鼓吹士、リーブ=トゥエスティY[前編]

 倉庫の隅に捨て置かれていたジョウロを拝借しようとしたが見あたらず、仕方なくフロアへ戻ってくると、窓辺にたたずむ人影が見えた。その人物は、やれやれと言った表情でジョウロを傾け水を与えるのと同時に、首まで傾げていた。水と視線が注がれる先には、1つの小さな鉢植えがあった。
 毎日、毎日。彼女が出社すると決まってこの光景に出会う。始業の2時間以上前にはフロアに着いていたのだが、男はそれよりも前からここにいるらしい。妙な男だなというのが、彼に対する第一印象だった。何度か声をかけようかと迷ったが、なんだかんだといつもタイミングを逃してしまい、そのまま日々が過ぎていった。
 そんなある日。
 この日は朝からどんよりとした曇り空が広がり、まだ始業前で人のいな事もあいまって、心なしかフロア全体も暗く沈んだように見えた。日中の喧噪が嘘のように静まりかえるフロアの一角、いつもの場所に彼の姿を見出した。
(また)
 特に何かがあるという訳ではないのだが、実は気になっていた。毎日顔を合わせる彼の存在そのものももちろんなのだが、彼の行為――鉢植えに水をあげる――というのが、どうしても腑に落ちない。湿気の多い今日のような日にも、彼は鉢植に水をやり続けている。
(こういう事に口出しするから、お節介だとか言われちゃうんだろうけど)
 彼女は意を決し、男のたたずむ窓際まで歩き出した。彼の背後まで来たところで、鉢植えをのぞき込む。それが見えた瞬間、彼女は思わず大声をあげた。
「……ちょっと!!」
 言うのとほぼ同時に、水をやる男の手首を掴むと有無を言わさずジョウロを取り上げた。
「アナタ何やってるの!? それはもともと乾燥地帯に自生する植物なのよ。そんな物に毎日、それもこんなに水をあげてどうするの。しかもこんな悪天候の日にまで! 無責任に水ばかり与えればいいって物じゃないのよ」
「……は、はい?」
 いきなり背後からジョウロを取り上げられ、あげく説教のような詰問のような言葉を浴びせられた男は、驚いて後ろを振り返った。彼の目に映ったのは、黒いパンツスーツを身につけ、スーツと同じように黒くて長い髪を持った細身の女性だった。
 そんな彼女の勢いに押し切られたような形で、男は謝罪の言葉を口にした。
「す、すみません……」
「……あ。ごめんなさい」
 その姿に思わず我に返った彼女も頭を下げる。
(私はいったい何をしてるのかな……)
 自分の取った行動に疑問を抱きながらも、彼女の口は自然と言葉を紡いでいた。しかしその声に、先ほどまでの厳しさは見られない。
「乾燥地帯に自生する植物は、根、あるいは茎に水分を蓄えておいて降雨の少ない土地に順応した機能を備えているの。だから頻繁に水を与えなくても良いし、逆に日差しの少ない場所では生育に適しているとは言えないわ」
 鉢植えを置くなら場所を変えた方が良いのでは? と提案した。元々オフィスは北向きに作られているので、休憩室や待合所の方が環境は良かった。しかし、あちらには既に立派な観葉植物達が置かれているので、男の手元にあるような小さな鉢植えに居場所はなかった。そのことは、どうやら男も認識していたようで。
「……希望としては、できればここに置いておきたいと思うのですが」
 一度、手元の鉢植えに視線を落としてから少し間をおいて、再び顔を上げた男は、申し訳なさそうに言った。その姿を見た彼女の顔に、はじめて小さな笑顔が浮かぶ。
「そうね。きっと、その鉢植えにとってもここが一番よ」
 笑顔のままで彼女は男の言葉に同意を示すと、次にこう尋ねた。
「植物にとって水や日光以上に必要な物があるの。なんだか分かる?」
 男はしばらく鉢植えを見つめて考え込んでいたようだったが、やがて小さく首を横に振った。
「いいえ……見当も付きません」
「それを得るためには、どうやらこの場所が一番適しているようね。ただ……」
 彼女の言葉を遮ったのは、ポケットから聞こえてくるやたらと甲高い機械音だった。「失礼」と断ってから携帯を取り出してディスプレイをちらりと見た後、またすぐにそれをポケットにしまう。
「くれぐれも、水はやり過ぎないことね」
 それだけを告げて、彼女は急ぎ足でフロアを後にした。
(……なんや?)
 取り残された男は声に出さず呟くと、彼女の出て行った方をじっと見つめていた。


