなかった。だから許される筈はありません。そして――」 ゆっくりと息を吸い、まるで意を決したように唇を噛みしめた。そして脳裏に過ぎる様々な思いを打ち消していくように、淡々と言葉を紡ぐ。 「誰よりも酷い事を、私はしていたのだと今さら気づきました。 自らの命を賭して戦いに赴き、相手の生命を奪う彼らは……むしろ被害者だった。私はそれを救うどころか」 それから全てを拒絶するように瞼を閉じた。握っていた操縦桿から一度左手だけを離すと、手のひらを当てる。 「放置した挙げ句に、無関係であるはずの人々を生け贄として差し出した」 反論しようと口を開いたが、とうとうシドには語るべき言葉が見つからなかった。誠実で実直ゆえに、自らを欺けないのだと――そんなリーブだからこそ慕われ、今の「局長」という座に就いたのだろうとも同時に思う。 自分以上に神羅に近く、そして深く関わり、ミッドガルを間近で見てきたのはリーブだった。それはシドに置き換えてみれば、自分の夢を乗せて打ち上げたロケットが、実は誰かの生命を奪う兵器であったと後から知らされたようなものだろう。後悔や屈辱、失望。なによりも知らず知らずに奪った命への罪悪感。そんなものは容易に想像が出来た。想像だけでも苦しいのはよく分かる。 だからこそリーブに、どう反論すればいいのかが分からなかった。何を言ったところで、反論どころか慰めにすらならない。そう思ったからだ。 それに恐らく、リーブが求めているのは、そんなものではない。 「それでも……愚かしくも守りたいと思ってしまうのです。 私の、全てを賭けて」 シドは黙って壁に預けていた背を離しリーブの横合いに立った。操縦桿を見つめる横顔からは感情を読み取ることはできない。ただ、明らかに操縦する風ではない彼の姿を、興味と一抹の不安を抱きながら見守っていた。 やがて、不自然な風を肌に感じた。最初は気のせいかと思っていたが、徐々にその勢いは強まった。風は正面の方向から吹いていて、強風というまでには行かないものの、目を開けるのがつらくなってきた。最初は機体の損傷を疑い、どこから風が漏れ入って来るのかが気になってシドは周囲を見回した。計器類にも目を走らせたが、機体損傷を知らせる表示や警告は見られない。 それから、目の前に立つリーブの前髪も揺れている事に気がついた。 渦を巻くように広がる風の中心が操縦桿だと分かるまでに、それから少しかかった。 「な、……なんだってんだ!?」 右手をかざして操縦桿をじっと見つめた。やがて、風の中心に淡い光が見えて来た。それは、薄い緑色のようにも見える。 「……な、何だ……こりゃ……」 リーブの袖や裾、髪だけではなく彼らの衣服はぱたぱたと風に靡いていた。マテリアを媒介として魔法を詠唱している時の姿に似ていると言われれば、そう見えなくもない。しかし、マテリアを持っている様子もなかった。 そんなことを考えているうちに、視界が一瞬にしてまぶしい光に包まれた。襲いかかる閃光からとっさに顔を庇ったせいで、その瞬間に何が起きたのかは分からない。手をどけた時には風も止み、つい数分前と変わらないコントロールルームが目に飛び込んできた。 目の前で操縦桿に手を当てながら立っているリーブも、先ほどと同じだった。 「おいリーブ」 「…………」 一度呼びかけてみても反応がない。まるで立ったまま居眠りをしているように見えた。 「リーブ!?」 「……っと。すみません」 はははと笑いながら、リーブは操縦桿からゆっくりと両手を離す。そしてすぐさま真剣な声と表情に戻ってこう告げた。 「我々もここから退避しましょう。さあ、急いでください」 「おいちょっと待て……」 そう言ってなおも場から離れようとしないシドに、リーブは目配せする。 「なんだよ?」 「ご覧下さい」 そう言って手近にあったディスプレイを指さした。何のことはない、備え付けのディスプレイだった。