鼓吹士、リーブ=トゥエスティY[後編] |
墜落現場とされる地点はミッドガルの南西に位置する場所で、ちょうどプレート建設中の現場近くにあった。しかし、ここまで来てリーブは進むべき道を見失っていた。 「……どないしたんや?」 車を止めて、初めて気がつく。 空が、青いのだ。 運転席から降りて周囲を見回した。風は強かったが空は青く、建築現場にも何ら異常は見られなかった。 「方向、間違えとるんか?」 自分で言っておきながら、即座にそんなはずはないと首を振って否定した。 試作ロケット墜落の一報を受けてから、ナビゲートに従ってここまでやって来た。都市開発に関わる以上、ミッドガルの地理情報には相当程度の知識があると自負しているリーブが、道を間違えるとは考えにくかった。さらに自分以上の長年にわたってミッドガル都市開発に携わってきた彼女の案内が間違っているとも思えない。 となれば、宇宙開発部門の軌道計算が間違っているか、そもそもロケットなど墜落していない。というどちらかの可能性しか思いつかなかった。 もう一度本社へ確認を取ろうとして、リーブは胸ポケットを探った。 「んっ?」 そうして思い出した。携帯電話は助手席に投げ置いたままだったのだ。 「しもたなぁ」と呟きながら助手席のドアを開け、携帯電話を取り出す。 ところが携帯電話を取り上げた勢いで、助手席からある物が転げ落ちた。履歴から本社を呼び出し通話ボタンを押そうとしたリーブは、視界の端に車から投げ出されたそれの姿を捉えた。 「……ああ、すまんな。痛ないか?」 屈んで地面に転がった猫のぬいぐるみを拾い上げると、そう声を掛けた。 別にぬいぐるみを集める趣味があるわけではないし、こんな可愛らしい物を欲しがるような年齢の子どもが身近にいる訳でもない。 それでもリーブは、そのぬいぐるみを大事に持ち歩いていた。 ――それはミッドガルのある住民が、リーブに託したものだったからだ。 今回の配置転換から遡ること半年ほど前の出来事だった。 当時、魔晄炉建設予定地の住民達に向けて彼らは幾度も説明会を開いていた。 それでも尚リーブは業務の合間を縫って、あるいは休日などの空き時間を利用して、とにかく時間の許す限り該当地域にある一軒一軒を訪問し、彼らの話に耳を傾け、時には頭を下げながらミッドガル中を歩いた。 そんな中で訪れた一軒の家。そこには初老の夫婦が住んでおり、生活水準も決して高いとは言えない。このぬいぐるみは、彼らの家に置いてあったものだった。 子どもはいたが、既にミッドガルを出て各地を旅しているのだという。 「空が狭くなった」 最初にこの家を訪れた時、夫は突っ慳貪に言っていた。神羅がこの街の再開発を初めてからというもの、年々空は狭くなり、空気は汚れて行った。彼らの子どもはそれを嫌がり、この都市を離れたのだと言う。 ――自分とは逆だ。話を聞いた後でリーブはそう思った。 彼は故郷を出て、このミッドガルへやって来た。 住み慣れた地を離れ、親しんだ言葉を捨てたのは、彼の持つ理想を実現させるために他ならない。 その後もこの家には足繁く何度も通った。説得ももちろんだったが、それだけが理由ではないような気がしていた。通い続けている間に色んな話をした。ミッドガルの昔の様子や、彼らの子どもの事。時にはリーブ自身の家族や幼少の頃にまで話が及ぶこともあった。 やがて数週間が経った頃、リーブの熱意と誠実さに心を動かされ、夫妻はこの土地を明け渡すことを承諾した。しかし彼らは、神羅の用意した場所ではなく、ミッドガルから離れることを選んだ。 仕事とはいえ慣れ親しんだ人々と別れるのは、少し淋しい。リーブはそう思っていた。願わくば、自分達の作った新しい都市で暮らして欲しいと、そんなことさえ真剣に考えた。だが、最後まで口に出すことはしなかった。 退去の日、妻から渡されたのがこの人形だった。 無口な夫よりも、社交性のある妻が、それを差し出してこう言った。 「むかし、子どもが好んで遊んでいた童話に出てくる妖精が、アンタとそっくりでねぇ……。こんな老いぼれに付き合ってくれた、せめてものお礼だよ。今までどうもありがとう」 たくさんのしわを作りながら、彼女は微笑んだ。家財を積み終えたトラックに乗り込む間際、最後に彼女はリーブを見上げながら語った。 「本当に、アンタもこの妖精もよう似とったよ……。 