 男がこのフロアを訪れるようになったのはつい最近のことだった。もっとも日中は、以前までの所属部署で後任者への引継ぎなどに追われデスクを空けている時間が圧倒的に多く、朝のこの時間ぐらいしかオフィスにいられなかった。
 男の所属する部署は神羅の都市開発部門。しかし都市開発と一口に言っても、さらに10以上の細かい部署が設けられている。中でも『管理課』と呼ばれるここは、巨大都市ミッドガルの設計から建造、運営を包括的に担う部署で、表舞台に出るような事はあまりないが、既存のシステムや魔晄炉の稼働状況の監視・調整などを主な業務としていた。そして彼はつい先日、このセクションに配属されたばかりだった。
(なんで管理なんや……)
 今回の人事異動は彼自身の希望によるものではなかった。実のところ、内心では未だにこの配置転換に納得できていなかった。それでも、上からの指示には逆らえない。それは組織の中にいる以上、従わざるを得ないし避けられない事だとも頭では理解しているつもりだった。
 むしろ理解というよりも、諦めに近い。
 都市計画・開発という仕事に希望を抱き、神羅という企業に勤め始めた当時とは徐々に変わりつつある自分の姿に、彼は無意識のうちに焦燥のようなものを感じていたのかも知れない。
 男にとって、それはこの先に続く長い悪夢の始まりに過ぎなかった。

***

 呼び出しに応じてその部屋の前までやってきた彼女を出迎えたのは、総務部調査課に所属する男だった。先ほど、このフロアに設置されている通信機から、彼女の携帯用端末にメッセージを送信しここへ呼び出したのも彼である。呼び出しを受けた時点で、彼と遭遇することは予測していたものの、その姿を見るや彼女はあからさまに眉をひそめた。
「……こんな所で会うなんて」
「一応、ここも社内ですから。我々がいても何ら不自然ではありません」
「そうじゃないわ」男の言葉に彼女は即座に反論した。「あなた方に会うとロクな事がないって言う意味よ」その言葉に込めた意味を汲んで、男は苦笑する。
「相変わらず手厳しい」
「事実を言ったまでよ」
 あくまでも事務的な返答であしらいながら、男に先導され部屋の奥へと通された。そこから専用エレベーターを使い建物上層へ、さらに厳重なセキュリティを通過した先にある木目の美しい扉の前でふたりは立ち止まると、彼女はネームプレートを外し、それを扉横に設置されているセンサーに通した。赤く点灯していたランプが緑色に変わり小さな認識音が聞こえてから、扉のロックは静かに解除された。それを確認した男がドアノブを回して扉を開くと、そのまま黙礼で見送った。
 男の横を素通りして部屋へ足を踏み入れる。それまで通ってきたフロアよりは薄暗く、一見すると誰もいないように見える室内に向けて一礼した。まるでそれを見計らったようにして部屋の扉は外側から静かに閉められた。扉が閉じられると同時に自動でロックがかかる。かちゃり、という音を最後に室内は静寂に包まれた。
 ビル全体が近代的で無機質な印象を与える作りにあって、この空間だけは木目調の壁と天井、窓際に置かれた観葉植物と扉横にある大型の水槽などのお陰で、他のフロアに比べると幾分かあたたかみを感じさせた。
 しかし彼女にとってここは、社内でもっとも息苦しい場所に他ならない。
「……よく来てくれた」
 部屋の奥から、唐突に声が聞こえてきた。まるで声そのものに質量があるような、威厳と威圧感に満ちた男性の声。
(人を呼び出しておいて、よく言うわ)
 心の中で悪態をついてみたものの、彼女が男に逆らえるわけもなく。恭しく礼をした。
「遅くなり申し訳ありません……プレジデント」
 プレジデント神羅。彼は文字通り、この企業の最高権力者だ。大きな革製の椅子の背をこちら側に向け、姿は見えない。彼女が頭を上げようとしたところに、プレジデントの声が届く。
「さっそくだが、"例の計画"の進捗状況を報告したまえ」
「…………」
 中途半端な姿勢のまま押し黙ってしまった彼女に、プレジデントは口調を変えずに尋ねた。
「質問の意味を理解しているかね?」
「……はい」
「ならば答えたまえ」
 プレジデントの言う"例の計画"が何を示しているのか、彼女は充分過ぎるほど理解していた。
「……はい」反射的にそう返してはみたものの、やはり口に出すことをためらってか、場に沈黙が流れた。しかし彼女は、自分にこれ以上逃げ場がない事も充分に理解していた。やがて諦めたようにして口を開く。
「システムの実装段階で、問題が発生しました。検……」
「問題が解決するまでにかかる時間と費用の見積は?」
 彼女が何かを言うよりも先に、プレジデントが言葉を発した。察するところシステムに関する細かな話には、どうやら興味がないらしい。
「既に対策は講じております。新たな開発者……部内で実績を出している優秀な技術者を呼びました。問題の解決までには1ヶ月もかからないものと」
 そこまで言い終えて彼女はいったん言葉を止めた。少しばかり考えた末、次の言葉を口に出す決意を固めた。
「失礼を承知で、……率直なところを申し上げれば私は、未だこの計画には疑問を感じています」
 プレジデントは何も答えない。だがこれ以上語るべき言葉を見出せない彼女は、重苦しい沈黙が通り過ぎるのを黙って待つことしかできなかった。腕時計の秒針の音だけが聞こえる、その音をどれだけ数えた頃だろうか。やがて声が返ってくる。
「私は、この計画に対する君の個人的な感想を訊くために、わざわざ君をここへ呼んだ訳ではないんだがね」
「ですがプレジデント、人々の行動を監視するというシステムが果たして……!」
 彼女が必死に叫んだ言葉を吹き消すようにして、ふぅ、と言うため息の音が聞こえてきた。
 次に椅子が軋む音。
 最後に、男の声がした。
「……君は、何だね?」
「はい」
「君が私に意見できる立場にある者なのか……と尋いている」
 彼女は今度こそ押し黙った。返す言葉も為す術も見つからず、その場に立ちつくすだけだった。そんな彼女にとどめを刺すように、プレジデントは冷然と言った。

