鼓吹士、リーブ=トゥエスティX |
――「がんばって、ケット・シー」 そう言って微笑んでくれた彼女の笑顔を、今でも鮮明に覚えている。 彼女はスパイだった自分を信じてくれただけではなく、励まそうと微笑んでくれた。 (忘れへんで……絶対。忘れへん) だから今度は、わいが頑張らなアカン。先に壊れてしもた1号機のことも、わいの事も。たまにでええ、思い出してくれたら嬉しい。 ケット・シーは来た道を振り返り、閑散としたフロアに向けて勢いよく手を振った。見ている者もなければ、振り返してくれる者もいない。少しだけ淋しくなって振っていた手をゆっくりと下ろした。 誰にも見送られることなく、エンジンルームへと続く扉を静かに開けた。 ***
それはつい数分前の出来事である。 『アカン! アカンで〜。戻るんや、戻らんかい!! コラ、聞いとるんか!? ……も・ど・ら・ん・か・い!!』 幅の狭い通路の先から、いまいち深刻さに欠ける叫び声が聞こえて来た。巡回中だった隊員があわてて駆けつけてみれば。 「こらこら、離しなさい」 WRO局長が、珍しく困った顔で後ろを振り返り、視線を足下へ向けてる。つられて隊員も視線を下げてみれば。 『アカン、行ったらアカンのや!』 猫がいた。 「…………」 小さな猫――型の人形? ぬいぐるみ? ロボット?――が、必死になって裾にしがみついて、リーブの歩行を阻害している。深刻さに欠けるどころか、滑稽。いや、それはいっそ微笑ましい光景だった。 WRO<世界再生機構>の人間であれば、その猫を知らない者はいないだろう。ケット・シー――それはジェノバ戦役の英雄のひとり、正確に言えば分身だった。 なぜこんな狭い通路で押し問答を繰り広げているのかと言えば、出力低下の警報音を聞き駆けつけたリーブが、自分が操っているはずのケット・シーに進路を阻まれ立ち往生していたのだ。考えてみれば奇妙な現象である。 『そこの兄ちゃん、ちょっと頼まれてくれへんか?』 ケット・シーは裾を引っ張る手を離さずに振り返ると、この光景を呆然と見つめている隊員に向けてこう言ったのだ。 『異常事態なんや。急いで助っ人……いや、シドはん呼んで来てくれへんか? ……このまま、このおっさん行かせるわけにはイカンのや』 地上部隊のクラウド達はもちろん、ユフィやヴィンセント、他の隊員達もミッドガルに向けて降下している。先の本部戦で受けた被害もあり、今この飛空艇には最低限必要な人数しか残っていない。ケット・シーが言わんとしている事の重大さは彼にも分かっている。 「はっ!」 律儀に敬礼する隊員に、ケット・シーは相変わらずおどけた口調で返した。 『……すんませんけど、頼んます』 隊員は背を向け、来た道を全速力で駆け出していった。 ***
ミッドガル総攻撃開始を目前に控えたシエラ号艇内は、各所で隊員がせわしなく行き来し、来るべき出撃に備えてに活気づいていた。 そんな飛空艇内で唯一、上層部の一番奥に設けられたメディカルルームだけはその喧噪から隔絶されていた。少女はここへ戻ってくることをほんの少しだけ、ためらっていた。しかしつい今し方、SNDを実装したばかりの専用端末はこの部屋にしかない。だから戻って来ないわけには行かなかった。 今やめる訳にはいかない。自分の身に託された"彼女"の思いを……願いを、知ってしまったから。 それに。 ――「それでは、シェルクさん。頼みましたよ。」 そう言って目の前を去っていったリーブ=トゥエスティは、笑顔だった。シェルク自身が動く理由はないはずなのに、彼の申し出を拒めなかった。まんまとあの男の言いなりになっている様で、そんな自分が腹立たしく思えた。 『シェルクはん』 扉の前で名前を呼ばれた時、我に返った。通路脇に備え付けられた小型ディスプレイに表示された数字は刻々と減少を続けている。ミッドガル総攻撃開始までのカウントダウンは既に始まっていた。WROの侵攻部隊降下と合わせて、シェルクもSNDで援護する手はずになっている。それは彼女自身の提案により、急きょ決まったことだった。そのための最終調整をしていたはずなのだが、どうやら別のところに気をとられていたようだ。気を取り直してパネルを操作すると、室内へ通じる1つ目の扉を開いた。 考えてみればケット・シーはリーブ=トゥエスティが操縦しているロボットのはずなのに、なぜかこれには腹立たしさを感じない。なぜだろう? 考えても答えは出て来そうにもなかった。2つ目の扉の前で立ち止まったシェルは、ちらりと視線だけを動かして足元を見た。 「なにか?」 