ふだんは飛行状況を示してくれる心強い味方だが、今は退避しろとまくし立ててくる、やかましいだけの存在だ。 「コイツがどうした?」 「よく見てください」 言われるまま、もう一度ディスプレイを注視した。何も変わったところは……。 「……な、なんだこりゃ?!」 シドは目を丸くしてディスプレイをのぞき込んだ。表示された退避勧告は先ほどと変わっていない――はずだった。 “不時着するで〜、ひとまず退避や” しかし表示されている文字が先ほどとは違う。意味としては同じ内容を示しているが――それにしても、どこか緊張感に欠けるこのメッセージは何だ? 「自動航行、恐らく行けそうです……ギリギリでしょうけどね」 そう言って向けられるリーブの表情に笑顔はなかった。それは明らかに、何かを知っている顔だった。 「おいリーブ、どういう事だ?」 そう問われてもとっさには返す言葉が見つからず、リーブは気まずそうに視線を逸らし、小さな声で呟いた。 「これが……私の能力です」 「オレ様に分かるように説明しろ。……この艇に、何をした?」 その声は怒気よりも、恐れを多く含んでいるように聞こえた。 だからできるだけ穏やかに、且つ慎重に言葉を選んでリーブは答えた。 「私には戦う能力はありません。ただ、物を操る力があるんです」 「……ケット・シーか?」 「はい」 シドがことさら驚いた表情を向けてくる。 「……まさかとは思うが、おめぇこの艇ごと“操る”ってのか?」 「そうですね。……とにかく今は時間がありません。話は移動の合間に。向こうで彼らも待機しています。さあ、急ぎましょう」 そう言ってリーブはシドを促した。それでも心配そうに操縦桿を見つめた。 視線の先では信じられないことに操縦桿がゆっくりと、だが独りでに動いていた。 「よろしいですね?」 「…………」 半ば唖然とするシドの背を押し、操縦席から延びる階段を下りた。 飛空艇内の各エリアは、それほど幅の広くない通路で結ばれていた。リーブはまるでシドが引き返すのを妨げるように後ろからついて歩く。 そのためシドは半ば追い出されるようにして通路を前進しながら、相変わらず鳴り続ける警報音をBGMに背後で語られる話を聞くことになった。 「もともとこの能力のこと自体、私自身にもよく分からなかったんです」 正直なところ、現時点でもよく分からないというのがリーブの本音ではあったが、さすがにそこまで口に出すわけにはいかない。 「ケット・シーはロボットなんだよな?」 「はい。ケット・シーに組み込まれた機械は彼の動作を補助することと、データの記録を目的としています。最初はどちらかと言えば、私の能力の方が機械を補佐する役割を担っていると考えていました」 「“誘導”ってことか?」 「はい」 しかし、自身が持っていた認識それ自体が間違っていた、とリーブは続けた。ちょうどコントロールルームを出て最初の隔壁を通過し、シエラ号下層部へと続く長い階段を下り始めたところだった。 「私が操っている筈のケット・シーは時折、私の意志に反した動きをする事があったのです。……最初は、システム的なエラーだと考えました。しかしエラーという理由では説明のできない現象が起きました。実はつい先程も、そうだったのですが」 「お前が急に倒れた事と関係があるのか?」 問いに対するリーブの答えは否定だった。ついでに、最終的にとどめを刺したのは、腹を殴ったシドだと付け加えることも忘れない。 指摘を受けてそうだと思い出し、だがあの状況では他の方法を思い浮かばなかったから仕方がないのだ、と内心で言い訳しながらも慌てて視線を前方へ向けたシドの姿を見て、リーブは表情をゆるめた。 そのまま、世間話でもするような口調で話は続いた。 「ケット・シーが受けた衝撃や感覚の一部を、私も共有しています。ですから、あの時エンジンルームで何が起きているのかも、"見えた"のです」 「それでシェルクを行かせまいと?」 「はい。