大手町
皇居外苑
所在地:千代田区千代田1(東京駅)
HP:http://www.fng.or.jp/koukyo/koukyo-index.html



  皇居外苑より旧江戸城城壁を望む
 


 知人に頼まれて2週間滞在するインド人一家に日本語を教えることになった。日本語を教えるばかりでなく、東京をいろいろ案内することに。
 出会った日に彼らが皇居を見たいと行ったので、その足でさっそく出かけることにした。

 皇居、言うまでもなく旧江戸城。現在は天皇の住居となっている。大部分は非公開ではあるが、皇居外苑および東御苑、北の丸地区は一般公開されている。
   



 


 まず僕らが向かったのは皇居外苑いわゆる皇居前広場。東京駅から歩いてすぐのところにあるだだっ広い公園である。

 正門のほうへ向かう。ここから先がいわゆる宮殿だが、もちろん今は入ることができない。毎年正月2日の皇室一般参賀の際には入ることができ、僕も何回か行ったことがある。
  



二重橋
 


 手前の橋が正門石橋、奥の橋が正門鉄橋。正確には奥の橋を指して二重橋なのだそうだが、一般的には二つの橋の総称して二重橋と言う。
 



桜田門
 


 二重橋の西側には桜田門がある。1860(安政7)年に大老井伊直弼(1815〜60)が水戸浪士に暗殺された桜田門外の変が起こった場所である。現在は国の重要文化財に指定されている。
 



 楠公像
 


 さらに南のほうには騎馬姿の武者像が立っている。旧江戸城にある像だから、僕は永年これを江戸城を建設した太田道灌(1432〜86)であると信じていたが、実は楠木正成(1294〜1336)、通称楠公像であ った。
 さて、楠公というと、僕らの祖父母世代には大忠臣として名高い。そもそも楠公像が1904(明治37)年にこの地に立てられたのも、その忠臣としての性格ゆえではあろうが、現在の我々の世代には少々なじみの薄い人である。どのような人なのかと、当然のようにインド人一家から尋ねられたが、内戦(南北朝騒乱)の際に、天皇の側(南朝・後醍醐天皇)に最後までついて戦った人と説明しておいた。
 ちなみに江戸城を作った太田道灌の像は日暮里の駅前にいらっしゃる。

 この日は、皇居外苑を軽く見ただけで次の目的地に移動したが、同じく一般公開されている皇居東御苑にも行ってみたかった。
  

(2006年4月6日)


戻る