アンタはこの都市にとってケットシーと同じ存在なんだよ、きっと」 彼女の笑顔の裏にある、その思いが何であったのかをリーブが知るのは、それからまだ先の事。 彼女の言っていた童話はこうだった。 かつて世界を滅ぼそうとした狂者を倒すべく、世界各地に14人の英雄が顕れた。しかし古の禁忌を破り"神"をよみがえらせた狂者は、引き替えに自らの心と世界を贄として差し出した。神のもたらす圧倒的な力の前に一度は離散するものの、彼らは再び集い、"神"の復活によって蘇った古の力を用いて、力に囚われた狂者を倒した。後の世で「14英雄」と呼ばれる彼らは、同時に古の力を失った。 この童話に登場する妖精ケットシーは、自らの生命が失われる代わりに、石に力を託した猫として描かれ、その姿は人々を惑わせる存在であったのだと言う。 その時になってようやく、彼女が口に出さなかった思いの一端に、初めて触れた様な気がした。 けれどリーブの手に握られた人形は、ただ愛くるしい笑顔を向けるだけで何も語ってはくれなかった。 夫婦は、神羅都市開発部門の説得に応じ退去した、最後の住民となった。 回想を打ち切ったのは、無粋で無機質な携帯電話の呼び出し音だった。我に返ったリーブは思わず携帯電話を取り落としそうになり、慌ててボタンを押した。だから発信元にまで注意がいかなかった。 『リーブ君、今どこに?』 聞こえてきた声に一瞬ためらう。しかし通話を始めてしまった以上、無下に切る訳にもいかない。同時に発信元を確認しなかった自分をひどく後悔したが、後の祭りだ。 声の主は都市開発部門主任だった。回線を通して聞く彼女の声は、今や当たり前の日常である様な気がするほど自然と耳に入ってくる。考えてみれば彼女とはつい数日前、初めてまともに会話をしたばかりの筈だったのに、不思議だと思った。 いずれにしても、リーブが今いちばん聞きたくない声だった事だけは間違いない。 「……第6建設現場、エリアF5-268付近です」 つとめて平静を装って、リーブは答えた。これは仕事なのだと、自分に言い聞かせながら。そんな事情を知ってか知らずか、彼女は淡々と話を進める。 『ナビゲート通りね。……実はあの後、宇宙開発部門から修正データが送られて来たの。それによると墜落現場と目される地点が当初と少しずれているわ。場所はE3-282……』 「第5プレートですか?」 紙面に出力するなどとうてい不可能と言えるような膨大な量のミッドガルプレート建設計画書のデータは、本社のコンピュータに記録されている。厳重なセキュリティ下で管理されているそれは、むろん社外秘で持ち出しも複製もできない代物だ。しかし完璧に複製したものが、彼らの頭の中には入っている。 このデータを元に、ふたりの会話は成り立っていた。おそらくは神羅都市開発部門内の人間でも、参照なしに彼らの会話を理解することはできなかっただろう。 ところが彼らはそれを平然とやってのけている。あまりにも自然すぎるために、本人達ですら指摘されない限りは異常さに気づかなかったのかも知れない。 『そう』 「ではそちらに向かいます」 『……ちょっと待ってくれる? 今、ちょうど現地にいるの……プレートの下よ』 プレート下と聞いてリーブの脳裏にはある予測が立った。――ロケットが、プレートを突き破ったのだと――立ってしまった予測から導き出された現場の惨状を思うだけで、眉間に寄るしわの数が一気に増した。 『リーブ君、あなたはそのまま本社に向かってくれるかしら?』 「なぜです?」 『やってもらいたい事があるわ』 「何ですか?」 『まずは軍への出動要請。それから被害状況報告書の作成、破損部分の再建工事の費用概算と計画書の提出……』 言葉を交わし聞く毎に、眉間のしわが深まっていくのを感じていた。 彼女が言っていることは分かる。言葉の中で省略されている宛先や方法まで含めて、その一連の手続をリーブは理解した。が、一点だけどうしても理解できないことがある。 「ち、ちょっと待ってください! それは主任の仕事のはずで……」 『ええ、そうよ』 「だったら……」 言うよりも早く、彼女の声が耳に届いた。 『たった今から、主任はあなたよ。 ――都市開発部門管理課の主任に、リーブ。あなたを指名します』 自分の耳を疑うよりも先に、恐らくは開いたままだったであろう口を閉じようとした。何か言わなければならないのだろうが、唐突で、しかも全く予想外の出来事に、リーブは文字通り言葉を失った。 