「都市開発部門の統括責任者が不在の今、君は代理としてその任を全うする。
……それだけを考えていれば良いのだよ。分かったなら下がりたまえ」

 結局、プレジデントは一度もこちらを見ることはなかった。


「余計なお世話かも知れませんが」
 部屋を出た彼女を労うように、総務部調査課の男は声をかけようとしたのだが。
「ええ、余計なお世話よ」
 そう言って彼女は会話を続けることを拒否すると、エレベーターホールへ向けて歩き出した。男は何かを言う事も追うこともせず、ただ彼女の背中を見守っていた。

***

 その日の午後、彼らは朝と同じフロアで再び顔を合わせることになる。
「……すると、あなたが?」
「そう。都市開発部門管理課の主任として、あなたをここへ呼んだ張本人、というわけ。『よくもこんな地味な部署に回してくれたものだ』と私を恨んでくれるのは自由だけど、仕事はしっかりこなしてね」
 部内でも大きなセクションである『管理課』の主任を務めるのが女性だったのは、正直意外だった。ただ、この口調と言葉を聞けばそれも納得がいく。
「改めてよろしく、リーブ君。それから、分からないことがあったら遠慮なく聞いて」
 そう言って彼女は特に笑顔になると言うわけでもなく右手を差し出した。つられるようにしてリーブも手を差し出し、握手を交わす。まさか彼女が自分の上司になろうとは。
 今朝ここで顔を合わせた時と同じく黒いパンツスーツに身を包み、黒く長い髪はバレッタでひとまとめに束ねている。元々が整った顔立ちではあるのだが、女性的な美しさはまったく感じられず、どちらかと言えば隙のない――まるで総務部に所属するタークスのような――印象すら与える。
「それではお言葉に甘えて1つお尋ねします。なぜ今回の配置転換を?」
「理由のない結果はないわ。当然……あなたの能力を見込んでの人事よ」
 リーブは配置転換が決定した当初から疑問に思っていた事を思い切って尋ねてみたが、あっさりと返されてしまう。言っていることはその通りなのだろうが、求めていたのはそんな回答ではない。
「具体的に私はどういった能力を見込まれてここへ招かれたのでしょうか? 差し支えなければお聞かせ頂きたいのですが」
 管理維持と言うのは退屈なものだと思っていた。彼は都市開発に従事する者として、常に生み出す側である事を望んでいた。魔晄炉誘致や設計から建設。時には内部のシステムにも関与した事がある。だから管理とは、都市開発の中で自分には一番縁遠いセクションだと思っていた。
 しかし、彼女はその考えを真っ向から否定した。だからこそ聞きたかった。なぜ自分がここへ呼ばれたのか? 返答次第では元のセクションへ戻してもらう事を進言するつもりでいたのだが、どうやら彼女の方が一枚上手だったようだ。
「差し支えるので現時点であなたの質問には答えられないわ。不服かしら?」
「……いえ」
 言葉こそ疑問形ではあるが、それ以上の問いには応じないという彼女の姿勢ははっきり現れている。それ以上の抵抗は無意味だと、リーブは諦め声で答えた。
「そう、なら持ち場に戻ってちょうだい」
 彼女はそう言って会話を切り上げると、ふたりは別々の方向からそれぞれ名前を呼ばれ、忙しない日常業務へと引き戻されたのだった。

