大手町
江戸城(皇居)
所在地:千代田区千代田1(東京駅)
HP:http://www.fng.or.jp/koukyo/koukyo-index.html



  江戸城大手門
 


 4月某日。すっかり暖かくなって絶好の散歩日和。
 そこで久しぶりに皇居へ出かけてきた。皇居は以前「皇居外苑」「皇居東御苑」でも紹介したが、今回は皇居の外周をぶらり歩いてみようと思う。
   



大手門からお濠を眺める
 


 地下鉄大手町駅から出て、大手門を潜り、まずは皇居東御苑へ。ここは以前「皇居東御苑」でも紹介したので、詳しくは述べないが、天守閣跡や、現存最古の富士見櫓など見所も多い。
   



天守跡


富士見櫓


諏訪の茶屋
ツツジが色鮮やか
 


 しばらく散策し、東の平川門から出た。
   



平川門


平川門
 

 
 お濠に沿って、反時計回りに歩くことにした。ここはジョギングのメッカで、この日も多くのランナーが走っていた。僕も以前、マラソンに初挑戦した際には、ここで練習をしていたのだが、今日は歩くつもり。
  
 平川門を出てすぐのところに「道灌追慕の碑」が建っていた。
 太田道灌(1432〜86)が1457(長禄元)年に江戸城を築城してから550周年を記念して2007年に建てられた。
   



道灌追慕の碑
 

 
 いったん大手門の方へ引き返す。
 すると、広場の前に1つの銅像が建っている。和気清麻呂像である。
 和気清麻呂(733〜99)は、平安時代の貴族。称徳天皇(718〜770)に仕え、皇位を狙った道鏡(700〜72)の野望を阻止したことから忠臣とされる。
 像の台座には「紀元2600年記念」とあり、1940(昭和15)年に建てられたことがわかる。また建設委員長は陸軍大将・林銑十郎(元首相/1876〜1943)であった。
    



和気清麻呂像
 


 再び元のコースに戻り進み、竹橋を左折。
   



竹橋
 

 
 ここからは代官町通りに入り、上り坂を紀伊国坂という。かつてこの辺りに尾張徳川家と紀伊徳川家の屋敷があったのが、坂の名前の由来とのことである。
   



竹橋から紀伊国坂
右の建物は東京国立美術館
 

 
 右手に国立近代美術館や国立公文書館といった建物を眺め、しばらく坂を登る。
  



国立公文書館
 


 すると左手に北詰橋門が見えるが、東御苑にはここから入ることもできる。
  





北詰橋門
 


 北詰橋門の向かいに北の丸公園があるので、次はここを散策しようと思う。
  





北の丸公園入口
 


 北の丸公園を歩いていると、科学技術館があった。ここももうずいぶん長いこと来ていない気がする…。
   



科学技術館
 


 科学技術館のすぐ近くには、吉田茂像が建っている。
 ワンマン宰相といわれた吉田茂(1878〜1967)の生誕100年を記念して、1981年に建てられた。舟越保武(1912〜2002)の作とのこと。
  



吉田茂像
 


 北の丸の東側にあるのが清水門。1658(万治元)年に再建され、国の重要文化財に指定されている。
 ところが、この時はちょうど工事中で、白いカバーに覆われていた。何でも、2011年3月の東日本大震災の際に被害を受けていての復旧工事なのだという。
    



清水門
残念ながら工事中
 


 再び北の丸公園に戻ると、公園の中央に小高い丘があり、「北の丸公園露場」とあった。
  露場とは、地上気象観測の拠点で、気温、湿度、気圧、降水量、感雨、積雪量を観測する。2011年8月に、それまでの大手町の気象庁庁舎からここに移ってきた。
  



露場
 


 林の中に何やら開けたスペースがあるので近寄ってみると、「近衛歩兵第二聯隊記念碑」とあった。
 近衛聯隊とは、天皇及び皇居の守護のために組織された精鋭部隊で、1874(明治7)年に組織された。北の丸公園にはそのうち、歩兵第1連隊と第2連隊が配備されたいたそうである。1945年の終戦時に解隊された。
    



近衛歩兵第二聯隊記念碑
 

 
 第1連隊の碑も、ここからすぐ近く、北の丸休憩所の裏手にあった。ただ、第2連隊に比べると、どうも地味である。
    
 



近衛歩兵第一聯隊跡記念碑
 


 日本武道館を右に見て進む。
  



日本武道館
 


 北の丸の北門に当たる田安門に出る。
 田安門は、1636(寛永13)年に建てられた、江戸城遺構のうちの現存最古のもの。もちろん国の重要文化財に指定されている。
   



田安門
 


 田安門も、清水門同様に工事中なのだが、こちらはカバーには覆われておらず、ちゃんと潜ることができた。
   



田安門


田安門から観た千鳥が淵
インド大使館が見える
 


 田安門を入ったところのすぐ右脇には「紀元二千六百年植樹記念碑」がある。
 1940(昭和15)年は、神武天皇が即位してから2600年目の節目の歳ということで、数々のイベントが開催されていた。
   



紀元二千六百年植樹記念碑
 

 
 田安門の左側、日本武道館との間の場所には「弥生慰霊堂」がある。
 目立たない場所にあるので、僕は今まで何度もここに来ていたが、この場所は知らなかった。
 



弥生慰霊堂入口
 

  
 弥生慰霊堂は、殉職した警察官を祀っている。1885(明治18)年に本郷の弥生町に「弥生神社」が創建された。何度か遷座した後、1947(昭和22)年現在地に移ってきた際に「弥生廟」と改められた。1983年に「弥生慰霊堂」と名前を変えている。
 現在までに2517柱が祀られている。
  