……結果的には失敗しましたが」 申し訳なさそうに告げたリーブに、シドは進める足を止めることなく顔だけを向けて問う。 「この飛空艇にも、同じ事をした?」 「そうです」 「…………」 それはシドが知る限りの常識とはかけ離れた話だった。しかし、語るリーブの姿は真剣そのものだったから、嘘を吐いているとは思えない。 もっとも、そう簡単に読めない男でもあるのだが。 「……ケット・シーと感覚を共有してるっつーことは、だ。あれが壊れたら、それも?」 「はい。ただしこちらに伝わってくる衝撃はほんの一部です」 長い階段を下りきり、シエラ号の上層部と下層部を隔てる隔壁が見えた。そこでシドは今度こそ足を止め、振り返るとリーブと向き合った。 必然的にリーブも足を止めざるを得ない。待つこともなくシドから問われた。 「この飛空艇にも、同じ事をしたと言ったな?」 「はい」 「ケット・シーと同じっつーことは、お前が感覚を共有しながらこの飛空艇を動かしてるんだな?」 「そうなりますね」 「それじゃあ……」 本当は、その先を口にするのが恐ろしかった。 ケット・シーは自分たちよりも小さなぬいぐるみだ。それが壊れた時でさえ、一部を共有する本体が意識を失う、あるいは身体機能に失調を来すほどの衝撃だった。とするならば、ぬいぐるみとは比べものにならない大きさの飛空艇が壊れた場合、その一部にあたる衝撃を受けた本体はどうなる? 操る物が巨大になっただけで、操っている張本人は何も変わっていない。生身の人間なのだ。 「艇が落ちたら……?」 「落ちませんよ」 柔らかく微笑んで、リーブは即座にその予測を否定した。シドにそれ以上、先を続けさせないためだ。 しかしリーブの意に反して、シドは言葉を続ける。 「マトモに動くんなら、わざわざお前が操る必要はねぇだろ? オレ様の腕と目を見くびるな」 確かにシドの言う通りではある。飛空艇出力低下による航行機能へのダメージで、考えられる原因の最たるはエンジンへの被弾だった。 もしそうなら、たとえリーブがこの飛空艇ごと操ったところで、結果は変わらないのではないか――それは翼に傷を負った鳥が飛べないのと理屈は同じで――飛ぼうという意志を持っても、飛ぶための機能が損なわれていれば重力に逆らうことは出来ない。 返答次第では、すぐさまコントロールルームへ引き返す必要がある。 意を決して、シドは口を開いた。 「もう一度聞く。飛空艇が落ちたら、お前はどうなる?」 「…………」 リーブは答えなかった。正確には、「答えられなかった」。 なにせこんな巨大な物を操ったことは、今までなかったからだ。先程の試みも実のところは賭だった。こうして飛空艇が動くと、100%の確証がないまま見切り発車したと言うのが本音である。 「ちょっと待て! お前……」 両肩を掴んでリーブを壁に押しつけると、シドは叱責するように言葉を浴びせた。それは沈黙という返答を、最も深刻にとらえた結果だった。 向けられた鋭い視線に身が強張る。しかしまた殴られては敵わないと、リーブはシドの言葉を遮り毅然と言い放った。 「話はまだ終わりません。 それからシド。どのみち今、私が意識を失えばこの飛空艇はそのまま墜落しますよ?」 「妙な脅しには乗らねぇぞ、リーブ。そん時はオレ様が操縦すりゃあ済むだろ。 ……それともこのシエラ号のパイロットが誰か、忘れたか?」 置かれた手をどかし前進を促そうとしたが、シドは動こうとしない。逆に加わる力が増した様な気さえする。だからといってこのまま引き下がるわけにはいかないので、リーブは事務的に話の先を続けた。 「……先程も申し上げた通り、ケット・シーを動かすために組み込まれた機械を誘導し操作するのが私の能力だと思っていましたが、それは間違いでした」 「どういう事だ? ケット・シーは勝手に動いてるってことか?」 「そうです。正確に言えば……成長と学習……と言えるでしょうか」 確かに最初はリーブの意志に対して忠実に動く。