(とんでもない上司の下に回されてしもたな……)

 誰にも聞かれないよう、リーブは心の中でだけ呟いたのだった。

***

 晴れ渡った空には白い飛行機雲が一筋、くっきり浮かび上がっていた。まるで絵に描いたような空の下、ミッドガルの外れにある更地にふたりの男の姿があった。
 飛行機雲の行方でも追っているのか、空を見上げているリーブの横顔を見ながら、彼は込み上げてくる笑いをどうにか堪えながら尋ねた。
「もしかして今『とんでもない人が上司になった』……なんて思ってらっしゃいますか?」
 リーブが都市開発の管理課に異動になったことを聞いた彼は、確信をもってその問いを向けていた。もちろん、これに対する返答が否定であることも予測済みだ。
 問いかけられたリーブは慌てて視線を下げ顔を質問者に向けると、ふるふると首を振りながら早口になって答えた。
「……い、いえ。とんでもない」
(読心術かいな!?)
 リーブからしてみればあまりにも的確な指摘だったものだから、内心かなり動揺したのだった。無論、態度に出ていることなど本人は気づいていない。
 彼はリーブが以前に関わった魔晄炉建設予定地での折衝の際、世話になった男だった。総務部調査課に所属しており、件の都市開発管理課主任の彼女とも旧知の間柄にあった。
 リーブは知る由もないことだが、あの日の朝、彼女を社長室へ呼び出したのも彼である。
「……まあ、お気持ちは分かります。彼女はとても厳しい人ですからね」
「あなたが言う程ですから、相当なんですね……」
 ああ、とため息をついて見せるリーブに、男は今度こそ笑うのだった。
「そんなに悲観しないで下さい、現に彼女は素晴らしい人なんですよ。そうでなければ主任になんてなれませんよ。……ついでに、私が保証しておきます」
 そんな保証なら、ないのと同じね――と、きっと彼女がこの場にいたらそう切り返すに違いない。ふと、リーブの脳裏にそんな考えがよぎった。
 それにしても、妙にリアルな再現映像が頭の中には流れている。知り合ってまだ間もないというのに、よほど強く印象に残っているのだろう。
「私の保証なんて意味もないでしょうし、きっと彼女ならすぐさま断るでしょうが」そう言って笑う男の反応から見ても、リーブの考えはあながち的外れではなさそうだ。
 そう考えるとなんだか可笑しくなって、リーブも笑った。その姿を見て、彼は少し安堵したような表情を向ける。
「立場上、さまざまな部署から依頼を受けますが……あなた方と一緒に仕事を……」
 言いかけて、不意に男は言葉を切った。先ほどまでの笑顔が一瞬で消える。
「すみません。本来、私の口からこのようなことは……」
 話すべき事ではない、男はそう言った。まるで沈黙を嫌うようにしてリーブはすぐさま反論した。
「人間ですから、何かを思い、感じるのは仕方のない事だと思います」
「ですが、それを仕事に持ち込むのはプロのやることではありません」
 彼の持つ高いプロ意識には敬服する。しかし、感情を全て否定してしまっては身も蓋もないのではないか? リーブはそう思った。
「私たちは確かにプロです。しかし、プロである前にひとりの人間でしょう? それを否定してしまっては……」
「あなたのおっしゃる通りです。ですが、それを大切にするあまり、任務の遂行に支障を来すようなら……それは我々にとって、無用の長物でしかありません」
 彼の言葉を聞いて、リーブは返す言葉を見失った。人の持つ、人であるが故に持つ感情を否定されたことを受け入れるまでに、些か時間がかかった。
「……それが、あなた方タークスだと?」
「ええ」
 彼は真っ直ぐにリーブを見て頷いた。揺るぎない自信、確固たる信念。そんな物を身に纏っているような、強さを感じた。
 都市開発などよりも厳しい現場に直面する総務部調査課・タークスの一員たる誇りが、彼にそれを与えているのか。それとも、数々の任務を経て身につけたものなのか。いずれにしても、自分にはない物だとリーブは思った。
「……私はまだまだ甘いんでしょうね。本音を言えば、あなた方の様になれる自信がありません。タークスの協力がなければ、先の魔晄炉建設計画は頓挫していたでしょう。本来ならば私たちの力で完遂すべき計画だった、……はずなんですが」
 それは配置転換が行われる直前、リーブが関わっていた都市計画の1つだった。計画の前に立ちはだかった最大の障害は、住民達だった。魔晄炉建設予定地の一部はすでに居住区として機能していたのである。