ケット・シーはじっとこちらを見つめている。シェルクは視界の隅でその姿を確認すると、視線を前方の扉へと戻した。 『さっきは……すんません』 2つ目の扉はすでに自動で開いていたが中へは入らずに、シェルク横についた小型ディスプレイを見つめていた。画面の中ではカウントダウンが続いている。一方で耳ではケット・シーの話す言葉を正確にとらえていた。 しかし唐突に謝られたのはいいが、何に対して謝られているのか心当たりがまるでない。 「なぜ謝るのですか?」 画面に触れ、何度か表示を切り替えながら、シェルクは短く言葉を発した。別に見なくてもいいはずの飛行航路表示を呼び出して、すぐその画面を閉じる。 『……その。えらそうな事、言ってしもて』 「気にしていません」 シェルクにしてみれば、ケット・シーに偉そうな事を言われた覚えがなかった。だからそう返答したのだ。 ここで会話が途切れた。画面上で確認できる情報には一通り目を通してしまったシェルクは、仕方なしにメディカルルームへと足を踏み入れた。相変わらず整然と並んだ機械類は、呼吸でもするように僅かなノイズ音を規則的に発していた。 姉が横たえられているカプセルに視線を向けることはせずに、そのまま奥の席に座ろうとしたシェルクは、いつもは自動で閉まるはずの扉が閉まらないのを不審に思って振り返った。 だが、異常は見られない。 視線を下へ向けると、ケット・シーが入り口で立ったまま俯いている事にはじめて気がついた。 「…………」 落ち込んでいるような姿に、なんと声をかければ良いのかが分からずシェルクは戸惑う。そのまま放っておけば良いような気はするのだが、そこにも妥当性を見いだせずにまた戸惑った。とりあえず、ケット・シーの傍まで歩み寄る。 しかし、けっきょく見下ろすだけで何もできない。 『3年前の話なんやけど……』 そんなシェルクに助け船でも出すように、ケット・シーがおずおずと顔を上げて語り始める。 『わいな、最初はスパイやったんや。知っての通り神羅の人間やったから……。せやけど、みんなと一緒におったら考え方、変わってしもたんや』 最初は戸惑ったと言う。自分が派遣された本来の目的は監視、内偵、そしてある物を神羅に渡す事だったから。しかし、それを決定的に覆したのが彼女の言葉だった。 『……“がんばって”ってな……そう言って、わいの名前呼んでくれたんや。なんや、アホくさい思うかもしれへんけど、ホンマに嬉しかったんや……』 誰かに頼ってもらえること。 誰かが必要としてくれること。 それは、自分と同じボディの1号機の記憶だったけれど。 『せやから……“言葉で伝える”っちゅーことも大切なんやて……思うんや』 照れたように頭に手をやって、いつものように戯けて見せようとした。けれど上手くいかなかったのか、またすぐに俯いてしまう。 一方それを聞いてシェルクは、出ないと思っていた答えの一部分が見えた様な気がしたのだった。 ――「それでは、シェルクさん。頼みましたよ。」 なぜ、あの男の申し出を拒めなかったのか。その答えが。 「私も、同じ……ような気がします」 そう言って、シェルクはひとつ息を吐き出した。「呆れました」とでも言いたげな表情で。 「よく……分かりませんが、誰かに何かを依頼されるという行為には……慣れていません」 シェルクはぎこちない動作で膝を少しだけ曲げると、前屈みになってケット・シーに顔を近づけようとした。 するとケット・シーは突然、シェルクの視線の高さまで高く飛び上がると、こう言い放った。驚いたシェルクは呆然とその様子を眺めていた。 『よっしゃ! そんじゃもう一踏ん張りや! わいもサポートさせてもらいまっせ〜。一緒にがんばりましょ』 ぴょんぴょんと、やけに嬉しそうに飛び上がるケット・シーを見ていると、シェルクはこれまでに見せたことのない表情を浮かべた。戸惑っているような困ったよな、そんな小さな笑顔。 「……そうですね」 そう言って、彼女は再び扉の横に設置された小型ディスプレイに視線を落とした。画面端の表示は、残り3分を切っていた。 シェルクはキーボードをたたいて画面を操作し、SNDの態勢へと移行する。 かつての都ミッドガル――地上と空とを舞台にしたディープグラウンドとの激戦が幕を開ける前、それはつかの間の平穏であった。 ***