電話からは何の応答もない。リーブからの返答を無言で待っているのだろう。膠着状態を脱するためには、こちらが先に発言する必要があった。それは十分すぎるほど分かっているのだが。 「……んなアホな」 情けないことに、口をついて出た言葉がこれだった。 開いた口をようやくふさぎ、次に込み上げてきたのは怒りにも似た感情だった。「悪い冗談だ」と思うのと同時に、そんな冗談をためらいなく口にした相手に対する怒り――心中で渦を巻く感情に、言葉が追いつかなかった。 しかし彼女は口調を変えないまま、リーブの言葉を肯定した。 『そうね、アホかも知れないわ』 沈黙が流れたのは一瞬だけだった。電話を通して聞く彼女の声からは、その心の動きを読み取ることはできない。 『管理課内の人事権は私にあるわ。その権限を行使して、あなたに全権を委譲するわ。すでに手続はこちらで進めてあるから心配しないで』 「ちょ……言うてる事おかしいで?」 『そうかしら?』 おかしいも何もない。リーブは電話を左手に持ち替えて、言い放った。これ以上黙って聞いているのはごめんだ。 「……おたくさんがそう出るなら、こっちにも考えがある」 口元に笑みを浮かべ、思うままに言葉を並べた。ふだんは抑えているはずの訛りも、この時ばかりは気にならなかった。 「主任。人事異動に対して拒否権があんのは知っとるやろ?」 『ええ。だけど拒否権発動は依願退職と同義よ』 「そんなん百も承知や。喜んで辞めたるで、こんな会……」 『そう、投げ出すのね。あなたを信頼した人達を裏切って』 回線の向こうで彼女は溜め息を吐いた。それを聞いて、誰もいない建設現場で思わずリーブは声を張り上げて叫んだ。 「投げ出す?! 投げ出すんはどっちや! 電話一本で全権委譲って……そんなん無責任な話やで」 『盛大に授与式でもやってもらいたいの? お望みなら手配してもいいわ。 ……そうねリーブ君、さっき私に言った言葉、あなたにお返しするわ』 しかし彼女の声に皮肉や侮蔑の類は含まれていない。ただある事実を、ありのままに指摘していた。いっそ事務的にも思えるその口調は、一方で彼女の怒りと落胆の表れだったのかも知れない。 『あなた、間違ってる』 電気信号として送られてきた音声が、衝撃を伴って伝わる。リーブの肩を大きく揺らす程の衝撃は、手にしていたぬいぐるみが足下に落ちるには充分な震度だった。 ――ミッドガルの住民達に対する最低限の責務であり、最高の仕事。 説得と視察のために、何度も歩いたミッドガルの雑然とした街並みが。 自分に向けられた多くの住民達の表情や、声が。 そして、この都市を去っていったあの老夫婦の笑顔と、後ろ姿が。 彼女の言葉から一瞬にして思い起こされたそれらの記憶に、リーブは言葉を止め、足下を見つめた。 ――願わくば、自分達の作った新しい都市で暮らして欲しい。 地面に転がったぬいぐるみを今一度拾い上げれば、懲りもせずに愛くるしい笑顔を向けてくれる。「何度もすまんな」と呟くかわりに、優しくその額を撫でてやる。 こうして幾分か落ち着きを取り戻したリーブは、改めて問うのだった。 「……なら聞かせてくれへんか? 今回の配置転換の意図は何やったんか」 今さら引く気はない。この後事態がどう展開しても後悔はしないだろう。ただ、納得のいく回答を聞くまでは、追及の手をゆるめるつもりはなかったし、とうに覚悟はできている。 ひときわ強い風がリーブの背を叩いた。飛ばされてしまわないようにと、ぬいぐるみを脇に抱え直す。 そうして、彼女からの返答を待った。 電話を手にしたまま、本来ならこの場所からは見えないはずの空を見上げて息を吐き出す。それからゆっくりと、彼女は語り始めた。 しかし残念ながらそれは、リーブの問いに対する返答ではなかった。 「……リーブ君。あなた……神の存在を信じる?」 通信の向こうにいる男に向けて問いかける。ロケットが墜落した地点からプレートを挟んでちょうど真下に位置する五番街の一角に、彼女は立っていた。 『いきなり何ですか?』 「私、神なんて存在を信じてなかったわ。いいえ、今でも信じてない」 『はあ……』 電話の向こうでリーブが呆れ声になっているのは気にせず、彼女は話を続ける。 「でもね……。今は、今だけなら信じても良いかもしれない。そう、思っているわ」 『そう思わせる根拠が……あるんですか?』 リーブの問いかけに応じるようにして、彼女は背後にそびえる建物に向き直ると、それを見上げた。 