 そこでリーブ達は住民達の説得に乗り出した。可能な限りの時間を割いてリーブは住民達との交渉に当たった。その後、これに応じなかった者達への対応を都市開発部門は総務部調査課へ依頼した。ここでふたりは知り合うことになる。
 総務部調査課の働きもあって予定通り着工を迎えることができた。しかしこの際、彼らがどのような手段を使ったのかは、神羅内ですら正式には公表されていない。
 仮にどれほど強く現地住民が反発したとしても、神羅が魔晄炉建設を諦めるはずがない。となれば大方の予想はつく。都市開発部門が提示した条件をのまない、あるいは呑めない者達に対して残された手段は、強制排除しかない。
 たしかに全力は尽くした。決裂した交渉の前に行き詰まったリーブ達を救い、道を切り開いてくれたのは総務部調査課だった。だが、このやり方が果たして最善の策だったのだろうかと、今でも思い悩む事はある。
 魔晄エネルギーは神羅にとって重要な収益源になりうる。同時に、ミッドガルの住民にも富と豊かさをもたらしてくれる。それ自体に嘘偽りはない。少なくともリーブはその信念の元に、都市開発事業に取り組んでいる。
 ――それを住民達に納得してもらう方法は、他に無かったのだろうか?
    力で排除する以外に、方法はあったのではないか?
    私たちの声を届ける方法が、他にも……。
 もう何度目になるか分からない自身への問いかけに、リーブは小さく頭を振った。過ぎてしまったことを悔やんだって仕方がない。そして、彼らタークスがいなければ、魔晄炉建設計画は間違いなく暗礁に乗り上げていた。彼らには、どれだけ言葉を尽くしても感謝を伝えることはできないだろう。
 ただ、都市開発部門――もとい、自分の手を汚さずにいておいて、そんな風に思うのは虫の良い話だと、同時に罪悪感を抱くのだ。
 魔晄炉建設はもう後には引けない、引くわけにはいかない。とすれば、自分が最後まで携わることで結果を残そう。それが、ミッドガルの住民達に対する最低限の責務であり、最高の仕事になるのだと――そう決意した矢先の配置転換だった。
 ――だから聞きたかった。管理課へ回された理由を。
    魔晄炉建設から離れてでも、ここへ来なければならなかった理由を。
 煮え切らない思いを、どこへぶつければいいのだろう? そんなリーブには感情を「無用の長物」として否定できるはずがない。
 だが――いや、だからこそ。彼の言っている事が正しいのだとも思う。結果として回答が得られなければ、思いになど何の意味もないのだ。
 出口の見えない迷路の中を思考が迷走する中で、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「リーブ。あなたが、我々の様になる必要はありません。……いいえ」
 その声はとても力強く、まるで迷路の出口へと導くように響いてくる。
「あなたのような人が、これからは必要なんです。
 できれば覚えておいて下さい。今回の配置転換は彼女の賭でもあるのです」
 彼は話しながら腕時計を見て立ち上がる。そろそろ、時間だ。
「待ってください?! ……それは、どういう」
 顔を上げたと同時に、リーブの胸ポケットから彼を呼ぶ電子音が聞こえてきた。それを見下ろして男はやれやれと言いたげに微笑んだ後。彼は表情を見せないようにとリーブに背を向けた。
「私は、……あなた方を信頼しています。あなた方には我々……いえ、私のようにはなってもらいたくない、……というのは私の勝手な思いです」
 そう言ってから振り返った彼の表情は、いつもと変わらないものだった。
「私が、あなたを信頼しているように。彼女もまた、あなたを信頼し期待しているのだと思います」
 もちろん確証はないものの、おそらく間違いありませんと付け足して。
「どうか彼女を助けてあげてください。彼女を救えるのは……あなただけなんです、リーブ」
「ちょっ……!」
 問い返そうとしたリーブを遮ったのは、ずっと放っておかれている胸ポケットの携帯電話の甲高い電子音だった。彼はリーブに向けて電話に出るよう促す。が、そんな彼の胸ポケットからも同じような電子音が聞こえてきた。
 ふたりは互いに顔を見合わせ苦笑しながら、それぞれの携帯を取り上げて通話を始めた。
『……リーブ君、あなた何やってるの?!』
『主任、大変です!』
 端末の向こうから、それぞれの持ち主の名を呼ぶ声がほぼ同時に告げる。