言葉で……伝える。 これは誰の“記憶”で、誰の“思い”……? 身の内に渦巻く断片化されたデータ群。その中のどれが彼女のもので、どれが自分の物か――シェルク自身にも分からなかった。 自分の物だとはっきり分かるのは、地の底で暮らしていた10年間と、ほんの少し前の記憶だけ。ケット・シーの言葉が脳裏によみがえる。 ――『……言葉で伝えるっちゅーことも大切なんやて……思うんや』 自分と、自分の中に埋め込まれた彼女の持つ記憶。 どちらのものかも分からない思い。 けれど確かに今、シェルクの中にそれはあった。 だから……。 ――だからお願い……私は……あなたに…… 「……だからお願い……私は……あなたに……」 ――生きて。 最後の言葉が伝え終わらないうちに、回線は強制的に切断された。SNDから復帰したシェルクを出迎えたのは、異常事態を知らせるアラートとやかましい警報音だった。室内に並べられたディスプレイの全てに、警告画面が点滅していた。 画面上に表示された情報から、おおまかな現状を把握する。飛空艇の、特に出力低下を知らせるアラートが目に飛び込んできた。現在、航行維持に必要なシステム以外は強制的にシャットダウンされていた。先程の回線切断もこのためだと知る。しかしメインエンジンに被弾した様子はない。 「……!?」 それから周囲を見回す。ケット・シーの姿はどこにもなかった。 ――胸騒ぎがする。 シェルク自身に“胸騒ぎ”というはっきりとした自覚はなかったが、何かに背中を押されたようにして部屋を飛び出しコントロールルームに向かった。しかしそこにも、ケット・シーの姿はなかった。操縦者リーブ=トゥエスティの姿もない。操縦桿を握る男に向けて、シェルクは自ら進言する。 「……私が、様子を見てきます」 「悪ぃな、頼む!」 シェルクは夢中だった。だからコントロールルームを出るとき、伝令を仰せつかったWRO隊員とすれ違った事など気に留める余裕はなかった。 ***
伝令から事のあらましを聞いたシドは、少しのあいだ無言で空を見上げていた。それからおもむろに、操縦席から延びる階段のすぐ下に座っている一人のクルーを呼んだ。 舵を取る艦長自らが、目の前の操縦桿を手放すという事が一体なにを意味しているのか? 飛空艇乗りであれば誰もが知っている。シエラ号のコントロールルームにいる彼ほどの人間であれば、尚のこと。 彼は階段を上りきったところで、シドから無言で操縦桿を託された。いくら訓練を受けていても、驚きや戸惑いは隠せなかった。 「……艦長」 「ちぃと頼むぜ」 「しかし!」 「3年前のあの飛行に耐えたんだ、おめぇになら任せられる。頼んだぜ」 シドに対して彼はそれ以上なにも言えなかった。 3年前のあの日。飛空艇ハイウィンドで北の大空洞を発ってからミッドガル領空までの飛行を経験したのは、シエラ号の中でもシドを含めて数人しかおらず、彼はそのうちの1人だった。だからこそシドの言葉を誰よりも重く受け止めていたのだ。 ――3年前。 崩れ去る大空洞から辛くも飛び立った飛空艇ハイウィンド号は、天空より迫り来るメテオと地上を覆うホーリーの狭間を縫って飛び続けた。日常で通用するはずの物理法則など跡形もなく消し飛んでしまった世界、そんな中を飛行するのは無謀以外の何物でもない。地上も、海も、空気さえも――この惑星上に存在するすべてが翻弄されていたのだ。 そんな操縦もままならない状況でも、シドは操縦桿を離そうとはなかった。空から迫るメテオの恐怖、墜落どころか空中分解してもおかしくはない危機的状況の中、それでもハイウィンドの航行を維持するために操縦桿を握り続けた。シドとはそう言う男なのだ。 そんなシドが今、操縦桿を自分に託したのだ。そこまで自分が信頼されているというのは純粋に嬉しかった。だが、シドが操縦桿を手放すというのは、それ以上の事態なのだ。 当然、彼の頭によぎったのは最悪の事態である。 「エンジンルームの奴らからは未だに応答がない、……あの娘ひとりじゃ心許ないだろ?」 万が一の時のためにと、操縦席の後ろにしまってあった槍を取り出す。しかしもし仮にシエラ号艇内で戦闘が起きたとすれば、槍使いのシドには分が悪い。それでもシドは槍を手にした。 それから、まるで彼の内心を見透かしたかのように、シドは豪快な笑い声を上げる。 「安心しな。操縦桿を放り出すなんてマネはしねぇ。必ず戻ってくる。それまで……頼んだぜ」 背中を強くたたかれて、息が詰まりそうになった。そんな彼をよそに、シドは階段など使わずにそのまま操縦席から下へと飛び降りた。 「お気を付けて!」 その声と、コントロールルームの扉が閉まる音がしたのはほぼ同時だった。 それから彼は目の前の操縦桿を握ると、横にあるパネルも操作し始めた。3年前、ハイウィンドに搭乗していた頃からの経験が、彼にその操作を促す。 来るべき時に備えて。 ***