「ええ。今、私の目の前に」 彼女の前には、教会があった。 その頂に、ロケットが突き刺さったまか不思議な教会が。 リーブがその光景を目にする頃には、頭上高くで輝いていた太陽は姿を消し、すでに月が顔を出していた。 結局、あれから一旦は本社に戻ったリーブは、軍への出動要請や関係各所への手続をひとまず「主任不在」として済ませ、それから現地へ向かったからだった。 実際に現場を目の当たりにした今でも、目の前の光景を信じられずにいた。ロケットの推進剤として用いられる燃料は可燃性が高く、一般的には打ち上げ後、燃焼は制御できないはずだ。墜落したとなれば機体は破壊され、爆発は避けられない。そう考えるのが自然だった。 だがプレートを突き破ったロケットは、教会の屋根に突き刺さった状態で原形をとどめていた。機体に加わる衝撃を、プレートと教会の屋根が吸収してくれたのだろうと漠然と考えたが、それはあまりにも不自然で、まさに「奇跡」としか言いようのない現象だった。 「……神は、おるのかも知れんな」 日中、電話での会話を思い出したリーブは思わず零すのだった。 いっそ滑稽にも映るその光景を見やりながら、どこか他人事のような気になったのは、確率にして考えるには途方もなく低い上に、およそ人間の意志が関与できる範囲の外で起きた出来事だと結論づけたからだった。 前代未聞の大事故ではあったが、落下した教会の外壁やプレートの破片などによる負傷者を出した程度の被害で済んだのは、不幸中の幸いと言えた。 すでに教会周辺の現場は警戒域として神羅軍の監視下に置かれ、部外者の立入が規制されていた。住民達がこの光景を目にすることは殆どなかったが、起こった事実までもを全て隠すことはできなかった。一部の住民の間では、このロケット墜落に関していくつもの噂がささやかれる様になった。神羅内部の権力抗争だとか、新兵器の実験だった、などが主な物だったが、どれも真相にたどり着けたとは言い難い。 しかしそれもすぐに立ち消えてしまい、やがてはロケット墜落の事実そのものが人々の記憶から薄れ、ついには話題に上る事さえもなくなることになるのだが、それはずいぶん先の話だった。 「……ご苦労様」 被害状況報告書を作成するための実地見分を終え、機材を片付けているリーブの背後で、彼女の声がした。 「まったく、……このロケットのお陰で今日はさんざんな目に遭いましたよ」 鞄を閉めて苦笑しながら振り返ったリーブに、彼女は笑顔を作るわけでもなく頷いた。彼らの横を、ひっきりなしに軍関係者やロケット解体・回収班が行き交っていたが、ふたりとも気に留める様子はなかった。 「私達の仕事はとりあえずここまでね」 「住民は?」 「周辺地域住民の避難誘導と、負傷者の搬送は日中のうちに完了しているわ、安心してちょうだい」 「そうですか」 こともなげに語る彼女を見て、やはりリーブは彼女が主任たる人物だと改めて実感した。現に、軍への要請をした際も、既に彼女が下準備を整えてくれていたお陰で、手続そのものには時間を要することがなかったのだ。 それから彼女は踵を返すと、教会を背に歩き出した。 「どちらへ?」 「もう、ここに用はないわ」 「主任?」 「…………」 その言葉を最後に歩き出す彼女の後を追って、リーブも教会前を出た。 ふたりは無言のまま、五番街の中を歩き続けた。軍出動によって沸き立つ市街地を抜けると、やがてゲートが見えてくる。ここまで来ると人気もほとんどなく、喧噪は遠くに聞こえるのみだった。 そうしてようやく、彼女は口を開いた。 「昼間は悪かったわ。時間がなかったとはいえ、あなたの心情をまったく考えずに……申し訳ないと思ってる」 「……いいえ。その、こちらも言い過ぎました……すみません」 ぎこちない会話を交わしながら歩くふたりの間を、生暖かい風が吹き抜ける。舗装の割れ目から芽吹く草を揺らし、ざわざわと風にそよぐ小さな音に促されるようにして見上げた夜空に月はなく、ぼんやりとプレートの底面が見えるのみで、ロケットが開けた穴がなければ昼か夜かさえも分からない。 ゲートから一歩出れば、むき出しの大地と澄み渡った空が彼らを迎えてくれるはずだ。それを目指してまっすぐ、彼女はゲートへ向けて歩を進める。 「昼間……あなたに『神はいるか』と聞いたの、覚えてる?」 「はい」 そのあと彼女は『神という存在を信じない』とも言っていた。