 ――『ミッドガル魔晄炉建設予定地付近に、軌道を外れたものと見られる
   試作ロケットが墜落。死傷者、被害状況等の詳細は今のところ不明。』

「なんですって?! 場所と状況を詳しく教えてください!」
「……分かった。今すぐ戻る」
 ふたりは携帯を手にしたまま、別々の方向へ走り出した。
 リーブが見上げていた青空に伸びる一筋の雲がたどり着く先と、彼らが目指す地点は、同じだったのだ。

***

 依然として出力低下の続く飛空艇シエラ号は、コントロールルームで必死に操縦桿を握るクルーの操縦技術と努力の甲斐あって、辛うじて航行を維持していた。
「チッ、……やりすぎちまったか?」
 目の前で倒れたリーブの身を起こしたが、気を失ったまま意識が戻ることはなかった。シドとしてはそれほど強い力で殴っちゃいないのだが、などと言い訳じみたことを考えながら、通路の壁にリーブの上半身を凭せかけてから、腕組みをして吐き捨てた。
「まったく世話の焼ける野郎だぜ」
 さて、これからどうしてくれようか。ようやくシドが考え始めた。しかし彼が考えているよりもシエラ号を取り巻く事態の進行スピードは早く、そして向かう方向は悪かった。
 飛空艇全体に、けたたましい警告音が鳴り響いた。それから間もなく、艇が大きく傾きかける。シドはバランスを取るために壁に手をつき、なんとかその場に踏みとどまる。幸い、飛空艇の方も体勢はすぐ持ち直したようだったが、警告音は止まらなかった。
 艇に迫る危機と、操縦桿を握るクルーの焦る顔が思い浮かび、シドは勢いよく立ち上がり呼びかけた。
「……おいリーブ、ちょっと待ってろ!!」
 意識のない彼から返答はないが、シドはリーブの身体を通路の隅に寄せた。完璧とは言えないが、こうして2面の壁で彼の身体を支えていれば、急激な揺れにも少しは耐えられるだろう。間違っても、艇が揺れるたびに通路を転げ回る、なんて事にはならずに済むはずだ。
 それからシドはコントロールルームへと駆け込むと、扉が開くと同時に叫んだ。
「おい、どうした!?」
「艦長……!!」
 先ほどシドから操縦桿を託されたクルーが声をあげる。
「依然としてシエラ号の出力は低下中。それどころか、このままではじきに……全てのコントロールを受け付けなくなります」
 シドが階段を駆け上がる間にも、彼の状況報告は続く。コントロールルームに設置された、おそらくはシエラ号全艦に設置されたディスプレイで、同じ現象が起きていた。
 “退避勧告”。画面には簡潔にその文字が表示されていた。階段を上りきって、手近にあったディスプレイでそれを確認すると、シドは噛みしめるように呟いた。
「……オレ様に艇を捨てろってのか?」
 クルーは一度シドから視線を外すと、黙って頷いた。シドの顔を見て、それは言えなかったのだ。
「出力低下に伴い、既に高度調節の機能は使えなくなっています。このままの軌道で進めば……ミッドガル中央塔付近……あるいは、六から八番魔晄炉付近に……」
「おい待て! それじゃあ地上部隊が巻き添えになっちまうじゃねぇか!!」
 シドはクルーが言い終える前に叫ぶと、今にも胸ぐらにつかみかかる勢いで詰め寄る。無論、操縦桿を託されたクルーとてそれを望んで操縦している訳ではない。
 しかし彼が口にしていたのは考えられる中で最悪の、同時に現段階で最も起こりうる可能性の高いシナリオだった。確かにこのまま飛空艇が墜落すれば、爆発の余波で魔晄炉のいくつかは破壊できるだろう。そうなれば当初の計画通り、零番魔晄炉へのエネルギー供給を絶つことができる。
 しかし、地上にいるクラウド達はどうなる? 仮に魔晄炉ではなく中央塔にでも接触してみろ、中で交戦中であろうヴィンセントやユフィ、WRO隊員達を一気に失うことになりかねない。
 どこへ墜落したとしても、シエラ号に搭乗しているクルー全員が間違いなく……。
 それは、なんとしてでも避けなければならなかった。
「ミッドガルに墜落……か」
 口に出してから、さらに嫌なことを思い出した。
 かつて神羅宇宙開発部門が作った試作ロケットが、ミッドガルに墜落した時の話だ。当時、シドはまだ宇宙ロケットの正式パイロットにはなっていなかった頃の出来事で、あの当時ミッドガルスラム街付近に墜落したとされるロケットは幸いにも爆発しなかったため事なきを得たのだと聞かされ、安堵したことを覚えている。しかしそれ以降、宇宙開発への風当たりが社内で強くなったことは間違いない。
 宇宙開発事業からの撤退を最初に提言したのは、都市開発部門だった。シドは上官からそう聞いている。もっとも、今となってはどうでもいい話だ。
「……艦長」
 再び操縦桿を受け取ったシドに、クルーは神妙な面持ちでこう告げた。
「既にプログラムの起動準備は整っています。あとは……」
 それ以上は口にすることができなかった。飛空艇を放棄する選択を、シドに下せと言うのは、あまりにも酷なことだとクルーは思った。
 しかし、それができるのはシド以外にはいなかった。