シエラ号内部の各エリアは、狭い通路で結ばれている。いくら全速力で走っても進路をふさがれてしまえば、どうにもならなかった。 上層部と下層部をつなぐ通路の真ん中で、シェルクは足を止めた。通行を妨害する彼らの姿に、思わず呆れたような、一方では安堵したような声を零す。 「……なにをしているのですか?」 「!?」 『……あぁ、シェルクはん! 助かりますわ〜』 リーブとケット・シーは同時にシェルクに顔を向ける。会話の主導権を握ったのは、未だにコートの裾を掴んだままの格好でいたケット・シーだった。 『エンジンルームからの応答があれへんから、わいが見に行こうと思とったんですわ』 「それで?」 こんな場所で何をしているのかと尋ねた。 『おっさんには操縦室に向かって欲しいんですわ。通信設備が使えないんじゃ、わいの能力つこた方が効率ええと思うんですわ』 「…………」 確かにその通りだと頷いて、シェルクはリーブを見上げた。 「……先程シド=ハイウィンドも同じ話をしていました。現在、シエラ号の出力は正常時の40%まで低下中、このため航行維持に必要な最低限のシステムしか稼働していない状態です。詳しい原因は分かりませんが、出力低下の影響から通信設備が機能せず、コントロールルームからはエンジンルームの状況が全く把握できていません」 操縦席から離れられないシドに代わってここへ来たのだと、シェルクは淡々と語った。その姿をじっと見つめていたリーブはシェルクに向き直ると、コートの裾を掴んでいたケット・シーはその反動で床の上を転がった。 リーブが何かを言う前に、シェルクが口を開く。 「これではSNDも使えません。ですからリーブ=トゥエスティ、あなたは今すぐコントロールルームへ向かって下さい」 「しかし“まったく応答が無い”のです、システムトラブルとは限らない……もしかすると……」 「もし万が一の場合でも問題ありません。……私の強さはあなたも見ていたはず。そうでしたね」 笑顔になることもなく、まっすぐに視線を向けられた。そんな少女の姿が、彼女と重なる。こちらが中途半端な理論を展開すれば容赦なく封じてしまう、そんなところもそっくりだ。そんなことを考えていたら、なぜだかシェルクを直視できなくて、リーブは思わず目をそらした。 (……姉妹、ですね) 『シェルクはんの勝ちやで』 床を転がっていたケット・シーは身軽な動作で跳ね起きると、羽織っていたマントを整えながら言葉を発した。 それでようやく諦めたのか、リーブはシェルクを改めて見た。そして観念したように告げた。 「分かりました」 次にリーブは膝をついてケット・シーと向き合った。 (……それにしても何故……?) 自分の感情を吹き込み、自身が操作しているはずのケット・シーがなぜ今回、操縦者の意志を無視するような行動に出たのだろう? その原因を突き止めたいとも思ったのだが、残念ながら今はそうするだけの時間がない。 「それでは、エンジンルームの様子を見てきてください」 手短に用件だけを告げると、ケット・シーは頷いた。そうしてリーブの脇から顔をのぞかせると。 『……シェルクはん、戻ったらSNDのお手伝い、させてもらいまっせ』 そんな言葉を残して、エンジンルームへ向けて走り出したのである。扉をくぐり最後にもう一度振り返ると、ふたりに向けて大きく手を振る。下層部へと続く扉が閉まるまで、ケット・シーは手を振り続けた。 ***
ケット・シーと別れたふたりは来た道を無言で戻った。やがてコントロールルームへ続くドアが見えてきたところで、リーブの身に異変が起きた。 一瞬、視界が大きくゆがんだ。何の前触れもなく襲った目眩にも似た症状をやり過ごそうと、とっさに右手を壁につけバランスを崩しそうになる身体を支えた。同時にリーブの脳裏に投影されたのは、ケット・シーを通して見えたエンジンルームの様子だった。驚きのあまり思わず声をあげそうになるのをすんでの所で堪える。 「……っ!?」 (――漆、黒の……闇。ネロ……!) 零番魔晄炉で見た、あの男の影。それがシエラ号のエンジンルームにあった。ケット・シーの前で駆けつけてきた隊員達が次々と闇の中に消えていった。生理的な嫌悪感だけではないだろう、リーブはこみ上げてくる物を抑えようと左手で口元を覆い、俯いた。 しばらくすると後頭部に鈍い痛みが走り、もはや平衡感覚はほとんど失われ、支えなしに姿勢を維持することが困難になっていた。 (……これは……) その様子に気づいて振り返ったシェルクの前で、リーブは右手だけでなく右半身を壁に凭せかけてようやく姿勢を維持していた。 「!? ……」 こういうときにどう行動すればいいのか、どんな言葉をかけてやればいいのか、とっさにシェルクは分からなくなって助けを求めるように周囲を見回した。 コントロールルームから飛び出してきたシドの姿が見えたのは、ちょうどその時だった。 ***