リーブもどちらかと言えば同じ考えだった。ただ、今回のロケット墜落の一件に関してのみで問うならば、その限りではないだろう、とも。 そこまで考えて、なんとも都合良く現れてくれる神だろうと、リーブは内心で苦笑した。 しかし、彼女は思いがけないことを口にする。 「神など存在しない……だから神羅はこの都市で、『神』になろうとしている……」 「神、に?」 繰り返して問うリーブの言葉に、彼女は足を止めて振り返った。 「そう。『神』になろうと……いえ、なるための術を、彼らは知ってるわ。そしてその力を得ようとしている」 頭上に広がるプレートが空を覆い隠しているように、彼女の言葉も何かを覆っているように思えた。あるいは空と同じ、とてつもなく巨大な何かを。それは聞き手であるリーブに漠然とした不安をもたらした。 「詳しいことは最高機密事項とされているわ。話では科学部門の行っているという研究が、その中心を担っている――『ネオ・ミッドガル計画』と、呼称されている。私が知っているのはその器の部分に関して」 「……ネオ・ミッドガル?」 聞き慣れない言葉だった。それに「器」というのも気にかかる。 「そう。……この地に住む全ての住民の監視と、統制。その上に成り立つ支配体制」 「監視と統制? それに支配って、どういう……」 そこに付随する言葉はどれも穏やかではない響きだと感じた。それを示すように、彼女の声は暗く沈んでいる。 「確かにこの計画が実現されれば、ミッドガルは素晴らしい都市になるのかも知れない……。人々が愁いなく暮らせる、そんな理想の都市」 彼女がこの神羅都市開発部門に入った頃は、間違いなくそう信じていた。そのための都市開発事業であり、魔晄エネルギー利用は手段なのだと。 戦によって利益を生み出して来た闇の商人は、その富を平和に還元するのだ――と、勝手に信じ、迷うことなくその道を進んだ。 だから"それ"も手段の1つだと、最初は考えていた。 「反面、豊かさをもたらす代わりに、神羅は住民の監視と統制のシステムを構築しようとしている。……あなたも知ってるプロジェクトよ」 「ID管理ですか?」 「そう。……1つはね」 ミッドガルの住民一人一人に個別の認識IDを与える。このIDによって彼らの行動記録を含めた情報をすべて管理するというシステムが、ID管理計画だった。都市開発部門のプレート建設計画には、この「ID」の通過チェックを行う装置を含んだ設備が盛り込まれている。その実装段階で問題が生じたため、リーブはこの管理課へ招かれたというのが表面上の配置転換理由だと、彼女は告げた。 「ID検知システムを稼働させれば、どの住民がいつ、どこにいたのかを把握することができるわ。……もちろん追跡も可能よ」 「その目的は犯罪の抑止、あるいは危険因子の監視」 リーブが口にしたのは、神羅がID管理システムを提唱する最大の根拠だった。無論、「危険」だと判断するのは神羅だという前提であることは言うまでもないが。 「そう」 そこまではリーブも知るところだった。しかし、直前に聞いた言葉がどうしても引っかかる。 「……1つ、という事は他にもあるんですか?」 その問いに、彼女は首を縦に振るだけだった。 吹いてくる風が強さを増し、草がざわざわと騒がしく音を立てて揺れた。彼女の束ねられた長い黒髪も、背中で静かに揺れている。 慎重に、言葉を選んでいる様子で彼女はしばらく黙っていたが、やがて重い口を開き、社員にすら知られることの無い事実を語った。 「情報管理と行動監視はIDで充分。あとは統制……その方法を、神羅は秘密裏に研究している。……幸い、まだ実装段階には至っていないわ」 「具体的にそれは何なんですか?」 「…………」 その問いに、彼女から差し出されたのは1枚のディスクだった。 それは彼女が本社を出る直前に、持ち出した数枚のうちの1つだった。 「これは?」 「ミッドガル都市計画の全容、その一部をデータ化したものよ」 「直接あなたの口から教えてもらうことはできない、そう言う事ですか?」 「……リーブ君、」 何かを言いよどんでいる。目の前の彼女の様子からもそれは明らかだった。しかし何かが分からない。そんなとき、彼の言葉を思い出す。 ――「彼女を助けて欲しい。 彼女を救えるのはあなただけなんです、リーブ。」 そんな言葉を向けてきた総務部調査課の彼が、何を伝えようとしたのかをリーブは知らない。だから尋ねた。 