「このまま……ミッドガルに落ちる訳には行かねぇ……!」

 操縦桿を握るシドの手に、力がこもった。

***

 ロケット墜落現場へ向かう車内でも、本社と携帯での通話が続いていた。都市開発部門管理課には、ロケット墜落についての詳細なデータや各所の被害状況等がリアルタイムに入る。それを、彼女が電話を通じてリーブに伝えていた。
『こちらから総務部調査課へ救援要請も出しておいたわ。正式に受理されるかは分からないけれど……』
 つい先ほどまで一緒だった彼と別れる間際、あちらの携帯に入った連絡がそれだったのだろうとリーブは思った。
 しかし、そうなると不自然な事がある。
「主任、なぜ軍ではなくタークスなんですか? 万が一居住区画に影響が出ていれば、救助活動には人手が……」
 墜落したのが試作ロケットである事を考えても、現場の惨状は察するにあまりある。救助活動の規模ももちろんだが、救助する側もそれなりの装備を整えて臨まなければ、二次被害拡大のおそれがある。
 それらの観点からも、救援要請を出すなら軍が妥当だとリーブは考えた。なのになぜ、彼女がタークスに出動要請をしたのかが解らない。当然の疑問だった。
『…………』
「主任?」
 呼びかけた声に、ようやく彼女が口を開いた。
『……スラム街に被害が及んだとしても、救助はないでしょう。その代わりロケットの撤去作業が優先されるわ。被害状況の調査と報告までが私達の仕事。軍の出動は、その後よ』
「なんですって!? なぜ……!」

『私たち都市開発部門としても、魔晄炉建設の工期を遅らせるわけにはいかないわ』

 携帯電話を通して聞こえてくる彼女の声が、ひどく機械的な音に聞こえた。
 ――「……それは我々にとって、無用の長物でしかありません。」
 任務遂行のためには感情を切り捨てると言った、先ほどの男の言葉が脳裏によぎる。彼の言葉もろとも否定するように、リーブは首を横に振った。
 違う、これは感情の問題ではない。
「主任。……それは間違ってます」
『…………』
「都市開発は……都市はそこに住む人あっての都市でしょう?! なぜそんな風に住民を軽んじる事ができるんです!?」
『…………』
 返答はなかった。携帯から僅かなノイズは聞こえてくることから、通信が途絶えたわけではなく、彼女からの返答がないのだと分かる。それでもリーブはさらに言い募った。
「確かに私は……魔晄炉建設計画で力に頼りました。しかし、それが正しかったとは思いません。利益を……豊かさを、住民に還元するのが、私の務めです。ですから……」
『ご託は充分よ、リーブ君』
 先を続けようとしたリーブの言葉を、彼女はいとも簡単に遮った。たった一言で、全てを否定した。
『可能・不可能……結果は2つしかないわ。そして我々には"可能"を実現する以外の選択肢はない。できもしない理屈だけなら、聞く価値も意味もないわ。……切ります』
 そして事実、彼女は一方的に否定して通話を終えたのである。
「待ってください!」
 叫んだところで返ってくるのは、通信切断を示すノイズだけだった。
 リーブはやり場のない思いを携帯にぶつけるようにして叩きつけた。助手席に転がった携帯のディスプレイに、リーブの顔が映し出される。
「みんな、間違っとるで」
 視線を前に向け、ハンドルを握り直す。
「……なんや、間違っとるんは自分だけかいな?」
 呟きながらリーブはアクセルを踏み込んだ。地上に真っ直ぐ延びた道路を、ひたすら進んだ。
 この時、見上げることのなかった頭上の空は、とても穏やかだった。