シエラ号に降り立ったネロにとってケット・シーなど初めから視界には入っていなかった。なぜなら彼が欲しているのは“生命”だからである。ケット・シーは感情を吹き込まれているとは言え、“人形”あるいは“ロボット”――つまり人工物である事には変わりはなく、取り込んだところで生命エネルギーとしては何の足しにもならないからだ。 もっとも、ケット・シーを通して操縦者の生命を回収できるのならば話は違ってくるのだろうが。残念ながらネロにはそこまでの知識もなければ、興味もなかった。 しかし一方のケット・シーにとっては死活問題である。ネロの意図する、しないに関わらず、ここで闇に取り込まれてしまえばそれで終わりだからだ。とはいえ目の前で次々に消えていくWROの隊員を放っておく訳にはいかない。 武器を持たない彼にとって、戦える手段は皆無だった。 『……すまんな、おっさん』 呟いてから、ケット・シーはネロに向かった。武器になるのは――この作りモンの体しかない。高く飛び上がり、両腕を力一杯振り回した。零番魔晄炉でDGソルジャーを気絶させることはできたのだ、ダメージは与えられなくても、隙を作ることはできるかも知れない。 そんな僅かな可能性は、ネロが浮かべた薄ら笑いによってあっけなく否定された。 「先程から……目障りですね」 手に持った拳銃を発射することなく、それをケット・シーめがけて振り下ろした。弾など消費せずとも充分だ、と言うのがネロの判断であり、残念ながら彼の判断は正しかった。まともに抵抗することすらできず、ケット・シーの体はネロが振り上げた腕に捕捉された。 死、あるいは壊れることへの恐怖はなかった。ただ、ケット・シーは必死に伝えようとした。まとまらない思考を制御しようとしたが、上手くいかなかった。そのうえ"本体"に届くかどうかの確証もなかった。それでも、最期まで諦めようとはしなかった。 ――わい直接、クラウドはん達には会えんかったけど。 WROの兄ちゃんや姉ちゃん、シャルアはんや、シェルクはんに会えて ……楽しかったで。 大変やと思うけどみんな気ィつけてな。 それからシェルクはん、手伝えのうなってしまってすんません。 それからヴィンセントはん、今度こそメールの返事返してぇな。 それからユフィはん、『あやつる』のマテリア、アレわいのやねんで? それからシドはん、また飛空艇乗っけてほしな。 それからシャルアはん、みんな待っとるんやから寝坊したらアカンで? それから……それから…… ホンマはもっと伝えなアカン事、たくさんあるねんけど……。 おっさん。オモチャのわいに命をくれて、おおきに。 また…… …………。 ネロの手によって叩き落とされたケット・シーは、そこで機能を停止した。 ***
額に多量の汗を浮かべ、肩を上下させて荒く呼吸を続けるリーブに肩を貸し、彼を支え起こしながらシドは問う。 「おい、何があった!?」 「……ろ、が。……」 俯きながら答えたリーブの言葉に主語はなく、それどころか言葉にすらなっていない。事情を聞こうと声をかけたまではよかったが、シドはますます訳が分からなくなった。 「どうしたんだ!? おい、リーブ!」 気絶するほどの衝撃ではないにしろ、ケット・シーがもたらす影響というのは少なからずリーブの身体にも及んでいた。シドや、まして何も知らないシェルクが戸惑うのは仕方のないことだった。 そもそもリーブがこの能力について、これまで――神羅時代の同僚や上司はもちろん、3年前ともに戦った仲間達にさえ――詳しい話をしたことは無かった。何も知らない彼らから見れば、特に外傷を負ったようにも見えない男が、何の前触れもなく突然苦しみだしたのだ。そんな状況を目の当たりにして、驚くなという方が無理だろう。 リーブの“能力”とは、ある特定の条件を満たした無機物に命を吹き込むことができると言うもので、つまりケット・シーは完全な遠隔操作ロボットではなく、リーブが命を吹き込んだ文字通り“分身”なのである。だから分身が受けた衝撃の一部を、本体であるリーブも感覚として捉えることができた。零番魔晄炉の最深部でケット・シーが見た光景をリーブが知り得たのもこのためだ。 しかしこの能力自体、リーブ自身も完全には理解できていない部分が多くあった。