「あなたを救えるのは、私だけだと……ある方に言われました。そして、今回の配置転換には別の意図がある、とも」 それに、心当たりもなかった。彼らのような強靱な肉体と巧みな戦闘術を身につけているわけでもない、戦場へ出れば一瞬で殺されてしまうような自分に何が、あるいは誰を救えるのだと? 「教えてください、主任。あなたの本当の目的は……」 「彼から聞いたのね」 苦笑とともに彼女は口を開く。リーブは肯定も否定もせず、ただじっと言葉の先を待った。 「そうね。今の私を救えるのはあなたしかいない……。 このミッドガルを、完成させられるのは、あなただけだと思っているわ。だから私は、あなたにミッドガルを託そうとしている」 一度、彼女は瞼を閉じた。その奥に去来するものは何だっただろうか? ふと、リーブはそんなことを思う。 顔を上げ、目の前に立つリーブを真っ直ぐに見つめる彼女の口から、絞り出すような声で告げられる。 「お願いよ、この都市を完成させて。そして神羅の……暴走を、止めて」 「…………」 リーブは語り続ける彼女を、黙って見つめていた。一言一言に込められた思いを、あるいは今ここに至るまでに歩んできた道のりを、まるで見定めるように。 彼女もまた、向けられる視線から目をそらさずに語り続ける。 「神羅は……いいえ、"彼ら"は人の心の内を覗く術さえも持とうとしている。私には……私にはこれ以上……。そうね、あなたの言うとおり途中で放り出して逃げようとしてる。無責任、あるまじき行為よ。でも……」 今現在、部門に統括責任者がいないのは都市開発のみだった。一方で彼女は、指名されて尚それを断り続けていた。だから管理課主任として、不在の統括責任者の代役をこれまで務めて来た。 そこで、望まずに知ってしまった真実がある。 「ミッドガルという土地も……ミッドガルに住む人々も、豊かになってほしい。今でも……そう、思ってる。願わくば私の手で完成させたかった。でも、それは叶わないと知った」 「なぜですか?」 向けられた問いに答えようとして、抉られるような心の痛みを覚えた。都市開発従事者として、志半ばでミッドガルから離れる決断は、決して軽いものではない。しかも、自分の後を引き継ぐ者を置き去りにして出て行く事に罪悪感を抱けば尚更、決意は揺らぐ。 言葉を向ける側も、それがどれだけの痛みを伴うものなのかは承知している。承知の上で、それでも残される側として聞いておかなければならない。 「私がこのままミッドガルに関われば……たくさんの犠牲を払う事になるから。そんなことまでして……私は、神になんてなろうと思わないもの」 だから、あなたに託すわ。彼女はそう言ったきり、俯いた。 恐らくは、自分の知らないところで様々なしがらみがあったのだろう。その盾になり、苦悩し歩んできたのだと、ほんのごく一部でしかないと知りながら、リーブはその声に耳を傾け心を砕く。 「……主任。あとはお任せください」 そう言って、リーブは深々と頭を下げる。心で強く願う本心を飲み込んで、彼女に向けた言葉も決して嘘ではない。 「今まで本当に、ありがとうございました」 その声に顔を上げ、彼女は心の底から驚いた表情を向けた。まさか頭を下げられるだなんて思いもしなかった。罵倒され、嘲笑されるのだと覚悟していたから。 嬉しかった一方で、素直に喜べないのも事実だった。今から彼は、自分の後を引き継ぐのだ。これから先、今までの自分と同じように、たった一人で"彼ら"と戦う事になる。 ――そして、彼の前に最後に立ちはだかるのは。 「……リーブ君、聞」 「ところで主任、もしミッドガルが完成した暁には、1つお願いしたい事があるのですが」 彼女の暗い表情を見まいと、言葉を遮るようにリーブは明るい声で話し出した。 「私と一緒に、ミッドガルを回ってもらえませんか? 魔晄炉8基が全て稼動した時に、その稼働状況と完成した炉心制御システムを、ぜひあなたにも見て頂きたい。あなたが後任に指名した私の仕事を、その目で確かめてもらいたいんです」 それは管理課へ招かれ、彼女の後継者として指名を受けたリーブが口にできる言葉の中で、もっとも本心に近いものだった。 それが本心に近いものだと悟られないように、ことさら明るく振る舞うのは、ミッドガルを去ると決意した彼女に対する気遣いに他ならない。 なによりも彼女自身が強く、その思いを感じていた。 「あら、……もしかしてデートのお誘いかしら?」 