***

 受話器を左手に持ったまま、彼女はデスクの前で呆然としていた。自ら切ると言って右手で通話を切断した、その体勢のままで。
 それは機敏に動き回り部下に指示を飛ばす、ふだんの活発な彼女からは考えられない姿だった。周囲の視線を気にしたのか、俯いてから自分の耳にすらようやく聞こえる程の小さな声を、絞り出すようにして呟いた。
「……分かってる……間違ってることは、分かってる……」
 その言葉を最後に、ずるずると崩れ落ちるようにして机に突っ伏した。震える手で受話器を置く。遠くの方でがちゃがちゃと騒がしい音を立てていた。
「……でも……!」
 泣くことはしなかった。涙は出て来ない、この道を選んだのは自分自身だったから。後悔もしていない、正しいと信じて選択したことだから。
 ただ、ただ。
 苦しかった。
「……主任」
 呼ばれる声で顔を上げる。バレッタで束ねられた髪が表情を覆い隠してくれることはない。だから部下に向ける顔を、とっさに整えた。
「総務部調査課から、主任宛にお電話です」
「ありがとう」
 そう言って彼女は再び受話器を取り上げた。左手に持った受話器がひどく重たく感じた。ボタンを押した後、耳に当てたスピーカーから聞こえてきたのは、聞き慣れた男の声だった。彼の声が聞こえてくることを期待していた。その通りかけて来てくれた男に、心の底で感謝した。
『……用件から簡潔に言うと、君の出してくれた要請は却下された。我々タークスが、“救援活動”について出動することはない』
「そう……やっぱり」
 それも予想はしていた。しかし、彼の口からその言葉を聞きたくなかったという思いも、どこかにあったのだろう。隠しきれなかった落胆が声に現れている。
『ただ』
 だが彼女の予測を裏切るように、受話器から聞こえてくる声は続けた。
『個人的に、という条件付きですが協力はできます。あなた方の力になりたい』
「……珍しいこともあるのね」
 彼からの申し出は嬉しかった。それでも、皮肉るような言葉しか出て来ないのは、仕事で染みついた習慣のせいなのか。そんなことを考えた。
 少し間を置いてから、彼はこう答えた。
『……先ほど、あなたの部下に言われましてね。彼はいい人材ですよ』
 その言葉に思い当たる顔が浮かんで、彼女は額に手を当てて苦笑した。
「そう。……実は私もね……叱られたばかりよ」
『良い部下を持ちましたね』
「ええ」
 そう言って彼女は頷いた。相手に姿が見えないと分かっていても、深々と。その姿は頷くと言うよりも、頭を下げているように見えた。
 彼女は忙しなく社員の行き交うフロアに背を向け、窓から外を眺めながら切り出した。
「……ねえ、あなたは知っているんでしょう? "例の計画"の事」
 窓の中に広がる空の中に、受話器を持つ自身の姿が映っている。まるで自分に語りかけているようで、少し不思議な心地がした。
『住民監視システム……』
「ええ」
 僅かだが、答える彼女の声が震えている。
『どうしたんですか? 貴女らしくないですね』
「……わたし……」
『待って下さい。お分かりかと思いますが、我々社員は常に監視されています』
 男の言葉に分かっていると言って彼女は頷いた。監視とはもちろん、今この瞬間も含まれているのだと。それを聞いた以上、男に発言を妨げる理由はなかった。
「……この計画を最後に、彼にすべてを引き継ごうと考えているの」
『今回の配置転換は、やはり?』
「彼には悪いことをしたと思っているわ。だけどこれが、結果的には彼にとって最善の道だと思うの……私のわがままかしらね?」
『彼なら……リーブならきっと理解してくれます。そして貴女の期待にも応えてくれるでしょう。それについては私からも保証しておきます。ただ……』
「ただ?」
『まだまだ甘さが抜けません。仕方がないことだとは思いますが……』
 そう言って受話器の向こうで男が小さく笑ったのが分かった。
 その声を聞きながら彼女はふと目を細めて、振り返るとフロアを眺めやった。
(らしくない、か。確かにそうね……)
 ひとつの結論にたどり着いて、口元に小さな笑みを浮かべると、彼女はこう言った。
「あなたに部下を褒めてもらうのは、上司として嬉しいわ。でもね……。
 そんな保証なら、ないのと同じ」
 その言葉を聞いて、受話器の向こうで男が堪えきれずに吹き出した。
『やっといつもの調子が戻ってきましたね。安心しましたよ』
「あなたに心配される様ならお終いね。……ありがとう」
 言いながら立ち上がると、机上の書類を手早く片付けて身支度を調える。手前の引き出しに入れてあった茶封筒と、ふだんは鍵を掛けてある袖机を開けて、さらにその奥にしまわれたディスクを何枚か取り出す。ラベルの貼られていないそれらのディスクを確認して、ひとつ息を吐いた。
「これから私も現地へ向かうわ」
『分かりました。何かあればまた連絡を』
「ええ」
 そう言って通話を終えると、彼女は鞄の中に茶封筒を投げ入れた。
 フロアを去る際、先ほど自分に電話を取り次いでくれた社員に声を掛けられた。
「主任、どちらへ?」
「……ロケットの墜落現場よ。このまま戻らないと思うわ。後はお願いね」
「分かりました」
 しかしその言葉が示す本当の意味を、彼女以外に知る者はいなかった。

(続く)
 
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