だから語らないのではなく、語れないのだ。 皮肉にも結果的にはこのことが、リーブの身に及んだかも知れない危険を回避することにもつながった。下手をすれば都市開発部門統括責任者という立場ではなく、ヴィンセントやレッド13のように宝条の被験体として神羅ビルに身を置く運命が待っていただろう。あるいはシェルクのように、適性者としてディープグラウンドへ送られていたかも知れない。もしそうなっていれば、この能力を目覚めさせることもなく、命を落とした可能性だってある。 いずれにせよ、今こうしてこの場所にいることは無かっただろう。 「す……みま……、せ」 口を開けば出てくるのは言葉を成さない掠れた声だけで、シドからの問いかけにもまともな返答をできずにいた。頭の中には明確なビジョンとして答えが見えているというのに。 迫っている危険を知りながらも、それを伝えられないもどかしさは、まるでそれ自体が気道を塞ぎ呼吸を妨げている様だった。 「だーっ、もういい分かった! 分かったからとりあえず黙ってろ!!」 リーブの姿を見かねてそう言ってしまったのはいいが、シド自身なにが分かったのかは分からない。強いて言えば、こんな状態のリーブから何かを聞き出そうというのは間違っている、という事は分かった。 「…………」 シェルクは黙ってふたりに背を向けた。彼らの姿を目の当たりにしていると、なぜか居ても立ってもいられなかった。一刻も早くこの場を立ち去りたい、そんな衝動に駆られた。 ――なぜだろう? 人間の死 そんなものには、これまで数え切れないほど立ち会って来たはずなのに。 今さら……。 (……今さら……?) ――今さら、何でしょう。目の前で苦しんでいる男が死んでも良いとでも? それでどうなりますか? 何が得られるのですか? (…………) 当初、エンジンルームへ行くのは自分だった。それを阻止し代わりにケット・シーがエンジンルームに向かった。その結果として今、目の前に広がる光景がある。 「ケット・シーは、ふつうのロボットには搭載されていない“感情”を積んでいます」 「彼らのデータは、私の記憶を介して蓄積されています」――先ほど、リーブ=トゥエスティの語っていた言葉をシェルクは思い出していた。 やがてシェルクの中で、点在するデータが関連付けされていく。こうして導き出された仮説が事実だとすれば、恐らくケット・シーとリーブ=トゥエスティは同期していると考えることができた。残念ながらその構造やシステムまでは皆目見当もつかないが。ネットワークに意識のみを潜行させるシェルクの能力と似ているか、とても近い存在の様にも思える。あるいは、まったく逆なのかも知れない。 (それは、つまり……) とにかく今は急がなければ。そんな使命感にも似た思いが、シェルクの足をエンジンルームへと向かわせた。 無言で立ち去ろうとする少女の背中を、シドは何も言わずに見送ろうとした。しかし、リーブはそうする訳にはいかなかった。整わない呼吸、たとえ肺の中に残った空気が尽きるとしても、声を絞り出そうとした。 エンジンルームにはネロがいる。いくらシェルクがツヴィエートの一角を成す程の力の持ち主だとしても、ネロには――彼の持つ闇の力には敵わない。彼女を行かせるのは危険すぎる。 「い、けま……せ、ん……シェルクさん!!」 たとえここで自分が向かったとしても何の戦力にもならないだろう。かと言ってシドを行かせるわけにはいかない。ここで軸となる戦力を失えば、魔晄炉破壊の任務を遂行する人間がいなくなってしまう。先に降下している地上部隊は苦戦を強いられている中で、もはや戦況はとても楽観視できる状態ではない。 となれば、なおさら今ここで彼らを失うわけにはいかなかった。 考えるまでもない、答えは1つだ。 自分の身を支えていたシドの肩を退けて、リーブは通路の壁を支えにして立ち上がる。視線はまっすぐ前方に向け、足下は決して見なかった。まるで何かに取り憑かれたように、エンジンルームへ向けて身体が動く。 そんな憔悴しきったリーブの姿を目の当たりにしたシドだったが、目の前で何が起きているのかは未だ理解できずにいた。彼がなぜ苦しんでいるのか、どうしてそこまで必死にエンジンルームを目指そうとしているのか。 しかし考えても埒があかない、理解しようとする前にシドは立ち上がると背負っていた槍の柄をリーブの眼前に突き出した。狭い飛空艇内の通路で、今のリーブの前進を妨げるにはそれだけで充分だ。 突き出された槍に手をかけて退けようとするリーブに、シドは言い放った。 「おいてめぇ、……出撃前のオレ様の話を聞いてなかったのか!?」 