「ま、そんなところです。我々ならではの演出でお迎えに上がります」 リーブはずっと脇に抱えていたぬいぐるみを前に出し、まるでぬいぐるみが話しているように動かして見せた。 『楽しみにしとってな。わいもデート楽しみにしとくさかい、頑張るで』 そんな動作がおかしくて、彼女は小さな笑顔を作る。 彼女自身、久しぶりに笑った気がした。目尻に浮かぶ小さな滴を指で拭うと、心に浮かんだ思いをためらいなく言葉として口に出した。 「リーブ君、ありがとう。……あなたに」 ――きっと、あなたの前に最後に立ちはだかるのは、私。 「あなたに迎えに来てもらえる事、楽しみにしてる」 ――ミッドガルが完成した時、私のすべてを……あなたに託すために。 地下に眠る、たくさんの生命への贄として、私の身を捧げるために。 「……だから、私からも1つお願いをしておきたいの。いいえ、約束してもらいたい事があるわ」 「何ですか?」 リーブは柔らかな笑みを向ける。それを見ているのがつらいと思った。 ――だからそれまでは、知らないで居てほしい。 私と同じ苦しみを、味わって欲しくない。 「"DG、触れるべからず"」 ――目覚めなければ、触れなくても良い地底の記憶。 都市開発部門が関わるのは、私が最後……それでいい。 「"DG"?」 耳慣れない言葉だった。何かの略称かと聞こうとしたが、彼女の悲痛な表情にリーブはそれ以上追及することをやめた。 「分かりました……」 「ありがとう、リーブ君。……それじゃあ、元気で」 そう言ってレバーを下げると、重々しい音とともにミッドガルと外界を隔てるゲートを開いた。 闇色の空に浮かぶ月と、照らし出された草原が彼らを出迎える。 まるで地平線に誘われるようにして、ミッドガルに背を向け彼女は歩き出した。二度と振り返ることはないだろうと知りながら、リーブはその背中を見送り続けた。 ミッドガル郊外に広がる草原に、銃声が響き渡ったのはその直後だった。驚いて背後を振り返ったリーブは、信じられない光景を目にする。 「……な、にを?」 片手で銃を構えているのは総務部調査課の彼だった。闇に浮かぶ彼の表情からは一切の感情が取り払われ、真っ直ぐに前方を見据えていた。視線と銃口が向けられた方向、ゲートの先にはたった今別れたばかりの彼女がいた。 全身から血の気が一気に引くのが分かった。火薬の炸裂音が、耳に張り付いているようだ。 「何をするんですか……っ!」 闇に紛れるようにして佇むその男に向けて、リーブは非難の声をあげた。しかし返されたのは、感情を伴わず事実だけを淡々と並べただけの言葉。 「機密漏洩に対する社の方針……君ならそのぐらい分かるだろう」 「待ってください! ディスクなら、ここに!」 リーブはそう言って、先ほど手渡されたばかりのディスクを取り出すと早口にまくし立てた。同時に銃を持つ男の腕を掴み、狙撃を阻むべく目の前に立った。しかしこの男が本気を出せば自分を退ける事など雑作もないだろう、せいぜい自分には時間を稼ぐことしかできないとリーブは考えた。それでも、その間に彼女がここから離れてくれれば、あるいは逃げ延びることができるかも知れないと。 そんなリーブの思いをよそに、頭上から聞こえてくる冷徹な声は、容赦なく現実を突きつける。 「データはいくらでも複製が可能だ。複製された記録が社外へ出た場合は、我々はその媒体を破壊しなければならない」 彼が示しているのはディスクなどではない、彼女自身の脳に刻まれた記憶だ。それを破壊するのが彼の役目なのだと。 「それは彼女自身が一番良く知っている。だから今夜……私をここへ寄越した」 そう語った男の語尾が、僅かに震えている事にリーブは気がつかなかった。ただ、彼をここへ呼んだのが彼女自身だと言うことが衝撃だった。 「なっ!?」 「君にはできないと、判断したからだろうな。私でも同じ事をするだろう」 男の腕を掴む手に力がこもった。 「……あ、当たり前じゃないですか……」 「惚れた女を殺す事はできない、か?」 あからさまに揶揄するように男は尋ねた。それが挑発だと分かっていながらも、ただその一言だけで頭が沸騰するような怒りを覚えた。脳から全身へと伝達されたその感情にまかせて、リーブは拳を作る。 惚れたと自覚するほどの時間もないまま、歩む道を別にしたリーブには、男の言葉を肯定も否定もできない。それ以前に、そんな事を平気で問えるこの男に対する怒りの方が大きかった。