その後もほとんどは、操縦者の意志に沿った動きをしてくれる。しかし、そうではない事もある。 「ケット・シーは……生きているのです」 操作されているのではない。彼自身にも意志があり、心が宿っているのだと、リーブはそう語った。 「それってのは、つまり……」 「私の持つ能力は、物を操るだけではなく、そこに“命を吹き込む”という……とんでもないモノでした」 それに気づかなかった自分を浅はかだと自嘲するように笑った。呆気にとられ力の抜けたシドの手を、できるだけ丁寧に退けてから、リーブは顔を背けた。 操るどころか、生命を吹き込むとは――もたらされた予想外の返答に、しかし言われてみれば納得がいった。 この時シドの脳裏に過ぎったのは、3年前の古代種の神殿での出来事だった。 古の昔、黒マテリアを安置しておくためにセトラの民が築き上げた『古代種の神殿』。そこに残り、仕掛けを解いて黒マテリアを得る代わりに、ケット・シーは神殿内に閉じこめられる役を買って出た。自分は、作り物のオモチャなのだからと戯けながら、古代種の神殿から出て行く仲間達を見送った。 彼が最後に語った言葉を、神殿の外から通信を通して聞くことになった。 ――『同じボディのがようさんおるけど、このボクは、ボクだけなんや!』 スパイで、しかもぬいぐるみのクセして何を言ってるんだ? と、当時は心のどこかで思っていた。しかしあれは、リーブではなくケット・シーの思いだったのだとすれば、その言葉にも頷ける。 「お前……」 「この能力を持った私は、死神……なのかも知れません」 「ああ?」 顔を背けたまま唐突に告げられて、思わずシドは素っ頓狂な声で問い返した。 「死を知らない彼らに、命を吹き込むという行為は……知らなくても良い死という恐怖を与えているのと同義なのです」 生命あるものは必ず死を迎える。生まれたその瞬間から死に向かって歩き始める。魂はライフストリームへ還ると言っても、肉体が滅びる時の苦痛や感情を避けることはできない。 知らず知らず、それを使い続けていた自分がどれほど残酷な事をしていたのかと、リーブは言った。 今までに、何体のケット・シーを失った? ケット・シーだけではない。創設当初からこれまで、有志で集ってくれた仲間達を、何人失った? 失ったのではない、殺したのだ。その決断を下したのは他でもない自分。それは異能者として、あるいは局長として。 これでは、地底で命を弄んだ彼らと同じ。いやそれ以上に残酷な事をしていたのだと、リーブはそう思った。無意識のうちに、その事実に気づく事を恐れ、これまで自分の能力と向き合って来なかった。忙しさにかまけて、他の理由にかこつけて。しかし誰にも告げられず、心の内に積み重なって行くそれを、口にできただけでも進歩なのかもしれない。 異能者――それは本来、存在すべきではない者。存在してはならない者だとするならば。与えられた能力の意味を、あるいは持ってしまった理由を問おうとすることも、求めたいと願うことも、異端視されることだろうか。 しかし、そんなリーブの思いをシドは豪快に笑い飛ばした。 「なにも、おめぇが気に病むことはねーだろ?」 「え?」 返された意外な言葉に顔を上げれば、シドは言う。 「飛空艇の話で悪ぃけどよ……部品にだって寿命はあるもんだぜ? だいたい飛空艇のメンテナンスってーのはよ、そいつらと向き合う地味ーな作業なんだぜ? ま、オレ様はこの艇を愛してるからよ、全然苦じゃねえし、それを苦痛だと思う野郎は、はなっからパイロットには向かねえよ」 胸を張り、誇らしげに語るシドの言葉に偽りはない――神羅が宇宙開発事業からの撤退を宣言しても尚、いつ飛び立つかも分からない神羅26号に注いだ熱意と実績が、彼の言葉を裏付けている。 それに彼の言うとおり、確かに物にも寿命がある。経年劣化と呼ばれるものだ。