その問いにリーブは答えなかった。もちろんシドの戦声を聞いていなかった訳ではない、むしろ思いはシドと同じだった。 ――これは、生き残るための戦い。 だからこそ、シェルクを連れ戻さなければならなかった。 しかしこの男――シド=ハイウィンドに言葉だけで説明しようとしてもムダなのだ。それは3年前の旅でリーブも心得ている。シドにとって重要なのは言葉ではなく、思いなのだ。 「彼女を、行かせる訳には……いきません」 思いを伝えるには、それだけで充分だった。 その言葉に、シドは「……そうか」と言ってゆっくり頷いた。しかしそれは、同意を示すものではなかった。 「だがオレ様もなぁ、お前を行かせるわけにはいかねぇんだよ」 そう言って乱暴に胸ぐらにつかみかかると、怒鳴るようにしてシドは続ける。 「いいかリーブ、よぉーっく聞いとけ。 確かに飛空艇師団への出資者はてめぇだ。だがな……飛空艇の中ではオレ様の指示に従ってもらうぜ。できねぇなら今すぐ、この艇から降りろ!」 旧ミッドガル領空付近を飛行中の艇から、ホバーやパラシュートもなしでどうやって降りろというのか。しかも地上は現在交戦の真っ最中だ。それはどう考えても明らかに自殺行為だ。 無論シドとて飛空艇のパイロットとしての知識と経験は豊富にある、自分が言っていることが無茶苦茶なのは百も承知だった。だが、リーブに向けられた彼の目は真剣そのものだった。 「離……」 その手をどけてくれと言おうとしたが、声は続かなかった。 「大体なぁ、これから地上に降りて魔晄炉爆破するんだろうが?! 部隊を誰が先導すんだよ? ……空ならともかく、オレ様はミッドガルの構造なんざ知らねぇぞ」 「し、かし」 なおも反論しようとするリーブを一瞥して、シドはため息を吐いた。胸ぐらを掴んでいた手の力が緩められ、解放されるものだと安堵した。 しかし次の瞬間、腹部に強烈な痛みが走る。 その一瞬、リーブの目に見える世界がまぶしく輝いた。直接的なこの痛みは、恐らく。 「……、シ……ド?」 全身から力が抜けていく。両足と壁、ふたつの支えを失ったリーブは、物理法則に従い床へと倒れ臥した。どさりという音だけがやけに大きく聞こえた気がする。 倒れた後、痛みよりも強く感じたのは頬全体に広がる冷たい感覚だった。白光した視覚から得られる情報はなかったものの、腹部を殴られそのまま意識を失うまでの間、リーブは驚くほど冷静に自身の状態を捉えていた。 気絶する。そう認識した頃には視界を覆い尽くしていた白光は収まり、今度は一転して闇が広がっていく。 徐々に視界を浸食していく闇の中で、彼の内に流れ込んで来たのはケット・シーからの声。たくさんの思い。 この時になってようやく、リーブは自身の持つ能力の本質に気づいたのかも知れない。 (ケット・シーは……) ――おっさん。オモチャのわいに命をくれて、おおきに。 また…… …………。 しかし最後までその声を聞くことなく、リーブの意識は途切れた。 ***
エンジンルームへの入り口を視界の中央で捉えたシェルクは、ためらわずにロックを解除し室内に飛び込むと開かれたドアの先に広がる光景を目の当たりにして、はじめて足を止めた。 室内は恐ろしい程の静寂と、機械を焼いたためか鼻をつく異臭が充満して所々に火がくすぶっている。メインエンジンに被弾した様子はなかったはずなのに、おかしいとシェルクは思った。 しかし燻っているのが火だけではないことを、シェルクの視覚神経は正確に脳へと伝達する。 「……まさか……」 視覚から得られた情報を元に、ここで起きたであろう大凡の事態を予測するまでには、それほどの時間を要さなかった。しかし、それはあり得ない――あり得ない、それは単に“あって欲しくない”という少女の希望のみを拠にした結論なのかも知れない――だが、その予測以外にこのような事態が起こることは考えられなかった。 大きな矛盾をはらんだ思考から、あるいは絶望的な結論を導き出す事から逃れようと、無意識にシェルクは決して広くはないエンジンルームを見渡し、それを見つけた。 (……ケット・シー……) 仰向けに倒れ、動かなくなってしまったケット・シー。それはもはや、ただの人形だった。傷つき血を流すわけでもなく、ただ横たわるだけの人形のはずなのに、それを見たシェルクの中に静かに湧き出る感情が、確かにあった。 ――『よっしゃ! そんじゃもう一踏ん張りや! わいもサポートさせてもらいまっせ〜。一緒にがんばりましょ』 シェルクは自分に向けられたケット・シーの笑顔を思い出す。