ただ見下ろしてくる男の顔面めがけて拳を振り上げたが、いとも容易く避けられてしまう。 「君はタークスには向かないな。 殴るならもう少しまともにやってくれ。これでは当たる方が難しいぞ」 「誰がお前らみたいな……!」 睨みつけるリーブの顔を、まるで子どもをあやすように見下ろしながら、彼は続ける。 「君らしくないな、いいか落ち着いて良く聞くんだ。君には選択肢が用意されている、よく考えろ」 「選択……って」 リーブの手を苦もなく振り解いてから、男はこう続けた。 「自分が信頼を寄せる男に殺されるか、 自分が信頼を寄せる男を殺すか。 ――彼女にとって幸せなのは、どちらだと思う?」 「!?」 それを聞いたリーブは身を強張らせた。何を言っているんだ? と、覗くようにして相手の顔を見上げたが、その表情から感情を垣間見ることはできない。 男は無言で顎をしゃくる。つられてリーブはゆっくり後ろを振り返った。 恐る恐る視線を向けたゲートの外。広がる草原の中に彼女は、立っていた。 驚いてもう一度、男の顔を見上げる。相変わらず表情のない顔が向けられている。 「言ったはずだ、選択の権利は君にある」 「あんた……もしかして」 彼はわざと狙いを外したのだと、この時になってようやくリーブは思い知る。となれば、返すべき答えは1つしか無い。 「……愚問や。あんたらにはさせん。――そら、後任者の仕事やで」 「ならばよろしい」 そう言った時、男ははじめて笑顔を向けた。手にしていた拳銃をリーブに差し出すと、彼もまた彼女の背に向けて黙礼し見送るのだった。 受け取った拳銃が、こんなに重たい物だとは思わなかった。リーブは扱い慣れない拳銃を放り出して、ゲートをくぐり草原へと駆け出た。 「主任。必ず、ミッドガルを完成させて見せます。理想の都市として……。ですからその時は……!」 声に応じて振り返った彼女は、心からの笑顔を向けてくれた。髪を束ねていたバレッタを外すと、薄闇にとけ込むようにして黒髪が風になびく。 「あなたが迎えに来てくれることを、楽しみに待っているわ」 その姿は、とてもきれいだと思った。去ってしまうと分かっているから、そう思うのだろうか? 脈絡もなくリーブは考えた。 彼女は思い出したようにこう付け加える。 「……あと、あの鉢植え。くれぐれも水はあげすぎないでね」 そうして今度こそ、彼女は背を向けた。それを見たリーブは立ち止まる。 そうだ、まだあの朝の答えを聞いていない。と叫ぼうとしたが、結局そうする事はしなかった。なんとなく、聞かないでも答えは分かる気がしていた。 それに答えを聞くのは、再び彼女に会ってからでも遅くはない。 ミッドガルが完成するまでは、振り返らずにいよう――と、決意した瞬間でもあった。 一度深く頭を下げてから、彼女の背中が見えなくなる前にリーブは草原に背を向け、再びゲートをくぐったのだった。 それから放り出したままの銃を拾い上げ、申し訳なさそうに持ち主へと返した。彼らにとっては大事な道具だと言うのに、粗末な扱いをした事を心から悔いていた。 「すみませんでした。……あなたには助けられてばかりなのに」 苦笑しながら銃を受け取ると、男は何かを思いついたように意地悪く微笑んでこう返した。 「そうか? そうだな……ならばいつか借りを返してもらおうか」 「是非そうさせて下さい。もし、総務部調査課が退っ引きならない事態に陥った時は、全力でお助けします……ヴェルドさん」 名を呼ばれ、男は楽しそうな笑みを浮かべてこう言った。 「これは頼もしい限りだな」 こうして彼らは、本社へと戻る帰途につくのだった。 数年後、この会話が実現することになると知った時、心のどこかで必然だったのだろうと思った。総務部調査課が直面する危機は、しかしリーブにとっては前哨戦に過ぎなかった。 壱番魔晄炉、七番街、……そして空からの災厄。多くの住民の命を犠牲にし、それでもミッドガルが完成することはなかった。 よみがえった記憶は僅かな痛みを伴って、リーブの意識を戻るべき場所へと導くのだった。 彼女と交わした最後の約束を破り、自ら立てた誓いにも背くために。 心の奥に閉じこめた過去が、ミッドガルを終焉へと導くために目覚める。 ―鼓吹士、リーブ=トゥエスティY<終>―
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