弥生慰霊堂
 


 弥生慰霊堂の敷地の右側に建つ碑には「昭和天皇御野立所」とある。
  1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災。その後7年経った1930(昭和5)年、当時摂政だった昭和天皇(1901〜89/在位1926〜89)は復興のための視察をこの場所から行ったという。
 当時はこの場所から東京湾までが見渡せたそうである。
    



昭和天皇御野立所
 


 再び北の丸へ。
 北の丸公園の芝生には親子連れなどがのんびり遊んでいる。
  



北の丸公園
 

 
 緑も豊かで、公園の中には滝などもある。
   




 

  
 北の丸を一周して再び代官町通りへ戻ってきた。
 本丸の乾門が見える。皇居の北西にあるから「乾門」。もともとは南の坂下門から中に入ったところにあった「西の丸裏門」を、1888(明治21)年にこの地に移築したもの だ。
     



乾門
 

 
 道沿いに西に進むと、右手に馬に乗った像が建っていた。北白川宮能久親王像だ。
 北白川宮能久(1847〜95)は、皇族で陸軍中将。戊辰戦争の際には彰義隊や奥羽越列藩同盟の盟主に担ぎ出され、一説に「東武天皇」として即位したとされる。後に陸軍中将として日清戦争後に割譲された台湾に出兵する(乙未戦争)も、マラリアにかかり戦病死している。
    





北白川宮能久親王像
 


 そのすぐ近くにあるレンガ造りのモダンな建物は、東京国立近代美術館工芸館。1910(明治43)年に建設された、大日本帝国陸軍の近衛師団司令部庁舎を改修したもので、国の重要文化財にも指定されている。
    



東京国立近代美術館工芸館
 


 さらに進むと内堀通りにぶつかる。お濠に沿って左折。
 すぐに緑道があるが、ここは「千鳥が淵公園」である。もっとも、千鳥が淵公園は千鳥が淵には接しておらず、接しているのは半蔵濠。千鳥が淵はもっと北に位置している。
   





千鳥ヶ淵公園


半蔵濠
 


 千鳥が淵公園に沿って桜並木がある。もちろん、この時期はすっかり葉っぱになってしまっているが…。
 この公園にはいろいろなモニュメントや碑がある。中でもおもしろのが「自由の群像」。自由のために一身をペンにささげた新聞人たちを顕彰するもので、1955(昭和30)年に作られた。広島・平和記念公園の「原爆の子の像」 を作った菊地一雄によるもの。
    



自由の群像
 


 千鳥が淵公園は半蔵門まで続いている。半蔵門は東京メトロの半蔵門駅の由来ともなっている。半蔵門の名前は、服部半蔵正成(1542〜97)、半蔵正就(1565〜1615)親子がこの門を警護していたことによる。服部半蔵は言わずと知れた伊賀忍者の一族で、代々徳川家に仕えた。
  



半蔵門


半蔵門から観た桜田濠
 


 さらに進むと、向かいに国立劇場がある。
  



国立劇場
 


 下り坂に入るがここが三宅坂。
 お濠の辺に看板が建っている。「柳の井戸・桜の井戸」とある。この堤の下に柳の井戸があったそうである。近くの、元井伊邸表門前にあった桜の井戸とともに、江戸時代から名水として知られていたそうである。
    



柳の井戸・桜の井戸
 


 桜田門から再び皇居内に入る。桜田門は1636(寛永13)年に建てられ、国の重要文化財にも指定されている。清水門同様に回収中で、白いカバーがかけられている。
    



桜田門
 


 ここからが皇居外苑である。皇居外苑についても以前述べたので省略するが、二重橋や楠公像といった見所がある。
   



二重橋


楠公像
 


 二重橋の奥にあるのが伏見櫓。、3代将軍・家光の頃に、京都の伏見城の櫓を移築したといわれている。    
   



伏見櫓
 


 さらに北の方向に進むと坂下門がある。ここは宮内庁の正面に辺り、皇居に入る際に一番よく使われる。1862(文久2)年、老中・安藤信正(1820〜71)が水戸浪士の襲撃を受けた「坂下門外の変」の舞台となっている。
     



坂下門
 


 突き当りにあるのが桔梗門。ここは以前、僕も皇室一般参賀に参加した際に通ったことがある。 
   



桔梗門
 


 桔梗門の東には辰巳櫓。
  



巽櫓


巽櫓と大手門(奥)
 

 
 巽櫓からは大手門が見えた。皇居を一周したようだ。
 大手門の方には向かわず、まっすぐに東京駅の方へ向かう。すると、和田倉噴水公園がある。
 ここにはかつて和田倉門があった。現在の公園は、1961(昭和36)年、皇太子昭仁(現・今上天皇/1933〜/在位1989〜)のご成婚を記念して造られた。
    



和田倉噴水公園


和田倉公園近くの石垣


和田倉濠
 


 大手門に入ったのは11時30分頃であった。和田倉濠に着いたのは14時15分。3時間弱も歩いていたことになる。それもお昼抜きで。すっかり疲れたが充実していた。 なんせ江戸城(皇居)は、江戸時代の徳川家から現代の天皇まで、常に日本の中心地だったのだから…。
  



北の丸休憩所
 

 
 ところで江戸城は「日本の100名城」にも指定されている。せっかくなのでスタンプラリーに参加することにした。
 北の丸休憩所にスタンプがあったので押しておいた(他に和田倉休憩所・楠公休憩所でも押印可能)。スタンプラリーの第1号である。残りは99城。これから気長に押していきたいと思う。
  



記念すべきスタンプ第1号
 

(2013年4月14日)


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