それはつい、数十分前の出来事だったはずだ。 メディカルルームに現れた奇妙な猫。その正体は、周囲に置かれた機械と中身は変わらないはずのロボット。けれど小さな体を動かして、妙な口調で話しかけてきた。さっきまで、少女の耳は確かにその声を聞いていた。 あの時、リーブ=トゥエスティが語っていた言葉が同時に脳裏をよぎる。 「どんな言葉を使って、どう語れば思いを伝えられるのかが分からない」と、彼はそう言っていた。そんなものは別に伝える必要のないものだと、シェルクは否定した。それなのに、今頃になってなぜ? (ケット・シーは……) ――「私たちは、これから10年を取り戻すんだ。」 血を流すこともなく、気がつけばカプセルの中でただ横たわるだけの彼女の姿も、そう言えば人形のようだった。つい数時間前まで、彼女は話し、動き、なにより“生きて”いた。 (……お……姉、ちゃん) そんな――姉の語った言葉までもが思い出され、シェルクはぎくりと身を震わせた。 「……こんなところで会うなんて、奇遇ですねぇ」 今度は聴覚が直接捉えた音声に、シェルクは顔を上げた。聞き覚えのある声。だがそこに懐かしさを感じる訳ではない。 「……ネロ……」 本当は恐ろしかった。 同じツヴィエートとして、シェルクは自分とネロの能力差について嫌と言うほど知っている。『漆黒の闇』の名を持ち、彼自身ですら制御の利かないという強大な力を持つネロに対抗するには、シェルクの存在も力も弱すぎた。軟弱な身体に貧相な能力。そんなことはアスールに言われるまでもなく分かり切っている事だ。 そんな彼がなぜ、こんな場所にいるのか? 「どうして……ここへ?」 シェルクの問いに彼はどこまでも淡々とした口調で「不足している分の生命を回収しに来た」と答えた。ネロにとって人は生物ではなく、エネルギー源、あるいは単なる有機物に過ぎない。 「ここにいた人達は……」 聞くまでもない問いが、口をついて出てくる。考えるだけでも恐ろしい、あまりにも残酷な結論を、自らの手で導き出したくはなかった。まるで答えることそのものが罪であるようにさえ思えた。 「おかしな事を言いますね」 わざわざ聞かなくても、あなたには分かっているはずだ。ネロはそう言って笑った。事実その通りなのだ、分かっている。ここにいたはずの人達が、どのような最期を迎えたのか。考えたくなかった。だから目をそらそうとした。目をそらした先に、横たわる人形の姿があった。 (!!) 動かなくなってしまったケット・シーは、けれどシェルクに何かを告げているような気がした。 (…………) 苦痛から逃れるために目をそらして、見ようとしなかった光景がたくさんあった。 それでも、まっすぐ自分を見つめてくれる人達がいた。 互いに武器を向けながらも、決して目をそらさなかったヴィンセント=ヴァレンタイン。 自分に武器を向けられても尚、語り続けたリーブ=トゥエスティ。 本気で怒りをぶつけてきたユフィ=キサラギ。 一緒にがんばろうと、笑いかけてくれたケット・シー。 身に迫る危険を顧みず、それでも最後まで諦めなかったシャルア=ルーイ。 ――自分が世界でいちばん不幸だなんて、思ってなどいない。 私は、ただ……。 「見ての通り、既に回収は終わりました」 淡々と語るネロの言葉は、シェルクの奥深くに眠っていた何かに触れた。 勝てるか勝てないかなんて問題ではなかった。半ば衝動的にスピアを取り出し意識を集中する。そんな少女の姿を見たネロは、僅かに首を傾げた。 「……何をする気です?」 「さぁ……私にも、よく分かりません」 魔晄の力とシェルク自身の能力を湛えた2本のスピアはオレンジ色に輝き出す。衝動に駆られるまま、シェルクはそれをネロに向けた。自嘲なのか苦笑なのか分からない、そんな作り物めいた小さな笑みを浮かべながら。 目の前に立っているのは、“仲間”と呼べるほどの存在ではなくとも、これまで太陽を奪われ死に支配された暗い地の底で、共に生き抜いて来た者。勝算のない戦いだと知りながら、それでも。 「……ただ」 ――『それでは、シェルクさん。頼みましたよ』 「いちど受けてしまった頼みを、“反故にするのは気持ちが悪い”ということは、分かりました」 そして。その逆も。 ――『私たちは、これから10年を取り戻すんだ』 ――『一緒に、頑張りましょ』 果たされることの無かった言葉たちが、シェルクの内に何度も繰り返して響いていた。 ー鼓吹士、リーブ=トゥエスティX<終>ー
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