それを見越して設計の段階からあらかじめ耐用年数を設定する。都市開発部門勤続時代のある時期、リーブはそれを管理する仕事をしていた。仕事の中では減価償却という概念と付き合って来たが、自分の能力に対してそれを当てはめる事はなかった。だからシドの言葉をとても自然なものとして受け入れることができた。 けれどシドが言わんとする事は、その向こう側にある。 「翼を持たねぇ人間が空を飛ぶのは、もちろん飛空艇の力を借りてだ。 だがな、一番大事なのは……ここさ」 そう言って胸を指す。 パイロットに大事なのはハートってヤツだ。と、シドは恥ずかしげもなく言い放った。 操縦士は操縦桿を握って飛空艇を操るんじゃない。 操縦桿を通して心を、交わしているのだと。 「オレ様ぐらいのパイロットになるとよ、操縦桿を握っただけで飛空艇のコンディションが分かっちまうもんだ。逆もそうだぜ? パイロットの状態は飛行に反映しちまうんだ。 ……だからよ……、なんだ? おめぇの言うその能力ってーのも、さっぱり分かんねーって訳じゃねぇ」 恐らく、リーブとケット・シーの関係は、自分と飛空艇のそれに似ているのではないか? というのがシドの見解だった。 もしかすると、インスパイアとは――人間誰しもが持ちうる能力なのではないか? 翼を持たず大地に生きる人々は、空を見上げ憧れてきた。その思いが空を飛ぶ原動力になった。思いを育み、それは知識の助けを借りて形となって、やがては雲を超え青空を超えて宇宙にまで人を到達させた。そうやって人々は進歩を遂げてきた。 人の思いから物は生まれ、さらに思いを注がれ進化する。 それは人が人である所以。 シドの言葉は慰めではなく、説得力を伴ってリーブに向けられていた。 「お前も同じだろ、都市は作ったんじゃねぇ、育てて……いや一緒に歩んで来た……違うか?」 投げかけた問いへの返答を聞かないまま、槍を担ぎ直すとシドは背を向け再び歩き出した。 「どうした、時間がねぇんだろ? とっとと行くぜ」 「……は、はい」 思い出したように慌てて壁から背を離し、ようやくと言った状態でリーブは一歩を踏み出す。 そう言えば昔、誰かにも同じことを言われたような気がする。 ――「植物にとって水や日光以上に必要な物があるの。なんだか分かる?」 分かったつもりでいた言葉。それをようやく、知った。 ほんの僅かだが、進める足をためらったリーブに、シドは背を向けたままでこう告げた。 「オレ様はよ、信じるっつーことを忘れてたぜ。お前の事も、この艇も。 お前の言う通りだ、シエラ号は落ちねぇよ。オレ様が言うんだ間違いねぇ。 ……なあ?」 まるでシドに呼応するように、エリアを隔てる隔壁がリーブの背後で音を立てて閉ざされた。横合いのディスプレイに目をやれば。 “お嬢さんは任せとき” とのメッセージ。 リーブが吹き込んだ命が、どこまで保つのかは分からない。 しかしシエラ号は、リーブの願いを受け入れ、飛び続けることを誓った。それは相手を攻撃するための飛行でもなければ、逃走の為のものでもない。 リーブは振り返り、閉ざされた隔壁を見つめた。そして今一度、壁に左手を添えてこう告げた。 「よろしく……お願いします」 ディスプレイに現れる文字は、それ以上変わることはなかった。 「おーいリーブ! ぼさっとしてんな早くしろ」 その後ろから、シドの声。 リーブは壁から手を離し、駆けだした。 直後、まるで見計らったようにディスプレイの表示が変わる。 “誰かを守るために飛ぶ、……なんや格好エエやないか” これまで響き渡っていた警報音は、いつの間にか鳴りやんでいた。 やがてシエラ号から切り離された脱出艇を見送ると、艦内のディスプレイも光を失い沈黙する。 ただ一箇所、メディカルルームを除いて。 ―鼓吹士、リーブ=トゥエスティZ<終>―
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